2話 カップルを見ているとイラつくのは何故だろうか
「君の『力』は酷く歪だ」
夕焼け空の下、町の片隅にある公園のベンチ。そこで男は小さな少年に向かって言い放った。
少年から見て、男の印象を一言で言い表すのなら「胡散臭い」というものだった。黒いスーツを着こなし、サングラスを常に掛けているその姿はどこぞのアメリカ映画の秘密組織を彷彿させる。何よりも変だと感じたのは彼の笑い方。どう見ても作り笑いでしかなかった。十もいなかい少年がそんな感想を持ったのだからこれが分からない大人はいないだろう。
そんな怪しげな男は、夕日に視線を送りながら話を続ける。
「君がどういった経緯でその力に目覚めたのか、あるいは手に入れたのかは私にはわらからない。もしかしたら、君自身分かっていないのかもしれない。どちらにしろ、訊いたところで君が教えてくれるとは思えないが」
その通りだった。少年にとってこの『力』は何なのか、はっきり言って彼自身にも分かっていない。誰かの都合によって与えられたものなのか、はたまた少年の中に眠っていたものなのか、それともいくつもの偶然が重なり合って生まれたものなのか。それは分からない。しかし、言えることがあるとすれば分からないということを目の前の男に話すことは絶対に有り得ない、ということだ。
少年から見て男はある種の恩人でもあるが、一方で憎むべき相手でもあった。自分を家族から引き剥がし、且つ町に縛り付けた張本人である男のことを信用しろ、という方がおかしな話である。
様々な脅威から守ってくれた。救ってくれた。戦ってくれた。それは理解している。それに関しては感謝してはいるが、しかしそれでも子供である少年にとっては割り切れないものだった。
少年は男の顔を見ない。ただ地面を向きながら足をぶらぶらさせているだけであった。
そんな彼を見て、男は苦笑する。
「しかし、何が原因なのかは何となく想像がつく。そしてそれ故に呆れるよ。君は優しいがとんでもないほど愚かしい、とね」
瞬間、少年はギュッと握り拳を作る。その言葉の真意は理解できないが、しかし自分が馬鹿にされたことは何となく分かった。
少年の変化に男は気づいていた。気づいたが、それでも彼は話を止めない。
「私の言葉の意味をきっと君は分かっていないだろう。だがそれは仕方がない。子供である君が逆に理解していたらそれはそれで問題がある……だが、これだけは覚えておくといい。君のやっていることはただの一時しのぎでしかない。こんなものはいつまでも続かない。いつかきっと簡単に壊れてしまうよ」
やはりというべきか、男の言葉を少年は理解できない。それは男が言うように少年がまだ子供だからだろう。相手は大人で自分は子供。だから相手が優位にたっている。そんな状況は少年にとって腹立たしことこの上なかった。
そして、男は立ち上がりながら最後の締めに入った。
「まぁ、せいぜい感受することだ。君が作り出した、この夢物語を」
不敵に不気味に不愉快に、男は笑った。
そんな男を睨みつけた瞬間、男の姿が歪む。かと思えばその周りのベンチや背景、果ては目に見える全てが朦朧していき……。
ゴンッ、という衝撃が少年の頭に走る。
「いっつっ……!?」
頭に走る痛みと共に夢の主―――仏ノ宮は飛び起きる。何だと思いながら辺りを手探りしていると目覚まし時計が手にぶつかった。どうやらテーブルから落ちて自分の顔面にクリーンヒットしたのだと理解する。
妙な夢を見た……そんなことを考えるもしかして仏ノ宮は深くは思い出そうとしなかった。何故だかは分からないが、しかし思い出したくないないのなら別に無理に思い出す必要はないという結論に至った彼ははぁ、とため息を吐きながら朧げな視界で周りを見渡す。そしてだんだん目が冴えてくると目に入ってきたのはこれでもかと思わんばかりに汚らしく荒らされた部屋。本や鞄はもちろんのこと、放り出された皿や果物類、果ては調理器具などが散らばっていた。そこは小さなダイニングルームであり仏ノ宮が寝てた二歩先にはこじんまりとしたキッチンがある。仏ノ宮の部屋の広さは十二畳あり、その半分はこのダイニングルームである。そして残り半分は敷居の向こう側にある寝室だ。無論、寝室とは言っても六畳ほどしか広さがないため布団しか敷いていないが。
では、何故部屋の主である仏ノ宮がその寝室ではなく、ダイニングルームのテーブルの下などで寝ていたのか。その答えは寝室にあった。
仏ノ宮は散乱している数々の物を避けつつ、引き戸の前に立つ。そして音をなるべく立てないようにそうっと戸を開いた。そこにいたのは、といよりも眠っていたのは白い少女と黒い少年。彼らは一つの毛布に身を寄せあっていた。簡単に言えば抱き合いながら眠っていたわけであり、見方によれば彼らはお互いを守っているようにも見えた。第三者から見れば何とも仲睦まじい光景なのだが、仏ノ宮にとってみればこの上なく腹出たしいものであった。というのも、仏ノ宮が布団ではなくダイニングルームの地べたで寝ていた理由が彼らなのだ。
あの後、自身の能力が使えないと分かったシオンは縮こまるどころか実力行使に打って出た。小さな少女相手なら、と高を括っていた仏ノ宮だったがその凶暴性を理解しきれていなかったためか、彼女は部屋にあった物を投げつけては壊していった。そしてそれに怒った仏ノ宮もそれに負けじと反撃した結果がこの惨状である。
ナギサの途中介入もあり話し合いの末、一日だけ彼らに布団を提供すること約束した。
したのだが。
「ったく、人の布団で気持ちよさそうに寝やがって……」
そんな苦言も今の彼らには届いていない。それどころか、シオンに至っては余程いい夢を見ているのか、顔がこれでもかと言わんばかりにニヤけていた。
腹立たしさがさらに倍増した仏ノ宮は彼らをまたぎ、窓際へと進む。
そして、灰色のカーテンを一気に開いた瞬間。
「ぎゃあああああああああああああああっ!?」
小さな少女の悲鳴が部屋中に響き渡った。
朝日によって飛び起きたシオンの叫びによってナギサもゆっくりと上半身を上げ、起き上がる。恐らく未だにぼんやりしているのだろう。
しかし、そんなナギサなどお構いなしにシオンは悲痛な叫びを続ける。
「やめろっ!! 日は、日光はやめろ!! ホントに!! ホントにダメなんだ!! うわああああっ!! 朽ちる!! 溶ける!! 砕ける!! ああ、やめろやめろやめろやめ……あれ?」
そこでようやくシナンは自分の体に何の変化も起こっていないことを理解したのだろう。彼女は冷静さを取り戻したかと思えば仏ノ宮とナギサ、二人を交互に見ると頬を赤らませ、そして自らの体を毛布に包んで身を隠した。
疑似アルマジロ状態になったシオンに対して一言。
「……何やってんだ、お前」
それが二回目の喧嘩のゴングだった。
仏ノ宮誠は料理をあまりしない。
彼が一人暮らしをするようになって半年。料理をする機会はいくらでもあったが、しかし彼がたどり着いた結論は「食べられれば何でもいい」というもの。だからわざわざ手作りでする必要性はなく、それ故に手間もかからなかった。
だからこそ、今朝の彼の朝食はいつもの如くコンビニのおにぎりであった。今回はその数が三倍に増えているが。
「全く、吸血鬼に日光を浴びせるなど正気の沙汰ではないぞ……」
ぶつぶつと文句を垂らしながらおにぎりを袋から開けようとする。が、開け方が分からないのか、おにぎりを回転させたり、裏側を見たりなど、首を捻りながら四苦八苦していた。それを見かねたナギサがおにぎりを取り、中央の切り口から綺麗に開けた。
「でも、シオンも悪い。昨日の説明をちゃんと聞いていないからそういうことになる」
「そうは言うがな……」
と未だに何か言いたげなシオンの前にナギサはおにぎりを出す。一瞬シオンはナギサを睨んだが、諦めたかのようにおにぎりに手を伸ばし、頬張った。
そんな彼女の代わりにナギサが口を開く。
「それにしても未だに信じられない……まさか本当に吸血鬼を人間にするなんて」
「吸血鬼だけじゃねぇよ。俺の近くにいる連中は吸血鬼だろうが狼男だろうが魔女だろうが、ただの人間に変える」
それが仏ノ宮の力だった。
彼の能力内に入ってしまえば例えそれが最強の吸血鬼だろうが、不死身の怪物だろうが関係なくただの人間になってしまう。吸血鬼は日光を浴びても死なないが、その代わりに絶対的な力は失われるし、不死身の怪物も簡単に死んでしまう。
「しかもその領域が町全体を覆い尽くすほどとはな。全く難儀な力もあったものだ」
「正確には町のどこにいても全体を覆う程の範囲、だがな」
だからこそ仏ノ宮は町を自由に出歩けるし、またこのうたかた町という奇妙な町も成り立っている。
うたかた町。見た目はどこにでもある普通の町ではあるが、その実総人口の三分の一以上が「人外」と呼ばれる人間ではない存在、また人間ではあるがそれ以上の力を持ってしまった存在で占められている。彼らがこの町に来た理由は様々ではあるが、求めた結果は同じだろう。
つまりは、人間になりたい。そういう願いだ。
「つまりこの町にいる人外は人間と共に暮らすために人間になりたい、と思っている連中だ、と……妙な世の中になったものだ。人間になりたい、などという人外が出てくるとは。世も末、とはこのことを言うのだろうな」
などと最もらしいことを言うシオンであったが。
「……シオン、頬にご飯粒が付いてる」
そんなことを指摘される少女が世も末だ、と言っても全くもって説得力が無かった。
すぐさまご飯粒を処理するシオンであったが、もう遅い。恥ずかしかったのかシオンの頬はどんどんと赤くなっていく。そしてそれを隠すかのように突然と大声を出した。
「ああもうっ何だこの食事は!! もっとマシなものはないのか!! ハンバーグとか!!」
「失敬なことを言うな。これが俺の朝食なんだよ。文句あるんなら食うな。っつか、朝っぱらからハンバーグとか胃にもたれるだろうが」
「シオン。無理を言ってはダメだ。ハンバーグは週に一回の約束だろう」
「そんな決まりがあったのかよ……ってかお前、好きなんだな、ハンバーグ」
「っ!! う、うるさい!!」
そうですかい、と言いながら仏ノ宮はテーブルの上に残ってあるシーチキン入りのおにぎりを手に取り、先程から思っていた疑問を口にする。
「話は戻るがよ、人外が人間になりたいことに色々と口出してるが、そもそもお前らだって同じような理由でここに来たんじゃねぇのか?」
「馬鹿を言うな。私達は―――」
瞬間、ピンポーンというインターフォンによってシオンの声は遮られた。「お荷物でーす」という声と共に「はいはーい」と言いながら散らかったテーブルの上から判子を探し出した。玄関を開けると仏ノ宮の予想通り宅配便の業者が大きな荷物を抱えて立っていた。判子を押し、荷物を受け取り部屋の中へと入る。
荷物の大きさはダンボール一箱分。持ってみただけでも結構な量が入っているのが分かった。
「何だ、その荷物は?」
「知るかよ。……ってか、これ宛名がナギサになってんだけど」
「……俺?」
ダンボールの上面に貼ってある紙には確かに「ナギサ様へ」と書かれていた。しかし差出人の欄には名前は無い。当の本人は知らないようであったことから彼が送らせたものではないのは確かだった。
少し不安になった仏ノ宮であったが、中身を見ないことには何も始まらない。取り敢えずダンボールを開けて中身を見てみると。
「……何だ、コレ?」
瞬間、中身を見た全員が目を丸くさせた。