第20話【雨宮礼奈】本命のパッチ
自分の首に架けられた退学という名のギロチンの縄が、ジワリと肌に食い込むのを感じて、私はギュッと両手を握りしめた。
特任教務委員会のシステム端末室。
無機質な青い光を放つホログラムコンソールの前で、私は小さく息を吐き出した。
先ほど、最初のフェイク法案である『絶対的弱者保護法』を通し、私たちの統治権力の残高は『90A』となった。
「ねえ、礼奈。さっき言ってた『カウンター』ではなく、本命って……」
私は、ホログラムコンソールの光を正面から見据えながら、静かに頷いた。
「切島くんのルールはカウンターパッチで無効化しない、いや、そもそもできない。そのまま、使わせてもらう」
「使うって……、何か策はあるの?」
「相手が自分で作った『ルール』の矛盾を突いてく……そのために本命のパッチを打つよ」
私は、ホログラムキーボードの上に両手を構え、第二の法案を打ち込み始めた。
これは、あの魔王から叩き込まれた『台本』だ。
「申請法案名、『第五階区象徴の解放と特例条項』。第一項……」
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【申請内容①】
『象徴の解放』第五階区の『象徴』を任意の特区に配置可能とする。
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「ふぇっ!」
それまで背後でオドオドしていた唯ちゃんが、素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。
「ア、象徴の解放って……わ、わたしも特区の戦場に行くんですかぁ! ムリですよ! わたし、体育の授業でボールを蹴ろうとして自分の足を蹴って捻挫する運動神経なんですよぉ? 燐花ちゃんと殴り合うなんて、お星様になっちゃいますぅ!」
「大丈夫、唯ちゃんは絶対に誰も殴りかかってこない安全な『サロン』特区に置くから安心して」
私はパニックになる唯ちゃんの頭を撫でて、宥めながら、台本の核心部分――第二項の入力に取り掛かる。ここからが、天堂くんが構築したリーガル・ハックの真骨頂だ。
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【申請内容②】
象徴が配置された特区において、いずれか一方の階区が、『配置生徒全員がサボタージュを選択した』場合、特例としてもう一方の階区の『配置メンバー』と『象徴』が発揮する運動エネルギーの出力は『自陣へのマイナス(減点)』として計上される。
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「なにこれ……」
千夏が、画面の条文を見て絶句した。
「でも、唯さんは『サロン』に配置するのよ? 切島が『実戦格闘』を仕掛けてくる『コロッセオ』か『アビス』じゃないと、このルールは発動しないわ」
「このパッチのミソは『誰の』象徴か指定していないことよ。唯ちゃんがいるサロンはもちろん……切島くんが八神さんを配置する可能性のあるコロッセオやアビスも、『象徴が配置された特区』として条件を満たすの」
「相手の暴力を無効化し、相手が暴力を振るえば振るうほど、システム上で運動エネルギーがマイナスとして反転処理させる法案……」
「ええ。だから、私たちは明日のコロッセオとアビスの特区で堂々と全員でサボタージュを選ぶ」
「サボタージュを選べば私たちのポイントは0点に……あっ!」
千夏は頭がいい。『CES』の知力も第五階区では珍しく70以上ある。彼女はすぐにそのロジックに辿り着いた。
「私たちはさっき、唯さんへの資金退避でクラス全員の全財産を0Rにして、『没収されるものがない無敵の人』になった」
些細なヒントから、千夏は続ける。
「だから、ノーダメージでサボタージュを選べる。私たちのポイントは0点になるけど、もし相手が私たちを殴ろうと少しでも力を出せば、その数値がそのままマイナスに反転する」
千夏の解説を聞いて、私はそのまま微笑んだ。
「そう、0点とマイナス。相手が少しでも動いたら、……私たちは何もしないで座っているだけで、絶対に勝てるのよ」
「でも礼奈。こんな相手の努力やステータスを根本から否定する不公平なルール、AIが安く通してくれるわけないわ」
千夏の答えに呼応するように、コンソールのAI演算ランプが真っ赤に発光した。
《査定完了。本法案は、一方の階区の出力のみをマイナス反転させるという、極めて非対称かつ他者への重大な権利侵害であると判定されました。要求コストは【500A】となります》
「500って、今度こそ無理よ!」
千夏が絶望的な声を上げる。あの第一階区の全体の統治権力を集めてやっと届く、天文学的なコストだ。
「だから、天秤の反対側に私の退学よりも、更に『極大の重り』を乗せて、AIの認識を釣り合わせるの」
私は震える指先を必死に抑え込みながら、追加条件の欄に、最も重く、恐ろしい言葉を打ち込んだ。
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【追加条件】
もし本特例が発動したにも関わらず、第五階区が『コロッセオ』特区の制圧に敗北した場合、第五階区の『コロッセオ』に配置された生徒全員を『即時退学処分』とする。
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「ぜ、全員退学……」
千夏が私の肩を乱暴に掴んだ。
「礼奈、あんた気が狂ったの? 階区の代表として、みんなの命をベットするなんて……もし負けたら、コロッセオに配置された全員の未来が終わるのよ!」
「分かってるよ、千夏」
私は、千夏の手を優しく解き、青く反転し始めたコンソールを指差した。
ごめんなさい、みんな。
私が盾になって、この法案を通さなきゃいけない。
《条件の追加を確認。再査定を実行します……》
《条文の主語が『いずれか一方の階区』と対称的であること、および、敗北時に『コロッセオ』における第五階区が『生徒全員の即時退学』という極大リスクを担保として差し出したことを確認。これにより、本法案は両者にとって公平な等価交換であると算術的に認定します――要求コストを【500A】から、【45A】へと割引して可決可能です》
「よんじゅうご……?」
千夏が、呆然と呟く。
「……AIには、これが『公平』に見えるみたいなの」
私は、さも自分で思いついたかのように、千夏に向けて自信ありげに告げた。
「言葉の形と数字の計算でしか判断しないから、自分たちの首にものすごく大きな爆弾を巻きつけさえすれば、どんな凶悪なルールでも安く通せる」
ごめんね、千夏。本当は全部、天堂くんからの受け売りなんだ。
私たちがサボタージュで「0点」になっても、0対マイナスで私たちが勝つ。それか相手も動かずに0対0で引き分けになる。
だから、「敗北したら全員退学」、この恐ろしい内容は、発動しないハッタリなのだと。
更に、主語を「第五階区」ではなく、「いずれか一方の階区」と公平に見せかけたのも、AIの目を誤魔化すための、天堂くんが考えたルールの抜け穴だ。
この恐ろしい法案とコスト計算はすべて、天堂くんが私に手渡した『台本』の通り。
「礼奈、手持ちは90Aよ。要求コストが45Aなら、これで申請は通るわ。でも……」
「まだだよ。ここでそのまま申請したら、切島くんに『マイナス反転』だとモロバレになっちゃう」
私はコンソールのオプションメニューを開き、学園の特別システムを選択した。
「だから、ここで『ブラインド・パッチ』を申請する」
「ブラインド・パッチ……!」
千夏が血の気を引かせて後ずさった。




