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大出雲紀  作者: あずみ さき
狩りの章
7/9

07 家族02

 階に出る前に、エダと言い争っている女の声ははっきりと耳に入った。


 「あの人がいることはわかっているのです! 本人の快気を祝うめでたい日だというのに、こんなところに閉じこもって! ええっ、わたくしの耳に何も入らぬと思っているのですか、エダ!」


 「スセリ様、ナムジ様は御支度の最中で…」


 「誰が支度を手伝っているというのです!」


 うわ、思っていたよりも、これはひどい。大国主は亀のように首をすくめ、一切をやりすごしたい気持ちになった。


 言い争っている女は四十ほどの背の高い女だった。髪はきっちりと結い上げ、裳を身に着けているとはいえ、短めに切り上げられた動きやすい作りのものだった。キッと、夫に向けたまなざしには強い意志が込められている。

 今は、荒れ狂う海のような激怒で満ちていた。


 「これは、我が背の君のずいぶんと遅いお出ましですこと」


 「スセリ」


 きりきりとまなじりを吊り上げて目を光らせる同じくらいの身の丈の正妻に、ナムジは思わず半歩引いていた。


 「何ごとだ、騒々しい」


 「ずいぶんごゆっくりしておられる様子なので、妻として当然のことながら案じられ、様子を伺いに来たのですわ。あなたもいまだ本調子ではないご様子ですし!」


 すごい剣幕で階を上ってくる。その妻の前に立ち塞がる形になる。


 「話を聞け。おまえが何を邪推しているか知らんが…」


 「邪推! わたくしが何を邪推していると言うのです。あなたのこれまでやっていらしたことから、わたくしに邪推されても仕方がないと、御自分で思っていらっしゃるからではないのですか。大体、邪推とはなんです?」


 「スセリ! 話を聞け」


 「あなたの口から出るどんなお話を聞けと? わたくしにそれが信じられるとでも? そうして、わたくしの前に立ち塞がりながら」


 「スセリッ」


 「…後ろに、誰を隠していらっしゃるの?」


 眼前に迫る妻の顔が、憎々しいまでの色を浮かべて睨みつけていた。ナイキが怯んだすきに、スセリは夫の身体を突き飛ばして中へと踏み込んだ。


 「スセリ…ッ」


 止める間もなく走り込んだ中年の女は、窓の際から興味深そうに見返す、ミヤコの姿を見た。

 プツン。何かが、音を立てて妻の中で切れるのが、ナムジにすら聞こえた気がした。


 「あなたという方は…、こんな、男だか女だかわからぬようなあばずれを、わたくしの目の前で引きずり込むのですわね…っ」


 怒りのあまり、スセリの声は一本調子となった。


 「スセリッ、やめぬか、みっともないっ!」


 ナイキが何かする前に、スセリの起こした行動はあまりにも早かった。夫の腰から引き抜いた太刀を扱いなれた手の確かさ、なみの女であればかわせぬほどの剣撃をもって、ミヤコに切りつけたのである。

 だがミヤコは、なみの女ではなかった。身の重さがないような軽さで一瞬にして飛びすさる。剣先は窓の棧へとガキッと食い込んだ。


 「こらえてくれ、ミヤコ! オレの妻だっ」


 ナイキはスセリが太刀を振りまわす手を捉えとりおさえた。その手から太刀をもぎ取ろうとする。

 ミヤコがスセリに傷つけられるとは一瞬でも考えなかったが、それに対するミヤコの反応が恐ろしかった。


 「あなたという方は…っ! あなたという方は、あなたという方は…!! 何人でも新しい女を引きずり込んで! 一体、わたくしをどれだけ苦しめれば気がすむの…っ」


 「女」


 しんと、空気が冷えるような声がかかった。金色に光る肉食獣の瞳がぎらぎらと輝き睨みつけていた。妻の身体から力が抜けるのがナイキにはわかった。


 「二度と私に刃は向けるな。今度やったら…殺すぞ」


 感情のこもらない声で言うと、ミヤコはそのまま部屋を出ていってしまった。

 腰を抜かしたようにへたり、とスセリは床にすわり込んだ。


 「バケモノ…」


 ガタガタと身を震わせながら呟く。

 エダがミヤコと入れ替わりに飛び込んで来た。力が抜けたままのスセリを連れて行くのを手伝う。怯えた子供のように身を震わせ続ける妻の様子に、考えてみればスセリも素戔鳴(スサノヲ)神の血筋を引くものであることを思い出す。頭に血がのぼっていなければ、最初からミヤコが『敵対してはならぬ』類のものであることぐらいは気づけたに違いないのだ。


 妻が休むのを見届け、さてミヤコを探さなければと出てきたところで、祝い主が遅れるということでいろいろとかけまわってきたらしいエダにばったり出くわした。

 ミヤコを見かけなかったかとの問いには面を振った。


 「すぐに探しに行かれた方がよろしいでしょう。ハヤト様とオオドシ様にはお伝えいたします。…しかし、見違えましたなぁ。あれではスセリ様が癇癪を起こされるのも無理はない」


 「おい、おまえまで話をややこしくするな! エダ」


 ナイキは渋面を作った。


 「いくら美しかろうが、あれはバケモノだ。人の世の理には染まらぬよ…」


 そう、いくら外見は美しい女に見えようが、あの存在を普通の女のように考えることはナイキにはできなかった。あれは…何か根本的に『違う』ものだと、傍らに在ればあるほどわかる。


 内心、今度こそ消え失せたのではと案じていたミヤコは、厩で馬を見ていた。

 驚いたことに馬たちは一様に首を伸ばし、少しでもその存在の近くにいたいと願うようにつながれた綱や囲いの許す限りに身を寄せていた。触れてくれとでもいうように、小柄な女の前に頭を下げている。

 山野を駆けていた荒々しいバケモノにしては、ミヤコはあまりにも静かに場の中に在り、厩に踏み込んだナイキはこれは本当におなじ『モノ』かと、一瞬目を疑った。


 「ミヤコ」


 寄ると変わらず冷ややかなまなざしで見返して、ミヤコは言った。


 「おまえ、女の扱いがヘタだな」


 「面目ない」


 何を言われたところで、言い返せる筋合いではない。ナイキはひたすら恥じ入った。

 ミヤコは囲いをぐるりと見まわした。


 「いい獣をそろえている」


 「そうか」


 「私が選んでもいいか」


 「ああ」


 「では、あいつがいい」


 あごでしゃくった先には国主の持ち馬の中でも最も気性の荒い一頭がいた。強勇の名高いハヤトを振り落とし、大国主自身を蹄にかけようともした馬である。馬師も手を焼く野生の血がおさまりかねる、見事な体格の一頭であった。

 普通ならば国主として、自らの客の乗る馬としては例えどれほど馬術の巧みなものであったとしても、絶対に乗ることはとどめようとしたであろうけれども、この場合はミヤコが恐れ気もなく寄るのを思案気に見ていた。

 案の定、小柄なバケモノに魅せられた馬は、選ばれたことを喜ぶように柔らかく鼻面を寄せてきた。


 「ああ、わかっている。しばらく背を借りるぞ」


 人に語りかけるように口にし、ミヤコは鼻面を軽く叩いた。


 「父上」


 背後から通りのいい声がかかる。振り向いて次男の姿を認め、これはおもしろいと大国主は思った。


 「義母上の具合が悪くなったとか」


 「大事ない。休ませてきたわ。遅くなったが出られるぞ。そう、狩りの先駆けは…」


 「兄上がじりじりしてお待ちになっておられます」


 みなまで言わせずに、頭のいい息子は笑った。だが馬の傍らの男装の麗人に目をとめると、オオドシは真面目な顔になった。


 「あの方は」


 「ミヤコだ、オレの迎えた客。狩りにともに出る。ミヤコ、これはオオドシ。おれの二番目の息子だ」


 「ふん?」


 小柄な女は若者を見上げ、少し首を傾げた。


 「ミヤコ様、とおっしゃられるのですか」


 好奇心が息子の中で広がっていく様が顔を見ているだけでわかった。


 「オオドシ、と申します。若輩ものゆえよろしくお導きいただきたいもの」


 「行儀のいい息子だな」


 ミヤコがナイキをちらりと見て言う。


 「父上ーっっっ!」


 さらに後ろから大声がかかり、大国主はガクリと前にのめりそうになった。


 「厩で大声を出すな、ハヤト! 声で人を探さずに、目を使え!」


 「皆、馬首を揃えてお待ち申しあげておりますっ!」


 「わかっておる! 今行くわ!」


 体格のいい息子がはやる気持ちをおさえかねるように厩の口に姿を見せ、弟がすでにいるのを見てムッとした表情を浮かべる。

 こいつ、殴ってやろうか。

 ナイキとしては長男を見る時に恒常的にかかえるイライラとともに思う。


 幼馴染の従者に非難された心の動きだった。父親としてはおさえなければならぬとも思う。ハヤトをオオドシに比べ、少しでもうとんじるような様を見せてはいけないのだ。

 だが、ハヤトを息子としていとおしむ気持ちは自分の分身に対するものに似ていて、その気持ちはいらだちと分かちがたく結びついていた。

 オレは欠点だらけの弱みを抱えた人間にすぎんのだ、エダよ。ナイキは心の中でいいわけする。かつての若造だった自分が傷ついたように、ハヤトを傷つける権利などないとわかってはいるのだ。

 自分が学び育ったように、ハヤトもいずれは成長し、親を乗り越えていく日がくるはずだ。今はまだ、まったくその兆しのないことに、いらだちを覚えるとしても。


 「…先駆けをつとめよ、ハヤト。この父のため、最も見事な獲物をしとめてくれるのだろう?」


 意識して穏やかな口振りで大国主は命じた。ハヤトの表情が日に照らされたように輝いた。


 「はい! 必ずや、父上!」


 うれしそうに立ち去る息子のうしろ姿に、ため息をつきたい気持ちをおさえる。

 息子の単純さはおそらくは、美点だ。

 だが、今のままでは国主には向かぬ。


 「おまえも行け、オオドシ」


 もう一人の息子はミヤコのそばにまだとどまりたい様子を見せたが、それでもうなずいた。


 「はい。…ミヤコ様、後ほどぜひお話を聞かせてくださいませ」


 頭をさげると出て行った。その姿が消えてから、ミヤコは行った。


 「うるさい方はおまえに良く似ているな…、バカなところが」


 鋭すぎる言葉は、心の臓に刺さるようにも感じられる。

 馬を引き出すとミヤコは命じた。


 「手綱を外せ。鞍だけでいい」


 「おい」


 さすがに大国主は眉をひそめた。


 「危険ではないのか?」


 「おまえ、私をなんだと思っている」


 女は瞳をきらりと光らせた。大国主は一瞬だけ考えてから、馬師に手綱を外すよう命じた。

 見事な身の軽さでミヤコは一瞬にして鞍にまたがった。軽く馬の首を叩くと、まるで心が通じあっているように自在に馬を動かした。


 「さすがだな、ミヤコ」


 賞賛にあたりまえだと言うようなまなざしを向けられる。


 「そういえば、ミヤコは何か得物はいるか」


 この女は武器を使えるのだろうか。おそらく生身の方が『強い』のだろうと思うが。大国主は考えた。

 ミヤコは何事か考えている様子だった。


 「先刻のおまえの息子ども」


 「ああ?」


 「あの、癇癪持ちの妻が生んだのか?」


 「いや、スセリの生んだ子はまだもっと小さい」


 「ふん」


 「それがどうした」


 ミヤコは答えずに、最初の問いに答えた。


 「私は何もいらない」


 「父上ーっ!」


 弾むような声とともに、どこか若鹿めいた少年が走って来た。不満に頬を膨らませ、馬上の父の足にとりすがりそうにして言う。


 「オオドシ兄上と一緒に行けるよう、父上から言って下さい! 母上の具合が悪くなったから、オレも狩りにでちゃいけないって言うんです。母上の輿に乗らなくたって、オレだって馬くらい乗れます!」


 「静かにせぬか、ヤマシロ! 客人の前だ。ミヤコ。これが、ヤマシロ。スセリの生んだ子だ」


 人外の女は静かなまなざしで、頬をぷんぷんと膨らませた細っこい少年を見ている。

 大国主は吐息をついた。


 「あのな、ヤマシロ」


 「父上!」


 「父はこれから、オレのために催される狩りの行く末を見届けねばならぬ。…オレの代わりに、母上のそばについていてやってくれるな?」


 少年は目をぱちくりさせた。最後にはうなずく。


 「父上の代わりなのでしたら」


 「よし! 少し行儀が悪かったぞ、ヤマシロ。ちゃんとごあいさつしなさい。ミヤコ様とおっしゃる」


 「もうしわけありませんでした、ミヤコ様。ヤマシロと申します」


 少し考えてから、少年はつけたした。


 「根のクニの主の息子です」


 少年は完全に男の格好をしているミヤコを、びっくりしたような目で見上げた。父の方もちらりと見てから聞く。


 「ミヤコ様は、狩りに出られるのですか?」


 「そうだ。なぜ聞く、子供?」


 驚いた顔の少年に、めずらしくミヤコは口許に少しだけ笑みを浮かべていた。


 「だって…父上の迎えられた女人の客人が、狩りに出られるのは初めて見ます。みんな、すごくきれいな格好をして来られるから」


 「こらっっ、ヤマシロッ!」


 いろいろと突っ込まれても仕方のないヤマシロの言葉に、大国主はあせった。

 だがミヤコは鞍の上で腹を抱えて笑った。


 「おもしろい息子じゃないか、ナイキ」


 何で笑われているのかわからない少年はきょんとした顔で見上げた。ナイキは咳払いし、敏感に追い払われる気配を察した少年は再びミヤコに話しかけた。


 「ミヤコ様は、剣技はお強いですか?」


 「強いよ、私は」


 あっさりとミヤコは言う。


 「すごい! オレはまだ、自分の太刀を持たせてもらえないんです。十六になったら父上から拝領できることになってるんですけど、今はまだ兄上から教わる時にだけお借りしていて。オレも、早く強くなりたい!」


 「もう行きなさい、ヤマシロ」


 もてあました父にやや厳しく言い渡され、しゅんとしたヤマシロはぴょこんと頭を下げた。


 「ごめんなさい、父上。お気をつけていってらっしゃいませ」


 「うむ。行ってくる」


 馬首を返したナムジの後に手綱もないまま従うミヤコは、まだくっくっと喉の奥で笑っていた。

 それに目をやるナイキはため息を漏らしたが、女が機嫌がよさそうにしているのに内心安堵した。


 狩りは、大貝が吹き鳴らされることによって始まった。

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