密会
端っこに無造作に詰められた机ども。
あんな奴らと一緒にい続けなきゃならないのももうすぐだ……私はほくそ笑みながら、雑音あふれる校庭をながめていた。幸いにもこの教室には私以外の人間はいない。カフェに行ったりダンスを観に出っ張らっている最中。けど、こんな騒ぎ、興味はない。
元から彼らとともにいること自体が嫌だったのだ。そりゃ時としてうれしいことも色々あったよ。けど全体として考えれば、もうこの三年間は死ぬほど嫌な日々だった――その一言に尽きる! そう言いたい!
けど、なぜかさびしい。次第に来る別れの日は普通なら喜ばしいはずなのに、なぜか心のどこかで違和感が生じる。まだ終わりたくない、まだ奴らと話していたい……原因不明のこの感情、止まらないのをどうしよう?
私はため息をついて、窓から目をそむけた。まだ違和感は消えなくて。けど、それどころじゃない事態が、次に生じる。
「探してたぞ、ありさ」
ずきずきする心臓。そいつの名前なんて、呼ぶのも忌まわしい。
なぜきゃつはあんな優しげな顔ですぅか! まして長身! 黒縁の眼鏡とあいまって、やけに頭も人付き合いもよさそうな印象を与えやがる!
だが、ただの虚飾に過ぎない。あいつの本性を私は知っている。悪魔なのだ。誰も気づかないうちに、心の奥底から浸食してくる悪魔……。
「――瀬原」
私だけは、あんな奴に惑わされたりはしない!
瀬原勝は、同情を含んだ顔と口で、なれなれしく語りかける。
「随分さびしそうじゃねえか。麻里香が心配してたから探してやったってのに、何だその顔は」
私は今すぐにでも窓から飛び降りたい気持ちだった。こいつが、自分の手先に仕立てあげた『友達』を率いて何をしでかしたか、私は決して忘れない。
私は、こいつの苦い仕打ちに対抗するため、ずっと、教室という小宇宙で孤立してきたのだ。
「おまい、ワイに何の用ですぅ」
わざとらしく、伸ばす語末。これが私のしゃべり方。いつ頃からこうなったかなんてもう覚えてない。けれど、この小説を読んでる君だって分かるはずですぅ。こんなリアルじゃなさそうな言葉遣いをする奴がまともに育ったなんて思いますぅか?
ああ、胃に孔があく。
「小雪もだぞ。お前はクラス中の人気者だからな、こんな晴れの日にみんなの前に現れないなんて不安でならないだろ」
戦慄する。こんな奴が私を、『人気者』?
ふざけんな。お前らは私をさらし者にしてきたじゃないか。私がただちょっと得意なことをしただけで、お前らは必要以上に感心して私をさらしてきた。
ましてお前なんて、望まず目立ってしまった私をことあるごとにいじってきたじゃないか。生活とか人間関係とかでマウントとりやがってよ!!
「……私がお前らんところについてって、何の意味がありますぅ?」
私は感情を抑えながら、渋々こいつとの会話に応じる。
「意味って?」 こいつはやはりしらをきる。
「つまり、私がお前らと一緒にいて何か利益があるとでもいうですぅか?」
瀬原は口を真一文字にして黙っていた。一体何を考えているのかさっぱりわからない顔。
私は、こいつの態度に腹も煮える気分だったが、そろそろ逃げ出したいと考えついて――、
「あいつらが望んでいるような感じだったから言ってみたまでさ」
瀬原は腕を組んで、うつむきながら吐いた。
力なく笑う私。笑うしか、ない。
「ははは、安心したですぅよ。ついお前まで私にほれてやがるんじゃないかと今心配でならなかった。はは……だが安心しろ」
私は瀬原に近づいて、静かにささやいた。
「あんな奴ら、屁にも思ってないから」
「うん。同感だ」
まるで『わかる』とでも言いたげな顔でそう。わかることとは?
何、今、同感だと?
「今、『屁にも思ってない』なんて言いやがったな?」
だが、軽蔑をも含んだ不審な眼で見つめてくるのは瀬原の方。
「理に合わないな。そもそもお前は俺があいつらを愚民として扱ってることをずっと知ってたろう?」
眼鏡をかけた目は、実際の目つきより陰険で、底知れない闇をかかえた人間としてこいつを見せてるに違いなかった。
◇
今日は学校中が一つの祭りの会場だった。文化祭も後半となり、お化け屋敷とかダンスとかの出し物が教室や体育館を使って催されている。
つい昨日、私のクラスは劇の出物をやった。自慢でもないが、脚本を書いたのはこの私、菅ありさ。
まあ一高校のささやかな劇だから別に仰々しい内容の奴でもない。勇者として呼ばれた女の子が、世界征服しようとしている魔王を倒すため冒険に出発する、みたいな。
瀬原勝は魔王役をつとめた。いや何か頭に角つけるとか、おどろおどろしい衣装身につけたとかいうわけじゃありゃーせん。黒いマントに身を包んで、眼鏡はかけたまま、まさに暗躍者といういで立ち。
実は幼い頃、政争によって国を追われた王子。辺境の地で魔物どもを駆り集め、自分が王様になるために、王女をさらい、王国へと攻め寄せる。
勇者は、終盤でその事実を知るわけだ。知って葛藤するわけだが、結局勇者は魔王を倒すことになる。
だがその結果、勇者は全てを喪う。『王族殺し』の罪のため、仲間の信頼も、民衆からの人望も。最後、誰もいない場所へと逃げ去り、勇者は絶望の叫びをあげる……。
戸邊麻里香のあの演技! 演技とはいえ、私は裏方であの迫真ぶりを眺めつつ、悦にひたったものだった……。
かつてまあ内容はどうでもよろしい。それより大切なことは、
私が、この劇を通して伝えたつもりだったこと。
◆
「俺は昔から孤独な人間だった」
瀬原は黒板に背をもたれつつしゃべる。
「他人よりも物わかりのいい人間に生まれちまったらしい。自分の存在が無駄であることをどこかで自覚していた。他人と関係なんて持ったところでそれは所詮むなしいものだとな」
私は、そいつの目つきを直視することを避けた。もし目が合えば、そのまま奴の心に憑かれちまうに違いない。こいつは、もしかして俺のことを分かってるんじゃないかと。俺がこいつにひかれちまうかもしれないんじゃないかって。
瀬原は、私の顔を無理に振り向けようとはしない。
「だが他の奴らは違った。みんな世の中の奇麗ごとに惑ってるんだよ。友情だの絆だのと口で言うし、実際心の中でそんなものを美しいと思ってやがる節がある。だがここでも俺は秀才だった」
口調が変わる、ささやかに、けど劇的に。
「へどが出るんだよ――クラスのみんなは俺をまるで善人とでも思ってやがる。成績もいいし、人付き合いもいいし、友達も多いし、おまけにこの顔が知的だ!」
私は一瞬だけ、瀬原の顔をのぞいてみた。怖ろしく、不敵な笑みだった。
本当にさわやかそうな笑顔だったのだ。今まであいつの顔をまともに視てこなかったが、それでも、あの顔に釘付けになると、確かにこいつを人間としてまともな部類として扱うのも、不思議じゃない――気が。
「愚かな大衆に過ぎない。俺が舌先三寸でしゃべり散らすだけで、あいつらは必要以上に感心する」
外ではやけに軽快な音楽が流れている。しかも、歌声つき。何の歌? こいつが軽蔑する内容の?
確か有名な歌手を招いてコンサートをやってる最中だったはずだ。もれでるしゃべり声から、
あっちにいる人間はその雰囲気に乗せられてすっかり熱狂し切っているのだろうが、今教室にさびしくいる二人には何の興も。
「あいつらの馬鹿な様子を観てると、日ごろから感じてるむなしさも解消される」
私は、らしくない質問で返す。
「あいつらの、どこまでですぅか?」
その時、瀬原を覆う雰囲気がぱっと変わった。まるで、表面にかぶさってた虚飾がずるりと消え去ったみたいに。
「李駿とか里見とかにも……おまいは、同じ感情を抱いてるってわけですぅか?」
沈黙したかと思いきや、鼻をかきつつ、
「ないと言えばうそになるが、かと言って馬鹿にしかしてないわけじゃない。恩を感じたことはいくらでもある」
もうこいつの言うことに一種のうさんくささを覚え始めていた私は、
「だから、あの役に立候補したってわけですぅね」
「は?」
「俺が脚本を書いた、あの劇にだよ」
どいつもこいつも、理解してくれない。
どいつもこいつも、期待を裏切りやがる。
結局は、私が傷つくだけなんだ。
「あの劇の中じゃ、おまいはわけもなく迫害される気の毒な人間。麻里香は、その事情も知らず薄っぺらな正義に燃えるクソ虫だった」
私は、外で騒ぎ立てる何百人もの生徒たちを細い目で見下ろしつつ語る。
「おまいには理解者がいなかったのですぅ。自分が誘拐の名目で王国から救い出したたった一人の妹を除いてな」
王女はずっと兄の失踪に苦しみつづけてきた。父王に対し忠実であると装っていたが、しかしずっと離反する野心を持ち続けてきた。
最後の決闘で、麻里香一同に本心を打ち明け、剣を突きつける。そして交える刃。
だが結局麻里香に敗れ去り、ついに兄と心中してしまう。しかし、今際に告げた真実のせいで麻里香は深い傷を負い、最後のあの独白に……。
もちろん、みんな劇の中の話。
妹役は竹内文子と言って、麻里香とも仲がいい。
「……麻里香の演技は決まってたよ。本当にあいつの性格を体現している」
論評するような感じの言葉遣いで語る瀬原。
「あいつは、俺たちみたいにひねくれ者じゃない。仲間って言うのを信じているんだ。大切にしたいものがあるし、そのためなら誰にためにでも怒る用意がある」
麻里香は、私を普通の人間として遇してくれた。
みんなが私をいつも孤独で、珍奇で、哀れな奴だと思いながら観てくる中で、あいつだけは私に変わらずあいさつをしてくれた。昼食に招いてくれたこともある。
でも、そういう奴こそが真に害悪なのだ。だって期待させるから。いい奴だと錯覚させてくるから!
「けどあいつはもし裏切られた時、どんな苦しみを味わうかもよく理解している。その点これはうそじゃない」
瀬原はまるで麻里香を評価している物言い。
私の身勝手な感情であることは百も承知だったけれど――
「麻里香が理解してようが理解してなかろうが、そんなのはどうでもいいですぅ。昔から私は、あいつがいけすかなったんですぅよ」
そうなんだ、自分自身に言い聞かせる。誰がどう言おうが、あんな奴に心を許しちゃいけない。だって、どうせ私のことを深く理解してはいないから。お返しできないくせに、あっちから大きな恩を着せてくるから!
「だってあいつはちっとも僻んだりしないですぅ。落ち込んだ時だって絶対人のことを悪くは言わない。芯がもとから強い。でも誰もがそんな人間でいられるわけないんだよ」
私は虚飾に満ちた話し方を捨てかけていた。感情が出かけていた。嫉妬がのぞきこんでいた。
瀬原は腹が立つほど落ち着きはらっている。
「一度こんな身に生まれついてしまった人間の悲劇だ。たとえどんな真人間だからって、斜に構えることしかできない」
菅ありさとは、つまる所その程度の輩なのだ。瀬原は、明らかに私をさげすんでいたし、見下してもいた。だが驚くべきは、表情も口調もその真意を隠しているってこと。
瀬原は、理解者をよそおってこの会話に乗じていた。
先ほどの歌が終わり、明るい調子とは真逆の感傷的なリズムが流れ込んでいる。ピアノのか細い音が、私の繊細な心を象徴しているみたい。
瀬原はため息をつきながら、机の上に座り、私をながめ回す。
「魔王は、ずっと孤独だったんだよ。自分が大切に思っていたはずの人間が裏切り、自分が大切にしてもいなかった奴の力をたのまなきゃならなかった」
なぜ、私はこのままじっとしてるんだ。
「最初から絶望していたんだ。どこまでも裏切られる現実に。だから逆に取り乱したりしない。勇者は物心ついた末にその現実を知った、だから錯乱したんだ」
やめろ。近づくな。
「お前の心には魔王がとりついているよ。まさに俺が演じた役柄が似合う。自分で名乗り出ても――」
「おい……ふざけるなよ……」
叫んだ――つもり。実際には数十センチしか届かなさそうな、かすかなささやき。
「俺もお前も同じ穴のむじなってことさ。ただ魔王は仲間なんての一切信じなかったし、妹でさえ結局は無数の人間を不幸に陥れるための道具。王になるという目的も、達成すれば結局むなしいもの」
瀬原の目つきに、何かの変化が生じた。それまでは、どこか離れたものとしてこの世界を推察していたのが、いきなりこの世界の住人になったかのように、活気めいたものが、やどりはじめた。
「ただお前のばあい、どこかまともな所があるな」
「まとも?」
驚く。こいつが私にそんな言葉? 幻聴か?
身をよじった私に対し、一気に顔を近づける瀬原。
「いや、冗談じゃないんだ。自分でも、人間に本来必要な要素がかけていると思う……」
かけているものって……何だ? 私は疑問を感じざるを得ない。
誰もが、人間らしさをかかしているじゃないか。
疑問を表に出す直前に、瀬原は私の口を封じこめ続ける。
「勇者は最初、自分はみんなに理解されていて、つながってて、応援されていると考えていた。だから俺を倒すために努力を惜しまなかった。それが最初のあいつの姿」
麻里香は、まさにそういう人間だった。
数人が背景となる木や家のはりぼてを用意する中、
体育館の舞台の上、麻里香が鎧(段ボール製)をまとい、剣(アルミを貼っている)を帯びた姿。
「私、正直言ってこんな格好は似合わないんだけど……」
茶髪で碧い眼――彼女の血は半分西洋から来ている――の美少女がこんな服装をすると、さながらおとぎ話の中から飛び出てきたような迫力。
「いや、すごくさまになってるですぅ!」
舞台の下から叫ぶ私。
あの時の私は、自分の思い描いた世界が現実になっていることへの興奮で、すっかり陽気。
「同感だね」
里見も全身緑色の服で、星のついた三角帽子。
実に愛嬌に満ちた身なりのせいで、、男か女なのか見分けがつかない。
「なんだろう、こんな服装をしてると本当に魔法使になったんじゃないかと自分でも思うよ」
「実際、そうでもおかしくないですぅ」
私は、すっかり心を許していた。
「えーっ、そうかなー?」
里見は頬を赤くした。私でも不意に守ってやりたいと思っちゃうほどに。
「もうみんな、仲がいいわね」
ドレス姿の文子が苦笑しながらひょっこりと端から姿を現す。目つきの鋭さと高い声で気品があるように見えた。この劇は、一つの世界を私たちの中に造り出しているんだ。
全て、幼い心から出た、実にくだらない幕間。なのに、私はこんな奴らによろこび、期待してしまっていた。
「人間に期待しちまうのが、一番いけない」
私は
「……おい、俺の話を聴いてたのか?」
「リハーサル前のこと、つい思い出しちゃってさ」
「思い出し笑いか。つまりお前はその時間を懐かしんでたわけだ」
私は少しきまりの悪い顔を浮かべる。なぜ今更そんなことを想起して、気持ちがよくなっているのだろう。我ながら不可解だ。
目の前にいる人間なら――
「最初、『屁にも思ってない』なんて言ったはずだよな?」
瀬原はごく事務的な口調で尋ねる。
「あ、ああ……」
「じゃああの時も『屁にも思ってなかった』んじゃないのか?」
私は、言葉を失う。瀬原はいかにも、私の本心が知りたいかのように鷹の目で私をねめすえる。
瀬原は実際、こういうことを追及すると決してあきらめたりしない性格なのだ。
「だからお前には俺が持たない何かがある」
「それって何ですぅ」
「知らんな。でもお前はそれがあるからこそ、自分に足りないものを追い求めたいと願う……たとえ奥底に反応があったとしても」
いつもの瀬原らしくないな。いつもなら、自分の本音を吐くなんてありえないことだ。
こんな人間臭い奴だなんて、想像したこともない。
「俺はもう無意味さを感じた。もうそれに手をつっこみはしない」
「うらやましいですぅ。その決断の鋭さ」
今度はこっちからこいつに話しかける番だ。
「じゃあ、結局瀬原の方が役に似合ってたってことですぅね」
瀬原の方もそろそろ、しゃべることにつかれてるだろうから。
「魔王はその最初からあきらめてたわけですぅよ。仲間を信じたり人生に目的を見つけたりすることに。それであんな、何の救いもない戦争に手を出したんじゃないですぅか。やむにやまれない連続の結果で」
しかしこいつ、なんて澄ました顔だ。あきらめたというにはあまりに潔さが過ぎる。
本当は何もわかってないんじゃないのか。もう理解したふりをして思考停止に陥ってるだけなんじゃないのか。
そう思うと、瀬原の表情も言うほど澄ましてるとは見えなくなってくる。
「だが俺はだからといって魔王みたいに狂いはしないぞ」
「そりゃ、おまいにそんなきつい経験がないからじゃないですぅか?」
と言いつつ、自分にはその経験がないわけじゃない、という気もする。
私だって、あいつらみたいにはなれない。
瀬原は違う。こいつは、最初からあいつらみたいにならないからだ――そう見えるのは、ただの見せかけ。こいつは、その『見せかけ』を用いて、まるであいつらの頭目であるかのように振舞っている。
「……なあありさ、お前にとってあの劇はどういう意味がある?」
「はあ?」
「みんなじゃなくて、お前にとってあの劇は――何だ?」
そろそろ飽きてきた。もう相手に合わせて語る必要もあるまい。
確かに私は、瀬原と今やけにまじめな話題でしゃべりまくっているわけだが、実の処私は瀬原に言い分を理解させるつもりなど最初からない。大体こんな奴に『孤独』だの『信頼』だの言われて乗る奴がいるか。
「……鬱憤ばらしですぅかね」
「不満をぶちまけるために、あんな劇にしたのか?」
瀬原はけげんな顔だ。あの劇を真剣に演じたのに、というような失望にも近い。
私はにっと笑って肩をすくめる。
「そりゃ、人の絶望する姿を大衆に見せつけるのは快感じゃないですぅか。私はただ自分の手で汚したくないからあの手段で行ったまでですぅよ」
結局、欲望はここに帰結する。
私は、ずっと鬱屈をためこんでいたんだ。
こいつにも、あいつにも、理解してくれない、同乗してくれない――そんな毎日。耐え忍ぶにも限界がある。
だから、私はこの劇の話を考え付く人を選ぶとき、手を挙げたのだ。心の中にゲスな心情をかかえたまま……!
「麻里香もいつか分かるはずですぅ。演技じゃなくて、本当にあの絶望を知ってしまった人間は何をしでかすか。あんなもんじゃすまされないんだ。――何より、心の中のどこかでそれを望んでいる私がいる!」
「わかる」
すっかり瀬原も顔をほころばせていた。
「そりゃお前みたいなやつには人に理解されない生き方がお似合いだ。わざわざ言葉で言うんじゃなくいて、俺たちを使ってそれを伝えようとしたのか?」
もう今更、あんな口調でしゃべるのもおこがましい。
「だろうな。ずっと一人ぼっちなわけさ。みんなに語る手段も持たないし、分からせる技術もない。唯一それを知ってくれたのがあんたってわけだ」
瀬原は口答えしなかった。そのかわり、口を閉ざして私の顔を見つめていた。
何が隠れている表情なのか、まるで見当がつかなかった。
「……やっぱり、分かり合えないですぅよ」
これ以上、こんな奴としゃべってたくはない……。
「ああ。全くわからん」
けど瀬原なら、わかってくれるかもしれない気がした。うれしいことなんかじゃない。
事実、こいつは私がもっとも嫌っている人間なのだ。今こうしてのびやかに雑談し合っていること自体が奇跡に近い。
「劇のことなんてすっかり忘れたよ。生きる意味とかについて語り合うのなら大歓迎だが」
もう、校庭の方は閑散としていた。すっかり歩く人の姿はまばらになり、ただ誰も立たない舞台がぽつんと運動場に残されている。一時は人目をひきつけはしたが、時間が過ぎればもう誰も訪れはしない。
最初から、この会話に深い意味なんてなかった。一体何を私は彼に心を開いた様子でいるのだろう。飛び降りたとしてもおかしくない状況なのだ。不思議なくらい、私はこいつに反抗しなかった。
「俺はただお前を呼びに来ただけなんだけどな」
瀬原はため息をついてつぶやく。
……誰が貴様なんぞについてくか。けど、やはり何か、さわやかな気分がかすかに押し寄せる。否定することができない。
「実はこっちもメランコリックになってたですぅからね。つい誰かに吐き出したくなってたですぅよ」
「で、これからどうする? もう出し物は大体終わっちまったぞ」
「最初から決まってるじゃないですぅか。最初からこんなことに興味なんてなかったですぅから」
瀬原はやはり冷たくて、すましていて、彫像のように整った姿勢。
私みたいに陰気な人間には、作り出すことのできない雰囲気。
実際、劇中ではそんな瀬原の威容はなかなかの効果を発揮していた。端正のある顔立ち、いかにもカリスマのありそうな口調で自分の野望というものをまくし立てる場面、「これが人間の魅力か」と感嘆せずにはいられなかった。
「おまい、決まってたですぅよ」
「――は?」
瀬原は、初めて動揺した。
別に、何げない一言だったのだ。ただ相手が瀬原なだけに、そっけないあいさつで終わらせたくはなかった。それだけ。
瀬原は、私から賞賛を受けるなどとは思っていなかった。私が嫌っていることを知り、それが既成の事実だと考えていたから、何を言われてもつんとした顔でいられたのだろう。
「……なんのことか分からんが、とりあえず外に出ろよ」
動揺を隠して、そそくさと瀬原は去った。私はなんだか瀬原に反撃できたことがうれしくて、ちょっと笑った。
◇
「あー……」
私は無造作に並んだ机の上、横たわりながらため息をつく。
まだ卒業まで時間はたっぷりあるじゃないか……、まだあいつらとの離別を歓ぶ頃でもない。それに……。
「しにてぇー……」
こんな日々をあともう少しだけ私は続けるのか。
どうにもならないなこの感情。私が経験したこの三年間はこの後にどう作用する?
◆
「麻里香、ありさは起きてる?」
「ううん。起こしちゃう?」
「だめだよ。ありさはこういう時間を邪魔されるのが何より嫌なんだから」
「それにしてもこんなでこぼこした机の上で、よく寝てられるよね」
「そこがありさなんだと思う。どんな環境にいたって自分の……小雪もここで待つ?」
「いや、私はもう少しみんなと一緒にいる……」
「わかった。じゃあ、私はここにいるね。ありさがさびしいといけないから」
「麻里香は……、ありさのことが好きなんだね」
「もちろん。ありさは私の友達だし、私のことを信じてくれてるからね」
「でも、ありさは私たちにあんまり興味ない感じだった」
「言わないでよ。だって、私たちは誰かに信じられたいからと思って人を信じるんじゃないんだから」