第28話【切島悠河】切島悠河の足掻き
アビス特区に、重苦しい沈黙が降りる。
敗者階区罰則として、我が第三階区の統治権力から『マイナス25A』とパッチに使った『50A』合計『70A』第三階区から引かれることが、この瞬間に確定した。
「……見事だ、五階区」
俺は、湧き上がる屈辱を理性で抑え込み、低く唸るような声で称賛を口にした。
「俺は組織の平均を過信し、ヒントすらあった個人の異常な突出を計算式から除外していた。この敗北は、俺のデータ分析の甘さとして潔く認めよう」
『あら、素直なのね』
「俺は合理主義者だ。感情で事実を捻じ曲げるような無様な真似はしない。一度の敗北で喚き散らすのは三流のやることだ。失敗を受け入れ、次の被害の最小化へと移行する」
俺は立ち上がり、モニターに映る残りの1つの特区――コロッセオを鋭く睨みつけた。
「だがな、覇闘争には負けたが、まだ経済闘争は終わっていない。……ここからが、お前たちにとっての『本当の地獄』の始まりだ」
『……どういうこと?』
「忘れたか、琴吹? 俺が通した『敗者賠償法』を。残る2つの特区は、ステータスの足し算ではない。そして、恐怖に駆られてサボタージュを選んだ者は、個人の全財産の半分をシステムに没収される」
俺の口角が、再び為政者としての冷徹な弧を描いて吊り上がる。
「お前たちが3つの特区を取って名目上の勝利を飾ろうとも、残りの特区で我が武断派たちが、お前たちを徹底的に恐怖で痛めつけ、サボタージュに追い込めばどうなる?」
勝負の勝ち負けなど、マクロな経済視点で見ればただの飾りに過ぎない。
「コロッセオの雨宮に伝えろ、首を洗って待ってろと」
『……』
これからの勝負は相手からどれだけ実利を搾取できるかだ。
奴らの手持ちのRを奪い取ればいい。
そうすれば、第五階区は勝利の美酒に酔う暇もなく、一部の人間は破滅し、経済的死を迎える。
「コロッセオには、八神燐花がいる。奴は手加減を知らん。これからお前たちは、あのバケモノを前に立ち、全財産を差し出してでもサボタージュのボタンを連打するだろうな」
『そう……でも私たちは3つの特区制圧だけじゃ、満足しないの。コロッセオも第五階区が頂くわ』
琴吹の挑発に対して俺はふつふつと湧き上がる衝動を咀嚼するように、ギュッと顎に力を込める、インカムのスイッチを切り替え、帯島に向けた通信を起動した。
「帯島ぁ! コロッセオの監視カメラ映像をモニターに繋げ。燐花が底辺どもを蹂躙し、奴らが恐怖で全財産を手放す無様な瞬間を、とくと拝ませてもらおうじゃないか」
『了解です! 映像、繋ぎます』
モニターの表示が切り替わり、仮想空間として構築された巨大な円形闘技場であるコロッセオの内部が映し出された。
そこには、俺の完璧なリカバリープランの最後を飾る、凄惨で美しい暴力の光景が広がっているはずだった。
――だが。
モニターに映し出された映像を見た瞬間、俺の思考は、文字通り『停止』した。
「……は?」
俺の喉から、また締まりのない呼気が力なく漏れ出た。
コロッセオの中央。凶暴で有名な武断派エリート九名と、猛獣のような笑みを浮かべて拳を鳴らす燐花。彼らが威嚇し、殺意を振り撒いているのに。
対峙する五階区の生徒10名、濃紺色のミディアムヘアーを後ろに結び上げて、俺たち階区の猛者に対し直立不動に睨み返している雨宮礼奈。
彼女以外の全員は抵抗を放棄した姿勢を、石像のように意地でも維持し続けていた。
「な、なんだあの異様な姿は……?」
俺はモニターに駆け寄り、信じられない光景に目をひん剥いた。
素人が、生存本能を無視して、一歩も退かずに無抵抗を維持している。
なぜだ……逃げないのか?
いや、違う。奴らは恐怖のあまり、その場に縫い付けられているだけだ。
「……まあいい。理由はともかく、奴らは俺の『敗者賠償法』によるR没収の恐怖よりも、殴られる物理的恐怖に屈してサボタージュを選んだのだ」
俺は即座にシステムにアクセスし、『強制徴収プログラム』を走らせようと構える。
サボタージュを選択した敗者どもから、口座残高の半分を強制徴収する。貧民どものなけなしのRが、俺たちの口座へと雪崩れ込んでくる。
その快感を想像しながら、エンターキーを力強く叩き込もうとする。
――その瞬間だった。
《【コロッセオ】特区において、第五階区のブラインド・パッチの『条件』が満たされました。これより、ブラインド・オプションで秘匿されていた条文を解除し、特例ルールを適用します》
「……なに?」
俺の喉の奥が鳴り、声帯が不自然に引き攣った。
「じ、条件が満たされた? 馬鹿な……」
俺の推理では、黒塗り(ブラインド・パッチ)の条件は『0名配置』だったはずだ。そして、コロッセオには第五階区の生徒が10名も配置されている。条件など満たされるはずがない。
だが、ホログラムモニターに、黒塗りが剥がれ落ちた『真の条文』が映し出された。
「……っ!」
俺のルール解釈が、根本から間違っていた。このブラインド・パッチを見た瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃が走る。
「あり得ない!」
俺は……俺は、死人のような顔をして呆然とした。
「雨宮……お前は、ただのお人好しの盾ではなかったのか。他人の心理すらも盤面で操作し、システムの盲点を突いてくる支配者の素顔を隠し持っていた……」
堂々とコロッセオに出向き、全員でサボタージュを選ぶことで、この悪魔の特例を意図的に発動させた。
「あ、雨宮、礼奈ぁああああっ……!!」
空気を切り裂くような、ひどく無様で醜い声が響く。
これまでの人生で一度として使ったことのない、感情だけを乗せた音だった。
そして、ブラインドパッチの条文を咀嚼した。
「しまった、まずい……まずい、本当にまずい!!」
俺は血相を変え、コンソールに飛びついた。
「このままでは、三階区が……!!!」
俺は一つ、重大な『見逃し』に気付いてしまった。
『帯島ぁ! お前ら全員で、燐花を止めろ!!!!』
俺はインカムに向かって、声を荒げて絶叫した。
余裕も、冷徹な仮面も全て剥がれ落ちた、悲痛な叫びだった。




