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10000分の1の備忘録  作者: あきの梅雨
少女は孤独に血を捧げた
15/27

《Standing Alone》

 すみません。

 更新が遅れ気味です。

 

 執筆時間がだいぶ少なくなったので、これからも遅れる可能性が高いです。

 ドゥームドーザの生命力を侮っていたわけではなかったが、再生スピードの早さにこちらの攻撃が追いつけない。右の《ツヴァイダ》、左の《アインズ》で怒涛の斬撃を放ったところで、巨大ムカデの身体を三分の一程度までしか切り裂けず、瞬時に塞がれてしまう。


 ナパームフレアを放ち、頭部に着弾させてみたものの、外傷のみでおよそ内部にまでダメージを与えられたとは言い難い。

 堅牢な外殻を斬る双剣の斬れ味には目を瞠るものがあったが、この再生能力を前にしては苦戦を強いられている。


「くっそ、住民の避難も終わってないのに」


 西区では未だに住民が立ち往生していて、それを誘導する人々も多く残されている。そうした人々を庇いつつ、シヲンは四匹と戦うことを余儀なくされている。

 幸いにも、ドゥームドーザーがシヲンを標的に選んだために、住民への大きな被害は出ていない。


 何か忘れていないだろうか。自分は何かを見落としている気がする。

 ふいにそんな不安が胸を掠めて、シヲンの思考が鈍る。


 動きが緩やかになったシヲンに対して、ドゥームドーザーが飛び掛った。高々と飛び上がりそれを躱すと、追撃を許す前に逆手に握りなおした双剣をムカデの頭頂部に突き立てた。

 ジンとニャオによる二振りの剣は、易々と硬い外殻を突き破り、憐れにも虫類の中枢神経を破壊した。


 悲鳴もなくただ無言のうちに沈黙した魔物の上で、安堵の溜息をついた。

 やっと一匹を倒せた。剣を引き抜くと血の代わりに光が吹き出す。それを視認すると、ムカデの頭部から飛び降りて、瓦礫の間を縫うように走る。


 シヲンが駆け抜けたすぐ背後を残りのドゥームドーザーが追撃してくる。そのたびに巻き上がる砂埃が視界を悪くする。額に浮かんだ玉の汗が目に沁みた。


──ケットライダースはまだこないか。


 彼らもガラッカスの死の報告を今頃は受けているだろう。そしてシヲンが単身で戦闘していることもだ。きっと援護に急ぐはずだ。

 助けを期待しているわけじゃない。ただただ、どういうわけか。名前を知る相手の顔を一目でも見たかった。みんな生きている、無事だ、そんなことを確かめたかった。


 戦闘に関して言えば、メメント・モリを出せばもう少しは楽になれるだろう。

 それをしたくないのは、人のいる場所で使えばまた誰かの命を奪ってしまうのではないか、という恐れがあるからだった。

 もう二度と、人の命を奪いたくない。たとえどんな状況であったとしても。

 死神の自分には、特殊な能力も備わっている。たとえば、人の死を見たときに身体能力が強化される、などだ。けれども、もう人が死ぬ光景など見たくもない。だからこそ、ガラッカスの最後を看取らなかった。


 ガラッカスのこともいつか忘れるだろう。そのことに罪悪感を覚えつつ、シヲンは早くこの戦闘が終わってくれることを願っていた。


 周囲で人々の悲鳴が瓦礫の破砕音に共鳴する。恐怖に染まった叫びは耳に痛い。

 早く終わらせなければならない。早く、早く、早く。

 人々の悲鳴に煽られるかのように、シヲンの気持ちが急く。


 振り返った先で、ドゥームドーザーが禍々しい毒牙を大きく開いていた。露わにされた口内には粘着性の液体が糸を引いている。見るにもおぞましい光景だ。

 ドゥームドーザーの最大の武器は、あの強靭な顎肢だろう。毒腺を有した牙は、皮膚に触れただけで人が致死するほど危険な毒を分泌する。


 巨大ムカデが頭部をもたげたかと思いきや、身体全体をしならせてシヲン目掛けて猛進した。

 回避は間に合わない。咄嗟に反転するとともに両手の剣を回転の勢いで振り上げた。その瞬間、両手に確かな感触が伝わった。

 迸った光の粒が空中で淡く霧散する。ムカデの硬い外殻を切り裂くことに成功したようだ。だが、瞬きする間もなくシヲンの全身に衝撃が走った。圧迫によって肺の空気が全て吐き出され、脳を激しく揺さぶられる。


 視界はノイズが走ったかのように不鮮明になった。


「ごほぉッ」


 シヲンの身体は、毒牙を切り落とされたドゥームドーザーによって、高々と持ち上げられていた。気づけば左手の中に剣柄の感触がない。先ほどの衝撃で手放してしまったらしい。

 危険であるが、この状況を逃すわけにはいかないだろう。右手に残った剣柄の感触を確かめるように手に力を込める。


 シヲンはどうにかドゥームドーザーの頭部にしがみついた状態で、右手で剣を逆手に握るとがら空きの後頭部に突き刺した。その途端、激しく暴れる魔物の身体からシヲンは振り落とされる。まずい、この高さから落ちればさすがに無事に済まないだろう。


 空中で腕をばたつかせて、何か掴めるものを求めた。かろうじて右手がドゥームドーザーの脚に触れ、その機会を逃さぬように手に力を込める。

 掌と硬い外殻との間で酷く摩擦が起こる。掌が擦り剥けて血が滲んだ。焼け付くような鋭い痛みを感じたが、奥歯を噛み締めて堪えた。


 シヲンの落下は徐々に緩やかになり、とうとうしまいには宙で止まる格好となった。

 頭を貫かれたドゥームドーザーが、身体を仰け反らせたまま横に倒れ始める。シヲンは左手でもムカデの脚を掴むと、衝撃に備えた。

 ズシンと全身を揺らす衝撃が走り、シヲンは耐え切れず地面の上に振り落とされた。粗く削られた地面を転がったあと、砂利の混じった唾液を吐き出して立ち上がる。


 残るドゥームドーザーは二匹だ。

 シヲンは駆け出すと、先ほど倒したばかりの巨大ムカデの頭部からツヴァイダを抜き去る。光がその刀身から光芒を描く。

 少し離れた辺りに、瓦礫に紛れたアインズの姿を確認すると、残るドゥームドーザーの追撃を警戒しながら駆け寄った。


「はぁ、はぁ……。あと二匹か。まったく、休ませてはくれないよな」


 視界の端で二匹のドゥームドーザーがほぼ同時に身構えた。一斉に飛び掛る算段らしい。

 どうか勘弁してほしい。もうすでに限界が見えているのだ。


 疲労によって、戦闘中にもかかわらず睡魔が襲ってくる。下唇をきつく噛み締めて、痛みで眠気を誤魔化した。荒い息遣いが自分のものではないような錯覚を覚える。

 一瞬、視界が霞んだ。疲労だけではないらしい。どうも毒気にてられたようだ。吐気に似た胸焼けを感じ、ふらつく足元に冷や汗を掻く。

 鼻の奥に沁みるような刺激臭を感じ取り、外套の袖で口元を覆う。気化した毒が漂い始めているらしい。

 ますます早く終わらせなければならなくなった。


 満身創痍のシヲン目掛けて、二匹の魔物が一斉に迫る。雪崩のような轟音を引き連れて、砂埃を纏った巨大ムカデがシヲンに近づいてくる。立っているのもやっとなシヲンは、途切れ途切れの思考のうちにナパームフレアをドゥームドーザーのすぐ前方に放った。


 劫火は巨大ムカデの眼前の地面に着弾し、瞬時に爆発炎上。熱風と濃煙がシヲンから方向感覚を奪い去る。それは巨大な魔物であっても同じことだった。


 シヲンの姿を見失ったドゥームドーザーが当てずっぽうに煙の中から飛び出してきたのを、シヲンは危なげもなく躱すとその頭部に横から剣を突き刺す。斜め下方から進入した刀身は見事に魔物の脳を破壊した。流れるように剣を抜き取ると、左右に視線を巡らした。


 残る一匹は熱から逃れるように頭を高々と持ち上げて、上空からシヲンを見下ろしていた。シヲンの位置を確認した魔物が不規則に顎肢を開閉させて、まるで舌なめずりしているかのようだ。その姿に生理的嫌悪感を抱いた。


 シヲンは逃げ回るのをやめて、上半身を右斜めに捻った。両手の剣を後ろで構えた格好で、ドゥームドーザーが飛び込んでくるのを待ち構える。

 両者はどちらからともなく動いた。


 ドゥームドーザーは全身をまるでバネのように跳ねさせて、シヲンに突貫した。

 シヲンもほぼ同時に身体を左に回すように引きつつ、両腕の剣を振り回した。

 ザク、という濁音とともに、ドゥームドーザーの頭部が縦に真っ二つに割れたのが見えた。死に絶えた魔物はシヲンを飛び越えて、後方の瓦礫の山に飛び込む。

 シヲンは慌てて魔物の胴下から飛び出すと、地面の上を転がった。剥き出しにされた地面は固く、鈍い痛みを覚えさせた。振り返ってみれば、もはや動くことはなくなった魔物がさっそく光化を始めたところだった。


 よかった。

 どうにか生き残れた。

 安堵の溜息とともに全身の緊張が解れる。その油断はたいていの場合、命取りに繋がるのだった。


 前触れもなく、シヲンの足元が激しく上下左右に揺れた。咄嗟に地震かと思ったが、リグレットで地震が発生するなどこれまで聞いたこともない。

 揺れでまともに歩けないシヲンは、それでも危険を感じてこの場から離れようと思い立った。だが、それは叶わなかった。


 シヲンの足元がドーム状に盛り上がったかと思いきや、爆ぜて中から金属光沢を放つ魔物が飛び出した。

 完全に対応が遅れたシヲンの胴体に対して、容赦ない衝撃が駆け抜ける。


「がはぁッ……」


 吸血鬼としての動体視力、反射神経によってかろうじて毒牙を避けたものの、その突進自体を回避するには至らなかった。

 あまりの衝撃に息が詰まり、呼吸が出来なくなる。全身に激しく叩きつけられた一撃によって思考が白紙にされる。


 シヲンは自分が誰なのかも忘れ、その痛みに全てを支配された。

 突き飛ばされて見上げた空は、いつもの曇天模様だった。この場を満たしていた人々の悲鳴は聞こえなかった。落下の衝撃に備える間もなく、シヲンの身体は地面に激突した。


 全身の骨が砕けたのではないか、と思うほどの衝撃。すぐには立ち上がれないほどの痛みに、地面の上を転げまわった。

 このまま死んでしまってもいいかもしれない。自分は十分やった。みじめでも無様でもいい。忸怩じくじたる思いから目を逸らし、シヲンは独り死を望んだ。


──死んだら、他の皆はどうなる?


 ここにきて、シヲンの中で急速に膨れ上がる感情があった。それは見栄えばかりの仲間意識であったし、表面的な友好関係でもあった。それでも自分の死で、かりそめであったとしても仲間だった者たちが死ぬかもしれないことは、耐えられそうになかった。


 口内に滲む鉄の味が苦く、砂利と共に地面に唾を吐く。

 ヒリヒリと痛む頬から察するに、少々切れているらしい。擦り傷だらけの右手を伸ばして、手放した剣を掴む。全身が悲鳴を上げて骨が軋むのも厭わず、シヲンは立ち上がった。


 貧血気味なのか、立ち上がると軽く目眩を感じた。暗転しかけた視界を、数度の瞬きで元に戻す。

 剣を地面に突き立てて身体を支えた。そうでもしなければ今にも崩れ落ちてしまいそうだった。痛い、恐い、苦しい、逃げたい、助けて。弱気になってもいいじゃないか。駄々をこねる自分さえ、他人のように思えた。


 巨大ムカデの全身を震わす重低音の唸りが、頭上で響く。残るドゥームドーザーはこれで最後。完全に油断していた。五匹いるという話を聞いていたではないか。

 あと少しで終わりだ。だからどうか動けよ身体。シヲンの祈りを受けて、右腕が緩やかに持ち上がる。地面を穿いた刀身が抜けていく。


『おとぉうさぁんッ、おかぁさぁんッ』


 その叫び声は予想外だった。幼き少女の泣き声が、瓦礫の合間に反響する。

 ドゥームドーザーの注意がそちらに引きつけられる。魔物の視線の先で、一人の白族の少女が崩れた民家の中で泣いていた。両手の甲で溢れ出す泪を拭い、地面に座り込んで泣きじゃくる。

 その少女にシヲンの妹の姿が重なる。


──薫。


 急速に全身に活力がみなぎる。

 シヲンがこれほどまで動けることに驚きだった。地面を力強く蹴り上げて、少女の元へ走る。ほぼ同時に、ドゥームドーザーも少女に飛びかかった。


 何が起こったのかよく思い出せない。

 身体を突き抜ける異物の感触を覚えている。全身に駆け抜けた焼き尽くすような痛みが、シヲンの思考を奪っていった。

 眸を曇らせた魔物の頭部には、口内から進入した刃が飛び出していた。


 背後では、少女が悲鳴を上げた。その悲鳴が余韻を残すうちに視界の隅から、複数の男たちが現れると、少女を抱き上げて頭を下げた。


『あんたは娘の命の恩人だ。お願いだ、死なないでくれッ』

『誰か、医者をッ。早くしろぉッ』


 遠のく意識の中で、シヲンはたたらを踏むと、仰向けに倒れ始めた。ずるりと異物が抜け出す感触がした。視界には、血濡れた鋭牙の姿が映る。その切っ先から溢れた毒が、黄緑色の煙を立ち昇らせていた。


 あぁ、きっと助からない。

 それを理解した。別に哀しいなどという沈痛な感情を抱くことはなかった。

 ただただ、死ぬという事実を受け入れていた。

 ゆったりと時間は動き、人々の悲鳴が間延びされて聞こえた。この光景に何故か既視感を覚えていた。昔、コレと似た出来事がなかっただろうか。

 味覚、嗅覚、痛覚、あらゆる感覚が恐ろしく希薄なものに変わる。世界は瞬く間に、灰色一色へと転じる。


 思い浮かんだ薄い茶髪の少女の顔が、ぼやけてよく見えなかった。

 ほんの一瞬、胸の奥がちくりと痛み、哀しさを残していった。

 思い残すことはある。

 こんなところで死んではいけないはずだ。妹の薫を残して死ぬつもりか。

 しかし、それらがシヲンを勇気づけ、生にしがみつかせるには至らなかった。

 死はひっそりと、そして確かな足取りで、シヲンに歩み寄っていた。


「ありがとう」


 誰に対して告げたのか。シヲン自身にも判然としなかった。

 一目でいいから、カナに会いたかったな。結局彼女さえも守れないのだ。シヲンは自身の無力さに諦めの感情を募らせた。

 仕方がないだろう。これが限度だった。


──あぁ、どうして。


 後ろ向きに倒れていくシヲンの身体は、地面に触れることはなかった。


「お願いだから、死なないでよ」


 眸に泪を溜め込んで、舌唇を固く噛んだ少女がシヲンを抱き止めていた。

 酷く冷え切った身体にはとても心地よい体温を感じた。

 意識が途切れる寸前まで、握られた左手は確かな温かさを宿していた。


 あぁ、よかった。

 泣いてくれる人はいてくれた。

 そこで意識はぷつりと途切れた。

 何もない、何も見えない暗がりが目蓋の裏にずっと続いていた。



 いつか人は死んでしまう。永遠を生きることは出来ない。

 それを理解したから、人は死を無性に恐れた。

 でも、永遠を生きることは楽しいだろうか。どこかで飽きてしまいそうだ。

 もし死ぬ日が来たとして、その最期はラクなものがいい。

 痛い思い、苦しい思いをして死ぬのはまっぴらごめんだ。


 あぁでも、今更かな。

 天国なんてなくていい。ただ静かに眠れる場所があればいい。

 そんなことを率直に思った。

 あぁ酷く眠い。このままずっと眠り続けていたい。


──まだまだ、ガキンチョだな。


 ふいに耳の奥に聞こえた声は、どこか馬鹿にしたように語尾が笑いに震えていた。

 にもかかわらず、胸が締め付けられる懐かしさを感じた。

 どうかこれが夢でないように。そう切望していた。


 瞼の裏に光を感じた。懐かしい声を聞いた気がした。鼻腔に微かながらも薬品の匂いが満ちる。

 全身の感覚が覚醒して、骨の軋むような音がする。

 乾いて張り付いた喉の奥から、亡者のような声が上がる。うっすらと開けた眸に、傍に置かれたランプのおぼろげな光が入り込んだ。

 どうやら外は夜らしい。正方形のこぢんまりとした白い部屋に備え付けられた窓には、憂鬱な曇天が一層暗くした景色が広がっていた。


 シヲンは瞬きを数度繰り返してみた。窓辺に誰かがいた。ランプの灯りがその顔に影を落とし、誰なのか判断出来ない。一瞬、ガラッカスだと願ったが、どうやら違ったようだ。


「旦那、目を覚ましたんですね。良かった……良かった」


 ドーリが目尻を濡らして、感極まったように声を震わせた。


「誰も……守れなかった……。俺はホントに弱い。俺に関わって、みんな死んでく」


 何かを言おうとしたシヲンの口から出たのは、そんな後悔の言葉だった。反吐なんかよりも汚らしく、恥じるべき言葉があふれ出した。


 ドーリが低く呻いて、顔を押さえた。

 彼自身もどうすべきか対処に窮してしまっているのだろう。一年半という期間で、シヲンに関わった人間たちの多数が命を落とした事実は、覆しようもない。


 ドーリは意を決意したかのように顔を上げると、息を吐き出して口を開いた。


「そんな哀しいこと言わねぇでくだせい。旦那が眠ってる間に、たくさんの人が見舞いに来てくれたんですぜ。レッドラスト以外からもたくさん人が来てくだすった。そこに見舞いの品が置いてありますぜ」


 シヲンは白いベッドの上で首だけを回すと、部屋の隅のほうに次々と詰まれた品物の数々が見えた。その事実に胸がきつく締め付けられる。

 自分は孤独じゃなかった。彼らは単なる他人ではなかったのだ。

 分かっていたつもりだった。ただ認めたくなかった。失う恐怖と失った痛みと、守れない自己嫌悪から目を背けていた。


 シヲンは自分の心の弱さがどうしようもなく嫌に思った。


「ニャオさんとジンの旦那も見舞いに来だすった。二人とも被害地域の復興のために、レッドラストを暫く離れるそうですぜ」


 ドーリの言葉にホッと胸を撫で下ろした。

 彼らが生きていたこと、自分から離れてくれることからくる安堵だった。

 シヲンが上体を起こそうとすると、慌ててドーリがそれを制した。


「無茶すんな、旦那。旦那の傷は大方塞がってんですが、体内に入り込んだ毒が浄化し終わっちゃいねぇんです」


 どういうことだ。何故、傷が塞がっているのか。ドゥームドーザーの毒牙が身体を突き破った感触を思い出す。皮膚の下を這いずる猛毒の焼きつく痛みを思い起こし、両腕をさする。

 ここにきて、シヲンが生きている事実の異質さに驚愕した。


「なぁ、ドーリ。あれから何日が経った?」

「……一週間です」


 暫しの沈黙のあと、ドーリは口を開いた。

 なるほど、その間ずっと眠り続けていたわけだ。だとしても、どうして生きていられるのだろうか。

 その答えをドーリは知っていた。


「本当なら旦那は死んでたんだ。身体の損傷具合は手の施しようがなかった。オイラも諦めちまった。だけどな、旦那。キャナさんだけは最後まで諦めなかったんだ。あの人の魔法が最後に旦那の命を繋ぎとめたんですぜ」

「そっか……」


 ありがとう。こんな自分の命を救ってくれてありがとう。

 この場にいないキャナに対して、シヲンは感謝の念を抱いた。


「俺に彼女が守れると思うか? ユキナさえも守れなかった俺に」


 シヲンがユキナという名前を口にしたことに、ドーリは目を瞠った。


「守れるかじゃなくて、守らなきゃじゃねぇんですか? 失った痛みを知ってる旦那だからこそ、誰かを守れると思いますぜ」


 微笑を浮かべたドーリは退出しようとする。

 その背中に向けて、シヲンはありがとうと投げかけた。


──ありがとう。


 最近、感謝してばっかりだ。そんなことを可笑しく思った。





 ドーリはシヲンのいる病室から出ると、後ろで静かにドアを閉めた。

 シヲンの姿が見えなくなると、途端に涙腺が緩んだ。


「良かった……」


 はたして何がよかったのか。たくさんありすぎて、一つに絞れない。

 それでも一つだけ。シヲンがかつての仲間の名を口にしたことが、少なからずドーリの心を揺さぶった。

 旦那はかつての悲劇を覚えていてなお、過去を克服しようとしている。


「ガラッカス、おめぇの死も無駄じゃなかったな」


 ドーリはこの世を去った盟友に、そっと告げた。

 旦那の病室の前から立ち去ろうと思い立つと、視界に人影が見えて身を固くした。

 旦那に敵対意識をもつ人間は少なくない。


 腰に手を伸ばし、そこに吊るしてある短剣の柄に指をかける。目を細めて相手をじっと見据えた。発光水晶の深緑の淡い光が満ちる廊下の先で、女性のシルエットが深くお辞儀した。

 相手の正体を視認したドーリは、肩の力を抜いて軽く会釈した。


「キャナさんじゃねぇですか。これから旦那の見舞いですか?」

「はい。そうです」


 ドーリの傍に歩み寄ったキャナは、心配するような面持ちで頷いた。

 彼女に言うべきなのかもしれない。そんな思いがドーリの中で大きくなった。

 全てを知らせれば、彼女は旦那を避けるようになるかもしれない。

 それでも旦那の痛みを理解してもらいたかった。


 あとで旦那から罵声されてもいい。だからこの身勝手を認めてほしい。


「ちょっといいですか? キャナさんに話しておきたいことがあるんだ」


 それは全てを失った少年の話。

 孤独を知り、人の温かみを知り、失った絶望を与えられた物語。

 どうかこの話を聞き終わったとき、キャナさんが旦那を拒絶しませんように。

 それだけを切望した。



 目蓋を閉じれば、かつての仲間の顔が歪んで見えた。

 あぁごめん。もう君たちをはっきりと思い出すことも出来ないよ。

 いつかは完全に忘れてしまうかもしれない。

 それをどうか赦してくれ。


 シヲンはベッドの上で上体を起こした。身体にかかっていた毛布が衣擦れの音とともにずり落ちる。鉛のように重い身体で思うままに動けない。四苦八苦しながらも、シヲンは身体をベッドの縁に寄りかけた。


 カナに会ったら何と言おうか。

 まずは感謝の言葉を告げよう。で、その後は。

 もう自分に関わらないように、と言うべきだろうか。


 シヲンの思考を阻害するように、唐突にドアがノックされた。部屋にしつられられた時計の針が、夜の八時を示している。こんな時間に一体誰だろう。

 先ほど退室していったドーリが戻ってきたのかもしれない。シヲンは上体を起こしたままで、ドアの向こうの相手を待った。


 ギィィ、と軋んだ音を立ててドアがゆっくりと開かれる。

 ドアの向こうに現れた相手に、シヲンは暫し言葉を忘れた。

 何故か申し訳なさそうに表情を曇らせたカナが廊下に立っていた。息を吐き出すと、意を決意したように病室に踏み込んできた。


「もうこんばんわだね。身体の調子はどう?」


 何となくカナの様子がぎこちなく思えたのは何故だろう。

 シヲンは引っかかりを覚えつつ、頷いた。


「まだ節々が痛いけど、随分良くなってるよ。カナのおかげらしいね。ほんと、ありがとう」

「本当に良かった。良かったよ……」

「えっと……」


 目の前で泣き始めたカナへの対応に困り果てた。ここは男としてどう行動すべきだろうか。

 案が思い浮かばないまま、シヲンは右手をカナに伸ばした。カナは一瞬悩むような表情をすると、その手を軽く握ってくれた。

 ほらまただ。どことなくぎこちない。

 今までの彼女と較べれば、どこか余所余所しい。


「……ごめん、いきなり泣いちゃって。嬉しかったから。シヲンが無事だって分かって、気持ちが緩んじゃった」

「何かあった?」


 シヲンの問いかけにキャナはたじろいだ。キャナは目を伏せると、おそるおそる話し始めた。


「さっきドーリさんに会ったんだ。それで話をしてもらったの。その、あの……シヲンの昔話を。リグレットに来る前の、スムーザという街でのこと。ハートレスのタブーでの悲劇も全部」


 キャナの言葉で、彼女のぎこちなさに納得がいった。

 どうりでカナが先ほどから余所余所しかったわけだ。カナの手の中から、右手がするりと抜け落ちる。


「そっか。ドーリのやつ話したのか」

「ごめん、なさい」

「いいよ、謝んなくて。俺が大切な人たちを守れなかったのは事実だし、いつかは話さなくちゃいけないことだったしな。それじゃあ、どうしようかな。ここは当事者として、話をしたほうがいいかな」


 カナが緊張した面持ちでいるのを見て、思わず笑いが込み上げる。


「な、なんで笑うのかな!?」

「ごめん、ごめん。カナがすごい真剣な顔してるからさ」


 おかげで気持ちが解れた。胸の痛みが和らいでくれた。

 これなら全てを話せるだろう。


 最初はそう。いきなり吸血鬼と死神という職業とは到底いえないようなものにされたのだ。

 そして周囲から孤立して、独り森に飛ばされた。

 そこで出会ったのが、ユキナたちだった。ユキナは左の目元にある泣きボクロどおり、泣き虫な少女で対処に困った。

 それからアッシュの村での暫しの別れと、ガイアスという半獣人の老人との修行が待っていた。


 そして、スムーザの街でイムカという銀髪の少女に出会い、ユキナと再開を果たした。

 レインシェッド、そう名乗るギルドに迎え入れられ、楽しい日々が続いた。

 それも長くは続かず、終わりは急速に迫りつつあった。


 スムーザの街が襲撃され、ハートレスのタブーへの侵攻が始まる。

 多くの旅人が死んだ。レインシェッドのメンバーも例外ではなかった。

 ユキナにいたっては、シヲンを庇って死んでしまった。

 ユキナのことが好きだったのかもしれない。今ではあの時の感情さえ、はっきりとしない。

 あの日の後悔と絶望を、シヲンは日記に綴った。あの恐怖を二度と繰り返さないために。

 



 話を終えてみれば、抱え込んでいた思いが少し軽くなった気がした。

 ずるずると引きずっても一向に減らなかった思いは、一度に吐き出すことで軽くなってくれた。


 視線の先で、カナが再び泣き出しそうに顔を歪めていた。


「私は絶対に死なないよ。私は自分自身を守れるし、君だって守ってあげられるよ」

「女の子に守られちゃ、男として恥ずかしいな」


 二人は揃って笑った。

 しんみりとした雰囲気が一瞬にして和らいだ。


「ねぇ、シヲン。いきなりなんだけど、うちに来ない? ホロウにある私たちのギルドに」 


 突然の誘いをシヲンは受けようか真剣に迷った。

 受ければケットライダースのもとを離れることになる。ドーリたちは無事にやっていけるのだろうか。と、そんなことを考えるのは過保護すぎるかな。


「分かった。行くよ」


 どれくらい長い間悩んでいたのか分からない。

 随分長かったかもしれないし、ほんの数秒だったのかもしれない。

 シヲンの返事を受けたキャナは、笑っているような泣いているような表情をつくると、シヲンに抱きついた。

 あまりのことにシヲンは顔を赤くした。カナは容姿端麗な美少女なのだ。そんな顔がすぐ近くに来られると心臓に悪い。

 何かを言おうとして、思いとどまる。

 ふと気づいた。

 自分の頬を伝う泪の冷たさに。


 最近泣いてばかりだ。そんなことを思った。

 

 この日から三日後。

 ドーリたちに見送られて、シヲンはキャナと共にリグレットの転移ゲートを潜り抜けた。

 目指すは湖に浮かぶ城塞都市、ホロウだ。

 トップギルドであるシーカーが拠点を置くことからも有名な美しい街だった。

 やっとここまできました……。

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