第8話【雨宮礼奈】第一回覇権闘争『五極特区・秘匿配置戦』
カビ臭い地下教室の冷気が足元から這い上がり、私の震える膝を容赦なく芯から冷やしていく。
浅原くんの窃盗未遂事件を発端から、私は半ば脅迫される形で第三階区からの覇権闘争を受諾してしまった。
パニックを起こしていたクラスメイトたちは、ひとしきり騒いだ後、抗いようのない絶望に押し潰されたのか、今はカビ臭い地下教室のあちこちで、幽鬼のように力なく項垂れているかパニックになって騒いでいる。
「……ごめんなさい、みんな」
カビ臭い空気と絶望の溜息が混ざり合う教室で、私はギュッと拳を握りしめた。
浅原くんを見捨てないためとはいえ、あの冷酷な切島くんの挑発に乗り、【受諾する】のボタンを押してしまった私の指先は、まだ微かに震えている。
教卓に身を隠すようにして、私は友人の琴吹千夏と、第五階区の象徴である一色唯ちゃんの3人で、1台のタブレット端末を覗き込んでいた。
画面には、特任教務委員会から送られてきた、今回の覇権闘争の公式ルールが冷酷な電子文字で並んでいる。
「……千夏、私たちに勝ち目なんて」
「落ち着いて、礼奈。まずはルールを正確に理解するの。相手の土俵に上がる以上、泣き言を言っても始まらないわ」
絶望するクラスメイトたちの中で、彼女だけはまるでキャリアウーマンように、盤面の分析を始めていた。
彼女は私とは違い、事務処理のプロとして冷静さを失わない。
私以外に対してのコミュ力は低いけれど、その分、情報の整理と分析に長けている頼れる友人だ。
「ふぇぇ……なんだか難しい言葉がいっぱいで、目がグルグルしちゃいますぅ」
涙目になった唯ちゃんが、すがりつくように私の制服の袖を引っ張ってきた。
光灯の切れた薄暗い地下室にはおよそ似つかわしくない、陽だまりのようなオレンジ色のボブヘアー。その頭頂部で「ぴこん」と跳ねる一筋のアホ毛が、彼女の混乱に同調するように頼りなく揺れている。
私よりずっと小柄なのに、ぎゅっ、と私の腕に抱きつくたび、不釣り合いなほど発育のいい柔らかな身体がぎゅっと押し付けられる。
いつも危なっかしい唯ちゃんがすがるたび、私は保護者のような気持ちになって、どうしても放っておけなくなる。
私は、彼女の柔らい感触に内心で呆れながらも、一つの強烈な矛盾を抱いていた。
彼女はメガスポンサーの令嬢という特権階級であり、私たちの世代のみ各階区に配置されている最高戦力――『象徴』のはずなのだ。
上位階区の象徴たちが一騎当千のバケモノ揃いだと噂される中、うちの唯ちゃんの中身は驚くほどぽんこつで、危機感というものが一切欠落している。
だけど、胃が焼き切れるような絶望の淵にあって、彼女のその純粋さは、私の張り詰めた心を確かな体温で解してくれた。
「大丈夫だよ。唯ちゃんは私が守るから」
私は安心させるように、ふわりと香る彼女の頭を優しく撫でた。
私が盾になって、この子たちを守るんだ。
その決意を新たに画面へ向き直る私に向かって、千夏が眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「唯さんにも分かるように、要点だけ噛み砕くわね」
千夏がタブレットの画面をスクロールさせ、血の気の引いた顔で私を見た。
「礼奈、これただの公開処刑よ」
「公開処刑……?」
「今回、学園が提示してきた第一回覇権闘争のルール。名称は『五極特区・秘匿配置戦』。……簡単に言えば、5つの陣地の取り合いゲームよ」
「5つの陣地……」
「ええ。学園の地下施設に、5つの仮想の『特区』が用意されるの」
千夏はタブレットの画面をスクロールさせ、ルールを表示させた。無機質な明朝体で今回のゲームの全容が記されている。
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《一学年第一回覇権闘争『五極特区・秘匿配置戦』》
【勝利条件】
全5特区のうち、最大3つを『制圧』した階区が勝者となる。
【盤面】
①アカデミア(知力)
②コロッセオ(体力)
③アジト(技術)
④サロン(対人)
⑤アビス(精神力)
【闘争期間】
盤外暗闘(2日間)+ 決戦フェーズ(1日)
【配置および制圧判定】
各階区の『リーダー』は決戦前夜までに、自階区の生徒30名(自身と象徴を含む)を五つの特区へ秘密裏に配置する。1つの特区につき『最小1名〜最大15名』の配置制限あり。0名配置は不可。
決戦当日、両階区の配置を同時公開。各特区にて、配置された生徒の『対応するCES数値』の合計が最も高かった階区が、その特区を制圧する。
【サボタージュ(降参)】
生徒は決戦直前および決戦中、自身の端末から数値を『0%』に設定可能。その場合、相手階区からの如何なる干渉も受けない。
【象徴の解放の特例】
本校における象徴配置記念として、一学年の第一回覇権闘争は原則の4ヶ月に一度とは異なり、今回の覇権闘争においては、無条件で象徴の解放を許可する。
【対戦カード】
第一階区VS第二階区
第三階区VS第五階区
【報酬および罰則】
[勝者報酬]三特区制圧プラス50A・四特区制圧プラス100A
[敗者罰則]三特区制圧されるマイナス25A・四特区制圧されるマイナス50A
[Aのジャックポット化]盤外暗闘で消費された『A』は、勝者が総取りする。
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絶句する私をよそに、千夏はタブレットから顔を上げた。
「勘のいい礼奈なら、もう気づいたでしょ?」
「これって……私たちが入学時に測られた『CES(総合評価)』の五項目と同じ名前……」
「その通りよ。それぞれの特区が、そのステータスに対応しているわ」
千夏は眼鏡を指で押し上げ、最も残酷なルールの核心を読み上げた。
「勝利条件は極めてシンプル。決戦までに、各階区のリーダーは自クラスの全30名を、この5つの特区に秘密裏に振り分ける。当日に全貌が公開され……各特区で配置された生徒の、対応する『CES』数値の合計が高かった階区が、その特区を制圧する」
「……え?」
私は思わず息を呑んだ。
「そ、それって単純な足し算ってこと? 例えば『コロッセオ』なら、そこに配置した生徒たちの『体力』の点数を足して、相手より高ければ勝ち……?」
「ええ。小細工なしの、純粋なステータス勝負。3つ以上の特区を制圧した階区が、最終的な勝者となる」
「そんなの、絶対無理だよ……」
シンプルなルールに反して、私は叫びそうになるのを必死に堪え、声を押し殺した。
「相手は『武断派』だよ、毎日体を鍛えてる、武力エリートの集まりじゃない。彼らの体力や精神力の平均値なんて、私たちとは比べ物にならないほど高いはず……」
「ええ、その通りよ」
千夏は冷徹な事実を突きつける。
「まともに配置してぶつかれば、体力の『コロッセオ』と精神力の『アビス』は間違いなく第三階区にダブルスコアで制圧される。これでもう、相手は確実に2勝を取れるのよ」
「あと1つの特区でも取られたら、私たちの負け……っ」
「あ、あの! だったら、その2つの特区には誰も置かないで、残りの3つに私たち全員を集中させれば勝てるんじゃないですかぁ?」
唯ちゃんが、ポンと手を打って名案だと言わんばかりに提案した。しかし、千夏は無情にも首を横に振った。
「ダメよ、唯さん。ルールの注釈を見て。1つの特区につき、最小1名〜最大15名の配置必須。ゼロにはできないって書いてあるわ」
「ふぇっ? じゃ、じゃあ、私も含めて、絶対にどこかに誰かを置かなきゃいけないんですかぁ!」
「そういうこと。完全に捨てることは不可能なの。それに……」
千夏は、タブレットの画面をさらに下へとスクロールさせ、ある人物の顔写真を表示した。
映し出された写真には、黄金の三白眼、高く結い上げたポニーテールが似合う、目を奪われるほどの美少女。
けれど、私は彼女の姿を見た瞬間、背筋に冷たい粟立ちを感じた。




