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act.3




「――っ!?」


 唐突に響いた鋭い声に、私の両足はその場に縫い止められたかのように動かなくなった。

 おそらく、声の主は幻影騎士(ファントムナイト)もどきと戦っていた男性のほうだろう。

 声をかけてくるということは、彼は私がここにいるということに気付いてしまったということだ。もしかすると、もっと前から気付いていたのかもしれない。

 どちらにせよ、先程あれだけ大きな音を立ててしまったのだ、気付かれるのも無理はないと思う。


 ――などと冷静さを装ってはみたものの。

 正直なところ、私はそこまで強くないのだ。


(うわわわわわ、どうしよう!?これって返事すればいいの!?どうもーって出てけばいいの!?いやいやそんな間抜けすぎることできるわけが……うわあん誰か教えて!)


 盛大に混乱し、一歩も動けないでいる私に、再度声がかけられる。


「何者かは知りませんが、そこにいるのはわかっています。顔を見せろとは言いません。ですがここは危険です。早く逃げなさい!」


 私の姿は相手には見えていない。だから敵か味方かすらわからないはずなのに。

 その声は私という彼以外の誰かの存在を認め、ここから逃げろと言うのだ。


(よくわからないけど、これは逃げていい、んだよね?)


 戦いの音は未だ止んでいない。

 ここにいたところで、私にできることなど何もない。現状を知るためといえど、わざわざ自分の身を危険に晒すことなどないのだ。

 しかし――私の思考回路はこのときどうかしていたのかもしれない。

 ようやく動けるようになった足で、次に私がとった行動は、この場を離れることではなく、隠れたままもう一度戦いを眺め続けることだった。

 自分でも何故、と思った。

 だけど、彼ならば、私の望む回答(こたえ)をくれるかもしれないとも思ったから。

 直感ともただの希望ともとれるこの曖昧な理由で選んだ行動は、はたして正解だったのだろうか――?


「……もう、充分でしょう。あなたのその忠義には感服致しますが、私にも果たさねばならないことがある――悪く、思わないでくださいね」


 男性の攻撃を受け続けていた幻影騎士(ファントムナイト)もどきは、もう立ち上がることすらやっとだというのに、未だ剣を下ろそうとはしない。男性は尚もふらふらと近付いてくる幻影騎士(ファントムナイト)もどきに静かに声をかけ、剣を正面に構え直した。

 ――そして、次の瞬間。


「はあっ!」


 ひときわ高い金属音と、鋭い掛け声が、重なった。

 数拍の間を置いて、幻影騎士(ファントムナイト)もどきの身体がぐらりと傾ぐ。そしてそのまま地面に倒れ込んだ幻影騎士(ファントムナイト)もどきは、それきりぴくりとも動かなくなった。

 先程までの喧騒から一転、静寂だけがその場を支配する。

 固唾を呑んで成り行きをひたすら見守っていた私の視線の先で、男性はゆっくりと体勢を立て直し、腰につけていた鞘に剣を仕舞い込んだ。

 カチリ、と小さく音が鳴る。

 その音に続くように、幻影騎士(ファントムナイト)もどきの身体に、唐突な変化が訪れた。


(は!?何あれ消えてるんだけど!?)


 ありえない。本当にありえないのだが。

 信じられないことに、幻影騎士(ファントムナイト)もどきの身体が消え始めたのだ。

 足のつま先から少しずつ、さらさらと、砂のように(ほど)けては光の粒子が宙へと舞っていく。

 その光景があまりにも非現実的すぎて、私はただただ呆然と、舞い上がる光を眺めていることしかできなかった。

 最も、現実感が無いのは、この変な場所に来てからずっとなのだけれど。


「――さて」


 光とともに幻影騎士(ファントムナイト)もどきの姿が完全に消えてしまうと、今度は男性が私のいる方向へと顔を向けてきた。


「もう良いですよ。出てきてもかまいません」


(うわーめっちゃばれてるー!!)


 行くべきか、留まるべきか。

 この場合、どうするのが正解なのだろう。


「いるのでしょう?そこに。何も取って食おうというわけではないのですから、ぜひ素直に出てきてくれると嬉しいのですが」


 語りかけるような声は、さらに言葉を重ねてくる。

 どうせばれているのだ、ここは素直に姿を見せたほうが得策かもしれない。

 私は意を決して、恐る恐るではあるが、建物の陰から出てみることにした。


「――――!」


 私が姿を見せた瞬間、こちらに顔を向けていた男性と思い切り視線がぶつかった。

 警戒を表すように彼は剣の柄に軽く手をかけていたようだったが、私の姿を認めても動こうとしないところを見ると、剣を抜くつもりはないらしい。

 攻撃を加えられることはないと踏んだ私は、そのままゆっくりと男性の傍まで歩み寄っていった。


(わあ……美形)


 間近で見た男性は、長身で、驚くほど整った顔立ちをしていた。

 さらさらの金髪は先程の戦いゆえかやや乱れているが、白を基調にした軍服のような服装はそれほど汚れていないように見える。澄み渡った蒼の瞳は、何故か私の姿をとらえたまま驚愕に見開かれていた。

 どこからどう見ても美形に分類されるであろうこの男性。

 初めて会ったはずなのに、どうも奇妙な既視感を覚える。

 どこかで、見たことがあるような――


「――貴女は」


 思考の淵に沈みかけていた私を引き戻したのは、男性の小さな呟きだった。


(やべ、何て言おう!?)


 無言で近付いてきた挙句、何も言わずに相手を眺め回すなど失礼だし、どう考えても怪しすぎる。

 これ以上怪しまれないよう、私は慌てて言葉を紡いだ。


「あ、あの!私全然怪しい者じゃないです!普通の人間です!ちょっと道に迷ったっていうかなんていうか、ここがどこだかわからなくって!ああいや、自分自身迷子かどうかもよくわかってないんですけど!」


 自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。慌てていたせいだとしても、これはひどい。


(あああ、これ絶対私変人っつーか不審者じゃん!でも詳しい説明なんて絶対できっこないって!)


 気が付いたらこの場所にいました、ここがどこだかわかりません――だなんて。

 頭でも打ったのかと思われるのがオチだろう。

 では、どうすればわかりやすく彼に伝えることができるのだろうかと、私が困ったように視線を彷徨わせていると。


「……マスター!?」

「へ?あ、うわっ!」


 がしり、と。

 突然両肩を掴まれ、彼の方にぐいと軽く引き寄せられる。

 軽くよろめく私にかまわず、彼は両肩に手を置いたまま切羽詰まったような表情を向けてきた。


「マスターですよね!?どうしてこんなところに貴女がいらっしゃるのですか!?」

「……は?」


 彼の突飛な行動に、私が言えたのはたったそれだけ。

 何がなんだかもう本当にわからない。私はこの目の前の男性と会ったことは一度もないし、第一私はマスターなどという名前でもない。


(っていうか、近い近い近い!近すぎるって!)


 両肩を掴まれているだけで、決して抱き締められているわけではないのだが、近い位置にいることには違いない。免疫がほとんど無い私にとっては目の毒だ。できれば少しでも早く離れたいところだが、目の前の男性はそれを許してくれそうもなかった。

 私を見下ろす顔がなんだか切実そうで、言うに言えないというのもある。チキンだ。


「……えーと、あの、ごめんなさい、マスターって何のことですか?」

「……マスター?」


 私の言葉に、彼はきょとんとした表情で首を傾げた。

 美形はどんな表情でも絵になるな、と場違いなことを考えつつ、私は続けた。


「私、都月琴葉っていいます。マスターなんて名前でもないし、あなたとは初対面のはずですよね?人違いじゃないですか?」

「ミヤヅキ、コトハ……」

「そう、そうです。マスターって名前じゃないです。ええと、もう一回説明しますと私は迷子っていうか、知らない間にここにいて――――」

「やはり、貴女は私のマスターだ」


 私の言葉を遮るように、男性が落ち着いた声音で口を開いた。

 仰ぎ見れば、彼は私を見下ろしたまま穏やかな笑みを浮かべていた。


「だ、だから私はマスターって名前じゃっ」

「ミヤヅキコトハ。ええ、知っています。貴女は生きる意味を見失っていた私を導き、戦うための“剣”を与えてくれた。間違えようもありません、貴女は私の主人(マスター)です」


 言ってる意味がわからず、私は身体を硬直させたまま男性の顔をただただ見つめるだけ。

 何か人選を間違えたような気がしなくもない、と頭の片隅で考え始めた自分がいる。

 この人は、いったい誰のことを言っているのだろう。


「――そうですね、まずは自己紹介といったところでしょうか。貴女も、聞きたいことは山ほどあるでしょうし」


 明らかに戸惑っている私の様子に思うところがあったのか、彼は私の肩から両手を離し、やや距離をとった。そしてそのまま流れるような動作で片膝をつくと、彼は恭しく(こうべ)を垂れた。


「突然の無礼をお許しください。異世界よりの来訪者、そして私の主人(マスター)ミヤヅキコトハ――――ロイド、という名前に聞き覚えはありませんか?」


 瞠目する私の目の前で、彼はゆっくりと顔を上げた。

 こちらを射抜くように見つめるその相貌を、私はよく知っているような気がした。

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