《Famish Taboo》
久しぶりにPCの前に座りました。
はい、久々に続きを書き始めました。
すみません……。
リハビリ的な意味合いを込めて。
どれくらいの時間が経過したのか分からない。
ドーリとの戦闘は決着がつかないまま、時間だけが過ぎている。
急がなければリョウやレンも危険だ。彼らも疲労が蓄積している頃合だろう。
これ以上長引かせるわけにはいかない。
でも────
「なんや、死神。そのざまは」
ダロウの嘲笑だけはいやにはっきりと聞こえる。
傷だらけの全身を見下ろして、自分がどれほど満身創痍な状態なのかを痛感する。
傷口から光が絶えず漏れ出ていた。
左肩から右脇腹にかけて切り裂かれた傷口が痛々しい。出血は光化によって消えているが、体内から失われた血の量はかなりのものになっているだろう。長期戦は身がもたない。すでに視界が歪み始めていた。
対して、ドーリはほぼ無傷。怪我と呼べるものは、柄で打撃を加えた打ち身程度だろう。それさえも彼の全身を覆う黒い毛並みで見た目じゃ分からない。
ドーリに刃を向けることを躊躇した結果でもない。
ドーリが強かっただけだ。
これほど強い人だったとは知らなかった。猫族はその身軽な動きで相手を翻弄し、相手の虚をつくことを得手とする。ドーリの動きに予測がつかず、幾度も反応が遅れた隙をつかれた。
《撫斬》、踏破してきた場数なら圧倒的にドーリが上だ。その経験がドーリの強さを確固たるものにしている。それに加えて、マリオネットだ。
ドーリは止まれず、止まらない。
どちらかが倒れるまで、このデスファイトは続く。
僅かな隙があればいい。一瞬でもドーリの動きが止まれば、決着をつけられる。
「ドーリ、待ってろ。今、助け、出してやる、から……。グ、ガハァ……」
──出血しすぎた。
身体が血を求めて煮えたぎるように暴れ始める。喉が酷く渇いた。視界が霞む。
よろよろとその場でたたらを踏んで、がくりと膝が折れた。
吸血鬼としての吸血欲求がこんなところで起こるなんて。絶体絶命の状況にかえって笑いが込み上げる。あぁ、結局、駄目だ。
血を渇望する自分自身と戦う。本能的な衝動を理性で押さえ込もうとする。それには血をあまりに失いすぎた。
身体が痙攣するようにガクガクと震えだす。歯が鳴り止まない。
顔を上げてドーリの後ろで嘲るダロウを見据え、顔の前で十字を切った。瞬時に全身が無色透明に消えていく。周りの景色に同化する。インビジブル、これがあった。
「なんや、そないな魔法もあるんかいな。でも、無意味や」
ダロウは白い歯を覗かせて、満面の笑みを浮かべた。
「マリオネットは魔力の糸で対象を操る。死神、オヌシもすでに糸に絡めとられとるんや」
ドーリには見えていないはずなのに、振りかざした刃の軌道は確実に獲物を捕捉していた。シヲンは床の上を転がって躱したものの、たぎる血の欲求で思考が上手く回らない。
朦朧とする意識は、狩られる兎を自分自身に例えた。
──場所はバレても。
この状況はまたとない好機なのだ。劣勢を覆せずとも、やれることはある。
急に膨れ上がった感情は、往生際の悪さを生んだ。
「チェックメイトやな、シヲン」
ダロウが指を鳴らし、ドーリが剣の切っ先を向けて迫る。避ける余裕はない。
場所がばれても、こちらの動きが悟られなければいいだけの話だった。
「そのセリフはそのままお前に返すよ、ダロウ」
ダロウの隣で柩に納まったまま蠢く女性に向けて、劫火を放つ。
インビジブルの効果で全ての動作が不可視だ。当然ダロウの目には何も見えてない。発射の直前になるまでは気づけない。
終わりだ。
ナパームフレアに気づいたダロウが動いたが遅い。
放った炎の塊がまっすぐ空間の中央へと飛んだ。ダロウが伏せて避けるも、背後の柩の中で絶叫するリリィは躱せない。
火球は柩の中で急速に膨張し、炸裂音とともに空間の中央で爆ぜた。ダロウはあっという間に炎に飲み込まれ、爆風が周囲のリビングデッドたちを大きく吹き飛ばす。
ガラスが砕けるような澄んだ破砕音が響き渡った。キラキラと煌く粉末が霧散した。
でも、ドーリは止まっていない。
でも、ドーリは止まらない。
でも、避けることは出来ない。
吸血欲求の苦痛が身体の自由を奪う。
メメント・モリ、死神の大鎌を前で構えて防御姿勢をとった。ギリギリ間に合った。
ドーリと交差する寸前、彼の眸に浮かんだ感情に息をのむ。
そこに宿っていたのは、虚無。憎しみではなく、怒りでもなく、ただ無表情。引き込まれそうな闇を閉じ込めた眸の奥には、何もない。ただドーリの口元だけは、引き攣ったような笑みを浮かべていた。
何故。
疑問は激痛に掻き消された。
背中へと抜けていく異物。
「ぎぃッ」
奥歯をきつく噛み締めたが、耐えられる痛みではない。頭が白紙になりそうだ。
視覚が聴覚が、ノイズに埋め尽くされる。
「ゴホォッ」
吐血しても、一瞬で光となって宙に消える。
大鎌の柄で刃を防げたのは一本だけだ。恐る恐る腹部を見下ろすと、剣が一本、根元近くまで埋まっていた。全身の体温が急速に奪われるような悪寒を感じる。
「──旦那ッ。あぁ、そんな」
ドーリが狼狽して剣柄から手を離し、倒れこんだシヲンの身体を支える。
途切れ途切れの意識じゃまともに喋ることも出来ない。重い目蓋に抗えない。
シヲンの視界は急速に暗くなる。
このまま死ぬんだな。良かったドーリ、いつものお前みたいだ。
「──シヲンッ」
少女の声が鼓膜を揺らした。
胸の奥が熱くなる思いをした。まさか彼女がここにいるわけがない。だって、ホロウに置き去りにしてきたのだから。守るために、もしかしたら戻って来れないかもしれないと覚悟を決めて、置いてきたのだから。
居てはいけないと思う反面、会いたいと胸焦がれる思いが大きくなる。
うっすらと開いた視界の先、薄い茶髪の少女が立っていた。周囲から浮いて見えるほど美しい少女だ。後ろにはシーカーのメンバーたちが並んでいる。他にもガードの連中もいるらしい。
カナの隣に並び立ったチトセが凛とした声で号令を発した。
「闇ギルドの連中全員を捕縛する。だがまず、人質の確保が最優先だ。さっさと終わらせるぞ」
『オォッ!!』
剣戟の音がいまだに響く中でもよく通った声に応じる雄叫び。空間全体がビリビリと震動した。
マトリオットの効力が切れていないらしく亡者たちは操られて剣を振るう。劣勢に立たされて傷だらけのリョウやレンは背中を合わせて相手を牽制していた。
そこに雪崩のようにシーカーのギルドメンバーが押し寄せ、怒涛の勢いでロンリークラウンメンバーたちを地面に倒していく。あっという間にリョウとレンは味方に助け出されていた。
「シヲンッ、お願い死なないで。ねぇ、返事してよ」
いつの間にか、すぐ隣にカナが泣きそうな顔でしゃがみ込んでいた。あの亡者の壁を突破したらしい。カナの後方では亡者たちが二手に割れていた。
もう喋る気力がない。どうにか目を開けていられるぐらいだ。
暗転を繰り返す視界。ブツリブツリと途切れる思考。
カナがシヲンの腹部の傷に手をかざす。じんわりと温かさを感じた。傷をすっぽりと包み込む黄緑色の淡い光がカナの掌から発せられる。
でも、痛みは引かない。容赦なく思考を焼く激痛。シヲンは呻き声を堪えることが出来ず、苦痛に表情を歪めた。
ドーリがカナに向き合って口を開いた。
「カナさん、すまねぇ。おいらのせいだ。おいらが弱かったばっかりに」
「ねぇ、シヲン、死なないで。どうして、どうして、私の魔法が効かないの?! 前は直せたのに、どうしよう。シヲンが死んじゃう」
カナが大粒の涙を流す。口から嗚咽が漏れるも、シヲンにはそれを止める術がない。
時間の流れが酷くゆっくりとしている。
ドーリが重々しく口を開くと、カナは驚きに目を丸くした。
ナゼ、何故、なぜ。
なんでお前がそんなことを知っている。何故。
待つんだ、カナ。何かがおかしいんだ。何かが酷くおかしいんだ。だから──
シヲンの思考は急停止した。
唇に突如として感じた柔らかくも弾力のある感触。
鼻先にかかる吐息。
そして、甘美な血の味。
カナが自分の唇を噛み切って、光化する前にシヲンに口付けしていた。
なんとも言えない達成感と幸福感、心臓を鷲掴みにされたような恐怖が沸き起こる。
全身を痛みが駆けぬけ、腹部から異物が取り除かれる感触がした。カランカラン、剣が床の上に落ちて音を立てる。急速にシヲンの身体に活力が戻ってくる。
腹部の傷痕は瞬時に塞がっていた。痛みはすでにない。
首元に下げたマナクリスタルが神々しい輝きを放つ。
蒼紫色の光が全てを語った。
制約が満たされた。
──ィ。ィ。サ犖鬢、。ヤ・ヌ・ケ・、。シ・ソ。シ。ユ、リ。」
。。Job.。レサ狒タ。ヤ・ソ・ハ・ネ・ケ。ユ。ロ。ァ。レオロキ?エ。ヤ・リ・ォ。シ・ニ。ユ。
マナクリスタルから飛び出したホログラムに表示されたのは文字化けした羅列。
『──これで整った』
ふいなしわがれた低音の声にハッと顔を上げて周囲を見渡す。
空間の中央の石造りの椅子の前にダロウが笑っていた。異様な姿にシヲンは戦慄する。
ダロウの胸に刀身が生えていた。
背後からの一突きは、ダロウの心臓を抉っている。思えばダロウの笑い声だと思ったものは、ダロウの後ろに隠れた人物が発しているものだ。
「ドーリ?」
ダロウの身体が前のめりに倒れこんで、床に触れる寸前で光となって散った。
代わりに現れたのは、片手に剣を構えた猫族の男。いつの間に移動したのか。ダロウだった光を吸い込んで、ドーリは両腕を掲げた。
押し殺した笑い声が響く。
「これで悲願が叶う。すべてはオレのものだ」
ドーリのものとは思えない低い声が宣言した。
「おいドーリ。何やってんだよッ」
シヲンの声にまったく耳を傾けないらしい。ドーリは天井に視線を這わせて、愉悦に顔を歪ませた。
ほぼ同時だったろう。
この空間全体が振るえ、石造りの天井を突き破って巨大な蜘蛛が出現した。その巨躯はこの空間には入りきらないほどだ。シヲンはカナの手を引いて、押し潰されないように壁際へと急いだ。
一瞬だけ振り向いた先では、蜘蛛とドーリが対峙していた。
禍々しい真紅の蜘蛛は、黒のストライプ模様の全身から耳障りな音を立てて、ドーリ目掛けて猛進した。まるでドーリ以外は眼中にないかのような。
勝負はあっけなかった。
ドーリが右腕を払うと、蜘蛛の頭部が宙に飛んで霧散した。頭部を失った巨躯は、その場でたたらを踏むと、力尽きたように伏せた。地響きがタブー全体を揺らす。その音はまるで誰かが泣いているように聞こえた。
あぁ、そうか。このタブーの主が死んだのだ。
「なぁ、エスペル。悪いがもう止めさせないぞ」
ドーリの言葉に答えるように、老成したしわがれた声が空間に響き渡った。右手に握った杖を支えにして、エスペル導師がチトセと共に現れる。
「守護者を全て屠られたが、まだまだ儂らは諦めてはおらんよ。なぁ、魔王よ。せめて儂の手で、その罪を償わせてやろう」
「もう名では呼んでくれないか────」
ドーリは突然嘲笑すると、指を鳴らして言った。
「どうせ全てなかったことになる」
ドーリを飲み込むように足元の影が膨張し、盛り上がっていく。周囲の松明が濃くした闇が形を成して、生きているかのように蠢く。
シヲンたちは戦慄して仲間同士背中を合わせた。すでに影の包囲網は完成しつつあった。
「全員、転移水晶で脱出しろッ。危険だ」
チトセの声が空間全体に響いたときは、まさに間一髪だった。転瞬、周囲の闇に蝋燭の灯のような淡い炎色が浮かび上がり、闇が襲い掛かってきた。
例えるならば、漆黒の怪物。四本以上の手足をもった多足の黒い塊は、長い触角をもった頭部と二股の尻尾をもち、歯並びの揃わないギザギザの歯をカチカチと鳴らした。
光沢のない黒い体躯は傷が出来ても瞬時に再生した。
どこかで悲鳴があがる。シヲンの視界の隅で誰かが光化して消えるのが見えた。その光を貪るように飲み込んでいく怪物。
「お前たちに分けたオレの魔力を返してもらおう。制約などという封印も随分と解いてもらえたようだ。キヒッ、安心しろ。全てをリセットしたら、一から創り直してやる。記憶までは無理だがな」
ドーリが影の上に跨って、哄笑していた。
どうしてドーリ。お前がそんなことを言うんだ、シヲンの声は届かない。
「この身体はもう不要だな。せめてグラトンどもの餌にしてやろう」
ドーリが苦しそうに喉を掻き始め、口から赤い霧のようなものが溢れ出る。霧は次第に大きく形を成していく。
「あれが魔王なの?」
カナが怯えた様子で呟く。その言葉にシヲンは目を瞠って、カナの肩を揺すった。
「どういうことなんだよ、カナ。魔王って」
「私たちは魔王に騙されてたみたい。本当はタブーになんて魔王はいなかったの。いたのは魔王を封印してた守護者だったの。私たちが最初に出会ったエスペル導師も、魔王が化けていただけだったんだよ。
たぶん、ドーリさんは魔王に操られてたんだと思う」
カナが悔しそうに下唇を噛み締める。かけるべき言葉が見当たらず、シヲンは視線をドーリに向けた。
まだ間に合うだろうか。ドーリの身体はぐらりと傾き始め、今にも影の上から落下しそうだ。
「カナ、待っててくれ」
「シヲンッ、危険すぎるよ!!」
──────あのとき。
真っ先に自分がした行動は間違っていなかったと思いたい。結果をみれば、失ったものは多すぎる。大切なものをたくさん奪われて、結局、守れなかった自分の非力さを無惨に見せ付けられた。
──が死んだ。──も死んだ。名も知らない人も大勢死んだのを見た。
心残りがあるとすれば、彼女を守りぬけたのかが分からないことだろう。
どうか生きていてほしい。そう願っている自分自身が今まさに死ぬかもしれない状況を皮肉っぽく笑う。これが精一杯の強がりだった。
世界は一週間も保たず、魔王が生んだ影の怪物たち、グラトンに蹂躙された。性質が悪いのは闇ギルドの連中がこぞって魔王側についたことだ。彼らとの戦闘も激化の一途を辿っていた。
生き残った旅人たちは、随分と少なくなったらしい。
アナザーワールドに連れてこられた一万人は、残る三千人ほどとなったようだ。そこには当然闇ギルドの連中も含まれている。
多くの旅人たちは残された戦力で魔王と最終決戦に臨もうとしている。
この世界の住人たちも武器を手に取り、旅人たちと共に戦っている。
多くの主要都市が陥落し、街の巨大なマナクリスタルの大半が砕かれて、貯められていた魔力は魔王に奪われた。大地は枯渇しひび割れ、木々は朽ち果て、河川は干上がった。
この世界の命と自分らの命はもはや同義。この世界が死ぬとき、自分たちもまた死ぬのだろう。その命さえ、風前の灯だった。
──誰か、生きていないか。誰でもいい、答えてくれ。ここに生存者はいないか。
視界を埋め尽くす白亜の瓦礫の山は、しんと静まり返っていた。そこには死んだ世界しかなかった。瓦礫に紛れて緑の装飾が散らばっている。華奢な尖塔を備える古城があった場所は小高い丘のように瓦礫が積もっている。
ここがあのホロウの街だと、誰が信じられるだろうか。
─────────────あぁもう最悪だ。
落下したドーリの身体を飲み込もうと大口をあけた影の怪物の首をメメント・モリで切り落とし、シヲンは抜け殻のようなドーリを抱きとめた。
──良かった、息をしてる。
「シヲン、早く逃げてッ」
カナの悲鳴に急かされて、ドーリを背負って走ろうと、
「お前をわざわざ別の場所に飛ばして、手に入れさせたものを渡してもらおう。ご苦労だったな。ハートは返してもらうぞ」
眼前に立ち塞がる鮮血のような赤い巨大な狼に進路を絶たれた。
ハートとはいったいなんだ、シヲンは疑問を口に出来なかった。呼吸が強制的に止められた。
「もうお前はまともに歩けないだろ?」
狼は喉の奥を鳴らして、可笑しげに笑った。
「ゴボォッ、ゲホッ、ゲホッ、オエェッ」
シヲンに襲い掛かる重圧。
魔力の奔流に飲み込まれるのを感じた。許容量を遥かに上回る魔力に息を詰まらせ、平衡感覚を失う。
どうやらあちらこちらから魔力が集まってきているらしかった。それが自分に取り込まれる原理は理解出来なかったが。
「俺の魔道の源泉だ。随分と厳重に制約がかけられていたが、ご苦労だったな。つい先ほど完全に解いてもらったぞ」
吸血鬼の制約を満たしたことだろう。それが魔王にとって都合がいいということは、自分たちにとってはいい話ではないはずだ。逃げようとしても手足が動かない。背負っていたドーリを落としてしまった。
「では返してもらおう。シヲンだったか? あとで創り直してやる、安心しろ」
魔王が鋭い爪の生えた前足で空間ごとシヲンを薙ぎ払う。
反射的に腕を交差して盾にした。目を閉じて痛みを待つ。
誰かが駆け寄る足音、金属が打ち鳴らされる音、肉を砕く音、くぐもった悲鳴。
右腕に焼けたような激痛が走ったものの、大きな衝撃はこない。先ほどまでの魔力の流れが途絶えたのを感じる。
薄っすらと開けた視界に映るものに、絶句した。
誰だよ、誰なんだよ。どうしてこんなに助けられてばっかなんだよ。なんで助けられないんだよ。
「旦那、すまなかった。おいらは悪い夢でも見てるみてぇだ」
左腕を切り飛ばされたドーリが苦しげに呻く。魔力をほとんどもたないドーリの傷口からは赤い液体が溢れ出す。シヲンの盾になろうとした者は、ドーリ以外にもいた。
見るに堪えない傷痕。上半身の左半分をごっそりと抉られた人影が、ふらふらと揺れてその場に崩れる。男はシヲンだけでなくドーリの盾にもなり、二人の致命傷を防いだ。
血の気の失せたリョウの横顔が、瞬く間に光に包まれて見えなくなる。
「──シヲン、死ぬなよ……」
「──────────────────ッ」
何を叫んだのか分からない。声が出せていたのかも記憶にない。
リョウだった光が宙に昇りきれず、魔王によって吸い込まれるまでをただ見ていた。
死んでしまった。
それほど長い期間、共に過ごしていたわけではなかった。出逢いは最悪でも、いい奴だった。まさかこんな最悪な別れはないだろう。
「ハートは返してもらったぞ。その右腕はオレからの選別だと思え。魔王の呪いだとな」
巨大な赤い狼は口端を吊り上げると踵を返した。
その背中を追いかけようとするのをドーリに止められる。
「旦那、気持ちは分かりますが、ここは危険だ。早くしないとおいらたちも、あの影の化物に喰われちまう」
ドーリの傷の具合も心配だった。外套の裾を引き千切って、ドーリの左腕に固く縛ろうとして、シヲンは手を止めた。
「どうしたんです? 旦那」
「いや、なんでもない。ドーリ、歯を食いしばれよ」
「あ、ぐッ」
これ以上の出血を抑えるために、なるべく血管を圧迫するようきつく布を巻く。
──何でもないわけがない。
それでもドーリにはこれ以上心配をかけたくなかった。
自分にはもう魔力が残されていないだろう。先ほど魔王に全て奪われた。それでもまだ死んでいない。それを幸運と思うことはどうしても出来なかった。
魔王に切り裂かれた右腕は、炭化したように赤黒く染まり、肌触りも石のように硬く冷たい。一切の感覚がなかった。
「──旦那、後ろだッ」
ドーリの声に慌てて振り返ると、眼前に影の怪物が現れるところだった。怪物たちは魔王の影から生まれてくるらしい。そして、他の怪物たちの影から影の怪物たちが生まれてくる。この狭い空間の中では、魔王の影は空間の半分近くを占めていた。
怪物が迫ってくる姿に戦慄する。咄嗟に右手を宙に伸ばして念じたものの、その手の中に現れるべき感触がない。
死神の鎌さえも失ったようだ。舌打ちと共に、腰に佩いたアインズとツヴァイダに手を伸ばす。
「馬鹿か、お前たちは。さっさと転移水晶を使って脱出しろ。団長のあたしの立場になってみろよ。まったく世話の焼ける部下たちだ」
影の怪物の巨躯が細かく刻まれて、怪物の全身が霧散した。咄嗟のことに思考が追いつかない。
怪物が消えた場所に立ったチトセがやれやれと溜息をついた。乱れ刃の紋様をした刀を肩に担いで、早足で歩み寄ってくる。その背後からカナとレンが現れる。二人とも酷い怪我はしていないみたいだ。
「シヲン、良かった。無事だった」
カナは立ち止まらずにシヲンに抱きついた。シヲンは恥ずかしいような嬉しいような感情の扱いに戸惑う。
軽くカナを抱き返すと、そっと身を剥がす。これ以上人の温もりを感じていれば、決意が揺らぎそうだった。
「早くしろよ、全員。人が死にすぎた。ダンゾウの馬鹿が……先に逝くなんてな」
チトセが苦々しく言い放つ。
黒人のように黒い肌をした禿頭の巨漢の姿がシヲンの脳裏に浮かんで消えた。彼も死んでしまったのか。二度と味わいたくなかった喪失感。心に突き刺さる痛みに奥歯を噛み締める。
これ以上時間をかけるのは危険だから。
この選択を甘んじて受けよう。守りたい人をもう失いたくないから。
「チトセさん。ドーリを頼みます」
転移水晶をドーリの右手に握らせる。ドーリが目を見開いて言葉を失くす。そっと微笑んで無言でその背中を押した。
険しい顔つきのチトセに目配せする。
──転移水晶の数が足りてないんでしょ?
──……くそ。いいのか、だってお前は。キャナが泣くぞ。
──この腕を見てくださいよ。ついていっても足手まといですよ?
──馬鹿だよ、お前は。
──それはお互いさまでしょ。
ほんの数秒のアイコンタクトで意思疎通を完了させた。半ば強引だったが、時間があまりにないのだから仕方ない。
「キャナ、レン、ホロウに飛ぶぞ。ドーリさんはあたしのもとに来てください」
「待ってください、団長。シヲンはどうするんですか」
「全員分の転移水晶がない。一人一つは必要だ。二人はいっぺんに運べないんだ」
「っく」
カナが踵を返して駆け足で迫ってきたかと思うと、胸に飛び込んで来て嗚咽を漏らした。
「駄目だって、シヲンを見捨てていけない。シヲンが死んじゃうかもしれない。やだよ、そんなの。ねぇ、お願いだから一緒にホロウに戻ろう?」
──俺だって戻りたいよ。
「ねぇ、シヲン」
──ごめん、カナ。
もう一度カナの細い身体を抱きしめた。これが最後かもしれない彼女の温もりを感じる。二人は身を離す前に別れを惜しむように唇を合わせた。
「私はシヲンの帰りを待ってるから。浮気なんてしないから。──ずっと待ってるよ」
泪で濡れた顔で無理やり笑うと、カナは転移水晶を握りつぶしてホロウの名を叫んだ。
シーカー本部がある美しい街へ。
「あぁもう。これじゃ簡単に死ぬわけにはいかないよなぁ」
カナが強がって笑って見せた姿が目に焼きついてしまった。まったく、死ねなくなった。生きて彼女を笑わせなきゃいけないと強く思った。
すでに影の怪物に囲まれている。
今度こそ両腰に佩いた剣を抜き放って、二刀流の構えをとる。炭化したような右腕は動かすことに支障はない。多少脆くなっているぐらいだ。下手をすれば砕けてしまうかもしれない。
周囲を見渡してもあの赤い狼の姿はどこにもない。とっくに移動したらしい。
最後に泣くのは魔王のほうに違いない。
だってまだ、自分の闘争心は折れてない。こんなにも生きたいと必死だ。
「うおぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉおぉぉ」
シヲンは雄叫びを上げながら、蠢く影の中に飛び込んだ。
というわけで、随分と時間がかかってすみません。
最近はすっかり書く気も失せてました……。
PCの前にすら座らないという状況。
……うーん。
密かに応援してくれている人がいると嬉しいです、はい。
頑張ります。




