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10000分の1の備忘録  作者: あきの梅雨
少女は死神の鎌を受け入れた
8/27

《Stupid hero》


 結構、展開を早くしてみたつもりです。

 先遣隊が消息不明となって四日目の空は、憂鬱なほどに曇天模様だった。

 心なしか住民たちの表情も暗く沈んでいるように見えた。

 いつもの街の活気が厚く覆われた雲の下に響いている。まるで無理やりに気分を明るくしようと虚勢を張っているようにさえ思えた。


 攻略ギルドは捜索隊を編成し、行方不明者の捜索に当たっている。けれども、芳しい成果は得られていない。行方不明者の足取りは、プツリとタブーの入口で途切れてしまっていたらしい。まるでタブーの内と外で世界が隔絶されているように感じたそうだ。


《ハートレスのタブー》は水源へと連なる洞窟で、内部状況の情報は不確かだ。スムーザの住民も滅多にタブーに近寄る機会がないらしい。その昔は踏み込むどころか、周囲に近づくことさえ禁じる掟があったようだ。いつのまにかその掟は廃れ、なかば忘れられてしまっていた。

 捜索隊はタブー内部の浅い部分を捜索したものの、彼らの手掛かりは食料のごみといったものだけで、何一つ足取りを辿るための有力なモノは見つけられていない。


 理解出来ないこととしては、タブーと呼ばれる洞窟周辺の土地が枯渇しており、周辺はおろか内部にさえ魔物の気配がない話だ。

 魔王が潜む場所と聞いていたために、強力な魔物が門番代わりに待ち受けているものかと思っていたのだが、そんなことはないそうだ。しかし、かえって何も無いことのほうが空恐ろしく感じた。

 予想だにしなかった事態が待ち受けているような、そんな漠然とした不安がしこりとなって心の奥に引っかかりを感じさせている。


 出し抜けにぎゅるるると轟く音が聞こえた。途端に空腹感を思い出し、シヲンは腹をさすった。

 シヲンの腹の音に隣でユキナが苦笑していた。


「もうそろそろ着くので、我慢していてくださいね」


 ユキナの言葉に首肯すると、肩を並べて赤レンガの街並みの中を縫っていく。

 つい先ほど午前中の仕事をこなしてきた二人は、空腹感を満たそうとユキナの案内で飲食店へと向かう最中だ。


「そう言えば訊きそびれてたんですけど、シヲン君の職業にも能力解放の制約ってありますか?」

「なんか唐突だな。うーんと、あるっちゃあるけど……あんま言いたくはないかな。きっと気分を悪くする。ってか、他の職業にも規制がかかってたんだ」

「あ、はい。どうも全部の職業にあるみたいですよ。どうしてそんな面倒なことをしてるのか分かんないですけど……。ちなみにあたしの場合は、一〇〇回生き物を治療することと、一〇〇食分の食事を作ることです」


 治療はともかく、一〇〇食分の食事って。今日までに二週間、一日三食をユキナは四人分作っていたから、だいたい二〇〇食分で既に達成している。にしても、食事が《神官》と関係しているのか。というよりも、ユキナの場合は一つの職に対し規制が二重にかかっているらしい。

 それは新たな発見だった。


「食事は達成してるんですけど、どうも治療のほうが進まないんですよね。この前みたいにシヲン君やカジュマさんが戦うようなことがない限り、みんな怪我をしないんですよ。さて、あたしが教えたので、シヲン君も教えてもらえますか?」


 ユキナがイタズラを思いついたようにわざとらしい笑顔を見せた。

 その背後に般若のオーラを見たような気がした。シヲンの顔が恐ろしさに引き攣った。


「教えるけど……聞いても引かないでくれるか?」

「たぶん……」

「たぶんって。あぁもう、いいや言うよ。死神の方が人の魂を狩ることで、吸血鬼が女性の血を吸うことだってさ」

「えぇッ!? 何ていうか……そのー、頑張ってください?」

「なんで疑問符を最後につけるんだよッ。てか、頑張りたくないッ」


 予想に反して、ユキナはシヲンの制約の内容に抵抗を見せなかった。ころころと心地よい笑い声を立てている。


 でも、一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、ユキナの表情が深く考え込むように難しい顔になったように見えた。

 目の錯覚かと思い、あまり気にしなかった。


 ユキナが足を止めたのは、屋根に煙突を生やした一軒家の前だった。外に立て札があり、そこには達筆でデカデカと【ラ・コリーンの店】の意味の象形文字が描かれていた。

 文字が異質で独特にも関わらず読み取れる不思議には慣れた。文字を書くことも出来る。そんなことから思ったのは、きっと自分らが話している言語も本当は日本語ではないのだろう、ということだ。それを判断する方法は今のところない。


「ラ・コリーンっていう女将おかみさんが一人で切り盛りしてるお店ですよ。出てくる料理はまるでイタリア料理なんです。どれも美味しいですよ」


 嬉々としているユキナに引っ張られるようにして、シヲンは店内に入った。

 重い木製の扉の向こうで、香ばしい薫りが鼻腔をくすぐった。

 口内に唾液が溢れ、どうしようもなく空腹感が増長された。


 ちょうど昼ごろの店内には、既にちらほらと客の姿が見える。切られた材木が素朴なままに使用された店の内部の様子は、落ち着きのある雰囲気だった。

 その素朴さが逆にお洒落に感じた。


『は~いッ、お客さんね。ってユッキーじゃないのッ!! 久しぶりじゃなぁい。あれまぁ、もしかしてそちらはカレシかしらぁ?』


 店の奥から粘っこい口調の声が響いてきた。その声が店内に余韻を残す中、姿を現したのはどこからどう見てもオカマだった。ゴリラのような獣人のオカマは、濃い化粧でけばけばしい顔面に喜びの感情を浮かべていた。

 隣でユキナが手を振った。


「お久しぶりです、コリーンさん。シヲン君はあたしのカレシじゃないですよ、頼れる仲間ですよぉ」


 照れたように首を横に振ったユキナに駆け寄ったコリーンは、筋骨隆々な腕でユキナを抱き締めた。傍から見ていてユキナが可哀想に思えるくらいのキツイ抱擁だった。

 このままじゃユキナが折れる、と心配にさせたところでコリーンがユキナを解放した。


「そうなのぉ? それじゃあ、アナタは今フリーだったりするのかしら? ちょっと、ワタシの好みなのよねぇ」

「駄目ですよ、コリーンさん。シヲン君は渡しませんよ」


 何故かシヲンの代わりにユキナが誘いを断った。シヲンとしても、こんなつわものは御免被りたいところだった。


「あらぁ~、焼いてるのかしら」

「な、焼いてなんていませんってばッ」


 顔を赤らめたユキナがポカポカとコリーンの厚い胸板を叩く。

 コリーンには全くと言っていいほど効いていない。


「そうそう、二人ともお客さんだったわぁ。席にご案内するわよぉ~」


 本来の仕事を思い出したコリーンが二人を店の奥へと案内した。

 店の一角の席に座ったシヲンたちは、ユキナのススメで二種類のスープパスタとピザに似た料理を注文した。

 料理が運ばれてくるまでの間、暇になったシヲンたちはたわいもない会話を始めていた。


「──シヲン君。気になったことがあるんですけど、その首に吊るしてるクリスタルの横のマスコットは何ですか?」


 ユキナがシヲンがいつのまにか身に着けていた装飾品に気がついた。可愛らしいウサギの人形だ。大きさは親指ほどで毛糸の中に綿が詰め込まれている。色は何故か真っ青だったりする。


「これか? 俺がギルドに入ったことを祝して、昨日にイムカから届けられたみたいなんだ。ヒューカさんから渡された」


 見るからに不機嫌そうになるユキナは、眉根を寄せて口元に手を当てた。

 強敵が現れました、なんていう言葉が聞こえたような気がした。


 その後も取り留めのない会話が続けられ、ついに待ちに待った料理が運ばれてきた。

 白い湯気を上げる料理は匂いを嗅いだだけで、唾液が止まらなくなる。

 コリーンはどうぞ召し上がれ、という言葉を残して去っていった。どうやら店は混雑し始めて、てんてこ舞いしているようだ。それでも一人で頑張っているあたり、さすがだと感心させられた。


 二人して「いただきます」と唱和すると、おもむろにパスタを口に運んだ。

 シヲンのはまるで《あさりときのこのパスタ》風で、ユキナは《トマトクリームソース》風だ。ピザのような料理は生ハムのようなものが載せられ、ふんだんにチーズが散りばめられていて、香ばしい匂いを漂わせる。

 コリーンはその見た目に似合わず、料理に関しては怪腕であった。

 どれも恐ろしく美味かった。途中でユキナと料理を分け合ったりもして、満足のいく食事だった。


 

 食事を終えてコリーンに別れを告げたシヲンたちは、ギルドへの帰路を辿った。満腹感で幸福な気持ちになっていた。また《ラ・コリーンの店》に行きたいと思う。

 空は相変わらずの曇天で陰鬱にも関わらず、シヲンたちの周囲だけは明るい雰囲気で辺りを照らしているようだった。


「今度はみんなで来たいよな。あんなに美味しい料理は久しぶりに食べたよ」

「ふふ、そうですね。あたしも誘ってるんですけど、カジュマさんが生理的に受け付けないとかで」

「あぁ、何となく分かる。あの人なら、コリーンさんを毛嫌いするな」

「でもあたしはめげませんよ。シヲン君の期待に応えます──」




 ドォォォオオオォォオオォオオッ。




 大地を揺るがす轟音が響き渡り、ユキナの声を掻き消した。それに便乗するように人々の悲鳴が空に飛び交う。突然のことに身を竦ませて怯えた表情をしたユキナをシヲンは引き寄せた。街の西区、方角的には大河やアッシュの村がある方から、大勢の人間が必死に逃げてくる。

 パニックに陥った人々の流れに押し流されまいと、ユキナの手を強く握った。


 混乱で現状把握が難しい中、赤レンガの街並みの向こうに黒煙が見えた。轟音が地面を揺らすたびに曇天をさらに濃くする黒い煙は増えていく。

 今までの平和な日常が崩れていくのを知った。


 何が起きているのか分からないが、非常事態なことは理解できた。今自分に出来ることは、ユキナを守ることだろう。カジュマから言われたことを思い出して、ユキナをまずは避難させようと周囲に視線を巡らす。

 どこも人の波で辺りの様子がはっきりしない。ユキナ一人を避難させるのはかえって危険かもしれない。


 近くの建物がいきなり爆ぜて、もうもうと昇る白煙の中から漆黒の獣が姿を現した。狐に近似した姿で巨躯を有する獣だった。猛々しい四肢には尖い爪が鈍く輝き、それと別に背中に翼が生えていた。

 しなやかな尻尾が瓦礫を掃き飛ばす。威嚇するようなうな唸り声は周囲を震動させ、鋭い赤眼に一瞥されれば身体が石のように固まった。


 半壊した建物の中から、黒毛の獣の股の間を縫って、小型の狼が溢れ出てくる。

 そのどれもが漆黒で、眼光が後ろに赤い線を引いた。



『キュオオオオオオオオオオォォオオオォォオオッ』



 巨大な獣の笛の音のように甲高い咆哮が街全体に響き渡った。

 それが平和な日常が崩壊する音だった。



 あんなのとまともに戦って勝てるわけがない。

 無残に殺されて終わりだ。

 そもそもあれの現れかたが不自然だった。まるで街中、それも建物の中から出現したかのようだ。獣は他にもいるらしく、その証拠に遠くの空に黒煙が増えていく。


 ユキナの手を離さないように、固く握り締める。ユキナは不安に表情を強張らせたままにいた。

 とりあえずはギルド本部にでも向かい、みんなと合流するつもりだ。

 先ほどユキナがマナクリスタルでヒューカに連絡をとったことで、全員が一旦本部に集合することになっていた。水晶間の会話には回線が混むといった事態はないようだった。

 人通りの少ない道を二人して駆け抜けていく。


「シヲン君ッ、あそこで人が囲まれてます。ほら、右の中央区に伸びる目抜き通りですよッ」


 急に足を止めたユキナが言ったとおり、瓦礫で塞がれた通りの向こうに黒い狼に囲まれた人影があった。人影の人数は、どうやら三人だ。一人が獣に立ち向かい、その後ろに身を寄せ合うようにして二人がいる。

 人々の流れは彼らに見向きもせずに急流をつくっていた。彼らの元に行くにはそれを横切らなくてはならない。

 助けに行って間に合うか、あまり現実的ではないように思える。

 では、見捨てていいのか。いや、よくはないだろう。


「くっそ、ユキナッ。急ぐぞッ!!」

「はいッ」


 二人して全力疾走で、彼らの元に辿り着くために人の流れを横切った。

 次々と人を押し退けて、何とか横断した時には立ち向かっていた人影が地面に倒れていた。

 その胴体の上に狼がのしかかっている。狙いはすでに後ろにいた二人に定められていた。


 シヲンは半壊した建物の瓦礫を駆け上がって、彼らの背後から一気に跳び上がった。ユキナがそれに遅れて続く。

 シヲンは両腰から同時に短剣を抜き放ち、狼たちの間を駆け抜けるようにして切り裂いた。一撃で息の根を止められるように、急所を的確に狙った。

 手に伝わる確かな肉を抉る手応えに顔をしかめつつ、心を鬼にしてトドメを刺していった、はずだった。


「は?」


 この獣たちが魔物であれば光化するだろうと思っていた。魔物でなければそのまま肉体が残るだろうと。しかし予想は大きく外れ、獣たちは黒煙となって霧散してしまった。

 跡形も残さないのは魔物と同じだったが、消え方が異様だった。


「大丈夫ですかッ、今すぐ手当てしますね」


 背後でユキナが倒れたままの男に手をかざした。

 勇敢にも一人で獣と立ち向かっていた人物は、黒い毛並みの猫族の男だった。胸にデカデカと猫のイラストが描かれたシャツを着ていたが、服には赤い染みが拡がっている。

 男は素手で戦っていたらしく、爪が剥がれて血がとめどなく流れていた。身体中も切り傷や噛み傷ばかりで毛並みが血で濡れていた。男の体内には魔力が僅かにも含まれていないらしく、一向に光化されることがない。


 ユキナの治癒魔法は対象に掌をかざすことで発動が出来るらしい。

 致命傷になりうる酷い怪我でなければ、すぐに完治させられるそうだ。

 戦闘能力がなくとも、戦闘員を回復させる役目はかなり重宝されるだろう。


「はい、もう傷は塞がりましたよ。早く逃げてください」

「すまねぇ、あんたら。ホント、恩に着るぜ。オイラは死を覚悟しちまった」


 ユキナが一歩退くと、男は身体を起こした。

 どうやら痛みも完全に消えているようだ。さすがは《神官》の魔法だ。

 だが、あまりゆっくりしていられる時間はなかった。近くまで地響きが聞こえていた。あの巨体の獣が移動しているのだ。


「良かった、おじさん。無事なんだねッ」


 余所から聞こえた少年の声で、彼が誰かを庇うように戦っていたのを思い出す。

 ユキナの背後から現れたのは、いつの日か出逢った三毛猫の少年とその姉の少女だった。


「って、キレイな髪のにぃーちゃんだ。まだ街にいたんだね」


 感動の再会と言いたいところだが、あいにく状況は切羽詰っている。早く逃げるように彼らを急かした。


「オイラはケットライダースの頭を務めてる、ドーリってんだ。助けてもらった礼をいつか返したい。連絡先を教えてくれ」


 そう言って男が取り出したのは赤紫色のマナクリスタル。スムーザの街にあったものと同色のものだった。


「了解、そんじゃ、俺のでもいいか?」


 取り出した青紫色のマナクリスタルを男に見せる。男はシヲンの水晶の奇形に驚いていた。両者の水晶が触れ合うと仄かな光を灯す。


「んじゃ、旦那を登録しときましたぜ」

「旦那って……」

「どうか無事でいてくだせ。あとで借りを返せなくなっちまう」


 そう告げてドーリと名乗った猫族の男は人混みのなかに紛れてしまった。律儀にも借りを返すといわれたシヲンとユキナは顔を見合わせた。

 世の中にはあんな人間もいるのだ。見た目は猫だが。

 男に続いて三毛猫少年たちも避難する人の流れに混じっていった。

 どうか彼らが無事でいられますように、そんな願いを祈らずにはいられない。


「シヲン君、あたしたちも急ぎましょう」

「あ、あぁ」


 ユキナに急かされて、二人は大通りに戻ろうとしたが、大音響の咆哮が間近に聞こえて思わず足を止めていた。

 赤レンガの建築の屋根を伝って、例の巨大な獣が顔を覗かせた。剛翼をはばたかせるほどに、周囲に突風が吹き荒れて人々を吹き飛ばす。

 恐怖に彩られた悲鳴があちこちで上がった。


『愚かなる人間よ。卑しくも我が主の聖域に踏み込みし者達に告ぐ。汝らの仲間の命は我らが預かっている。己の命が惜しければ、その者達の命を見捨てよ。さもなくば、彼ら諸共汝らにも死が与えられることだろう。明日の黎明に、答えを聞きに我らは戻ってこよう』


 一瞬、誰の声なのか判断がつかなかった。


 視界で狐似の巨獣がけたたましく笑ったのを受けて、あの獣が喋ったのだと気づいた。

 世界を鳥瞰する獣は、ひとしきり嘲りの笑いを続けたあと、黒煙と化して瞬時に霧散した。街中を徘徊していた狼たちもまた、時を同じくして姿を消した。


 誰もが呆然とその光景を眺めていた。

 誰もが全くもって事態を理解出来なかった。

 唐突に世界の様子は様変わりしてしまった。

 


 スムーザの街の被害は甚大だ。

 街の三分の一が壊滅的な被害を受けた。

 死傷者の数は把握しきれず、行方不明者の数も数千人に上った。


 あの獣たちは魔物ではなく、召喚獣と呼ばれる類だったようだ。術者を媒介にして、魔力を実体化させて意思をもたせた獣だ。

 そして、その魔法を得意としたのが、行方不明者の中にいた。

 深緑騎士団の副団長、カザネという女性だ。彼女が最も得意としたのが、狐や狼といったイヌ科の生物を召喚することだったそうだ。


 旅人たちの間を悪寒が駆け抜けていった。





「──というわけだ。生存した旅人で、夜明けを待たずにタブーへの侵攻を開始したい。現場の指揮は自分が務める。どのギルドもかなりの被害状況、または周辺住民への救済措置で余裕がないところだと思う。

 だが、仲間を見捨てるような薄情な人間に成り果てるつもりか。例の獣の正体が召喚獣であったとはいえ、あれに指示していたのは紛れもなく魔王だろう。カザネ殿にはあれほどの魔力は備わっていない。明日の夕日を見るために降伏するのか、それとも元の世界の朝日を見るために剣をとるのか、この場で決心してほしい」


 攻略ギルド《ゴーレムハンド》のリーダー、ギェンゾウが会議室に宛がわれたゴーレムハンドの本部に集まった面々を見回した。

 人が五〇人は収容出来るほどの大広間には、重々しい雰囲気が立ち込めている。

 その場に居合わせた人間は、錚錚そうそうたる顔ぶれだった。

 スムーザの街屈指のギルドのリーダーにサブリーダー、名を知られた腕に覚えのある豪傑、優秀であると認められた者たち。

 その中には《レイン・シェッド》のカジュマとシヲンの姿もある。


 ギェンゾウは丸刈りの巨漢で、その眼力は見る者を怯ませるだけの力をもっている。職業は《蛮族バーバリアン》で、魔力がない代わりに圧倒的な攻撃力を有していた。

 その背後には、ゴーレムハンドの三銃士と呼ばれる三人が控えている。


 ギェンゾウの問いに、集まった面々は顔を見合わせて己がとるべき態度に悩んだ。眉を濃くし、口をへの字にきつく結んでいた。

 魔王の力は想像以上に強大であり、戦えば死ぬ可能性のほうが高い。しかし、戦わなければ元の世界には戻れないどころか、仲間を見殺しにしたというレッテルが貼られることになる。

 そうした板挟みの心境の中で、次第にだが参加を表明する者たちが手を挙げ始めた。

 死を覚悟してまで、元の日常を取り戻そうと決めた者たちだった。


 シヲンも戦う覚悟が出来ている。あとはギルドリーダーであるカジュマがどう判断するかにかかっていた。

 いまだに態度を決めかねている者たちに痺れを切らしたように、カジュマが重い腰を上げた。


「ギェンゾウさんよ、オレたちも参加するぜ。こんな状況じゃまともな判断なんて出来やしねぇ。だがな、一つだけ言えるのは、俺たちは誰もが一度は死んだようなもんだろ。人それぞれ顛末てんまつは違ったにしろ、死の瀬戸際に立たされたからこそ、こっちに連れてこられたんじゃねぇか。

 どうせ何もしなきゃ三年後には世界が滅ぶんだろ? せっかく第二の人生を送らせてもらってんだ、このまま指を咥えたままにいるのは性に合わねぇ。

 この際、オレらが独自に整えていたタブー攻略の物資なども提供する。出し惜しみしていても仕方ねぇだろ」

「感謝する、カジュマ君。君たちの活躍はよく小耳に挟んでいた。それに最近では優秀な仲間を加えたらしいな。まさかうちの三人が手も足も出なかった、と聞いたときは我が耳を疑ったものだ。そこの少年がそうなんだろ? 名を確かシヲンだったか」


 いきなりの指名にシヲンは慌てて頭を下げた。

 ギェンゾウが口にした言葉で、周囲にどよめきが広がった。ゴーレムハンドの三銃士を倒したことがよほど驚きであるらしい。

 カジュマの言葉とシヲンの存在で、渋っていた者たちも参加を表明していく。

 しかし顔に誰もが不安を浮かべていた。それでも仲間がいることが励ましになり、勇気を出させることに繋がっていた。


 集められた人間が参加を表明したのを受けたギェンゾウが、深々とお辞儀した。


「全員の協力に感謝する。ではこれより、初のタブー攻略作戦についての説明を始めさせてもらう。関係資料を配る。そこに作戦概要、捜索隊が得た内部状況についての地図が載せてある」


 シヲンたちのもとにも書類の束が回されてきた。

《Heartless Taboo攻略要項》と書かれた表紙をめくれば、これまでに調査したタブーの周辺や内部について、可能なかぎり書き込まれていた。


「作戦の開始は夕刻。日が沈む前にタブーへと進入する。大至急で準備を整えてくれ。集合場所は街の西門だ。必ずや魔王を討伐しよう」


 ギェンゾウの言葉に続いて、口々に同意の声や励ましの声が飛び交う。

 シヲンは眸を閉じて、目蓋の裏に薫の姿を思い描いた。

 絶対に生きて戻るから、待っていてくれ。ふと、薫の隣に少女が並んでいた。前髪を切り揃えた黒髪の少女が恥ずかしそうに笑みを溢していた。



 誰もがその胸に悲壮の覚悟を決めて、今のためではなく未来のために戦うことを誓った。

──誰もが愚かな勇者となった。



 この日、いよいよタブーへの本格的な侵攻が始められようとしていた。


 攻略参加ギルド数七、参加人数は七〇名ほどに上った。

 数に勝るものはない。そんな言葉が口癖になってしまうほど、誰もが恐ろしさに逃げ出したい感情に駆られた。

 それでもタブーを目前にする頃になっても脱落者が現れなかったのは、ゴーレムハンドや深緑騎士団といった強力なギルドとそのメンバーの存在があったからだろう。

 彼らがいなければきっと臆病風に吹かれて、誰もが逃げ出してしまったはずだ




 シヲンは隣で肩を並べて座り込んでいるユキナを横目に見た。


 カジュマやヒューカに参加を反対されたにも関わらず、彼女はタブー攻略に参加していた。イムカでさえもギルド本部に駆けつけて反対していた。しかし、今までに見たこともないほど固い決意を宿した面持ちに、みんなは渋々了承した。


 彼女の中でどんな心境の変化があったのか分からないが、泣き虫だったはずの顔は凛々しく思えた。

 シヲンは不安げな皆の気持ちを和らげようと、必ずユキナを第一に守ると約束した。


『おーし、見えたぞぉ。到着、とうちゃぁーくッ』


 ふと周囲が騒がしくなった。

 ハートレスのタブーは、街の南に連なる山脈の麓の大河上流にある、水源へと繋がった洞窟だ。中は鍾乳洞となり、奥行きは計り知れないらしい。


 辿り着くまでは馬車での移動だった。名乗り出てくれた獣人の御者によって全員が運ばれた先は、草木が枯れ果てた不毛の地だった。土壌の養分が枯渇していることは一目で明らかだろう。

 夕日が深い紫に染め上げた大地の向こうには、山肌にポッカリと口を開けた暗い穴があった。


 シヲンたちは馬車から降り、御者に感謝すると彼らはまるで逃げるように去っていった。それほどまでタブーは恐れられている場所なのだ。


「第一陣の者は自分のもとに集まってくれ。第二陣は、リナ君の指示に従ってくれ」


 ギェンゾウが声を張り上げて指示を飛ばした。

 リナとは、深緑騎士団の団長である女性だ。桃色の髪と彫りの浅い顔立ち。白い肌とスラリとした体型の人だった。一目を引く薄い桜色の長髪を風に揺らしながら、彼女は得物のハルバードを天に掲げた。


「わたしの指示に従う者はただちに集まってくれ。悠長にやるなッ、さっさと行動しろッ」


 彼女は美人ではあるが、かなり厳しい一面をもっている。部下に対しては容赦がなく、それは他のギルドの者でも変わらないようだ。 

 シヲンたちレイン・シェッドのメンバーも彼女の指示に従う第二陣に含まれている。

 カジュマが顔をしかめつつ、彼女のいる方角へと向かっていく。それに続いて他のメンバーも歩を進めた。




 第一陣がタブーに進入してまもなく、リナのマナクリスタルにギェンゾウからの連絡があり、第二陣も動いた。


「絶対に生きて戻りましょう」


 ユキナが意気込んで言うのに応じて、シヲンは彼女の頭を撫でた。

 顔を赤らめたユキナを可愛らしく思いながら、胸の奥に熱い感情があるのをどこかに押しやった。少女への思いを素直に認めるには、少々抵抗があった。


──だって、薫と同い年だしな……。


 そんないらないプライドを憎みながら、シヲンはユキナをいつでも守れるように気を張り詰める。周囲に気を巡らして、細心の注意を払う。

 そして、他の者たち同様に、タブーと呼ばれる洞窟へと足を踏み入れた。






 誰もが浅はかだった。誰一人として、言葉の意味を知ろうとしなかった。

 ハートレスのタブー、冷酷な禁忌、無情な禁忌。

 禁忌タブーの名をもつその場所に、安易に踏み込んではいけなかった。




 後悔は遅すぎた。



 次話はもっと加速します。

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