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10000分の1の備忘録  作者: あきの梅雨
少女は死神の鎌を受け入れた
9/27

《Heartless Taboo》


 展開が早すぎたように思います……。

 

 そして、いろいろとスミマセン。

 血まみれでも構わない。光で美に昇華されてしまった血の色に、本来ならば染まっているはずのこの手で守ろう。

 血まみれの英雄は、単なる殺戮者。歪んだ正義の偽善的救済行為で殺すのは人の心。

 守ろうと誓った相手のために剣を高々と掲げ、声高らかに告げよう。

 守るために悪にでもなろう、と。

 生きるために剣を取ろう、と。

 愛すために生き残ろう、と。

 血まみれの孤独者は悲壮にも笑った。────1/10000の旅人の落書。






 ハートレスのタブー内部は、複雑に入り組んだ洞窟で、目印を付けていかなければ入口に戻ることが難しかった。照明用の水晶を用意していたのだが、中は青白く発光する苔が群生していたため、まるで夜明けのように薄暗くもはっきりとした視界を確保出来ていた。


 途方もなく永い時間をかけて成長した鍾乳石が天井から生えている間を縫って進む。

 洞窟内部は気温がぐっと低くなり、今の服装では肌寒さを感じる。薄っすらと吐息が白く濁り始めていた。ごつごつとした不安定な足場に注意しながら、前列に遅れないようについていく。

 石柱が道を塞ぐように生えている隙間をくぐり抜けて、第二陣の面々は第一陣が安全を確認したエリアの方へと向かっていた。


 リナ率いる第二陣のメンバーには、やはりというべきか深緑騎士団所属者が高い割合を占めている。続いてスカルダンサーのメンバーが多い。ゴーレムハンドの者たちはいなかった。

 そんな中で、レインシェッドのメンバーは特にこれといってアウェー感を覚えずにいた。もはやそんなことに構っている暇などなかった、と言うべきなのかもしれない。


 生命の躍動など微塵もない、死の世界のように静寂が支配する洞窟にどんな仕掛けがあるのか、常に神経を尖らせていた。


 シヲンは隣にユキナを並べて、いつでも守りに入れる態勢を整えている。シヲンたちの前には壁になるようにカジュマとトーマが背中を見せている。

 背後ではヒューカが射るように鋭い視線で周囲に目を光らせていた。


「そろそろ連絡を受けたポイントに到達する。気は緩めるなよ」


 リナの指示が前方から洞窟内を反響して、シヲンたちにも聞こえた。

 言われなくとも、とシヲンは気を引き締めなおして前方を見据えた。ひときわ明るい場所が視線の先に見えた。

 やがて辿り着いた場所は、いやに広い空間だった。高い天井には鍾乳石がいくつも生えているのが見える。その下には点々と真っ青な水溜りが形成されていた。

 コバルトブルーに光り輝く水溜りは幻想的で、非現実的な光景にさえ思えた。


 びっしりと苔が岩を覆い隠し、明るく発光していた。ついさっきまで通ってきた通路よりも断然ココのほうが明るかった。やけに広い空間全体を見渡すことが出来るほどだ。

 その空間の中で、第二陣指導者のリナが端正な顔に困惑の表情を浮かべていた。周囲に集まった者たちにも不穏な気配が窺える。


 そう思えば、ここで一旦落ち合う算段となっていたはずの第一陣の姿が影も形もない。

 と、リナが口を開けた。その手からマナクリスタルが輝きを失おうとするところだった。


「つい先ほど、ギェンゾウから連絡があった。第一陣はこの先の道へと進んだらしい。数名の負傷者が出ているらしく、増援を要請している。どうやら黒い獣の群れに遭遇したそうだ。たぶん例の召喚獣だろう。全員引き続き、細心の注意を払えッ。ここは魔王の住処だ、なにが起こるか判断がつかん──」

「団長ッ、獣が現れました!! な、数が多すぎますッ」


 リナの部下が悲鳴を上げた。

 すぐに他の者たちも自分たちの状況を理解した。

 いつのまに現れていたのか、先ほど通ってきた通路の方から漆黒の狼が姿を次々と現していた。赤い眼光が暗闇に妖しく光り、獣の唸り声が洞窟内を震動させる。

 ズラリと並んだ狼の群れは、目測で数えるのも難しいほどにおびただしい数に増えた。いったいどこからこの数は湧いたのか。


 戦慄した旅人たちは各々の得物を構えて迎撃態勢を整えていく。この戦闘は回避出来るものではないだろう。ふいに狼の群れが二手に割れて、通路から一人の女性が姿を現した。

 短めの茶髪にパーマがかかった髪形。裾の長い焦げ茶色のローブを纏い、手に背丈ほどの杖を握っている。耳に緑色のマナクリスタルのイヤリングがつけられていた。


「んなことがあっていいわけない。何でカザネさんが狼と一緒にいるんだ?!」


 女性に見覚えのある者たちが口々に当惑の声を発する。

 それだけでシヲンにも相手の女性が誰なのか分かった。行方不明者の一人、深緑騎士団副団長カザネだ。召喚魔法を得意とする召喚士サモナーであった旅人だ。


「シ、シヲン君。これって、どういうことですか?」


 隣のユキナが心底怯えた表情を浮かべているのを見て、勇気づけるようにその手を固く握った。いや、シヲン自身が誰かの温もりを感じたかった。でなければ恐怖で身体が石のように硬直してしまうように思えた。


「おいシヲン。ユキナのことはオメェに任せた。絶対に守れよ」

「分かってます、カジュマさん」


 カジュマが背中からロングソードを抜き、両手でしかと柄を握り締めた。

 さすがのカジュマもこの状況には恐れを感じずにはいられないらしかったが、気持ちを切り替えて臨戦態勢へと移っていた。

 リナが旅人たちの前に進み出て、ハルバートの刀身を地面に突き立てると、声を張り上げた。


「何故だッ、カザネ。何故、お前がそこにいる。他の者はどうしたッ」

「我が主の聖域を侵す者たちには、それ相応の罰を与えなければならない。汝らの命運はこの場で尽きたと思え。卑しき人間に耐え難き苦痛を」


 リナの問いかけに返されたのは、質問の答えになっていない返答だった。それでも理解出来たことがあった。もはやカザネという女性は、敵の配下に取り込まれてしまっている。他の行方不明者についても、望みは薄いだろう。

 カザネがゆっくりと右手を掲げた。

 それに応じるように狼たちが左右に展開して、旅人たちを囲む。前線の人間が恐怖で後退すれば、それに合わせて狼たちが歩を進める。そうこうする間に旅人たちは、隅に追い込まれてしまった。


「カザネ、正気に戻れッ。わたしは団長のリナだ。覚えていないのか? お前と何故戦わなければならないんだッ」


 リナの必死の呼びかけに応じる素振りのないカザネが、非情にも狼たちに指示をする。彼らを全て刈り取っておしまい、そう言ってカザネが笑った。

 カザネの背後の通路から新たに消息不明者たちが武器を構えて出現した。全員が明らかな戦意を眸に宿している。


「皆、こんなところで死ぬなよッ。なんとしても生き残れッ。カジュマ殿はいるか、聞いているならわたしの指示に従ってくれ。君たちはギェンゾウの要請通りに、タブー内部へと増援に向かってくれないか。ここはわたしたちが食い止める。他の者たちはすまないが、ここで共に戦ってくれ。相手は見知った顔ぶれだろうが、どうか加減するな。可能な限り生け捕りにし、最悪の場合も仕方ない」


 リナが視線はカザネたちに固定したままに、それぞれに指示を出した。


「ちッ、テメェらも死ぬんじゃねぇーぞ。おい、行くぞオメェら」


 カジュマが苦々しく言って、シヲンたちを先導する。

 その背中を追うシヲンたちが旅人たちの間を抜けるたびに、励ましの声や健闘を祈る言葉がかかる。シヲンたちもそんな彼らに対しても同じような言葉を返し、奥の通路へと進んだ。全ては自分たちの未来のためだった。


 第一陣が進んだろう道を駆け抜けていく。幾分か薄暗くなった洞窟は分岐することなく、一本道が続いた。

 唐突に、幅の狭い洞窟内に剣戟の音が響き渡った。背後から悲鳴や金属音、怒声や爆音がない交ぜになった雑音が追い縋ってくる。

 誰もが悲痛の面持ちで黙々と洞窟を突き進んでいた。

 結果がどうであれ、彼らが全員無事でいることは限りなくゼロに近いだろう。いくら優秀な人間がいたとしても、あれだけの数の敵と渡り合うには心元なかった。


「きっと、この先にギェンゾウたちがいんだろ。あっちも獣と戦闘中っつう話だったか」

「気をつけて。何がこの先に起こるか予測がつかないわよ」


 カジュマの足が速まるのを制すようにヒューカが言う。


「どこも絶体絶命か。ったく、どうしようもない状況だなぁ……」


 トーマがうんざりしたような声で呟いた。その表情は強張り、内心は恐怖と戦っているのだろう。常に左手が腰に差した剣の柄に触れている。


「あたしたちは絶対に生きて戻るんです。イムカちゃんたちにまた逢うんです」


 ユキナが薄っすらと泪を浮かべた眸で皆を見回した。

 シヲンはただ黙って頷くことしか出来なかった。心の中でじわじわと拡大し始めた不安に、胸が圧迫されるようだった。

 死と隣り合わせの恐怖に心臓を鷲掴みにされ、息がしづらくなった。

 さっきから笑いっぱなしの膝を手で押さえつける。そうすれば今度は歯が鳴り始める。


 心の中で、恐い恐い恐い恐いコワイコワイコワイ、と泣き叫んでいる自分がいた。

 逃げたい、と暴れる自分がいた。

 退路は例の黒い獣たちで塞がれ、進むしかない。が、進んだ先には魔王がいる。

 自分は死神なのに死を恐れるのか、そんな風に笑う声が聞こえた気がした。


 どれほど道を進んだことだろうか。

 方向感覚も体内時計も狂わす洞窟という閉鎖的空間は次第に下り坂へと変わった。

 転ばぬように足元に注意して下った先は、僅かに幅の広い道になっていた。そこには蠢く人影が複数転がっていた。


「おい、大丈夫か?! 生きてるよな?」


 カジュマが駆け足になって、彼らの元へと向かう。それに続いてシヲンたちも駆け寄った。

 つい先ほどまで戦闘があったらしく、辺りには砂埃が立ち昇り、怪我人の傷口からは光の粒子が溢れていた。全員の傷はかなり深かった。しかもそれらはまるで刃物のように鋭利なもので切られたようだった。


「あぁ、増援の人か……。数が少ないトコをみると、そっちも遭遇しちまったか。ごほぉ、ごほぉ……、俺たちはきっともう無理だ」

「おいおい、、まだ諦めんなよッ。おい、ユキナ。早く治療しろッ」


 傷ついたゴーレムハンドのメンバーの横に跪いて励ますカジュマの指示に、ユキナは首を横に振った。その表情がくやしさに歪んでいた。泣くのをこらえて唇を噛んでいた。


「む、無理です……。あたしの魔法じゃ、もう救えません……。手遅れです」


 ユキナの言葉に、負傷した男は弱弱しく笑った。


「まさか、仲間だったヤツらと……戦うことになるとは思わなかった。あんたらにお願いだ。ギェンゾウさんたちが奥へと進んだ。すぐそこに見える扉の先がきっと魔王のいる間だろう……。どうか、あの人たちを助けてくれ────頼む」


 その言葉を最後に、男の全身が光の粒子へとなって四散した。虹色の輝きが洞窟内を眩く照らす。他の負傷者たちもそれに続いて消滅していく。

 命の輝きは、宙を漂って霧散した。酷く簡潔な死だった。

 後に何も残さない消滅だ。旅人たちが身につけた衣類さえも、共に消えていた。


 この場にはレイン・シェッドのメンバーのみが残された。全員がやりきれない表情を浮かべて、誰一人救えなかった歯がゆさに奥歯を噛み締めた。

 カジュマが立ち上がって、メンバーの顔を見回した。


「くそ、結局オレたちだけか。オメェらに言っておきたい。オレに付いて来るな。来れば死ぬかもしれねぇ。オメェたちの死に様なんか見たくもねぇ。だからな、ここで待機してろ」


 シヲンは込み上げた哀愁を押さえ込み、恐怖を必死に押し殺した。

 彼らと共に過ごしてまだ一週間も経過していない。それでも十分すぎるほど、満ち足りた日々を送った。彼らとの日々はいつも楽しかった。迎えてもらえて嬉しかった。

 シヲンが口を開こうとするより先に、トーマが動いた。


「まったく、リーダーにいいとこ全部持って行かせるわけにはいかないよな。僕だって死ぬには御免だけど、僕らは同じギルドの仲間だよな。最後まで共にいるって」

「そうね。それに、一人じゃなくて複数なら生存確率もぐっと上がるわよ。ちゃんとみんなして家に帰りましょ」


 トーマに続いてヒューカがカジュマの隣に並んだ。


「あたしだって、回復役に徹すれば役に立ちます。みなさんが怪我してもあたしが絶対に治してみせます」


 ユキナさえもカジュマに付いて行くことを表明した。それにはカジュマだけでなく、ヒューカやトーマさえも慌てた。


「ユキナは無理よ。ホントに危ないわよ」

「僕らが戻ってくるのを首を伸ばして待ってなよ」

「平気です。あたしだって、レインシェッドのメンバーですよ。それにシヲン君がきっと守ってくれます」


 いきなりの指名にシヲンは仰け反ったが、メンバーからの期待や懇願する視線を受けて力強く頷いた。絶対に守ってみせる、と自分に誓った。


「んじゃ、全員で戻ってくっか。いざ出陣ってな」


 カジュマが洞窟の奥にあった重い金属の扉を押した。キィィィィ、と軋むような金属音が鳴って、ゆっくりと扉が開いた。

 そして、扉の向こうの惨状を覗かせた。



 白鱗の龍が空間の中央に陣取り、その周囲をギェンゾウを筆頭とした第一陣の面々が囲んでいた。空間に満ちる光の粒は、元は人であったものだろう。

 元は四〇人近くいた第一陣のメンバーは、すでに一〇数名にまで数を減らしていた。

 誰もが満身創痍の状態で、いつ新たな犠牲者が出てもおかしくなかった。


 白い龍は枝分かれした双角を頭に生やし、口には鋭い牙が無数に伸びている。色素の抜け落ちたたてがみを揺らし、蛇のように長い胴体をくねらせる。飛ぶことは出来ないだろうが、背中には小さくも翼が生えていた。

 龍は身体じゅうに剣による切り傷があり、美しい鱗はところどころ剥がれ落ちている。


 これまでの戦闘の激しさを物語っていた。


「ユキナ、全員に回復魔法をかけられるか?! アイツらはあのまんまじゃ危険だ」


 カジュマが早口にユキナに指示を飛ばす。

 ユキナは頷くと、杖を前に構えて眸を閉じて詠唱を始めた。

 澄んだ歌声が戦闘が続く空間に満ちる。荒ぶる心を清め、燃え盛る怒りを沈め、傷ついた命を癒す歌。思わず誰もが手を止めて聞き入るほどだった。


 生きとし生けるものに向けて贈られる歌が、魔力のうねりを作り負傷者たちを覆う。仄かな緑色の光が彼らを包み込んだかと思いきや、瞬時に光は消えて傷が消えた旅人たちが後に残された。


「うまくいきました。初めて使う魔法だったんですけど、何とかなりました。回復魔法のレストキュアです」


 ユキナが心底ほっとして、長く息を吐き出した。失敗しないか不安だったのだろう。

 ヒューカがそんなユキナの頭を愛おしげに撫でた。


「カジュマ君たちか!? 増援に来れたのは君たちだけか、どうか援護に回ってくれ」


 シヲンたちに気づいたギェンゾウが、一旦龍から離れると指示を出した。


『小さき者たちよ、己の愚かさを悔い改めよ。恐怖を知るがいい、ワレが魔王と愚弄する者たちよ』


 龍が口から白炎を吐き出して、周囲を白銀に染め上げた。その炎に捕らわれて、数人が淡い輝きへと化した。その光景にユキナが悲鳴を上げた。


「おい、シヲンにトーマ。オレらも行くぞ。あれが魔王らしいな。倒せばオレたちの勝ちだろ。ヒューカは遠距離からの狙撃を頼んだ。ユキナはヒューカと一緒に離れてろ」

「みんな、死なないでください。あたしは回復役に徹しますからッ」


 ユキナの言葉に皆が頷くと、シヲンたちは各々の武器を構えて龍に向かって走り始めた。絶対に死ぬわけにはいかない。そう簡単に死ねるわけがなかった。


 シヲンはデスサイズを呼び出して、両手でしかと握った。

 まさか魔王の姿が龍だとは予想しなかった。元の世界では龍は想像上の生物だ。伝説的な生き物が実在しているとは思わなかった。

 龍が吐き出した炎で岩が焦げた臭いが鼻腔に刺さる。


 目の前には曝け出された龍の横腹が広がっていた。躍動する龍が身を捩って痛みに耐え忍んでいた。

 死角から接近したシヲンは龍の胴体に跳び上がった。そのまま一気に背中を駆け上がっていく。意外にも足場が安定し、振り落とされることはなかった。


 眼下ではカジュマとトーマが前線に参加し、ギェンゾウとともに武器を振るっていた。

 ギェンゾウの得物は両刃の戦斧で、その一振りは岩さえも粉砕した。

 離れた場所には例の三銃士の一人である狼男の姿があった。しかし他の二人は見当たらない。それだけで理由を悟った。


『愚かだ、汝らは愚かだ。何故、かような愚行を重ねようとするのかッ。汝らに何が起きた──』


 龍が言葉を途切らせた。その全身が痙攣しているように小刻みに震えていた。


『身体が思うように動かせん。なんだ、これは』

「オレは蛇が嫌いなんだよッ」


 カジュマの状態異常魔法が龍の動きを阻害し、その隙に他の旅人たちが畳み掛けるように一斉に攻撃を加えた。怒涛のごとき攻撃が龍の身体から光を削り取っていく。


──これで終わりだ。


 シヲンは龍の翼に足をかけると、それを足場にして蹴り上げた。一思いに跳躍すると、大鎌を振りかぶった。黒々と輝く死神の刃を龍の首へと振り下ろす。


『愚かな。汝らよ、我が呪いをその身に受けよ』


 龍が禍々しい黒い炎を吐き出すのと、シヲンが龍の首を切り落とすのはほぼ同時だった。重力に従ってずり落ちていく頭部が、ずしんと重たい落下音を響かせた。

 頭部を失った龍の身体が前後に暫くの間揺れて前方に倒れこんだ。

 シヲンは龍の身体を滑り降りて、落下に巻き込まれなかった。


 これで全てが終わった。魔王は死んだ。

 タブーは攻略され────









「ギェンゾウさん、大丈夫ですかッ!?」






 騒々しい声がギェンゾウたちがいた前線側から聞こえてきた。何事かと首を捻ったシヲンの目の前で人だかりが割れて、苦しげに胸を押さえたギェンゾウが現れた。

 血走った眼は忙しなく周囲を見回していた。


「全員、自分に近づくなッ。離れろ、これは魔王の呪いだッ」


 狂ったように叫ぶギェンゾウの様子に、いよいよ周囲もただ事ではないのだと理解する。ギェンゾウの指示通りに一定の距離をとって、様子を窺った。

 ギェンゾウの身体から黒い煙が昇り始める。瞬く間にギェンゾウの身体は黒い煙に包まれて、見えなくなった。そこを中心として、地面に魔方陣が拡がっていく。

 カジュマとトーマが集団から抜け出て、シヲンのもとへと駆け寄ってきた。


「おい、なんかヤバそうだぜ。オレたちはもう少し離れていたほうがいい」

「カジュマさん、何があったんですか?」


 シヲンの問いかけにカジュマは鋭い視線を、もはや煙で姿の見えないギェンゾウに注いだ。


「魔王が吐き出した黒い炎をまともに喰らったんだ、ギェンゾウは。なんか嫌な予感がするぜ。早く逃げたほうが──」


 カジュマの言葉はそこで切れた。その双眸が驚愕に見開かれていた。

 シヲンとトーマも振り返った。

 黒煙の中から姿を現したギェンゾウは、全身が黒い鎧で包まれ、右腕の先には巨大な斧の刀身が固着していた。表情には生気がなく死者のように青白い。焦点の定まらない視点で両目とも別々の動きをする。半開きの口からは、唾液が滴り落ちている。


『全テ、抹消サセル。愚カナ人間タチハ、コノ場デ死ナネバナラナイ。キャキャキャキャキャ』


 正気とは思えなかった。既にギェンゾウの理性が崩壊してしまっていた。

 全ては魔王の呪いのために。

 ギェンゾウが右腕の戦斧を佩いた。漆黒の斬撃が放たれて、ゴーレムハンドの部下だった者たちの首を刎ねた。その動作はもはや機械的にさえ思えた。

 そこにはかつての仲間に対する思い入れがなかった。


「リーダーッ、正気に戻ってくれッ!!」


 ゴーレムハンドの三銃士、狼男が勇んでギェンゾウに肉迫する。死をも辞さない覚悟らしい。男が飛び上がって、ギェンゾウに爪を振りかざした。


『ギャギャギャギャギャキャキャ』


 ギェンゾウが狼男を一瞥せずに、右腕を振り上げた。そのまま両刃の戦斧が男を宙で切り裂いた。犬のような悲鳴を上げて、男は落下と同時に光の粒子になった。

 ギェンゾウは逃げ惑う旅人たちを追いかけ始め、次々と惨殺を繰り返す。


「逃げるぞ、オメェら」


 カジュマの声に我に返ったシヲンとトーマは、大慌てで出口を目指した。

 視線の先では、急いで早く、と叫んでいるヒューカとユキナの姿がある。

 彼女たちの元に早く辿り着かなければいけない。気持ちが急いた。


 後ろは振り向きたくはなかった。今もなお続けられる虐殺の光景など見たくない。

 途絶えることのない悲鳴がいつまでも追ってくる。

 脳裏に焼きついてしまった人が死ぬ瞬間は、どうやっても忘れられそうになかった。


「危ないですッ、みんなぁッ!!」


 ユキナの絶叫がシヲンたちを慄然とさせた。

 その叫び声で気づいた。すぐ背後に迫る死の足音に。


「うわぁぁぁぁあぁぁぁぁぁッ!!」


 トーマが突然身を翻して、腰からカットラスを抜いた。

 シヲンは振り返って後悔した。トーマの目の前には悪魔がいた。魔王の呪いでもはや殺戮人形と化したギェンゾウが、愉悦に歪めた顔で新たな獲物を見定めていた。


「あんのバカやろッ!! トーマぁッ」 


 カジュマの怒声に、トーマが清々しく笑った。シヲンは息を飲むしかなかった。


「今までありがとな、リーダー。シヲン、最期くらい先輩面させろよな──じゃな」


 トーマとギェンゾウが交差した。

 掃われた戦斧がトーマの胴体を深々と抉り、カットラスの刀身がギェンゾウの背中に生えた。この場に静寂が降り立った。

 今更に、ギェンゾウの背後にはもはや生存者がいなかったことに気づいた。全員が既に帰らぬ人となってしまった。空間の中央には龍の亡骸が光化して、その巨体のほとんどを消滅させていた。


『キャキャキャ、莫迦ダナ人間。我ハ、死ナヌゾ』


 突発的にギェンゾウが、光化を始めたトーマの身体を蹴り飛ばした。仰向けにされたトーマの眸には光が宿っていなかった。とうに意識を手放していた。


「クソやろッ!! トーマ、おいトーマァッ!!」

「カジュマさん、早く逃げないとッ」


 シヲオは必死にトーマのもとへと向かおうとするカジュマを押し止めて、出口を目指した。だが、ギェンゾウの足は人間離れした速さで、追いつかれるのは時間の問題だった。


『逃ゲロ、逃ゲロ。恐怖シテ、我ヲ満タセ。キャキャキャギャッ』


 ギェンゾウが悲鳴を上げて転倒した。その左足には矢柄が生えていた。


「二人とも早く逃げて」


 ヒューカが悲鳴に似た叫び声で言った。憎悪の感情を眸に宿して迫るギェンゾウ、いやもはやあれは単なる殺戮兵器だといえただろう。魔王の呪いによって虐殺を繰り返す悪魔は、左足を負傷しながらもそれを庇う素振りを見せなかった。

 痛覚はもうないのかもしれない。


 視線の先でヒューカが新たに弓を構えていた。弓に矢を三本番つがえている。矢尻には赤、青、黄色の光が灯されていた。一斉に放たれたそれらは、全てがギェンゾウに命中した。途端にギャンゾウの身体が炎に焼かれ、氷漬けにされ、硬直した。

 あれは狩人であるヒューカの魔法だろう。矢に魔力を宿して放つのだ。

 だがそれでも、悪魔の足を止め続けるには至らなかった。


 ギャンゾウが大きく跳躍すると、宙を飛んでシヲンたちの目の前に着地した。ありえなかった。動きが人間離れしすぎていた。


『キャキャキャキャキャキャッ』

「邪魔だぁッ!! 化けモンがッ」


 カジュマが背中からロングソードを抜き放ち、大きく薙ぎ払った。それを跳んで躱したギェンゾウがお返しにとばかりに、戦斧を振り下ろした。シヲンとカジュマは二手に跳んでそれを避けた。蛮族バーバリアンであったギェンゾウの怪力が、岩をも砕いて粉塵を上げる。

 まともに喰らっていたらただではすまないのは明白だ。


 続いてギェンゾウが身を捩って、右腕を振り回した。回避するのは間に合わないほど、鋭い一撃が迫る。シヲンは反射的に腰から《薄桜龍はくろうりゅう》と《蒼翁龍そうおうりゅう》を抜いて、身体との間に挟みこんだ。

 瞬きする間もなく、両腕に衝撃が走ってシヲンの身体は後ろ向きに吹き飛ばされた。両手が痺れて感覚がなくなった。

 上下が分からないほど地面を転がったシヲンは立ち上がると、口内の砂利を吐いた。

 ふらふらとする足元に注意しながら、短剣を身体の前で構えたところで気づいた。


「嘘だろ……」


 ガイアスから譲り受けた《薄桜龍》と《蒼翁龍》の刀身が無残にも途中で砕けていた。

 シヲンは震える手でそれらを腰に戻した。ガイアスに申し訳がなかった。


「シヲン、オメェは先に行けッ。早くしろッ」


 カジュマがロングソードでギェンゾウを牽制していた。おかげでギェンゾウの注意がカジュマに向けられている。

 今のうちなら逃げることも出来るだろう。しかしそれではカジュマを見捨てることになってしまう。

 そんな心境を察したように、カジュマが声を張り上げた。


「いいから早くいけッ」


 シヲンは頷くと、彼らに背を向けて走り始めた。下唇を血が滲むほど強く噛んでいた。

 そうしなければ涙腺が緩んでしまった。足を止めてしまっただろう。

 出逢いは最悪で、その後もいい思いはしなかった。

 それでも最後にはちゃんと認めてくれた。仲間だと言ってくれた。

 頼れるギルドリーダーだった。

 こんな別れはあんまりじゃないか。


「シヲン、早くこっちよ」


 ヒューカのもとに辿り着き、シヲンはユキナに抱きとめられた。人の温もりがこれほどまで安心できるとは知らなかった。

 シヲンの身体の震えをユキナが受け止めてくれていた。


「二人は先に洞窟の出口を目指しなさい。うちはこのままカジュマと残るわ。だって、リーダーを残しちゃ、サブリーダーの名折れでしょ」

「そんなッ」


 ヒューカの決意にユキナはクシャクシャにした顔で泣きじゃくった。これ以上仲間の犠牲は見たくもないだろう。それはシヲンも同じだ。


「シヲン、泣き虫なユキナをよろしく頼むわよ」


 ヒューカが目尻に泪を浮かべて笑った。シヲンはただ黙って頷いていた。

 シオンとユキナに背を向けて、ヒューカがいまだに戦闘を続けるカジュマとギェンゾウへと近づく。二対一の状況は数でならカジュマたちが有利だが、力の差は歴然だ。

 傷ついても倒れない悪魔に対し、カジュマたちは僅かな痛みであっても動きに支障が出てしまう。

 シヲンは逡巡してしまった。

 彼らを助けに行くべきか、このまま素直に逃げるべきか。三人が立ち向かえば、敵うのではないか、そんな期待を抱いたのがいけなかった。


「くっそぉぉぉぉッ!!」


 胴間声の叫びが空間に轟き、シヲンの視線の先でギェンゾウと対峙していた二人の姿が四散した。黒い斬撃は四方に伸び、そのひとつが真っ直ぐにシヲン目掛けて飛翔する。





「──だ、ダメッ!!」





 視界の端から、影が急速に伸びた。視界が小さな背中に覆い隠された。






 がすッ。






 耳にざらつく鈍い音が響き渡り、視界に光が満ちた。





 ホントにすみません。。

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