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10000分の1の備忘録  作者: あきの梅雨
少女は孤独に血を捧げた
16/27

《Hollow Night》

 順調に遅れ気味です。

 では、どうぞ。

 再会を誓った想いさえ 日々の苦痛にかき消され

 思い出の場所は 高層ビルの下敷きに

 虚勢を張って自分を立体に見せた

 日常の雑踏で君の姿を探す



 いつか忘れるその時を待っていてくれ。それまでは悪いが、この記憶の中で生き続けてほしい。なんとなく格好いいことを思ってみたが、後から自分を恥ずかしく思ったシヲンはきまり悪そうに後ろ頭を掻いた。

 記憶に残っていれば成仏できない、ガラッカスのそんな言葉を思い返す。


 シヲンはガラッカスが息を引き取ったであろう場所に、菊によく似た花の束を供えた。 

 黄と白の二色の花びらが朝日を吸って明るく光る。

 魔物によって見る影もなく破壊された街並みの中で、花の置かれた場所だけは穏やかに映った。


──リューン。お前のこともまだ忘れられそうにないよ。


 いつもであれば上空を旋回する赤い影が、今日はどこにも見当たらない。水平線の向こうにさえありはしない。もうこの世には存在しないのだ。


 眸を閉じて、彼らの冥福を祈る。

 暫しの黙祷。微かな風、周囲での人々の活動の音が大きくなる。

 彼らと過ごした日々が走馬灯のように脳裏に思い浮かぶ。

 ふいに背後に近づく足音が紛れ込んだ。


 シヲンはゆっくりと目蓋を上げると振り返った。


「よくここだって分かったな、カナ」

「ドーリさんたちからシヲンの行き先を聞いたからね。もうみんな待ってるよ」


 ギルドの制服である戦闘装束に身を包んだカナは、問うような視線を寄越した。

 濡れた眸の奥で、本当にリグレットを離れていいのか、と訊ねていた。実際のところ、それについての答えをシヲンはまだ出せずにいる。


 別れか、共に歩むか。


 その決断をするのが恐かった。

 カナを守りたいと思う。その気持ちは日増しに強くなっている。それでも過去の罪が警告してくるのだ。耳元にこびり付いて離れない声は、シヲンの決断を鈍らせている。

 それでもカナに頷き返し、シヲンはドーリたちが待つリグレットの入り口へと向かい始めた。ここでクヨクヨとしていても何も始まらない。そう自分に言い聞かせた。


 病院を退院したばかりのシヲンは歩くのも億劫で、見かねた様子のカナが隣で寄り添うようにして支えてくれる。

 それが少し嬉しくて、かなり気恥ずかしかった。

 カナがシヲンの背中に手を回す。密着する肩が互いの体温を伝え合う。

 すぐ近くから盗み見たカナの横顔はやはり綺麗で、シヲンは自分の顔が赤くなっていないか不安で仕方がなかった。


 二人が暫く歩いて辿り着いた場所には、ケットライダースを含めた大勢の人々が待ち受けていた。まさかこんな大勢が待っているなど、誰が予想しただろうか。シヲンは驚きを隠せず、その場に立ち尽くした。隣でカナがそんなシヲンの様子に笑みをこぼす。


「シヲンはたくさんの人に好かれてたんだね」


 カナの言葉に、シヲンは自嘲めいた笑いを浮かべた。

 自分はなんて馬鹿な人間だったのだろうか。もっと素直に生きておけばよかった。


 集まった人々の顔を見渡せば、こちらに手を振っているニャオの姿が見つかり、そのすぐ後ろに父親であるジンの姿も見えた。

 近くにはシヲンが守った幼い少女が父親らしき人物と肩を並べていた。少女は人々の集まりから抜け出してくると、まっすぐ向かってきた。


「お兄ちゃん、ありがとうッ。それとね、これを拾ったの」


 シヲンの目の前にまで来た少女は、感謝の言葉とともに何かを差し出してくる。

 腰を落として視線を低くしたシヲンは、少女が握る物の正体を理解した。

 小さな青い兎の人形だ。

 首から吊るしていた紐からいつのまにか外れてしまっていたらしい。それを少女は見つけてくれていたのだ。スムーザの街からシヲンが持ってきた数少ない思い出の一つ。

 後悔と絶望、哀しみを吸ったような青い人形をシヲンは受け取った。


「ありがとう」


 満足そうに屈託のない笑顔を見せる少女に、自然と口元が緩む。

 隣でカナが不思議そうにシヲンの手元を覗き込んだ。


「その人形って、シヲンのもの?」

「あぁ。俺が手放せなかった、思い出の一つだよ」


 シヲンの言葉にカナは息をのんだ。シヲンは首に吊るしたマナクリスタルの隣に、この人形を並べた。何を言えばいいのか窮しているカナに笑いかけると、


「ほら、いくぞ。んで、俺はどうやってホロウにまで行けばいい?」


 カナはハッと我に返ったように慌てると、懐から紙包みを取り出してみせた。

 包まれた正体が露わになると、そこには小さな黄緑色の水晶の欠片があった。


「これは記録用水晶だよ。ホロウのマナクリスタルの位置情報が記憶されてるの。これをシヲンのマナクリスタルにあてがってみて」


 カナに言われるままに、受け取った欠片と首もとのマナクリスタルを触れさせた。

 カチッと火花を散らして、欠片が閃光となって消えた。

 これで終わりであるらしい。なんともあっけない。

 視界の隅でカナが妙にそわそわしているのが見えた。


「どうした? カナ──」

「えいッ」


 シヲンの言葉が言い終わる前に、カナが自身のマナクリスタルをシヲンのものと触れ合わせていた。接触と同時に両方の水晶が温かな光を灯した。

 完全にふいを突かれた。シヲンは慌ててマナクリスタルを掴み上げ、視線を落とした。

 水晶からホログラムのような映像が溢れ、そこにカナの旅人としての情報が記録されていた。シヲンの知る数少ない連絡先の一つにカナは加わった。


 ここで初めてキャナの職業が《魔導騎士》であることを知った。


「ごめん、怒らないでよシヲン」


 どうやら機嫌を損ねているように見えたらしい。カナを安心させるために、首を横に緩く振って笑いかけた。


「別に怒ってないよ。ただ、驚いただけだよ」

「ほんとに?」


 それでもまだ不安であるらしく、カナは上目使いでシヲンの様子を窺ってくる。そんな仕草一つ一つが可愛らしくもあった。ついつい視線で追ってしまいがちなのを制すと、シヲンはくるりと踵を返して転移門へと足を向けた。


 リグレットの誇りであるマナクリスタルの門。その荘厳な造りに暫し目を奪われたあと、その前に立つ友の元へと近づいた。

 黒い毛並みの猫族の男はいつもと同じ半袖短パン姿で、寂しそうな顔をしたあと満足げな笑みを浮かべた。


「じゃあな、ドーリ。行ってくるよ」

「向こうでも達者でやってくだせい、旦那」

「いや、まだそうと決まったわけじゃ──」

「何言ってんだ、旦那。キャナさんを悲しませるようなことはすんじゃねぇですよ」


 ドーリは右手で拳を作ると、シヲンの胸板を軽く小突いた。

 シヲンは苦笑しながら肩を竦めた。


「分かってるよ。それじゃあ、行ってくる」


 シヲンに追いついたカナが右手を差し出してきた。その手を取ると軽く握りかえす。

 少女の手はとあるギルドの副団長というには柔らかく、戦いとは無縁に思えた。彼女が戦わずに済むような日常を強く望んだ。

 キャナとシヲンは転移門の前で足を止めると、互いの意思を確かめ合うように視線を通わせた。キャナが柔らかく微笑んだ。


「行こっか、シヲン」

「あぁ」


 二人は揃って門の下をくぐり抜ける。

 たちまち七色の光の顆粒が二人を包み込むと、跡形もなくどこかへと運び去った。

 あとに残された人々は、しきりに「ありがとう」と口にした。


 いまだかつて、彼らが死神の少年に対しこれほどまでの感謝の念を抱いたことはあっただろうか。

 いなくなってやっと、彼らは少年の存在の大きさに気づいた。

 ドーリはシヲンたちが消えた門の先をじっと見据えた。


「オイラも頑張らなきゃだな」


 シヲンがケットライダースのことを気にかけていることは分かりきっている。

 そのことがシヲンの決断を鈍らせている要因の一つであることもだ。

 だからこそ、ドーリに出来ることは、心配の種を減らすことに努めることだった。


「よぉーし、おめぇら。今日も一仕事するぞ」


 ドーリは威勢のいい声で、仲間に声をかける。

 見上げた空はいつもと同じ曇天だった。まったくもって、今日もいい天気だ。





 湿気を含んだ秋の風が、晴れ渡る空の下をどこまでも吹き抜けていく。しかしそこには、リグレットで満ちていた葉擦れの音がない。ざわざわと濁ったようなざわめきはなく、澄んだ風が隙間という隙間を吹いている。

 憂鬱な曇天は見る影もなく、蒼穹には金色の光が眩く輝く。柔らかな日差しは薄っすらと影を作っている。

 そして見渡す限り、一面真っ白な景色が広がっていた。


 美しき城砦都市、ホロウ。


 水と美の街とも言われ、その壮麗な街並みには誰もが息を飲むだろう。

 かねてより噂には聞いていたが、実際に目の当たりにした光景は言葉で上手く表現出来そうにない。それほどまでに美しい。

 巨大な湖の中央に浮かぶ小島の上に位置し、そこから見える景色だけでも十分目を瞠る美しさだ。特に夕日を映し出して、赤と深紫に染まりゆく水面が綺麗なのだそうだ。

 街の規模はさほど大きくはなく、リグレットと較べてしまえば一〇分の一程度だ。

 それにもかかわらず、ここにはリグレットのような猥雑とした光景は存在せず、どこまでも開放感のある街並みを形成していた。


 道の両脇に軒を連ねる商店も品揃えは豊富で、品の良さげな雰囲気を醸しだしている。そうした店を訪れる住人たちもまた垢抜けた様子だ。

 開放感のある街並みが象徴するように、ホロウでは治安は非常にいいそうだ。犯罪行為など年に数回程度らしい。

 華奢な尖塔を備える古城を中心として、それを同心円状に囲むように市街が続く。


 全てを白亜の花崗岩で精緻に造り込まれた街並みには、いたるところに緑の装飾が配され、美しいコントラストを織り成している。

 街には計四箇所城門が存在するが、そのうちの最大の門には、門をくぐり抜けて街に入るとすぐに巨大なマナクリスタルが存在する。

 天を目指そうとするかのように上に伸びる水晶の柱だ。エメラルドグリーンの輝きが、日の光を浴びて周囲さえも深い緑に染め上げる。


 やはりこの街でも、マナクリスタルは街の誇りであるらしい。マナクリスタルの周囲だけはとりわけえていた。

 マナクリスタルを保護する者は代々、守り人の役目であったが、ホロウではとあるギルドがその役を買っていた。

《隻眼の赤狼》と聞けば、多くの人が一つのトップギルドの名を思い浮かべることだろう。ホロウに拠点を置く、少数精鋭の旅人による集団、《シーカー》だ。



──にしてもなぁ。


 これはいったいどういうことだろう。


 キャナと肩を並べて歩くシヲンは首を捻った。通りを進んでいくと、カナに気づいた人々が必ず挨拶してくるのだ。ここではカナは広く顔を知られた存在であるらしい。

 挨拶をされるたびにカナも彼らに返事を返す。


 それだけならカナが人々に愛されているのだ、という話で済みそうなものだ。しかし、だ。シヲンは極力鈍感なフリをして、気づいていないように装った。カナに挨拶した人々が、その隣を歩くシヲンをまるで値踏みするかのような視線を向けてくる。


 いくら歩いても追い縋ってくる視線に、シヲンは街並みの美しさを堪能する余裕はなかった。

 シヲンの様子に気づいたキャナが、どうしたのか、と笑みを浮かべつつ訊ねた。

 その瞬間、シヲンの背中に殺気を含んだ視線が突き刺さった、ような気がした。


「い、いや。街が綺麗で驚いてるだけだよ」

「あはは。そう無理をしなくても大丈夫だよ。街の人たちはちょっと過保護すぎるんだよね。ここは私に任せて」


 住民たちの視線に気づいていたらしいカナは、シヲンの手を離してくるりと身を翻した。そういえば手を繋ぎっぱなしだった。カナの右手がシヲンの左手から離れた途端、殺気立った視線が半減した、ような気がした。まさかこれが要因だったのか。

 そして、これからカナがしようとすることに嫌な予感しかしなかった。どうか自重してほしい、残念ながらシヲンの願いは届かなかった。


「この人は私の大切な人です。なので皆さん、仲良くしてくださいね」


 カナの声が建物という建物、通りという通りに反響した。

 私の大切な人、とはどういう意味だろうか。シヲンはそんなことをふと思ったが、そんなことを考えている余裕はすぐに消えた。


──逆効果じゃん。


 殺気立った視線が倍増していた。

 品の良さそうな住民たちは一瞬にして変貌を遂げていた。

 シヲンは顔を押さえて嘆息するしかない。

 カナはこの失態に乾いた笑いを続けている。


「ごめん、シヲン。うん、まぁ、がんばろっか」

「……うん」


 この状況を打開することはもはや不可能であるらしい。諦めの表情を浮かべたカナにシヲンも同調した。

 こうなったらすぐにでも、シーカー本部へと向かいたい。

 その旨をカナに伝えようと口を開きかけたシヲンは、背後に感じ取った気配に反射的に振り返った。相手はシヲンの動きに気づいてその場で足を止めた。


 シヲンとキャナとの距離はほんの数メートル。はっきりと相手の顔が見える距離にいる。シヲンはここまで近づかれるまで相手に気づかなかったことに、内心悪態をついた。

 しかし、隣でカナさえも相手に驚いている様子から、相手が只者ではないのだろうと推測した。


 まず目に飛び込んでくるのは、真っ赤な髪をトサカのように逆立てた痩身長躯の男。どことなく鳥に似た顔造りに鋭い双眸、耳に開けたピアス。動物の毛皮を羽織り、腰には九本のベルトを巻いている。そこに吊るされた刀は少なくとも業物であるように見える。二の腕や脹脛には黄ばんだ包帯を巻いていて、頬にはいくつも切り傷が痕を残している。

 柄の悪い男にしか見えない人物に見覚えがある気がした。相手も眸を大きく見開いて、お世辞にも感動とは言いがたい再開に驚いているようだった。


「お前ッ、死神と吸血鬼とか抜かしたガキかッ!!」


 耳に痛い調子の高い声に、シヲンは内心毒づいた。

 こいつをどこで見たことがあるかを思い出した。晴れて旅人となったあの日、特異な髪色をしたシヲンに我先に話しかけ、逃げていった男だ。

 確かジョブを《バーサーカー》と言って自慢していた。どうやら無事に二年ほどの期間を生き残っていたようだ。


「シヲンの知り合い?」


 カナがシヲンとトサカ男との間に視線を通わせる。

 シヲンは表情が引きつってるのも構わず、首を激しく横に振った。


「いやいや、全然知らない人だよ。俺がこんなニワトリと知り合いだって思う? さすがに鳥類とは顔見知りじゃないって」

「そっか。そうだよね。いくらシヲンでも鳥さんとは仲良しじゃないよね」


 カナが大真面目な顔で言って頷く。

 さすがのシヲンも唖然として、横目でトサカ男の様子を盗み見た。男はどことなく泣き出しそうな表情になっていた。少しばかり同情してしまった。


「オレは人間だぁッ!!」


 とうとう男が声を張り上げて、自己主張してみせた。どうせならもっと早く、もう少し小さな声で言ってもらいたかった。

 男の様子に周囲から失笑が聞こえてくる。かえってこちらまで気恥ずかしくなる。

 シヲンはカナの手を取ると、急いでこの場から逃げ出そうとした。

 もう我慢の限界だった。

 シヲンに対する殺気立った視線は消えてくれていたものの、笑いものにされたくはなかった。


「おいッ、待てよ。オレをおいてくなぁ!!」

「……カナ。あれは無視だ」

「……うん」


 シヲンとキャナは努めて男を無視すると、シーカー本部があるホロウ中央区へと向かおうとした。どうなってるんだ。シヲンは思わず足を止めて、確かめるように目を凝らした。

 シヲンたちの行く手を阻んで、トサカ男が目の前にいた。幻覚などではなかった。

 これはもはや瞬間移動だ。

 ここにきて男は愉悦に歪めた表情を顔に掃いた。シヲンは舌打ちすると、カナの手を離した。その時には男が抜き放った木刀が目と鼻の距離に迫っていた。

 咄嗟に身を引いて木製の刀身を避けたものの、頬を掠めたらしく焼けつく痛みを感じた。


「いきなり攻撃とか、タチわる……」


 シヲンはうんざりした顔で男をじろりと睨んだ。それに対して男は鼻で笑うと、木刀の切っ先を向けてきた。敵対心を剥き出しにする男は、刀を納める気はないらしい。

 こちらは本調子ではないのだ、勘弁してもらいたい。誰かの支えがなければまともに動き回れない、シヲンの状態を知るカナが心底心配している。

 大丈夫だ、とカナに視線を送った。


「死神野郎に言われたかねぇな。キャナさんにどうやって近づいたか知らないが、お前は危険だ。キャナさんから離れてもらおうか」

「……こいつ、カナの知り合い?」


 シヲンの問いかけにカナは首を横に振った。

 どうやらこの男はカナのファンだと考えていいみたいだ。シヲンは溜息さえも出なかった。少しばかりイラついたことを認める。


「俺は素手で相手してやるよ。あんたの両膝が地面についたら、俺の勝ちな。そしたらカナのことは諦めろよ」


 男を指差してそう高々と宣告してみせると、シヲンは自分の言葉に気恥ずかしくなった。さすがにカナの顔を見る勇気はなかった。シヲンは両腰に佩いた刀剣を鞘ごと抜くと、カナに手渡した。

 カナからの声援を背中で受けながら、シヲンは男が待つ路の中央に戻る。


「はっは、お前フラフラじゃねぇか。いいぜ、その条件で。代わりにお前が両膝ついたら、オレをキャナさんとデートさせろよな。あぁそうだ、オレの名前はリョウ。バーサーカーのリョウだ。んじゃ始めようぜ」

「別に名前聞いてないし……」


 かってに自分を賭けに出されたカナがブツブツと文句を垂れていたが、リョウはもはや戦闘を始めていてシヲンに肉迫しつつあった。


「くッそ」


 シヲンは足をもつれさせながら、後方に小刻みに跳躍する。リョウはぴったりとシヲンの動きについてくる。まるで瞬間移動しているかのように俊敏な動きだ。かなり厄介な相手であることは間違いなかった。

 リョウが条件に提示したカナとのデートの話を聞いた人々が、一時的であるだろうがシヲンに声援を送っている。あんな鳥野郎よりは小っさい童顔少年の方がまだマシ、そんな心の声が聞こえてくるようだ。


 木刀が右左と振り払われる度に、空気を切り裂いてビュンと鳴る。シヲンは回避するだけで反撃の機会を得られない。いつの間に抜いたのか、リョウの両手に木刀が握られている。


──こいつ扱いに慣れてる。


 一太刀を避けると続けざまにニ撃目が繰り出される。それを躱しきれず、シヲンの肌には切り傷が増えていく。光化した血が僅かに宙に舞う。


「おらおらおらおらおらッ!!」


 休みなく繰り出される剣技は、目にも止まらぬ速さで空間を切り裂く。

 後退することでそれらを避けていたシヲンだったが、リハビリすら満足に行っていない身体には限界があった。足が交差して体勢を崩す。

 視線の先で、リョウが勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 負けたくない。 


 シヲンは右手を地面につくと、それを支えにして身体を捻った。右半身を引いて左足を蹴り上げる。勝利を確信していたリョウの右手の木刀の刀身を見事蹴り飛ばした。

 リョウの右手から抜けた木刀は宙で回転しながら、二人から離れた場所に落下する。


「まだッ」

「もらったぁッ」


 リョウが左腕を振り下ろした。シヲンは左足の蹴りからの流れで、身体を地面に水平に回転させるように右足で蹴りを放ってみせた。

 木刀がシヲンの髪を掠めて僅かに切り落とし、シヲンの右足はリョウの右脇腹に直撃した。

 衝撃にリョウが息を詰まらせる。木刀を手放したリョウは、石畳の上を無残に転がった。


「がっはぁッ。……な、なんだよ。お前、つえぇ。ッ、おいそれ。なんで髪の色が戻ってんだよ」


 リョウが腹を押さえて顔を上げると、シヲンの髪を指差して呟いた。

 二人の間を吹きぬけた風が、切り落とされた銀色の髪を運んでいく。黒などない、純粋な銀色が陽光に煌く。

 シヲンは苦笑まじりのためいきをつくと、髪の毛先をいじった。


「この髪の色か? これは髪を切っても毛先だけ必ず黒になるんだよ。不思議だよな」


 周囲からシヲンの勝利に対する称賛の声や拍手が上がる。

 地面に倒れたままのリョウから離れると、シヲンは勝負の成り行きを心配そうに見守っていたカナの元へと向かう。


「よかった……。おつかれ、シヲン」


 カナはホッと息をつくと、シヲンに駆け寄ってきた。シヲンに対する周囲からの視線に再び殺気立ったものが含まれた気がしたが、今は苦にならなかった。カナの笑顔に目を奪われた。

 カナがシヲンの手を取って駆け出す。


「だいぶ予定が遅れちゃったよ。ほら、急ごッ」

「あ、あぁ」


 背後からシヲンたちを呼び止めるリョウの声が聞こえてきたのを無視して、二人はホロウの中央へと続く通りを駆け始めた。

 タンタンタンと石畳に響く二人分の足音は軽快で、希望に満ちているように思えたのは嘘ではないのかもしれない。

 青空からは柔らかな秋の日差しが優しく地上を照らしている。



「んで、何であんたがここにいんだよ」


 シヲンとカナは二人揃って首を捻った。目の前に立ち塞がる男が先ほどシヲンに敗れたばかりのリョウに他ならないからだ。

 いつのまに先回りされたのか、の前にどうしてここにいるのかが二人の疑問だった。


 シヲンはリョウから視線を外すと、その後ろに鎮座された建物を見た。まるで円柱の塔ような建築だ。白が基調の外壁にはライトグリーンが窓を縁取り、入り口を示している。目測で五階建てだろう建物の入り口の横に掲げられた看板には赤い狼が彫られ、その背景には剣も彫りこまれている。よく見れば狼は隻眼だ。この場所こそ、シーカーの本部で間違いなかった。


「そりゃお前、オレもトップギルド様に用があるに決まってんだろ」


 リョウがやれやれと肩を竦めた。と、今更気づいたようにリョウは、シヲンとキャナを交互に見た。その両目が驚きで見開かれる。


「もしかしてお前、キャナさんと付き合ってんのかよッ」

「ちげーよッ!!」


 シヲンは思わず大声を上げた。

 シーカーメンバーなのか、という質問を予想していただけあって、リョウの言葉に過剰に反応してしまった。言ってから恐る恐るカナの方に視線を向けると、無表情でじっと凝視されていた。


──え、なんで?


 シヲンはカナの様子にたじろいだものの、対処に困り果てた。リョウはシヲンの言葉を素直に受け取らず疑いの目線を向け、カナは不機嫌そうに黙りこくっている。

 どうしてこんな状況になったのだろう。全ては目の前のニワトリヘッドのせいなのだが、それを責めればカナがさらに機嫌を損ねそうな予感がした。

 そんなシヲンに助け舟が出された。


「アッ、キャナさんにシヲンさんじゃないですか。やっと到着したんですね」


 シヲンたちが通ってきた通りの方から聞こえた声に振り返れば、大きな紙包みを抱えたレンがいた。その足取りは荷物のせいでおぼつかず、見ていてハラハラとさせられる。

 シヲンたち三人は今までのやり取りを忘れ、レンが近づくのを見守った。


 やっとのことでシヲンたちの目の前まで到着したレンは、一息つくために抱えていた荷物を地面に降ろした。どさッと重量感ある音が鳴る。いったい中に何が入っているのか好奇心が芽生える。

 カナが袋の中を覗き込んだ。


「ねぇレン。何を運んできたの?」

「これですか? 今日はメンバーが増える記念すべき日ですから、みんなで盛大に祝おうって話になったんですよ。最近浮いた話が一つもないですからね」


 レンの言葉を聞いたリョウが得意顔で何度も頷いた。

 レンとキャナは話を途中で切り上げて、不思議そうな表情でリョウを見遣る。


「それはあれだろ? オレの歓迎会ってやつだな」


 皆の視線が自分に集まったのを受けて、リョウは鼻を鳴らした。どこからその自信が出てきたのかぜひとも知りたい。リョウに対する視線に冷たいものを感じていないのだろうか。


「えっと、どちらさまです?」


 とうとうレンが口にしたのはそんな疑問だった。


「…………え?」


 リョウが表情を強張らせたかと思いきや、暫しの沈黙の後に頓狂な声を上げた。


「オレのことを知らないって? え、マジで……」


 慌てふためくリョウからは、先ほどまでの自信が欠片も残っていなかった。思わず笑いそうになるのをシヲンは必死に堪えた。

 レンが何度も首肯する。


「えぇ、マジです」

「うっわぁーッ」


 途端にリョウが地面に倒れ伏した。悔しそうに石畳に拳を打ち付ける。意外と彼は演技派なのかもしれない。


「じゃあ、レン。結局誰の歓迎会なの?」

「それは決まってるじゃないですか」


 そう言うとレンがシヲンに対して意味ありげな視線を向けてくる。その目が妙にキラキラと輝いているように見えるのは気のせいだろう。これが羨望の眼差しだ、と思うほどシヲンは自惚れやでもない。


「──ちょっと待て」


 そこでシヲンはレンに待ったをかけた。

 つまりレンはシヲンの歓迎会、新しいメンバーのための祝いの準備をしていたという。けれども、シヲンはまだ決めかねているのだ。自分がいない場所で話が思いがけないほど先に進んでいたことに辟易しながらも、シヲンは事情を説明しようとした。

 それを妨害する人物がいた。


「なんだよぉー、キャナ。やっと着たのかー? あたしは待ちくたびれたぞぉ」


 シヲンはギルド本部の建物から姿を現した人物を見て目を丸くした。

 桜色の艶やかな長髪を揺らし、サファイアブルーの眸を前髪の間から覗かせた女性だ。一言で言えばかなりの美人だった。目の端がつり上がった鋭い目つきによって、容姿端麗というよりは眉目秀麗と言った方が合致しているように思える。

 すらりとした細身の身体で、ゆったりとした桃色の装束を着崩している。しかしそこにだらしなさを感じさせない。腰に帯を巻きつけて一振りの太刀をそこに差していた。肩やきれいな鎖骨のラインが露見していて、シヲンは咄嗟に視線を逸らした。


 一体この女性は誰だろう。カナとはまた違った華のある女性だが、その身体の内から常に闘志を燃やしているような気がする。


「団長はもうちょっとしゃきっとしてください。まず身だしなみがですね──」

「──おぉ、なんか可愛いやついんじゃん」

「聞いてないし……」


 ぐいぐいと急接近してくる女性に気圧されて、シヲンは半歩後退った。その前にカナが両手を広げて守るように立ち塞がる。


「なんだ、キャナ? 団長のあたしに楯突く気か?」

「団長にシヲンは渡しません」


 当事者であるシヲンを放置して、二人は互いに火花を散らしている。

 それをリョウが羨ましげに見守り、レンは見慣れているように落ち着き払い、シヲンは顔を押さえて溜息をついた。


 

 

 

 

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