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大出雲紀  作者: あずみ さき
炎の章
5/9

05 帰還

 ミヤコは腕の力だけでナイキの半身を起こし、ふらつく身体をささえた。

 その腕につかまってから「大丈夫だ」と、ナイキは自ら身体を支えようとした。


 「痛みはどうだ」


 「大分…マシになった」


 「少しくらいは動きまわってもいいが、無茶はするな。ついたところはヤワだから、ぶつければもとのようにくだけるぞ」


 「心する」


 身体がふにゃふにゃになったような心もとない感触に、ナイキは肝に命じた。


 「さて。そろそろ衣でも調達してくるか。適当におまえの家からかっぱらってくるぞ、いいな」


 「……。構わんが、見つかるなよ」


 ミヤコは鼻を鳴らし、トンと身軽く姿を消した。

 大国主はそろそろと身体を動かし、自力では出ることもできなかった粗末な御屋から、ゆっくりと外へ這い出した。

 考えて見れば、つれてこられてから女が側からいなくなったのは初めてで、やり方には驚かされたものの、ミヤコはよく怪我人の面倒をみてくれたのだ…と、改めて考えてみれば、心理的に抵抗はあるものの認めざるを得なかった。


 だがいい加減に国主として、ナイキは己れの身体以外のことも顧みねばならなかった。

 そろそろ十日以上も経っており、国主は死んだと考えるものや考えたいものたちが、何かしらの騒ぎを起こしだす頃合いだと思われた。

 残された家族に、それを押さえきれるとは思えない。賢明なオオドシでも、腕っぷしの強いハヤトでもまだ無理だ。


 「帰らねば…な」


 ミヤコについては、ナムジにはどう考えてよいのかわからぬことが多かった。

 民をすでに一人殺したにも関わらず、それを気にしている風ではない。それでも、人を避けているのではないかと考えられるふしがあったのだ。だからこそ、国主の家族にその消息を知らせに行くことを拒んだのではないかと。


 山津波に遭う直前に聞いた、天の若日子の話も心にかかっていた。

 ニニギという男について、聞いたことがあるかをミヤコに聞いてみねばなるまい、と心にとめた。




 「ニニギ?」


 女は怪訝そうな顔をした。


 ミヤコの…おそらくは盗ってきた衣をまとい、久し振りにまともな格好をしたナイキは、人心地がついたことで内心では感動的な心持ちとなっていたが、それを気ぶりにはあらわさぬようにしてミヤコに聞いたところだった。


 「なんだそれは。誰だ?」


 「海を越えたヒムカの地に降り立った、天界から降りてきたという男だ。天孫…、天を統べられる天照御方(アマテラスおんかた)の孫にあたるという」


 「その男がどうかしたか」


 「おまえと行き合う前に、オレは天界より来った使者に会ったのだ」


 あわただしい夕暮れの出来事を、ナイキはゆっくりと思い返した。


 「天の…菩卑能(ほひの)様という、御方の御子のお一方より遣わされた、若日子という男で、天を放逐されたニニギという者が地上で戦を起こそうとしているという話だった」


 「ふーん」


 ミヤコは興味がなさげな顔で首を傾げる。


 「人のクニのことまでわざわざ口出ししてくるとは。天の連中というのは、よほどヒマなのだな」


 「おい、ミヤコ」


 大国主は苦笑してしまった。


 「で、その男が私に何の関わりがある」


 「いや、オレはおまえがどこから来たのかと思ったのだ。ひょっとして西の…」


 「違う。私は東から来た」


 初めてはっきりと、ミヤコは自分のことを口にした。


 「東…、のどこからだ」


 「ハラミ山という山を知っているか」


 「聞いたことがない」


 「フジ、ではどうだ。東方随一の霊峰だぞ」


 「フジ…不二、か? 火の山だろう」


 「ああ」狼めいた笑みをミヤコは刻んだ。「だから、退屈しない」


 「………。ミヤコはバケモノだったな」


 炎で出来たバケモノだ。火の山を住み家とするのは、この女には相応しいことに思われた。


 「なぜ西方に来たんだ、ミヤコ」


 「どんなものたちが住まわっているのか、ちょっと知りたくなってな」


 「『霊』はむやみに動きまわったりはせんものだぞ」


 「わかっている。私も、こんな面倒なことになるとは思わなかった」


 「…悪かったな。面倒に巻き込んで」


 イヤミ半分に口にすると、ミヤコは真顔でうなずいた。


 「まったくだ。私は人間なんて面倒くさいものに関わるのは、金輪際ごめんだ。なにしろ壊れやすいし、手間はかかるし、食わせなきゃならんし、文句は多いし…」


 「おい、ミヤコ」


 大国主が半ば本気でむっとしかけるのを、ミヤコは唇の端を歪めて遮った。


 「だが、私は物好きだからな。少しは気に入った人間は、我慢してやることにしている」


 なんという、エラそうないいぐさ!


 ナイキはあきれるのを通り越して、最後には笑い出してしまった。胸が痛む。


 「おい、身体に悪いから笑うな」


 「ミヤコが笑わせたんだろう」


 大国主は笑いを収め、急に真顔に戻った。


 「なぜ、殺した」


 「なんだ?」


 「海辺の男の話だ」


 エダから聞いた件である。バケモノが人を喰った、という話にされているのだ。

 女はじろりとナイキを睨みつけた。


 「おまえに関わりのあることではあるまい」


 「そうはいかない。おれは国主だ。お前が殺したのはオレの民だぞ」


 「だからどうした」


 ミヤコの口振りは冷ややかだった。


 「おまえは、人の選んだクニ長だ。私には関係がない。人の間でだけいばっていろ」


 「ミヤコ…、理由もなく、おまえは人を手にはかけたりはすまい」


 国主としての責任はともかくとして、自分がこのこの人ではない女に恩義を感じており、惹かれていることをナイキは自覚していた。だからこそ、ミヤコを悪く思いたくはないのだ。


 「頼む。理由を聞かせてくれ」


 女は冷ややかにナイキを睨んでいたが、やがて肩をすくめた。


 「私は、女の味方なんだ」


 「は?」


 「手込めにできそうだと思えば、委細かまわず女に襲いかかるような男は、手足をバラバラにされても分相応だな。そんな男は消しておいた方が、世の女のためだと私は考える」


 …ナイキは沈黙した。

 事情を理解するとともに、胸が痛むにも関わらず、海より深いためいきを漏らしてしまう。


 「わかった…、ミヤコは悪くない」


 あたりまえだ、という顔で女は見返した。

 まったく…。オレはなんて女に関わったんだ?


 「ミヤコ、とりあえずは骨もついたようだ。オレは明日、里に降りるぞ」


 前から考えていたことを口にした。ミヤコは簡潔に言った。


 「まだ無理だ」


 「オレは、戻らねばならんのだ。そろそろ国主の後継をと、騒ぎが始まる頃だ」


 「私が手を貸すと思っているのなら、大きな間違いだ。里まで降りられるほど身体の力が戻ってはいない」


 「戻らねばならんのだ」


 「戻れると思っているのか」


 女は冷ややかに言い放った。

 無情な瞳を見返して、大国主はそれ以上の議論を避けた。




 「その身体では、おまえの家までは戻れないと言っている!」


 ミヤコは、腹を立て始めていた。

 帰ると言い張る人間の強情さに、堪忍袋の尾を切らせかけていた。


 「わかっている。だがオレは本当にもう、どうしても戻らねばならんのだ。オレが死んだことにされると、今まで治まっていたものまで頭をもたげ始める。根のクニはここ数十年、戦を起こさずに保ってきたが、不満の火種は残っている。オレ以外、それは抑えられんのだ」


 「そんなくだらん理由で、命を捨てるつもりか」


 ミヤコの黒い瞳は、ぎらぎらと光を放ち始めていた。


 「いいか、ナイキ。クニなどというものはな、弱くて群れねば生きていけぬ人にとって、必要だから生み出されたものだ。群れて束ねて多くを生みだし、多くを他所よりぶん取るために作られた仕組みだろう。おまえ一人いなくたって、それが人にとって必要であるかぎり、ちゃあんと成り立っていくさ。多く死ぬか少なく死ぬかという差だけでな」


 「だが、クニの主である限り、オレは出来る限り多くの民を生かさねばならんのだ!」


 物の見方が違うのだ、とミヤコの金色に輝く瞳を見ながら思った。


 ミヤコは、人のことをかなりよく見ている。人外の存在にしてはかなりよく理解もしているとも思う。

 それでも…、このバケモノは死んでいくものの痛みはわかろうとはしない。


 人にとって、アリ塚のアリが雨水に溺れている様を、見おろしているようなものかもしれない、とも思う。


 「もうしならく待てば、自分で歩いて帰れるだけの力がつくと言っているんだぞ。なぜそれが待てないんだ!」


 「戦が始まってからでは遅いからだ!」


 戦の火種が起こるだけでも、かなりまずい。

 自分がいない間に、殺しあいが始まりかねなかった。


 女の瞳がまばゆいほどに輝いた。肉食獣めいて獰猛な、炎の輝きだった。


 「ならば、勝手にしろ」


 冷ややかに言い捨てられた。


 「今のおまえの身体では、絶対に平地までたどりつけない。熊にでも狼にでも食われて、そこらで野たれ死ね、バカ。私は、もう知らない」


 そして。ミヤコの身体は跳ねたのでも地に潜ったのでもなく、瞬時にしてその場からかき消えた。

 気配も残さない鮮やかな消失に、ナイキは目を見開いた。

 どこまで大きな力をあの「バケモノ」は持っているのかと考える。


 動けずにすごした粗末な仮御屋を振り返る。


 「ミヤコは、もうここに戻らんかもしれんな…」


 腹を、立てさせてしまった。


 ナイキは御屋を形作る木切れのうちから、杖になりそうな適当な枝を引っ張りだす。それだけで身体がふらつき、足元がおぼつかなくなった。


 「なに、ゆっくり行くさ」


 しりもちをつき、胸から突き上げた痛みをやりすごしてから、国主は苦笑してつぶやいた。


 大丈夫だ。

 疲れたら休めばいい。

 夜になったら、朝を待てばいい。

 熊や狼の…獣などは、それこそ試してみたことはないが。それに対処できる程度には、素戔鳴(スサノヲ)神の伝えた『霊力』が自分には備わっているはずなのだ。


 心に言い聞かせ、見当をつけた方角へと道とも言えぬような道を、そろそろと這うように降り始めた。

 もっとも近い人の集落までたどり着けば、助けは得られるはずなのだ。


 歩みを進めながら、大国主はとりとめもなく考える。

 ミヤコよ。おまえはオレをバカだという。オレのやっていることは、くだらないことだという。

 だがな、人のやることなど、多かれ少なかれくだらないことなのではないのか?


 オレは…戦の後にあがる、身を削るような嘆きの声を知っているのだ。


 せめてあの声を、オレが国主でいる間くらいは聞かずに済ませたいと、オレはそう望む。

 人の身で、これは僣越か? だがこれこそ、クニの主以外にはできぬことなのだから。


 足元がふらつき、世界が反転した。遅れて、ガッと激痛がきた。

 意識を取り戻したナイキは、目をしばたいた。

 倒れて胸を打ったのだ。しばらくのあいだ、息もできないほどの痛みが続いた。

 もとのようにくだけるぞ、とミヤコが言った言葉が浮かぶ。


 「冗談にならんぞ、それは」


 ようやく身を起こし息ができるようになる。

 杖を握り直しすと、ちちちち、と鳥の声が平和に山間を駆け抜けた。

 陽ざしは暖かく、身体が何事もなければ、気持ちよく山歩きを楽しめそうな陽気だった。


 「オレに神の使いがいればなぁ」


 クニの始祖である素戔鳴(スサノヲ)神は幾つもの言い伝えを残したが、龍の形をした使いにまたがり、八つの首を持つ大蛇(オロチ)を退治した話は、子供の頃に必ず語って聞かせられるクニの始まりの物語であった。


 最後には、素戔鳴(スサノヲ)神は根のクニを去る。

 これも言い伝えによれば、死者のクニへと。


 黄昏がぼんやり木々を覆う頃には、大国主は疲労困憊して太い楠の木によりかかっていた。


 周囲はあっと言う間に暗くなり、冷え込みにナイキは身を震わせた。

 ふくろうの声。かさかさと小さな動物が下生えを走る音。


 夏も遠くはない時期で凍え死にはしないだろうと思われたが、身体はどんどんと冷えつつあった。

 氷のように冷えた手をこすり温めようとしながら、一歩も動けない自分の身体に気づかざるを得なかった。


 無理だと断言したミヤコは、正しかったか。


 クニの主が、自らのクニの中で野たれ死ぬか…。


 「いくらなんでも、恥ずかしすぎるな」


 軽口をたたきながら自身では、どうすることもできなくなっていた。


 ミヤコは、正しい。

 あの女が口にしたことで、正しくなかったことなどない。


 「人は、正しさだけでは生きてはいけないんだ、ミヤコ。それを越えた何かが必要なんだ」


 それを理解できないバケモノであるからこそ、あの女はあそこまでバカバカいうのだろうが。


 「バカでもいいさ」


 バカで構わない。

 賢く生きようとすればするほど、現に人は愚かな振る舞いに走ったりするものだから。


 人を越えた存在から見下ろせば、人の営みは愚かにも見えるだろう。

 だが、愚かで悲しいのは、終りを見つめ続けるがゆえだ。

 間違いだらけであったとしても、そんな人の在りようを、ナイキは愛しいと思った。


 …次第に意識が朦朧としてくる中で、ナイキは幻のように、炎を見た。


 闇の中に浮かぶ、夢幻の紅。

 鉄を産する炉の中のように、見入ればあまりにも美しくて恐ろしい、目が痛むほどの輝きだった。


 まばゆさに思わず目をそらした時、誰かが腕をつかんだ。

 見上げると、金色の獣の目を持つ女と目が合った。


 炎は、ミヤコの内側に在るもの。

 朦朧とした意識の中で、備わった『霊力』が女の本質を霊視していた。

 触れるもの全てを、焼き尽くすであろう、炎。

 蛾が炎に惹かれて飛び込むように、その強大な炎に否や応もなく魅きつけられる。

 炎の貪欲さと力を持つ、命そのものの輝きに。


 その強大な『霊力』に、自分の存在が飲み込まれるのを感じ、ナイキは奇妙な幸福感を感じた。


 いいよ。

 おまえにならば、すべて喰らい尽くされてやろう。


 周囲の、風が変わった。

 切りつけるようだった身の周りの冷気が、一瞬にして和らいでいた。


 腕が離されると、ナイキは平らにならされた土の上にしりもちをついた。


 「『シュッケツハカクダイサービス』という奴なのさ、これは」


 意味のわからない言葉を、女は口にした。

 あごをしゃくる。


 「あとは誰かに助けてもらえ」


 視線の先に、玉のようにきらめく火明かりが見えた。

 そこは山の裾でも森の中でもなかった。拓かれた国府の端にある、平地の端であった。


 身を運んだ覚えがないのに、まったく異なった場所に自らがいることに、ナイキは愕然とした。


 「ミヤコ!」


 去ろうとしていることに気がつき、女の背にナイキは叫んだ。


 「身体が治った頃、オレのところに訪ねてきてくれ。礼がしたい」


 暗がりの中で女の顔は見えなかったが、光の名残をとどめた瞳が瞬いた。


 「気が向いたらな」


 女の形をした人外の存在は、素っ気なく言い放つと闇の中へと姿を消した。

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