《Lonely Clown》
チトセは戸惑った。
タブー攻略への要請に応じてくれたギルドの少なさにではない。少ないだろうとは初めから予想がついていた。逆に要請に応じてくれたギルドがあったことに驚いているくらいだ。
皆が同じ方角を見て動きを止めている。
シーカーの本部には全メンバー、と言うのは語弊がある。シヲンら三名を除いたメンバーが揃っていた。先ほどまで泣いていたキャナさえも、副団長としての威厳を取り戻している。いつでも出撃出来る準備が整ったところだった。
シヲンたちを救出し、タブーの奥に潜む魔王を討伐する。
自分たちがすべきことに変わりはない、はずだった。
だが、今目の前にいる人物の存在が狂わせた。唐突にシーカー本部を訪れた人物は、メンバー全員に緊張を走らせた。
「エスペル導師、どうしてあんたが」
軍服を着込んだ人たちの先頭に立っているのは、紛れもなくエスペル導師その人だ。白い顎髭をたくわえた矮小な老体は眉根を寄せて、低く唸り声を上げた。
「どうやら間に合ったようじゃ」
「何が間に合っただ。あたしらに説明しろ」
高圧的な口調で問うと、エスペル導師は目を伏せて口を開いた。
「まずオヌシらには言わなければならんことがある。オヌシらは儂にあったことがあるじゃろうが、儂はオヌシらに会うのは今回が初めてじゃ」
「何が言いたいんだ?」
なんの謎かけだろうかと首を傾げると、エスペル導師は慌てて付け足した。
「いや、こう言うべきじゃな。オヌシらは儂にそっくりな人物に出会っておる。そして、九体の魔王を討伐することを任された」
「我々の方でそのことについて調査済みです。確かにこの人はエスペル導師本人ですが、つい先日までタブーに閉じ込められていました。というより、自らタブーに閉じ込もっていたというべきですね」
「あんたらは軍か」
訝しい視線を向けると、軍服を着込んだ男女は背筋を伸ばして敬礼する。
一人の男が前に進み出てきた。短く刈り込んだ亜麻色の髪、頬には刃物による傷が痕を残している。幾度も死地を踏み越えたらしい男は、裏腹に優しい眸をしていた。
他の人たちがカーキ色の迷彩柄に対し、その男の服装は鮮烈な朱色だ。
「すいません。挨拶が遅れました。私はガードの中佐、ガイと言います。こっちは部下たちで、本部からの命を受けて訪れた次第です」
驚いたことに軍は俗称ではなく、本格的な組織として機能しているらしい。チトセが鼻で笑うと、ガイも自嘲気味に笑みをこぼす。
「私も中佐なんて役柄じゃないんですけどね。ただ、今はそれどころではないんです」
「どういうことだ?」
真剣な表情に変わったガイは腰に下げていた筒状の紙を手に取った。羊皮紙のような見た目の紙が広げられると、そこにはアナザーワールドの世界地図が描かれていた。
各大陸にある赤い点はタブーの場所を表しているらしい。その上にバツ印が描かれたものが攻略されたところなのだろう。
「これが私たちに残された時間です。残る一つ、ファミッシュのタブーが攻略されたときが、私たちの敗北になります」
「何を言って──」
「儂が説明しよう。オヌシらには気の毒じゃが、今までやってきたタブー攻略は全て無意味じゃった。そんなことをしてもオヌシらは元の世界には戻れぬ。オヌシらが倒してきたものは、魔王の封印を守っていた守護者たちじゃ。
数百年もの間に封印が脆弱になっていたことを見抜けなかった儂の落ち度じゃ」
エスペル導師がうな垂れて、顔を押さえる。
九体の魔王が実は守護者だった、魔王は別に存在し、旅人は偽の情報を頼りに守護者たちを倒してきたとするならば。誰がエスペル導師のフリをして騙したというのか。
その結果、誰が一番得をするか。
「あたしらに九体の魔王を倒せと命じたのは、魔王自身か」
「そうじゃ。数百年前、儂らが辛うじて封印した者じゃ。今では魔王という伝説的な存在となっておるが、かつては儂の双子の弟じゃった」
「弟だと? というより、あんたはいったい何歳だ」
「肉体の老化を遅らせ、来るべき魔王復活のときのために自らを封印して、何百年も経った。今更自分の歳に興味などないわい。
話を戻そう。封印が弱まり、魔王の精神体は既にこの世に放たれておる。異世界から一万人もの人間を呼び出したことからして、あやつの肉体はもはや消滅しているのやもしれん。自身の依り代に相応しい器を求めておるように思えてならん」
エスペル導師は顎をさすりながら、暫し考えに耽るように眉根を寄せる。
ふと背後で誰かが動くのを感じた。
「私たちは元の世界にはもう戻れないんですか?」
キャナだった。薄っすらと目元が赤らんでいるものの、その声はしっかりとしている。
エスペル導師は顔を上げて、キャナを見た。
「いや、方法ならある。オヌシらも聞いたことはあるじゃろう。かつてこの世界を魔王が支配しようとしたとき、異世界からの戦士が魔王を倒し平和を守ったという話を」
「あぁ、あたしらはこの世界に来たばかりの頃、エスペル導師ではなかったな。魔王の口から直接聞かされた。そして、あたしたちはアナザーワールドが呼び出し、九体の魔王が倒されたときに元の世界に戻れる、とも」
「大体の話は同じじゃ。この世界での死は元の世界での死を意味する。違うのはアナザーワールドには異世界とを繋ぐ力などないことじゃな。
じゃがかつて、この世界に異世界から人間が来たのは確かじゃ。儂自身がそうじゃったからの」
チトセだけでなく、この場にいた全員が驚きを隠せなかった。ガードの連中もこの話は初めて聞くらしく、目を丸くしている。
隣に並んだキャナの肩を抱いてやる。副団長と言えども、華奢な体つきの少女でしかないキャナの身体は小刻みに震えていた。今、こうしている間にもシヲンたちが危険に晒されているかもしれない恐怖のためだろう。
あたしだって部下を失いたくないし、今すぐ助けに行きたい、チトセは言葉に出さずキャナの肩を抱き寄せる手に力を込めた。
「儂と弟はこの世界中の人間の誰よりも強い魔力をもっていた。儂らは自らの魔法でアナザーワールドにワープしてきたのじゃ。この時はまだ誰も異世界からの人間の存在に気づいてはおらんかったじゃろう。
初めのうちは良かった。弟と共に世界中を回った。弟はこの世界で一人の少女と恋に落ちて、儂はそれを祝福した。だんだんとおかしくなり始めたのは、この世界で戦争が起こったときじゃ」
そう言えば、ついぞこの世界で国同士が争っているなどと聞いたことがなかった。戦いで人が死ぬなど、魔物相手ぐらいでしか聞かなかった。旅人同士の争いのほうがよっぽど汚らしく見えると思えたほどだ。
「弟の恋人が戦争中に死んだ。弟を庇っての死だった。あやつの悲しみは量りしれんかった。幾日も泣き暮れて、やっと涙が枯れたとき、弟は人が変わっておった。
この世界を絶対的な力で支配し、戦争など起こらない世界を創造する。弟は次々とアナザーワールドの国々を崩壊させていった。儂は弟を殺してでも暴虐を止めることを決意したのじゃ。そして、伝承に残るように、儂は異世界から人間たちを呼び出した。戦いは長く苦しく、辛かった。儂は結局血を分けた弟を殺せず、封印するしかなかったのじゃ。呼び出した者たちが使役していた魔物たちを守護者として、遺跡の奥に封印を施したのが数百年も前の話。
もしオヌシらが元の世界に戻る方法があるとするならば、オヌシらを呼び出した本人がその魔法を解くか、死ぬしかない。つまりは──」
「本物の魔王を倒せ、ということか。あんたの弟でもあるヤツを、殺せと」
鋭く睨みつけると、エスペル導師は縮こまり一層小さくなった。
「一万人もの人間を呼び出せるほどの魔力を取り戻しているあやつを倒せる確証はないが。それしか方法はないのじゃ」
「残るタブーを攻略してしまえば魔王が復活してしまう。それを防がなければならないのに、魔王を倒さなければ元の世界に戻れない。だったら、封印を解いて魔王を倒せばいいが、魔王を倒せる確証もない、か」
どん詰まりだ。
どうすればいいと言うんだ。
ここまで魔王に誘導されるようにやってきた。魔王にとって全てが予定通りと言っていいのだろう。だとするならば、今更対策を練ったところで復活を防ぐ手立てはないかもしれない。
残るタブーがたった一つ、たった一つ?
「おい、あたしたちはタブーがファミッシュを含めて二つあると思っていたんだ。なのになんで、あと一つになってるんだ」
「それは、我々の失敗です」
ガイ、ガードの中佐は下唇を噛んだ。
「先日、闇ギルドが大きな集会を開くという情報を得た我々は、他にもギルドの参加を募り、タブーへと乗り込みました。その情報は本当でしたが、そこに闇ギルドメンバーの姿はなく、人質に捕られていた人々がいるだけでした。救出作戦中に魔王いや、守護者に遭遇した私たちは、戦うほかありませんでした。そして、タブーの奥で眠るエスペル導師に出逢うことになりました」
「魔王の精神体は、どうやら闇ギルドのメンバーの誰かに憑依しておるようじゃ。上手くこちら側を誘導し、タブーへと誘い出しておる」
エスペル導師の言葉に嫌な予感が胸をよぎる。
それはキャナも同じだったようで、不安げな眸が見上げてくる。
ロンリークラウン、ダロウたちが何故ファミッシュのタブーを指定してきたのか。
その理由が分かった気がした。
「それが分かっても、あたしたちはタブーへ行かなきゃなんないんだ。仲間が既にファミッシュに向かってる。ロンリークラウンが人質を取って立て篭もってる」
「最悪の事態は想定しておいたほうがいいでしょう。ガードからも既に一個中隊の出動が命じられてます。転移水晶も持参すべきですね」
果たして間に合うのだろうか。
チトセは深く息を吐いた。一抹の不安がしこりのように胸に残っているのが気持ち悪い。
まるで自分たちがタブーに辿り着くのを待っているのではないか。そんな風に思えて仕方がなかった。
*
かびくさい臭いが鼻の奥に沁みる。ひんやりとした冷気が掌に伝わり、自分が倒れていることに気づく。ゆっくり身体を起こせば、周りを壁に囲まれた空間にいることが分かった。
壁に嵌めこまれた水晶が仄かに光を発し、薄暗く通路を照らし出している。
酷く圧迫感のある空間だ。
見回す限り壁に囲まれた空間だけで、外の景色が見える場所はない。と、そこまで思ったところでレンとリョウの存在に思い至る。慌てて彼らの姿を探せば、空間の隅の方でうつ伏せている。
駆け寄ってその肩を揺さぶると、数度の呻き声のあと目を覚ました。
「あぁ、シヲンさん。どうも無事に飛んだみたいですね。ちょっとムリがあったみたいですけど」
レンは苦笑いして頬を掻いた。リョウが寝ぼけたような声を出して上体を起こす。
「いやもう食べれない」
「どんな夢見てんだよ」
つい脱力してしまったが、気を持ち直してリョウの広い背中を力を込めて叩く。バシッ、気持ちがいいほど高い音が鳴り響いた。続いてリョウの呻き声がこだまする。
「いてぇな、おい。もっと優しくしろよ」
背中に手を伸ばしてさすりながらリョウが立ち上がると、頭が天井ギリギリだった。ところどころ屈まなければ通れない場所もあるようで、リョウは苦々しい顔をする。
「これからどこに向かえばいいんだよ」
この小部屋には通路が二つあり、それぞれ反対に向かっている。
どちらも近くの相手の顔が識別しづらいほどの薄暗闇だ。こんな場所で魔物に遭遇したらまともに戦える自信がない。
ダロウたちはきっと分かりやすいような目印を残しているはずだ。こんなところで魔物に蹂躙されて死ぬなんて結果を望んではいないだろう。ダロウは俺が苦しんで死ぬ様を見て楽しみたいはず、シヲンは周囲を見渡した。
ふと小さな光を見つけた。小さいが強い光だ。明滅を繰り返し、まるで誘っているような。
「シヲンさん、今のうちに行っておきますね。メメント・モリを使うことを迷わないでください。ドーリさんを助け出して無事に戻るまでは、過去は忘れてください。
ダロウはそう簡単に倒せる相手じゃないです。リョウさんもですよ。ちゃんとその刀を抜いてくださいね」
突然かけられたレンの言葉に、シヲンは頷いた。
「あぁ、分かった」
「んだよ、オレだってな。やるときはやる人間なんだよ」
「それはやらない人間のセリフだぞ」
「かもな」
リョウは鼻で笑う。自嘲気味な笑みを浮かべた顔は、どこか思いつめているように見える。リョウはその表情のまま、顔を向けてくる。
恐る恐る開かれた口から聞こえてきた声は、自責の思いがこもっているようだ。
「オレはシヲンに謝んなきゃなんねぇことがあるんだ。オレもな──」
「何か聞こえてきませんか?」
レンがリョウの言葉を遮った。レンは耳をそばだてて周囲を探る。
その目が大きく見開かれたのを見て、シヲンは嫌な気配を感じ取った。
「何か、近づいてきます……。あっちの方から来ます。なんか、恐いです」
レンが指差したのは、明滅する光とは反対方向。
誘いに応じなかった自分たちに痺れを切らしたかのようだと思うも、今更あれこれ考えても仕方ない。
「とりあえず、反対の通路に逃げよう。出来るだけ狭い場所での戦闘は避けたい」
「はい、シヲンさん」
「おぅ、分かった」
三人して狭い通路に逃げ込むと、薄暗い明かりを頼りに進む。
通路は途中で分岐せず、ひたすらまっすぐ続いている。
だんだんと迫る背後からの音は、聴覚に優れないシヲンやリョウにも聞こえるほど大きくなっている。
紙が擦れるような乾いた音が騒々しくなる。
急かされるように三人の足は速まり、脇目も振らずに走り続けた。
身体全身が酸素を欲している。肺は痛み、手足の指先がじりじりと痺れ始めている。荒い呼吸で空気を吸っては吐き出す。
視界の先に一際明るいものが見えてきた。
シヲンは声になりきれない声援を送った。レンとリョウの気の抜けた返事が返る。
二人とも息も絶え絶えで、苦しそうに顔を歪めている。
三人は一心不乱に通路を駆け抜けると、急に広い空間に飛び出した。高等学校の体育館ほどの広さはありそうな空間は、壁に松明を灯して赤々と輝いていた。天井も床も壁も幾何学な模様が描かれている。空間の中央の方には玉座のようなものが。
「シヲンさんッ、来ます」
レンの悲鳴のような叫びに応じて後ろを振り返ると、シヲンは恐ろしいものを見た。
体長は三メートル以上ありそうな巨大蜘蛛が先ほど駆け抜けた通路を猛然と進んでいた。薄暗い通路に赤いレンズ眼が煌く。体表を無数の毛が覆っている。口に生える牙は、金属光沢の輝きを放つ。
見るもおぞましい魔物だ。逃げておいて正解だった。
「ナパームフレアッ」
右手を前に突き出し、掌を蜘蛛に向けると叫んだ。
周囲で空気が膨張し、突風を起こす。髪が後ろになびく。
一瞬で視界が紅蓮に塗り潰され、狭い通路は赤く焼き爛れた。熱風がシヲンの額に浮かんだ汗を蒸発させる。
悲鳴を上げさせる間もなく、巨大蜘蛛は淡い光の粒となって通路の途中で消え去っていた。
「──おつかれさん。これでおぬしらの歓迎の準備が整ったな」
「おいシヲン。気をつけろ」
珍しくリョウの怯えた声。シヲンが空間の中央に視線を戻すと、そこには明滅を繰り返す光の粒が宙を舞っていた。その中で一人の男が石段の上に置かれた玉座に座り込んでいる。ロンリークラウン、リーダー、ダロウ。
ダロウの足元には縄で縛り上げられたドーリが転がされていた。こちらに気づいたらしく猿ぐつわをされながらも必死に声を上げている。
──ドーリ、無事だった。
空間の壁際にはぞろぞろと人影が姿を現しつつある。生気を失ったような青白い顔が松明の灯りに影を濃くする。数はざっと数えても三〇人ぐらいはいる。ボロボロの布切れのような服装、手にはくすんだ刃の刀剣を構えていた。闇ギルド、ロンリークラウンの紋章を身につけている。相手はとっくに臨戦態勢らしい。
近くにいた人間たちが呻き声を上げながら駆け足で肉薄してきたのを、前に飛び出したリョウが鞘に納まった刀ごと薙ぎ払う。一度に五人以上が床の上に仰向けに吹き飛んだ。
「こいつら、なんだよ……。こんなのおかしいだろ」
リョウが取り乱し、レンとシヲンは目を丸くした。
リョウには周囲を囲いつつある生気のない人間たちが恐怖の対象に映るようだ。
その理由を知りたくないと耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
「こいつら、人間じゃねぇ。……もう死んでる。死んでんのになんで動いてんだよ」
リョウが腰に刀を戻すと、柄を握り締め、一息に抜き放った。
周囲の人間たちが気圧されたように動きを止めた。
手入れの行き届いた白銀の輝きが漏れる。
乱れ刃紋の刀身が美しい。緩く湾曲した刀身の切っ先をリョウは空間の中央で玉座に座るダロウに向けた。
「──シヲン。今更だが言っとく。オレのバーサーカーもな、お前と同じなんだよ。人を斬ると制約が満たされる。オレは人を斬ったことがある。人を望まずとも殺めたことがあるんだよ。
オレは最低な人間だ。初めてお前に逢ったとき、避けたことを謝る。悪かった」
「なんだよ、今更すぎるだろ。あとで土下座するなら許してやるよ。だから、死ぬなよ」
にぃっと、歯を覗かせてリョウは笑った。
ムリに笑おうとして、笑みが引き攣っている。思わずこちらも笑みが漏れた。
シヲンは右手を掲げて空を掴む。ぱっと空中が赤く光ると、右手の中に確かな柄の感触が生まれた。禍々しい鮮血の赤の刃が大きく弧を描いている。
死神の大鎌は、松明の炎の揺らめきを反射して、それ自身が蠢いているような錯覚をおこさせる。
──ダロウ以外、他のギルドメンバーは死者?
本当に今更なことに気づいた。
ロンリークラウン、孤独な道化師。道化師はダロウ一人。
たった一人の闇ギルド、それこそがロンリークランの名前の由来に違いない。
「こやつを助けたければ、ワイのとこまで辿り着いてみ。おぬしらが五体満足で亡者の間を抜けれ来れるか、見ものやな」
ダロウは玉座に座り込んだまま、愉快そうに歪んだ笑みをこぼした。
鳥肌が立つほど、ダロウの笑みは不気味だ。
この状況を楽しんでいるのはダロウ一人しかいないだろう。
どうやら玉座だと思ったものは、ただの石造りの椅子で、背もたれのように見えたのは巨大な柩だった。前回ダロウと遭遇したとき、やつが背中に背負っていたものだ。
中に何かが入っているのだろう。
棺桶に入れるものといえば、人の死体か。そんな推測を首を振って追い払う。
いくらダロウといえども、死体を四六時中運んでいたくはないはずだ。そんな淡い期待を抱く。
「シヲン、まわりのヤツらはオレに任せとけ。おめぇはダチを助けに向かえ」
「リョウさん、僕も助太刀します。シヲンさん、ここまで来たんです。絶対ドーリさんを助け出しましょう」
身体の震えが止まらなかった。それでも二人の言葉で気持ちは揺るがなくなった。
絶対にドーリを助け出す。
「よし、行くぞ。絶対に死ぬなよ」
自分には酷なことしか言えなかった。
絶対に死ぬな。
今この状況で俺に言えることはこれぐらいしか思いつかない、シヲンは前に踏み込んで一気に跳躍した。
背後でレンとリョウが左右に展開し、周囲の死者たちと刃を交えた。
鈍い金属音が空間に反響し、そこに悲鳴が混濁し、怒号が上書きし、音が不鮮明になり、聞こえなくなる。
視界に映るダロウとその足元に倒れるドーリの姿だけが、はっきりとしていた。
ダロウが腰に下げた両刃の片手半剣を抜き放つ。
「さて、ショータイムや」
ダロウが背後の柩に手をかけると、その蓋を引き剥がした。
中に納まっていたのは、全身に包帯が巻かれた人のように見えた。シルエットからして女性らしい。まるでミイラだ。
ミイラのような女性は、芋虫のように蠢いた後、口を開いて人のものとは思えない奇声を上げた。
「キェェェェェェエエェェェェェエエェェッ」
ダロウがドーリの縄を解き始める。
拘束を解かれたドーリは立ち上がると、逃げようともせずシヲンと対峙した。
その手にはダロウが持たせた双剣が握られている。
「彼女、リリィの職業は傀儡師。能力はマリオネット。死者を愚弄する操り師や」
「その女性も旅人なのかよ」
「いいや、ちゃうわ。もうこやつは人間やない。魔王の呪いで理性を失っとる。肉体もまるでガラス細工のようになってしもうた。残っとるのは、異常な破壊衝動だけや」
ダロウは寂しげな笑いを浮かべて、包帯を巻かれた女性の頬を撫でた。
ダロウにとって、あの女性は大切な人だったのだろう。
だからといって、容赦はしない。
「そのリリィって人があいつらを動かしてるんだな」
周囲でリョウとレンが戦っている死者たちを指差す。傷口から血は出ず光化も起きず、まるでマネキン人形が動いているような錯覚をした。
ダロウは愉悦で顔を歪めて、腹を揺すった。
「いくら斬っても、刺しても、あやつらは止まらん。唯一の解放は、リリィのマリオネットを止めることのみやな」
「だったら──」
「おぬしには別の相手を用意してやったさかい。まずはそっちをどうにかせんといかんで」
ダロウの前に立ったドーリが目を見開いた。
「旦那、オイラを斬ってくれ。じゃなきゃ、オイラは止まれない。お願いだ、旦那」
撫斬のドーリは、悲痛の面持ちで両手の剣を振りかざし、石段の上から跳躍した。
──くそ、マリオネットか。
シヲンが後方に跳ぶと、いままで立っていた場所をドーリの双剣が深く抉った。
「ワイは高みの見物といこうかいな。片方が力尽きるまで、勝負は終わらへんで」
ダロウのけたたましい嘲笑が鼓膜を揺さぶる。
勝負は始まったばかりにもかかわらず、息が上がりきっていた。
──無理だ。俺はドーリを斬れない。
高鳴る心臓の音は、焦りを煽り続けた。
絶対に全員無事で戻るんだ。
あの日常に。
みんなが待つ日常に。
でも、本当に戻るべき日常はどこだ。
「旦那、早くオイラを斬れッ」
目の前には袈裟斬りを繰り出したドーリの姿。
鋭い痛みと共に、眩い光の粒が宙に舞う。