第9話【雨宮礼奈】象徴・八神燐花
整った顔立ちを歪めて浮かべているのは、美少女にはおよそ似つかわしくない、野生の肉食獣のような獰猛な笑みだ。
第三階区の象徴――八神燐花。
「第三階区には、彼女がいる。『象徴』は、原則として4ヶ月に1度『覇権闘争』に直接参加できる権利……『象徴の解放』を持っているわ」
「今回の一学年第一回覇権闘争は特例として無条件で象徴の解放ができるんだよね」
一学年で初めて配属される象徴達のデモンストレーションなのだろう。まだ入学して2ヶ月だが、ルールによって全階区で無条件の『象徴の解放』が許可されている。
普通『CES』の数値は個人情報として、秘密にされる。しかし、象徴の数値のみ特別データとして閲覧できる。
そして、千夏が読み上げる八神さんの特別データを見て、私は絶望的な眩暈を覚えた。
「なにこれ……体力と精神、技術の数値が満点の100、高すぎ……っ。そして、知力も92こんなの、一人で私たちの3人分、いや4人分の数値に匹敵するじゃない!」
「ええ。もし八神さんが、私たちが勝ちを狙いに行く『アジト』に配置されたら? 彼女1人の暴力的なステータスで、私たちの集中配置すらひっくり返される可能性があるわ。そうなれば3敗確定。……完全な詰みよ」
静寂が、私たちの間に降り下りた。
純粋なステータスの足し算。それは、基礎数値で劣る底辺の私たちにとって、最も残酷で逃げ場のない処刑宣告だった。
「……一つだけ、抜け道みたいなルールはあるわ」
沈黙を破るように、千夏が呟いた。
「抜け道?」
「決戦直前や決戦中、自身の端末で『数値を0%』に設定することができる『サボタージュ』よ」
「千夏、それってつまり……」
頭を頷きながら、千夏はそのまま説明を続ける。
「その特区でのスコア計算から完全に除外される代わり、相手からのいかなる干渉を受けない……いわゆる『降参ボタン』ね」
「降参……。じゃあ、もしパッチで暴力的なルールを追加されてもサボタージュを選べばその子は怪我をせずに済むのね」
私は少しだけ安堵の息を吐いた。勝てないにしても、クラスメイトがヤクザみたいな第三階区の生徒に殴られることだけは避けられる。
「ええ。でも、降参すればその特区は無条件で相手の制圧になる。結局、勝敗という視点で見れば、バニラ状態のままじゃ、どう足掻いても私たちに勝利は見えないわ」
千夏がタブレットを閉じ、私を真っ直ぐに見据えた。
「礼奈。相手は、合理的な切島くんよ。彼がこの有利な初期ルールに満足するはずがない。間違いなく、彼らの有り余る『A』を使って、私たちを徹底的に痛めつけるための凶悪な追加ルール(パッチ)を申請してくるはずよ」
統治権力。この学園における、ルールの書き換え権限。そして、私たちの翌月の生活費であるRと等価交換される、命の数字。
「私たち第五階区が持っているのは、初期支給の100Aだけ。これを消費して、私たちも対抗パッチを申請すれば、この理不尽なステータス勝負を覆せるかもしれない」
千夏の言葉に、私はギュッと目を閉じた。
「ダメだよ。そんなことしたら、来月のクラスのみんなの配当が削られちゃう。100A全部使ったら、お金がなくなる。みんな、メシ代がなくなって餓死しちゃうよ……」
「じゃあ、このまま無抵抗で負けるの? 負ければ敗者罰則として『A』を学園に奪われて、結局赤字になるのは同じよ。むしろ、切島が『敗者のRを奪う』なんてパッチを通して来たら、それこそ一貫の終わりだわ」
千夏の正論が、私の胸を抉る。
大砲(A)を使えば、バター(R)がなくなり、味方が飢える。使わずに負ければ、相手に全てを奪われる。
どっちを選んでも、待っているのは地獄だ。
リーダーである私には、その地獄の選択肢のどちらかを選んで、みんなに「我慢してくれ」と頭を下げることしかできない。
「私が全部の泥を被れればいいのに……っ」
自分の無力さに、涙が溢れそうになる。
そんなギリギリの精神状態で、ふと、視界の端に動くものがあった。教室の最後列。
みんなが絶望に沈む中、一人だけパイプ椅子をギシギシと揺らしながら、のんきにスマホゲームをポチポチと叩いている男。
――天堂璃王。
「あー、クソ。またガチャ外れたわ。雨宮、なんか良い作戦思いついた? 僕、絶対殴られるのとかヤダから、安全にサボれる作戦にしてよ」
ガムを膨らませ、破裂させながら、底抜けに気の抜けた声でそんなことを言う。
「天堂くん! 今、そんなこと言ってる場合じゃ……」
私が怒りで振り返ろうとした――その時。
タブレット端末から、けたたましい警告音が鳴り響き、教室のホログラムモニターが強制的に起動した。画面は血のような赤色に染め上げられている。
《全階区へ通達。第三階区リーダー・切島悠河より、一学年第一回覇権闘争における『パッチ』の申請が提出され、可決されました。消費50Aをジャックポットに移動します》
「早すぎる、 もうパッチを通してきたっていうの!」
千夏が顔面を蒼白にして叫ぶ。
モニターに映し出されたその追加ルールの条文は、先ほど話していた「降参してやり過ごす」という細い希望すらも、根こそぎ刈り取る、悪魔のような内容だった。
《パッチ内容の開示を開始します――》
私は、モニターに映る無機質な文字列を前に、自分が立っている床が底なし沼に変わっていくような、圧倒的な絶望感に包まれていた。




