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10000分の1の備忘録  作者: あきの梅雨
少女は孤独に血を捧げた
17/27

《Innocent Liar》

 この星は僕たちを運んでいく

 月並みの表現だけど

 掃き溜めのようなこの社会で

 腐りかけた若者たちは

 否応もなく大人になる


 胸に抱いた夢の大半は叶わないけど

 欲しい物の大半は手に入らないけど

 別にいいじゃんか

 そんな風に思えるようになった


 先走った言葉が壊していく日常

 出遅れた言葉が逃した日常


 間違い探しに追われる日常

 答えなんて結局ないのだと知った


* 


 夜風が頬を撫でては僅かに体温を奪っていく。シーカー本部の三階に設けられたバルコニーで、シヲンはそこから見える夜景を見渡した。背後ではギルドの者たちの談笑が絶えず、場が賑わっていることが察せる。しかし今晩の主役であるシヲンは一人で抜け出していた。

 まだまだ決心がつかなかった。


 首に吊るしたマナクリスタルを持ち上げて息を吹きかける。ふっと浮かび上がった映像に映し出されたシヲンの旅人としての情報。そこには死神と吸血鬼の文字が並んでいる。

 死神、この事実がシヲンの日常にとってどれだけ障害となったことか。出逢った人が恐れの感情を浮かべて見てくる。そんな現実に慣れてしまうほどだった。


 そして、吸血鬼だ。聖女の血を吸うことで、課せられた制約を満たすことが出来るらしい。血、血、血。ここアナザーワールドでは光化によって滅多にお目にかかれない。

 つまりは血を外気に晒さないこと。直接相手の肌に鋭い犬歯を突き立てなければならないのだろう。

 シヲンは血を吸う算段を立てている自分に嫌気が差して、一面に広がる景色に視線を這わせた。吸血鬼でもあるシヲンには、ある意味避けられない生理的な現象がある。それをしなければ生きていけない、ということはない。実際シヲンは一度もしたことがない。


 それは性的欲求に似たもの。満たさずとも死ぬことはないが、ある時に耐えがたいストレスを感じさせる。しかし場合によっては酷い吐気や頭痛、眩暈に手足の痺れなどを感じさせるときもあった。

 半年ほど前から症状の悪化が進んでいる。まるで自分自身の身体に催促されているかのようだ。

 ドーリにさえ打ち明けていない症状。今晩、それが起こる予感がして、シヲンは皆のもとを離れていた。


──くっそ。


 唐突に視界が暗転して、美しい夜景がかすんだ。皮膚の下を虫が這いずり回っているような悪寒が全身を駆け巡る。慌てて口元を右手で押さえて、シヲンはその場にしゃがみ込んだ。

 奥歯をきつく噛み締めて、指が白くなるほど左手で固く拳をつくる。


 シヲンを襲ったのは、吸血鬼としての欲求。吸血行為だ。手足の指先まで血を欲しているような激しい渇望がシヲン自身を責める。

 血を吸えば楽になるのかもしれない。けれどもそれをするつもりは毛頭なく、この痛みや苦しみがなくならなくていいのだと思っている。死神が制約を満たす条件として、一人の少女の命を奪った。では吸血鬼はどうなるのか。ただ血を吸うだけで済むのか。

 またもや誰かの命を奪うことに繋がるのではないか、そんな恐れを抱く。と同時に、かつての過ちを罵るような嘲りの声が耳の奥に響く。


──お前では誰も守れやしない。


 まったくもってその通りだと思う。

 シヲンは身体を二つに折り曲げて、うずくまったままじっと衝動が治まるまで堪えた。

 ここぞとばかりにかつての過ちが鮮明な映像となって脳裏に蘇る。歩道に突っ込んでくるトラックの目の前にいた少女を突き飛ばし、身代わりになった自分。恐怖の混乱で騒ぎ立てる野次馬たち、目の前で泣く美しい少女。

 守ると約束した相手に守られる自分。腕の中で希薄になっていく少女の身体、止まらない光の流れ、前方で狂ったように踊る男。

 自分は人に褒められるような人間ではないのだ。他人の命を救って自分を殺し、約束を破り仲間を守れなかった。こんな自分がまた誰かを守りたいと思うことは、まったくもって愚かだと言わざるをえない。


 次第に弱まっていく吸血行為の欲求は、シヲンの体力を大幅に削ったあと一時的に安静した。次にくるときがいつになるのか分からない。それでも今回と同程度かそれ以上の衝動が全身を貫くのだろう。

 がっくりと力尽きたように床に倒れこむ。もはや体力の限界を迎えつつあった。


「大変そうだな、少年。いや、シヲンだったか」


 前触れもなく聞こえた声でハッとして視線を巡らすと、バルコニーに出るための扉の前にシーカー団長であるチトセがいた。室内の明かりを反射して桜色に光る髪が美しい。神原千歳、この世界ではチトセと名乗る女性こそ、トップギルド《シーカー》を率いるリーダーだ。

 チトセはカナの忠告を受けてなお着崩された服装のまま、シヲンに向かって歩いてくる。


「チトセさんですか。格好悪いとこ見られましたね」

「たしかシヲンは、職業が死神と吸血鬼だったな。今さっきのは吸血行為ができない欲求不満ってやつか?」


 なかなかに鋭いと思う。得意げな顔をするチトセは、シヲンの傍まで来ると手を差し伸べた。それを掴んで何とか立ち上がる。


「鋭いですね。そうですよ、さっきのは身体が血を欲しているんです」

「だったら血を吸えばいい。別に無理をして我慢することでもないだろ? 今すぐあたしの血を吸ってくれてもいいぞ。ん、なんだ、なんか条件でもあるのか?」


 チトセの話の途中でシヲンは首を横に振っていた。

 確かに条件はあるけれど、それがなくてもシヲンは血を吸うつもりはない。その行為でどれほどの危険を相手に強いることになるのかが分からない。


「まぁ条件はありますよ。血を吸える相手は聖女のみだそうです」

 

 実際のところ、聖女以外でも事足りるのかもしれない。けれども、この吸血衝動の原因の一つにシヲンが制約を満たせていないことも含まれている気がした。


「聖女だぁ? それってあれか? 生娘ってやつか。うぶでまだ男を知らない、あたしの獲物」

「……チトセさんって女の子好きですよね?」

「あぁ、好きだ。最近ロクな男がいないからなぁ。よっぽど女の子のほうがいい。まぁ、キャナとは団長、副団長の間柄だからな。なかなか物に出来てないけどな。そうかぁ、生娘かぁ」


 どうか生娘と連発するのをやめてほしい。せめて聖女と言ってもらいたい。そちらのほうが聞こえがいい。


「まぁ、生娘だったら、あたしも条件に当てはまってるし、キャナだって満たしてるぞ。どうだ、キャナとあたしならどっちがいい」


 そんな選択を迫るチトセがぐいと顔を近づけてくる。シヲンは乾いた笑いを続けて、一歩身を引いた。

 どちらの選択肢も魅力的だ。っとそんなことを思っている場合じゃない。


「血を吸うつもりなんてないですよ。てかこの話は、カナには内緒でお願いします」

「どうしようかなぁ~。お前がギルドうちに入るってなら、黙ってやらなくもないけどな」


 未だに決心がつかない故に、シヲンは決断を先延ばしにしてもらっていた。目の前でチトセは勝ち誇ったように口元を歪める。この時ばかりは美しいその顔も、悪魔が笑っているようにしか見えなかった。


「汚いですよ」 

「ふっふふ、弱みを握られたシヲンの負けだろ。さて、どうするんだ? あたしはシヲンが入るって言うなら、歓迎するぞ。てか、うちの連中はシヲンが入ることを確定事項だって考えてるしな。それにキャナがシヲンを気に入ってるからなぁ。入らないってなるとキャナは悲しむぞ? しかも今日はよく分からん鳥ヘッドも入ったしな。あいつはキャナに気があると見た。どうする? キャナが毒牙にかかるかもしれないぞ。というわけで、あたしとしてはシヲンに残ってもらいたい」


──どういうわけだよッ。


 まさかカナを守れとでも言いたいのだろうか。勘弁してもらいたい。

 チトセにはシヲンのかつての過ちを余さず話してある。仲間を守れなかったことや、リグレットで仲間を死なせたことも。それに死神と吸血鬼という職業についても簡単に触れてあった。


 もしこの誘いを断れば、カナに会う機会はめっきり減るのではなかろうか。出来ることならそれは回避したい。そんなことを望む資格など自分にあるわけないのだが。

 シヲンは溜息まじりに口を開いた。


「分かりましたよ、チトセさん。ギルドに入団しますよ。その代わり、カナには血の話は内緒でお願いします」

「ふむ、よろしい。あたしは口が固い方だからな、安心しろ。キャナには言わないさ」


 シヲンはチトセの目をじっと見据えた。そこに強い光が宿っているような気がして、確信する。この人は言わない。根拠はないが、意思の強さを感じた。


「んじゃあ、あたしは中に戻るっかな。シヲンはもう少しここで休んでけ。なんなら食べもん持ってこようか?」

「お気遣いありがとうございます。けど、結構ですよ」

「ん、了解」


 チトセは満足げな笑みを浮かべながら、バルコニーにある扉の方へと歩み寄る。ドアノブに手をかけたチトセは、そこで立ち止まると振り返ることなく中へと戻った。

 シヲンはその後ろ姿を見送ると、身を翻して夜景の景色へと視線を向けた。空の星の輝きを真似たような光景は、幻想的でこの世のものとは思えなかった。

 本当にこの決断でよかったのか。そんな疑問を暫し頭の隅に追い遣った。




「というわけでキャナ。お前は知らないってことになってるから、聞いてないフリしろよ」


 建物の中に戻ったチトセは厳しい顔つきで、扉の前で耳をそばだてていたキャナに忠告した。キャナは終始無言だったが、何度も何度も首を縦に振った。


「キャナ、シヲンをちゃんと守ってやれ。あのまま放っておいたら、あいつはいつかきっと死ぬぞ」 


 これまで幾人もの死を見てきた者の言葉は、いやに重々しく現実的に聞こえた。


「私が絶対、守ります」


 キャナの眸を覗きこんだチトセは確信する。

 キャナのその決意を。

 まったくもって二人はお似合いだと、チトセは思った。


──にしても、厄介な連中ばかり集まるもんだ。



「うん、なかなか似合ってるぞ。にしても、オレの見立ては間違ってなかったな。手柄はキャナに持ってかれたが……」

「もういいですか? ダンゾウさん」


 シヲンは自画自賛中のダンゾウに問いかけると、返事を待たずに身体を解し始めた。

 今まで着ていた赤錆色の外套の代わりに支給された戦闘装束に身を包んだシヲンは、鏡に映し出された自分を見つめた。基本、シーカーでは服装は自由であるらしい。そのためダンゾウやレンは各々の好みの格好をしている。団長のチトセなどはその代表的な例だと言えよう。しかし中にはカナのように真面目に制服を着ている人間もいる。


 シヲンに渡された上着は、色はカナのものとお揃いだったが、背面に大きめのフードがついており、前はジッパーで留めてある。まるでパーカーのようだ。はいたオリーブグリーンのミリタリーパンツの腰周りに三本もベルトを巻いて、そこにアインズとツヴァイダを差す。

 視線を左手の甲に落とせば、色の落ちないインクでスタンプが押された図柄が存在した。横を向いた隻眼の赤い狼の絵。その背景には剣も描かれている。


「うんうん、これでシヲンも晴れてギルドの一員だな。お前の過去に何があったか、オレは聞くつもりはない。だから、あまり気後れするなよ」


 ダンゾウは厳めしい顔には不釣合いに破顔すると、シヲンの背中をバシバシと叩く。背中がヒリヒリと痛んだ。


「シヲンさん、仕度が整ったんですね。うんうん、よく似合ってますよ」


 部屋のドアが開くと、レンがその隙間から顔を覗かせた。シヲンを見たその表情がたちまち明るくなる。

 ダンゾウが得意そうに胸を張る。


「どうだ? オレの見立てもあながち悪くないだろ」

「はい、確かに。って、話してる場合じゃないですよ。ほら時間を見てくださいよ。そろそろ時間です」

「ふむ、そうか。それじゃあシヲン。あとはレンに案内してもらってくれ」


 シヲンの手を掴んだレンは、嬉しさを押さえられないように笑みをこぼす。シヲンも頬が緩む。二人して部屋を出ると、廊下の先にいた人影が手を振ってきた。隣でレンが呆れた顔をつくる。


「キャナさん、何でまだいるんですか? 先に団長のところに行ってるんじゃなかったんですか」

「いいじゃん、細かいことは気にしないでよ。うんうん、シヲン似合ってる」


 そう言いながらキャナはシヲンの空いてる手を握ってくる。


「全く……。それじゃあ、一緒に行きましょうか」


 レンの言葉を合図に、三人は団長が待っている場所へと向かい始めた。

 ホロウの中心に存在する古城の中庭が目的地であるらしい。多くシーカーの実践訓練場として利用されるそこで何が行われるのか。何となくシヲンは察しがついた。

 建物から出るまで他のギルドメンバーに遭遇することはなく、ギルド本部の過疎化具合が妙だった。


「どうして他の人たちはいないんだ?」

「みんな各地を回ってるからね。主にタブー攻略への参加を取り付けるためか、闇ギルドの情報収集ってとこ」


 カナが眉を下げて困り顔をする。表情から事が上手く運んでいないのだろうと思えた。もはや自分とは無関係なことではないのだ。同じギルドのメンバーとなったシヲンは、身を引き締められる思いがした。

 闇ギルド、あのロンリークラウンも同じ分類に属する。本来であれば同じ志をもって元の世界へと戻ろうと考えていただろう人間に何があったのか。そんなことを知る由はない。今分かっているのは、もはや彼らは敵としか言えないことだ。

 早朝の通りはまだ人気が少なく、例のような突き刺さる視線を感じる機会はなかった。頭上に広がるのは雲のない青空だ。リグレットとは正反対の天気。随分と長い間、空の青さを忘れていた。


「遅いぞ、二人とも。って何でキャナも一緒にいるんだよぉ」


 古城の中庭に辿り着くと、チトセが頬を膨らませていた。その隣では半泣きのリョウが地面に仰向けで倒れている。せっかく着替えたギルドの制服が土に塗れて汚れている。いったい何があったのだろうか。想像するのも可哀想に思えた。


「さぁ、何ででしょう」


 シヲンの隣でキャナがとぼけた顔で言う。シヲンとレンは苦笑した。

 視線の先でチトセがますます不服そうに口をすぼめると、シヲンの方を見て悪戯っぽく目を光らせた。


「はぁ、キャナがシヲンを好きなことはよぉく分かった」

「うッ。私は副団長として、シヲンに道案内をしようと──」

「んじゃ、シヲンが好きじゃないのか?」

「うぐッ」


 カナが喉にものを詰まらせたような声を出した。心配して顔を覗き込めば、苦しそうに奥歯を噛み締めている。シヲンの視線に気づいたカナが急速に顔を赤らめて顔を背けた。


「うんうん、青春だな。いいなぁ、あたしも青春したいぞ。まぁそれはおいといて、シヲンちょっとこっちこい。それと腰に差してる剣はレンにでも預けておけ」


 急に呼ばれてシヲンは自然と身構えてしまった。チトセの足元で惨めに転がされているリョウの姿を見れば、誰だって警戒するのではないか。


「ほら早くしろ」

「シヲンさん、頑張ってください」


 レンがシヲンの背中をポンと叩く。何故か同情されている気がした。

 シヲンは諦めて腰の剣をレンに渡すと、チトセが待つ中庭の中央へと向かう。


 年代を感じさせる苔むした城壁に囲まれたこの場所は、幾年も練習場として利用されてきたらしい。城壁には剣で抉られたような線が幾重にも重ねられ、地面は踏み固められて雑草さえ生えていない。数本の広葉樹が休憩のために陰を提供してくれているだけだ。


「これからお前の実力診断をしまぁす。異論は認めないぞ」


 やけに明るい声でチトセが宣言した。


「組み手ですか?」

「それもいいが、今回は武器ありだ。ほら、この木剣を使え。例の鎌は出すなよ」


 チトセがシヲンに木剣を投げ渡す。


「出しませんよ。んじゃ、団長の実力を見させてもらいます」


 シヲンは木剣を軽くニ、三度振り回して感触を確かめる。刃渡りはアインズとツヴァイダに近い。間合いに関しては問題はないだろう。あとは、チトセの実力がいかなものか。

 気づけばリョウはレンとカナによって、近くの木陰に移動させられていた。さすがにリョウの二の舞にはなりたくない。


「相手の両膝を地面につけるか、木剣を手から弾いて戦う手段を奪ったら勝ちな。んじゃ始め」


 緊張感の欠片もないチトセの宣言が余韻を残すうちに、シヲンの目と鼻の先にチトセが肉迫した。反射的にシヲンは上体を引いて、チトセの一撃を躱した。木剣が地面を削り、砂埃を昇らせる。


──早い。それに一撃が重い。


 やはりトップギルドの団長は一筋縄ではいかないようだ。動作にスキがなく、こちらに反撃の機会を与えてくれない。シヲンは繰り出される斬撃をかろうじて捌く。空間をシヲンごと薙ぎ払う一撃を木剣の腹で防ぐたびに、柄を握る手がジリジリと痺れた。


「どうしたぁ? リグレット最強の戦士の実力はこんなもんかぁ」


 チトセはまるで少しも疲れていない様子で、休むことなく攻め立ててくる。その動きに乱れはない。


「挑発には乗りませんよ」


 シヲンは後ろ向きで地面を蹴り上げた。防戦一方の状況を打開するには、どこかで攻めに転じなければならない。このタイミングでシヲンが攻撃に転じることは予想外だったらしく、チトセは目を丸くした。が、すぐに面白がるように不敵な笑みを浮かべる。


 これまで何十体もの魔物を狩ってきた。人間の動きを視認してから避けることの出来る動体視力と反射神経を養った。しかしチトセの実力は、今までの日々の努力や苦しみが無意味だったと思わせる。

 シヲンの攻撃を捌いたチトセが胴体を狙って木剣を振るう。木剣で攻撃を防ぐと、転瞬、チトセが左手で拳をつくり殴りかかってきた。間一髪木剣を身体との間に差し込んで一撃を軽減させたものの、バキッという木が軋む音がした。


──なんでこんな怪力なんだよ。


 刀身が曲がった木剣を左右に振ってチトセを牽制すると、後ろに跳躍して距離をとる。

 頬を伝った汗が地面に染みをつくった。呼吸するたびに肺が痛む。剣柄を握る右手は麻痺したように感覚が鈍い。

 下唇をきつく噛むと、折れかけた闘争心を立て直す。


──忘れるな。


 誰も守れなかったあの日。強くなろうと心に誓った。あの日を繰り返さぬように、つらい日々を過ごした。忘れるな、その想いを綴った日記は今もあの日の後悔を覚えてくれている。

 こんなんじゃカナも守れない。自嘲的な笑いを口元に湛えてシヲンは木剣を構えた。

 深く息を吸って吐き出す動作を繰り返し、はやる気持ちを落ち着かせる。

 ゆったりとした動きで前進すると、チトセをしかと見据えた。攻めてくる予備動作を見逃さない。チャンスは一度きりだろう。


「なんだぁ? 無策で接近するなんてつまらないことするなよな」


 チトセが鼻白んだ様子で、大振りに木剣を振りかざした。 


──すみません、団長。


 シヲンは声に出さず謝罪した。風を切って振るわれた木剣の刀身が容赦なくシヲンに迫る。斜め左から振り下ろされた刀身。シヲンはその軌道を計っていた。咄嗟に上体を右に捻って、間一髪で刀身を回避する。逃げ遅れた髪の数本が切り落とされて風に舞った。


 チトセが舌打ちした。歴戦の団長でさえ勝ちを確信していたのだろう。チトセの鼻を明かせたことに心のうちでほくそ笑む。反撃に転じられる前にケリをつけようと、シヲンは刀身の曲がった木剣でチトセの右手を狙った。武器さえ奪ってしまえばこちらの勝ちになるのだ。果たして木剣はチトセの右手を直撃した。が、パキッと軽快な音を上げて、折れていた刀身の方がくるりと宙に飛んだ。


「…………えっと、え?」

「惜しかったなぁ、シヲン。もうその剣じゃ戦えないよな」


 チトセがシヲンの頭を撫で回し、髪をくしゃくしゃにする。シヲンは刀身が半分になった木剣を見下ろした。これではまともに戦えない。自分は負けたのだ。その事実にその場にどさりと座り込んだ。


「もう少しだったですよ。剣が折れかけてなければ、団長に勝ってましたよ」

「そうだよ、シヲン。すごく惜しかったよ」


 観戦していたレンとカナがすぐさま駆けつけると、労わりの言葉をかけてくれる。それに励まされたが、ちょっぴり苦い思いが残った。結局負けたことに変わりない。


「なんだなんだ、お前らは団長のあたしへの賛辞がないのか?」


 チトセが不服そうに眉根を寄せ、口をへの字にした。


「団長は単に大人げないだけですよ」

「同感」

「んなッ」


 レンとカナの言葉でショックを受けたらしいチトセは、何故かシヲンを連れて行こうとする。カナが慌ててシヲンの手を握り、それを防ごうとした。


「どこ行くんですか!? シヲンは渡しませんってば」

「いいじゃんかぁ、キャナ。傷ついたあたしはシヲンに慰めてもらうんだよ」

「だから駄目なんですってば。私が認めません」


 チトセとカナに引っ張られているシヲンは、何も言い出せずされるがままだった。それを見守るレンは終始笑いが止まらない様子で、ちっとも助けに入ろうとはしなかった。

 その後チトセとキャナがシヲンを解放すると、皆でギルドへと戻った。

 リョウを置き去りにしていたことに気づいたのは、日がとっくに暮れた頃だった。その頃リョウはホロウの街を彷徨い続けていたらしい。


「オレを捜せよッ」


 シヲンがリョウの姿を見たのは日付が変わり、翌日の朝日を見た時だった。すっきりとした青空を背景に、疲れ果てた姿のリョウがなんとも哀れに思えた。






 シヲンとリョウがシーカーに入り一週間近くが経つ頃になって、いよいよタブー攻略への人員が揃ったという報告がチトセから伝えられた。


 攻略対象はファミッシュのタブー。長方形に切り取られた岩を積み上げて造られた巨大な遺跡だ。遠目からはその遺跡の形が人型であることが容易に分かる。頭部にあたる部分には目と鼻、口も造りこまれている。いったいどんな技術を使えば岩を高く積み上げられるのか。ファミッシュのタブーでは、高さが最大で五〇〇メートルほどになるらしい。内部は複雑な迷宮を成していて、一度入り込めば迷うことは必至だと言えよう。多くの魔物が迷宮内を徘徊していることも分かっている。

 攻略に関しては、万全の準備を整えていっても無事に帰ってこれるか分からない。

 それでも残るタブーは三つ。期日が迫る状況で、タブー攻略をやめることは出来ないのだ。







 ギルドでの生活に追われる毎日は、つらいものもあったが大半は楽しいことばかりだった。カナに仕事を教わりながら、時にはリョウと共に切磋琢磨した。過去の後悔を忘れる時間が多くなった。それはいいことだったのかもしれない。過去に囚われず、今を見て生きていけるのだから。

 けれども、いつまでもそうはいかなかったらしい。

 シヲンは忘れていた。彼らの存在を。忘れてはいけなかった。そもそもリグレットを離れるべきではなかったのかもしれない。


 日常の崩壊は、タブー攻略が決まった日の夜に始まった。


 シヲンがもつマナクリスタルが淡い輝きを放ち、ドーリからの連絡を知らせた。けれども、通話の相手はドーリではなかった。


『おい、死神。聞いとるかぁ? ワイのことを忘れたとは言わせんで。今なぁ、おぬしの友達を連れとるんやが、名前をドーリって言っとったか。──旦那、おいらのことは気にするな。キャナさんを守ってくれ』

『──うるさいヤツやな。ほな、こいつを助けたかったら、ワイが指定した場所に来い。ケットライダースの元アジトに転移水晶を置いておくで。せやな、タイムリミットは明日の昼までにしとこか。さいなら』


 それはシヲンに突きつけられた選択だった。

 


 

 


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