4話 可愛い女には大体裏がある
昼休みという時間帯は多くの生徒にとってその名の通り休みの時間だ。友達と世間話をするもよし、弁当を食べるもよし、図書室に行って本を読むのも部活の練習をするのもいい。しかし、仏ノ宮が昼休みとたのはそのどれでもなかった。校舎の南館の三階。その奥にある一つの部屋。大学の資料やら赤本などが陳列しているその部屋は普段は誰も使わず、教師すらも滅多に出入りしない場所だった。その部屋にある数少ない椅子で仏ノ宮が本を読んでいると部屋のドアが開かれた。
現れたのは一人の女子高生。短めな金髪ツインテールという髪型をした少女は一歩部屋に入ると即座にドアを閉めた。体を縮こませ、肩を震えさせているその姿からは何やら緊張、というか怖がっているような感想を抱く。
そして、不安げな声で仏ノ宮に問いかける。
「あ、あの、先輩……話って何ですか。こんな人気のないところに呼んで……ま、まさか……!?」
「まさかもくそもねぇよ、バカ。その芝居はこの前やっただろうが」
「あれ? そうでしたっけ?」
先程までの強ばった顔はどこへやら。少女はころっと態度を変化させ、不敵な笑みを見せた。そしてすぐさま仏ノ宮の隣の椅子に腰を掛ける。
坂巻法子。仏ノ宮とは中学からの知り合い、というより腐れ縁な仲である。先輩という発言から分かるように仏ノ宮とは一学年下、という形になっているが、実際のところは不明。というのも、彼女もまた人間ではないのであった。
「全くー、先輩は雰囲気ってものをぶち壊しますよねー。せっかく私がちょっとか弱い女の子を演じてあげているっていうのに」
「頼んだ覚えてはないんだが。それとお前の場合は演じてるんじゃなくて猫被ってんだろうが」
「まーそうなんですけどー……でも先輩、さっきいやらしい目で私のこと、見てましたよね」
「いや、それは……」
言いながらちらり、と仏ノ宮は視線を下げる。その先には法子の脚部があった。黒いニーソにギリギリまで短くされたスカート。そしてその二つの間からわずかに見える柔らかそうな太もも。それらが全て合致したことによって表現された絶対領域。それを気にするな、というのは男にとって少々酷な話である。
仏ノ宮の視線に気づいた法子はその先へと目をやると、次の瞬間何やら悪巧みを考え付いた悪役のような顔つきになった。
「はは~ん、先輩って太ももフェチだったんですね」
「なっ、ち、違うわ!! なんでそういうことになる!!」
「だって~、ずっと私の太もも見てたじゃないですかぁ」
「それはあれだ、スカートの丈があまりにも短いから……っていうか、何でまた短くなってんだよ。この前生活指導の先生に怒られてただろうが」
「ああ、あんなの別に気にしませんし。上目遣いでごめんなさいっ、て言っておけば何とかなるんですよ」
平然とそんなことを言ってのける法子。しかし確かに、と仏ノ宮はその言葉に心の中で賛同していた。この少女に上目遣いでそんなことを言われた日には何でも許してしまう気がする……。人間としてはダメかもしれないが、男としては仕方がないのだ、などと誰に言っているのか分からない言い訳を頭の中で繰り替えてしていた。
「そ・れ・よ・り、先輩。そんなに私の太ももに興味ありますか?」
「だから太ももには興味はないと……」
「じゃあ見えそうで見えないスカートの中身とか?」
「何でそういう解釈になる!!」
「でも見たいとは思ってますよね?」
「それ、は……」
言葉に詰まった仏ノ宮は頬を赤らませながら法子から視線を外す。それが即ち答えになっていることは彼自身も理解はしていたが、しかしどんな言い訳をしたところで何の意味もないことも分かっていた。
体系に似合わない妖艶な雰囲気を漂わせながらながら法子は言う。
「別にいいですよー? 先輩な・ら」
スッ、とスカートの裾に両手を載せて少しだけ上げようとする法子。しかし、すぐさま仏ノ宮の手によってそれは阻まれる。
「そ、そういうことはマジでやめろ。免疫ないから。どう対処していいか分からないから!!」
叫ぶように言い放つ仏ノ宮。そんな彼に対し、法子は小悪魔のような笑みを浮かべた。
「あはは! やっぱり先輩はこういうのに弱いですね。前もちょっと腕に胸を当てただけでも動揺してましたし。からかいがいがあります」
「うるせぇよ、このビッチ天狗が。そんなんだから山から追い出されんだよ」
「違いますー。私は望んで山から下りたんですー。あんなところにいたら、一生無駄な時間を過ごしそうでしたからね」
法子の正体は天狗。ある山で修行を積んでいたらしいのだがある日人間の世界に足を踏み込み、その影響を受けてか山で修行することが馬鹿らしくなったという。そして兄妹の天狗と喧嘩をし、山を下りた。そして紆余曲折があり、今はこの町の住人として暮らしている。
「それで話があるって言ってましたけど、それってあの転校生の話ですよね?」
「まぁ、そういう話になるわけだが……もう知ってんのか」
「そりゃまぁ学校中の噂になってますから。二年生にとんでもないイケメンが転校してきたーって皆はしゃいでますよ。女子は特に」
人の噂とは伝染病と同じくらい早く伝わりやすい。特に学校というある種の閉鎖空間に新しい何かがやってきた、となればそこに飛びつくのは人の性というものだろう。しかもそれがとんでもないイケメンになれば尚更だ。
実際、仏ノ宮のクラスにやってきたナギサは自己紹介の時、クラスの女子全員に様々な質問をされていた。どこから来たのか、好きな食べ物は何なのか、どういう女性が好みなのか等々……在り来たりな質問ではあるが、しかしそこはどうでもいい。要は彼女たちは貴方に興味があるますよ、というアピールがしたいだけなのだ。恐らくこれがシオンだったのならば女子ではなく男子からの質問が殺到する、といった状態に変わるだけだろう。
そして現在の昼休み。クラスだけでなく、それ以外の女子からの興味や好奇心によってナギサは追い回されているに違いない。
だからこそ、仏ノ宮はここに一人で来ることができたのだが。
「まー、あれだけカッコ良ければ女子なら誰でも興味持ちますよ」
「その口ぶりからすると……」
「ええ。ちょっと覗いて来ました。でも……私はパスですけどねー」
それは仏ノ宮にとって意外な発言だった。法子はどちらかというとミーハーな性格であり、ああいう正統派イケメンが好みだと思っていたのだが……。
などと考えていると、彼女はムッとした表情で仏ノ宮を睨んできた。
「ちょっと先輩、今私のこと軽い女なのになー、とか思ってませんでしたか?」
「いや、そんなことは……」
「まぁ? 確かに顔が好みなのは認めますけどー」
「認めるのか」
「あれ、先輩どうしました? もしかして妬いちゃいました? ……でも安心して下さい。あの人はNGなんで」
「だから何でだよ」
「だって、あの人『ハンター』じゃないですか。雰囲気で分かりましたよ」
法子の言葉に仏ノ宮は表情を崩さない。その返答をどこか予想していた部分もあった。
『ハンター』。それは言葉通り、狩る者達を意味している。しかし、ここで言う狩りというのは猪やら狐などのことではない。
彼らの目的は人間を襲う人外の排除、並びにその殲滅。人間を守るために闘う者、人外を殺したいがために戦う者、ただ強い存在と争いたいがために戦う者。様々な理由を持つ者がいるが彼らに共通している点があるとすれば、それは人外という人の枠の外にいる奴らに対抗するために彼ら自身それ相応の力を習得しているということだ。そして、ナギサもそのハンターの一人である、と法子は言う。その返答をどこか予想していた部分もあり、仏ノ宮自身、薄々分かっていたのかもしれない。彼から感じる空気は仏ノ宮が出会ったことのあるハンターによく似ていた。
「で? 先輩とあの人はどういう関係なわけですか?」
「色々事情が複雑で俺自身も分かってないこともあるんだが……取りあえず、俺を守る用心棒ってところだな」
「用心棒、ですか。まー、先輩の立場ならハンターがボディガードやっていてもおかしくはないですけど。先輩、色んな人外から狙われてますからねー」
間延びたその言葉は少し憐れみな感情も入っていた。
「先輩が使用している能力……確か名前は『人間賛歌』とか言ってましたっけ?」
「やめろ!! その名前を口にするな!!」
「ええ~、でも先輩が中学の時、自分で言ってたんじゃないですかぁ。『この俺の能力「人間賛歌」があれば人間も人外も一緒だ』とか何とか」
「だからやめろ!! 人の黒歴史を掘り返すな!!」
確かにそんなことを口走っていた時期が俺にもあったけれど!! などと叫びながら顔を両手で覆い隠す仏ノ宮。かつての痛い記憶が頭の脳裏を過っていく。
そんな仏ノ宮をどこか楽しげに見ていた法子は話を元に戻す。
「まー、名前はいいとして、その能力のおかげでこの町は人間と人外が一緒暮らせてるんです。と言っても、この町のほとんどの人間はそのことを知らないわけですけど」
人口が六十億を超えているこの世界。その中で人外が存在していると知っているのは小数点以下のごくわずか。ほとんどの人間はその存在すら気づかず、ただ自分たちの世界で暮らしている。そして、それはこの町も同様だった。
人間に正体を知られてはならない……これは人外達の掟だった。これを破ったらどうなるのか、それは歴史が証明している。魔女狩り裁判がその典型的な例だろう。
正体がバレたらロクなことにはならない。だから彼らは人間社会の中でひっそりと暮らしている。そしてこの町はそういった者達からすれば理想郷のようなものなのだろう。何せ、人間になってしまう、ということは自分たちが人外である、という事実が露見する確率が大幅に下がるのだから。
しかし、世の中には色んな者達がいるわけであり、それを良しとしない者達もいた。
「人間と人外が共に暮らす……それに反対する種族は多いですよ。人間に迫害されてきたり、人間を劣等種と思っている連中が大勢いますからね。そんな中で自分達を人間に変えてしまう能力者が現れてその人間を中心とした町がある……人間を敵視している人外からすれば命を狙うには十分な理由ですよ。だからハンターを用心棒にするっていう選択肢はある意味正しいとは思います。先輩の案じゃないとは思いますけど。どうせ藤堂さんとかに無理やり押し付けられたってところでしょう?」
仏ノ宮は何も言わなかったが、それが答えだと法子は理解していた。
「話がかなり脱線しましたけど、それで用件はあの転校生のことを調べて欲しいってことですか?」
「ああ。それからもう一つ。『混血』ってやつについても詳しく知りたい」
深くは詮索しない。それが仏ノ宮の信条であるが、しかしそれはあくまで本人達から聞き出すことはない、ということだ。本当に何も知らずに訳ありな二人と一緒に暮らす程、彼の頭はお花畑ではない。
法子は仏ノ宮が知る中でも二番目の情報通だ。それも人外のことについては大抵のことを調べてられるほど。一番は藤堂なのだが、仏ノ宮に何も言わず二人を送り込んできた男に訊いたところで何かが分かるとは彼には思えなかった。
「『混血』、ですか……」
「何か心当たりでもあるのか?」
「いえ、ないですけど……それってどう考えても吸血鬼関連のことじゃないですか。何でそんなこと調べるんですか?」
「それは、その……ちょっとな」
言葉を濁す仏ノ宮。吸血鬼とハンターが一緒に家にいる、なんてことを喋ってしまうわけにはいかなかった。取りあえず、今度吸血鬼が町に引っ越してくるかもしれないという話の中でそんな単語を聞いた、という何とも曖昧な答えで流した。仏ノ宮の言葉に法子はふーん、というだけであり、それ以上の追及はなかった。
しかし、その代わりのような忠告を口にした。
「先輩はあんまり吸血鬼には関わらない方がいいですよ」
「何でだよ」
「先輩を嫌っている一番の勢力が、吸血鬼だからに決まってるからじゃないですか」
法子曰く、吸血鬼は人外の中でも『貴族』のようなものであり、自身が吸血鬼であることを誇りに思っている連中が多い。そして他の種族は皆、下等だと見下している。そんな彼らからしてみれば仏ノ宮の能力は彼らの誇りを穢すものであり、下等のくせに生意気だ、と考える輩がいてもおかしくない。
「現に先輩を襲ってきた奴らの半分くらいは吸血鬼関連の奴らだったじゃないですか」
「……そういやそうだった気もするな」
「はー、先輩。自分の命を狙ってきた奴らですよ? それくらいのこと覚えておいてください。大体にして先輩は危機管理能力が無さすぎるんです。ボディガードも半年以上いない状態で町を出歩いたりして、万が一のことがあったらどうするんですか。そもそも先輩は……」
そこから先は法子のお説教が昼休みの間延々と続けられた。しかし、最後には仏ノ宮の頼みを承諾してくれた。
昼休みが終わり、教室へ帰るとぐったりとしたナギサが机に突っ伏しながら仏ノ宮を睨みつけてきた。どうして助けてくれなかったのか、と言いたげな表情を浮かべていたが、気にせず仏ノ宮は自らの席へと腰をかける。
悩みの種は色々あるが、取りあえず今は授業に集中しよう。
大きな欠伸をしながら、仏ノ宮は昼の授業の準備をすることにした。