《Lonely Forest》
シヲンが初めに感じ取ったのは、背中の痛みだった。何か堅いものの上に寝ているらしく、ゴツゴツとした感触が伝わってくる。はっきり言って痛いだけだ。
非常に寝苦しさを覚え、寝返りを打ったところで急に身体が落下を始めた。
ズザザザザ、と滑り落ちて、そのまま止まれることなく全身を打ちつけた。
「いっつ…、どこだよここ」
シヲンは深緑の中に放り出されていた。巨木が連なって、大地は深緑色の苔が土の色が見えないほどに覆い尽くしている。視界全体に人工物の欠片も見当たらない大自然が広がっていた。
シヲンは荘厳ともいえる森の中に一人だった。
空を仰ぎ見れば、蒼穹に惑星の姿が浮かび上がっていた。星の周りに輪が作られていて、土星みたいだという印象だった。
肉眼でここまで大きく明確に別の星を見れたことが驚愕だ。
やはり夢なのかと思い、シヲンは右手で頬をつねってみた。普通に痛みがある、これは現実だ。この非現実的な世界は全て本物なのだ。
そう理解し始めると、不安が大きく膨れてくる。
本当に自分はこの世界で生き残れるのだろうか。そんなことを考えて、慌てて首を振った。
生き残るしかないのだ。生きて、元のあの日常に戻るんだ。と、そんな決意を固めたシヲンはこれからどうするか悩んだ。
周囲は鬱蒼とした木々が生い茂り、夜の如く樹冠の下を暗く染めている。闇の中に生き物がいて、じっとこちらを見ているような錯覚を覚えた。手にじっとりと汗が滲み、咽喉が急に渇き始める。
もう少しまともな場所に転移させてもらいたかった、とエスペル導師を多少恨めしく思った。そこで思いついた、周囲に他の旅人が居るのではないか。淡い期待は徐々に大きな光となってシヲンを勇気づける。
そうだ、きっとそうだ。しかしふいに嫌なことを思い返して気持ちが萎えた。
職業、死神と吸血鬼。
それを知った時の周囲の反応は、何か恐ろしいもの、まるで化物を見るようであった。もし、こんな薄暗い森の中で遭遇した場合、どんな反応がされるか。考えるだけで気が滅入りそうだった。
言わないでいても、この奇怪な髪ですぐにバレる気がする。
結局、自分の力を頼りに森を出ることを決め、周囲に視線を巡らしつつ、小走りでアテもなく先を進む。
巨大な木々の根元は、大きくうねった根が絡み合った迷宮のように入り組み、蔦やシダに似た植物が視界を悪くしている。
先ほどから聞こえるのは落葉を踏みつける音と、規則的な呼吸音。どこまで行っても暗い周囲に不安が募る。
息が苦しくなり始めても周囲の景色は大した変化がないように思った。完全に迷子になった、と頭が真っ白になりかけたシヲンは、いきなり開けた場所に躍り出た。
キョトンとして左右を見回す。木々の間に蔦や雑草のない獣道が左右に延びていた。
「えっと、これは何か獣が通る道だよな。熊だったら嫌だな」
何はともあれ、これを辿れば疲れが軽減される。先程まで走ってきた道は、進むためにいちいち蔦を取り除いたりしなくてはならなかったが、ここならその労力はいらないだろう。
シヲンは両膝に手をついて息を整えると、恐る恐るながらも獣道を歩きはじめた。
一旦落ち着くと、周囲から聞こえてくる音が次第に増えてくる。鳥類らしい甲高い奇声、獣の遠吠え、風で揺れる木々のざわめき。
その中に川のせせらぎのようなものを聞いた気がして、歩く速さを上げた。
ついに視線の先で光が見えた。渇望していた暖かな陽光の色だ。
思わずシヲンは駆け足になって、木々の間から飛び出した。
目の前に川の様子が一気に広がった。そこまで大きいわけではない小川だが、川底まで透けそうなほどに透明な水は、陽光を反射して水面を白く輝かせている。時折上がる水しぶきは、魚でも泳いでいるのだろう。
シヲンは川端に片膝をつくと、右腕の袖を捲って手を水中に入れてみた。
水はハッとするほど冷たく、肌に突き刺さるような爽気がシヲンの全身を駆け抜ける。
左腕の袖も捲ると、両手で水を掬って口元に運んだ。渇いた咽喉を濡らす水は、五臓六腑に染み渡っていくようだった。
生き返った、と人心地ついて川岸に腰を下ろした。
川の流れを目で追いながら、のんびりと日向ぼっこをする。一言に長閑だった。
暫くそうしてぼぉっとしていただろうか。
グルルルルルルル、グラァ、どこかで獣の唸り声が空気を振動させ、続いて木が割れる音が響いた。
シヲンは、骨髄反射で顔を上げると素早く周囲に視線を走らせ、音の発信源を探した。耳をすまして周囲を探れば、川のせせらぎに混じって人の声が聞こえる。それも複数人、一人ではないらしい。
川を挟んだ対岸の奥に続く森の方角で、しきりに逃げろといった怒声が上がっている。
先ほどの唸り声の主に追い立てられているようだ。
シヲンは川幅の長さを目測で判断すると、助走するために川から離れた。川を歩いて渡るのは避けたい。あの冷たさの中を歩くのだけは勘弁したいところだ。
川幅は一〇メートルあるかないかといった程度。確か走り幅跳びの世界記録は九メートル近くだったはずだ。
今の自分に越えられる距離ではないだろうが、やるしかない。ここで何もしないまま見ないふりをすれば後味が悪い。
徐々に加速をつけていき、川岸で一気に地面を蹴り上げて跳躍する。川に突入すれば風邪を引くな、そんなことを思う間に急速に地面が近づいてきた。
着地を失敗して前回りに地面の上を転がった。【吸血鬼】として運動能力が飛躍されたのか、軽く一〇メートル以上を跳んだように思う。やった、異世界で世界新記録達成だ。
「いってて……。何だよ、これ。俺、ホント怪物みたいじゃん」
そう言っても始まらない。シヲンはぼろい黒一色の服を叩いて砂を払い落とすと、薄暗い森の中へと飛び込んだ。
進むほどに人の声が大きくなる。蔦が進行を妨害してくるのを疎ましく思いながら、早る気持ちを抑え込む。頬や手の甲を掠める葉や蔦で血が滲むのを物ともせず走った。
まだ間に合う、数人は戦うことを決意したらしい。時折、剣戟の音らしき澄んだ金属音が響き渡ってここまで聞こえる。
木々の間を駆け抜けて、視界を遮る太い根を飛び越えれば、人影が見えた。同時にシヲンは戦慄して青くなった。
彼らの前には蒼白の体毛を生やした巨大な熊がいた。グリズリーよりもさらに一回り大きくされた巨躯。腕は黒い鱗のような堅牢そうな皮膚が剥き出しで、口端から半月刀のような犬歯が下向きに伸びて白く輝いている。
人の数は四人、前衛に二人の剣士が代わる代わる剣を振り、巨大熊を牽制している。
二人の後ろには弓に矢を番えた女性と、杖に縋って座り込んだままの少女の姿があった。
全員、シヲンと同じ旅人だ。この世界に来たばかりで、戦い方はおろか武器の扱いさえ分からない素人たちだった。
それでも前衛の剣士二人が善戦し、後衛の女性による矢の攻撃で、かろうじて戦線は維持されていた。
シヲンは自分が死神であり恐れられることを覚悟で、彼らの元へと走った。見捨てるつもりなど毛頭ない。
吸血鬼としての卓越した脚力で高々と跳び上がると、右手を天に伸ばして武器の名を呼んだ。
「こい、デスサイズッ」
どこからともなく立ち昇った黒煙がとぐろを巻いて、シヲンの右手の中で一振りの大鎌の形を成す。手の中に実体となったザラついた柄の感触が生まれる。
手に力を込めて柄を握りしめれば、ズシリとした重量が伝わった。シヲンの手の中には等身大の、乱れ刃の紋様をした大鎌が顕現していた。死神が愛用する魂を刈り取るための鎌。
曲線を描いた刀身は全体が黒ずみ、その切っ先は恐ろしく鋭い。無骨というよりは洗練された武器の形をしている。
滑り止めとして堅木の柄に巻かれた布を握り、両手で大鎌を振り上げる。大鎌は非常に重たく感じたが、扱うことを難しいとは思わなかった。死神と吸血鬼であるシヲンの膂力では大鎌を扱うのも容易かった。
眼下では巨大熊が怒りの咆哮を上げて、大地を鳴動させていた。あまりの大音響に前衛の二人が動きを止める。攻撃の手が止んだことで巨大熊が反撃に転じようとする。
高々と振りかぶられた太い右腕の先には、人の腕よりも太そうな鋭爪が伸びていた。
「いや、やめてッ」
少女の悲痛の叫び声が響く。
シヲンは肉薄する熊の無防備に晒された背中に狙いを定めて、着地とともに大鎌を力の限り振り下ろした。ヒュン、と空気を引き裂いた風切り音が鳴る。
ザクッという刃が深々と熊の肉体に食い込む音と、激痛に苦悶するくぐもった声が続いた。
シヲンの手に伝わった確かな手応え、嫌な感触だと思った。初めての肉を抉る感触だ。
吹き上がる血流を予想したシヲンは大鎌を抜くとともに、大きく後ろに跳んだ。が、結果は予想した事態にはならなかった。
巨大熊の傷口からとめどなく溢れ出したのは、美しい光の顆粒だった。傷口部分が様々な光の粒によって虹色のように燦然と輝いた。光の粒は宙に舞うと光芒を描いて淡く霧散していく。
シヲンはその様をただ唖然として見ていた。綺麗だった、この世のものと思えないくらいに。
「ありがとな、ほんと。助かったよ」
後ろからかけられた言葉に不意打ちをくらって、思わず身体がビクついた。
振り返れば、前衛だった剣士の一人が安堵した様子で表情を和らげていた。まだ青年だ。シヲンよりは歳が上に見えるが、それでも二十歳ぐらいだろう。
長めの栗色の髪には手が加えられていない。髪の間から覗くのは人懐こそうな眸。褐色の革製の鎧を着ており、腰に鞘が差してある。
青年はシヲンの髪を見て目を丸くして、開いた口の閉じ方を忘れた。
「おい、オメェ。死神だろ、その変な髪は覚えてるぜ」
耳にザラつく胴間声が別の方向から聞こえた。その言葉にシヲンは心労からの溜息をついた。やはりこの髪でバレた。
きっとあの広場で周りの集団の中にいたのだろう、頭にバンダナをつけた壮年の男だった。浅黒い肌で、顔は頬がこけたように黒い。三角に吊り上がった目は常に威圧してくるようだ。ノースリーブのシャツを着た上に革製の胴当てをつけた恰好。腕っ節の強そうな太い二の腕を晒していた。
男はシヲンの全身を見下ろして、怪訝そうに眉を黒くする。
「やっぱそうだ。こいつ、ジョブが死神と吸血鬼とか言ってた奴だ」
「別に聞かれたから答えただけだよ。それに別に死神だからといって、人の魂を刈るつもりはないし」
シヲンの言葉で青年が一歩引いた。強張ったその表情を見て理解した。
これは何を言っても信じてもらえそうにない。だが、仕方が無いことだろう、とシヲンは諦めを強くした。
皆、死にたくないのだ。生きて戻りたい、そう強く思うからこそ、彼らは死に関係したものを恐れる。シヲン自身も死にたくないのだが、まさか自分自身が死に強く関係した職業を与えられるとは思わなかった。しかも、半強制的だ。
シヲンが何度目か分からない溜息をつこうとしたのを制したのは、女性の驚いた声だった。
「見てよ、熊が消えてく」
その言葉であの巨大熊に視線を戻せば、熊の全身が光に包まれていた。光の粒の流出は止まず、時間がたつほどに熊の身体が縮小していくようだ。
熊はまだ息があるらしく、最後の力を振り絞って叫んだ。そして全身が光の粒となって爆ぜて、四散した。後に熊のいた痕跡を残さず、光がシヲンたちに押し寄せる。
シヲンたちを呑み込んだ光は、命の輝きのようで幻想的でありながら無常感を残していった。
デスサイズの刀身はそんな光の粒を吸い寄せていた。命の光を喰らう刃に、シヲンは恐怖を覚えた。さすがは死神の鎌といったところか。
デスサイズが光を吸収するほどに全身に活力が漲った。確か死神は生命を魔法に使うのだった、と思い出す。何かしらの呪文を唱えなければいけないのだろうか。
呪文の言葉は分からないが、イメージとして頭にはあった。それも職業を与えられた副産物なのだろうか。何はともあれ、これで魔法は使えるようだ。
「綺麗ね。この世界だと出血がないのかしら。あぁ、キミ。ありがとね。ほら男達が怯えてるなんてだらしが無いわよ。死神が職業っていったって、可愛い男の子じゃない、いや女の子?」
黒い胸当てをつけた女性が首を傾げて、不思議そうな顔をする。黒縁の眼鏡が知的で、どこかで秘書でもやっていそうなうら若い女性だ。艶やかな茶髪を後ろで一束に纏めている。
武器は二メートル近くありそうな剛弓で、その細い腕でよく弓を引けたものだと感心する。
剣士の二人と違って度胸が据わっているのか、平然としてシヲンに近寄った。
「俺は男です。正真正銘の男です。それよりもすみません、なんか恐がらせることになってしまって」
「そんな改まらなくていいわ。キミも森をでるとこなんでしょ? ちょうどいいわね。ほら、みんな移動しましょ。ここにいるとまた獣に逢いそうよ、ほら男達も行くわよ」
テキパキと指示を飛ばす女性に、シヲンは目を丸くしてその様子を見ていた。元の世界では女社長だったのかもしれない。
「そうだ、あの娘は? あのユキナっつった」
「彼女ならだいぶ落ち着いたみたいね。ほら、自力で立ててる」
バンダナ男に目配せして意味を伝える女性。
シヲンはその視線の先を辿った。そこには、例の杖にしがみついていた少女の姿があった。
黒い髪はショートカットされ、前髪は切り揃えられている。左の目元に泣きホクロがあった。
ポンチョのような布を羽織り、青くした顔を曇らせていた。
「すみません、ホント。足を引っ張っちゃって」
「ユキナは謝らなくていいわよ。あなたは戦闘向きじゃなくて、回復とかサポートだもの」
ユキナと呼ばれた少女はそれでも申し訳なさそうに俯きがちになる。女性は微笑を湛えて、少女に近づくとその肩を抱いて歩き始める。そのまま川が流れる方角へと向かう。川沿いを進めば道に迷わずに森を抜けるだろう。
「男共は置いていくわよ。あぁ、そこの少年はいらっしゃい。男達といると気が滅入るでしょ、うちは死神とか恐くないからおいで」
剣士の男二人は苦虫を噛み殺したような顔を作り、早く行けと言いたげにシヲンに視線を送った。
やっぱり吸血鬼だけが良かったと思いながら、シヲンは早歩きで女性と少女の隣に肩を並べた。
「キミの名前は?」
女性の問いかけにシヲンは、大鎌を消すついでに答えた。ちなみにデスサイズは消えるときは再び黒煙となって、周囲に霧散していった。どういう原理なのかと言われれば、魔法ですとしか言いようがない。
「シヲンです。榛原紫苑」
「うちは風間風花。あのエスペルとかいう老人のせいで、こっちの世界じゃヒューカだけどね」
ヒューカはそれを悪いとは思っていないらしく、快活に笑った。
「まぁ、第二の人生みたいでさ。何か新しいこととかしてみたいなってね。にしても凄いわよね。うち人生初だったのに、弓矢を飛ばせたのよ」
シヲンも同感だ。大鎌など本来なら扱うことすら出来ないはずが、身体が勝手に動くような感覚で、気づけば武器を使いこなしたように戦っていた。
これらがエスペル導師の言っていた魔法による補正なのだろう。
「てか一万人は多過ぎよ。九体の魔王を倒すのにこの数は、ちょっと過剰な気がするわ」
何やら考え込むヒューカの横顔を見上げるシヲン。見上げる、ということがミソだ。つまり彼女はシヲンよりも身長が高い。
シヲンの身長が高二になってやっと一六三センチなのだが、彼女は一七〇は超えていそうだ。
ふとヒューカを挟んで反対からの視線を感じて、シヲンは向こう側をのぞき込むように目を向けた。
いきなり視線と視線がぶつかった。
整った顔立ちの黒髪の少女が怯えたようにシヲンの様子を窺っていた。まるで小動物のような可愛らしさと儚さを併せ持った少女は、ヒューカの陰から顔を半分だけ覗かせている。
こういう場合の対応はどうすればいいのか。下手に動けば泣き出しそうな予感がする。
シヲンは悩んだ末に、微笑んで手を振ってみた。今出来る精一杯をしたつもりだ。
少女はパッと表情を明るくした。どうやら正解らしい。良かった、シヲンは心でガッツポーズをとった。
「あ、あの、あたしはユキナです。下川雪那って言います。さっきはありがとうございました、し、シオン君」
鈴の音のように澄んだ声でユキナは自己紹介をした。言い終えるとヒューカの陰に隠れる。隠れる寸前に見えた顔が赤く見えたのは気のせいだろう。
そんなユキナの挙動にヒューカは苦笑する。率先してシヲンの方に突き出そうとしていたが、ユキナはヒューカの腰にしがみついて必死の抵抗を見せた。
シヲンはそんな少女の方に顔を向けて恥ずかしそうに微笑した。
「どういたしまして、ユキナ」
その瞬間、ボンッという音でユキナの頭上に湯気が昇った。これは魔法による演出だ、きっと。でなければ脳が死ぬだろう。茹でだこのように赤くした顔でユキナは小さくなった。シュウシュウと蒸気が上がっているのは大丈夫なのか。
抱きつかれているヒューカも驚いて、色を失くしている。
しかし当の本人はいたって平然としているものだから、シヲンとヒューカは顔を見合わせて、こういう演出が有り得るのだという結論で合意した。
木々の間を抜けて川に突き当ると、穏やかな日差しの下、下流に向かってシヲンたちは歩き続けた。
傾いていた太陽らしき恒星が丁度天辺にきた。結局その後は、あの巨大熊以外の獣とは遭遇することはなかった。
歩きながら会話を続けたシヲンに分かったのは、ヒューカやユキナは初めて顔を合わせる者同士だったらしいことだ。それぞれ別々の地点に転移され、森の中を彷徨ううちに出逢ったらしい。
まさか早々に死の危険に晒されるとは思っていなかっただろう。エスペル導師を今度出逢ったら締め上げるしかないな。
「あ、見てみなよ。森が途切れてる、その先に家とかが見えるわね」
ヒューカが疲れをみせない明るい声で皆に知らせる。それに対して気怠そうな返事が返る。
先を歩くシヲンたちの後ろをついている男剣士たちだ。彼らはシヲンがいることを仕方なく了承した。
曲がりなりにも自分たちの危機を救ったのだ。無碍にするのは人ととしての良心が許さなかったらしい。
シヲンはそんな彼らに申し訳ない気持ちを抱いた。場の空気が悪くならないのは、ひとえにヒューカのおかげだった。彼女は常に明るく振る舞い、シヲンたちを元気付けていた。
ユキナは相変わらず大人しく、シヲンが見るたびに慌ててヒューカの陰に隠れている。
「この世界にも住人がいるんですよね。どんな人たちだと思いますか」
シヲンは疲労を悟られないように、ワザと明るい声でヒューカに尋ねた。
ヒューカは口元に手を当てると、視線を宙に這わせて悩む素振りになる。数秒の後、彼女は口を開いた。
「もしかしたら、動物が人みたいに言語を話してたりしてね。二本足で歩いて生活してるとか。まぁ、あり得ないとおもうけどね」
自分が言った言葉を恥ずかしそうに笑うヒューカ。
シヲンもありえないと思って、つられるように笑った。
まさか、ありえるとは誰一人思いもよらなかった。
「抜けたぁー、やったー。一時はどうなるかと言った感じだったけど、何とかなったわね」
ヒューカが子供のようにはしゃいだ。ちなみに彼女は二六歳らしい。途中で自嘲とともに言っていた。いい年してファンタジーの世界に来たなんてね、と。
「皆さんお疲れ様です。シヲン君もお疲れ様」
ユキナがねぎらいの言葉をかける。どこか初々しいその姿に思わず頬が緩みそうになる。
「ユキナもお疲れ。俺はクタクタなのに元気そうで、スゴイよ」
シヲンは自分で肩を揉んで、顔をしかめた。
運動不足というわけではなかったが、さすがに身体に堪えた。巨大熊との戦闘による緊張感のせいで、余計に疲れたように思う。
頬を撫でて吹き抜けていく風が掻いた汗を冷やして心地いい。森を抜けた先には草原が続いていた。風に揺れる草花のざわめきが空間に満ちる。
「男二人はだらしが無いわね、ホント」
ヒューカがやれやれと首を振って肩をすくめた。
後ろについて来ていた男剣士二人は、シヲンたちに追いつくと道端の茂みの上に倒れ込んだ。
「剣が重てぇんだよ」
バンダナ男が悪態をついて、憎憎しげに背中の鞘に納められた剣を睨んだ。
「軟弱ね、アンタたち」
「僕はまだまだいけますよ」
青年剣士が勢いよく立ち上がる。青年が虚勢を張って意気がったのを、バンダナ男が首根っこを掴んで引き倒す。
「うぎゃ」
「足がフラフラじゃねーか。強がんなよ」
ジタバタもがいても解放されない青年剣士は、やがて力尽きたように動きを止めた。
「つ、疲れた。まだあって間もないのに、なんでこんな仕打ち」
「オレに何か文句あるか小僧。オレから見たら、オメェはまだまだヒヨッコだ」
バンダナ男は押し殺した声で腹を揺すった。
ふとシヲンに視線を向けて、複雑に顔を歪めた。それに続く嘆息。幸福を全て吐き出すように男は息を吐いた。
「おい、シヲンとやら。とりあえず、あそこに見える村までなら同行させてやるよ」
「あんたは何様のつもりよ」
ヒューカが文句を言って、腰に手を当てて男を見下ろす。
「そこまで同行出来るだけで十分ですよ」
シヲンは断って首を緩く振った。
死神に嫌悪感を抱いている男たちの迷惑にこれ以上なるつもりはなかった。ヒューカやユキナとは友好的だったために、少し名残惜しいが。
そんな会話を続けていたためか、周囲の注意が散漫になっていた。ゆえに声をかけられるまで気づかなかった。
「はて? 珍しいことがあるもんだァ。あんたら森を抜けてきたんかい」
独特のアクセントをもった口調の朗らかな男の声。シヲンたちは反射的に身構えて、声の主を探した。
そして全員が揃って絶句した。
まるでトカゲ男だった。爬虫類らしい骨格の二足歩行の生き物。肌は金緑色の鱗がびっしりと覆い、黒光りする爪と黄ばんだ白の牙をもっている。
ヨレヨレの紺色の作業服を着込み、後ろに荷台を運んでいた。
まさかこのトカゲに近似した人型の生き物が、言葉を話したのか。しかも日本語ときている。その事実に理解が追いつかなかった。現実があっても頭が認めようとしない。
そんな一同の様子に困り顔を浮かべるトカゲ男は、後ろ頭を掻いて照れたように苦笑いした。
「あっしは何かマズイことでもしやしたか。何か言ってもらえないです?」
最初に口火を切ったのはやはりヒューカだった。
「あの、失礼を承知で聞きたいんだけど、あなたは人でいいのかしら?」
しばしの沈黙。耳に痛いほどの静寂でシヲンはじっとするのが耐えられなくなりそうだった。
とうとう身を捩るしかなくなった時、トカゲ男は飛び上がるくらいに驚いた。
「あんたらもしかして旅人かッ。異世界から来た戦士たちかァッ」
シヲンたちも驚いた。目の前のトカゲ男が旅人のことと、異世界から来たことを口にしたからだ。シヲンたちは互いに顔を見合わせて、首を傾げた。
まさかこの世界ではこのことは公にされているのか。
「えっと、もしかして、うちらのことを把握しているのかしら」
「いやいや、これっきしだ。けど、村や街で語られてる伝承にあるんです。世界を支配しようとした魔王を封じるために、異界の戦士が現れたって。子供から大人まで知ってる有名な話だ。にしても、あんたらホントに旅人か。こいつは縁起がいい、さっそく村に戻らんとだ。あんたら荷台に乗せてくぞ」
これがアナザーワールドの住人との最初の接触だった。