第2話【雨宮礼奈】絶望の幕開け
「……ごめんなさい、お母さん」
誰もいない薄暗い教室で、私はぽつりと呟いた。
私のお母さんも、私の様にバカみたいにお人好しだった。他人の借金の連帯保証人になって、騙されて、自分のご飯を抜いてまで私と妹を育ててくれた。
周りの大人たちからは「底辺の負け犬」「馬鹿だから搾取されるんだ」って笑われて、私と妹を残して、過労でボロボロになって死んでいった。
だから私は、お母さんの生き方が間違ってなかったって証明したかった。誰かのために泥を被る優しさが『無能』だなんて、そんな世界の方が間違っているとこの学園で証明したかった。
ぐるりと教室を見渡す。そう、ここには私のクラスメイトたちがいる。
私は純粋に能力が平均点以下だったから、この第五階区に配置された。
そして、私たち第五階区の蓋を開けて見ると、コミュ障で人とまともに目も合わせられないパソコンをイジリ続けるアニメオタク、万引き癖のギャンブル依存症、ノイズキャンセリングヘッドフォンを被り一日中ダンボールに伏せて寝ている省エネ、無駄に高い顔面偏差値を悪用してお金を女性から貢がせる女の敵。
そして、何もない平坦な床で転ぶ『象徴』と言われている特別な子。
『象徴』とは今年度から一学年、つまり私たちの世代から学園のメガスポンサー企業が派遣した、各階区に一名配置される特権階級の生徒だ。なのに、その『象徴』である彼女ですら極度のドジっ子。
彼らは、社会生活を送るにはあまりにも致命的な欠陥を抱えた、奇形に尖りすぎた世間で言うと『廃棄物』の群れ。だからこそ、第五階区『劇薬派』なんて不名誉な名前を付けられている。
でも、悪い子たちじゃないと思う。不器用なだけで、根は優しい子たちばかり。
私はこの第五階区の『リーダー』として担任から選ばれたのだ。私がみんなを守らなきゃ。私が防弾チョッキになって、みんなのなけなしのメシ代を稼がなきゃ。
どんな理不尽な契約書でも、私がサインすればいい。私が泥を被って稼げば、みんなは安全な場所で笑っていられる。
でも、もう限界が近いことくらい、私にだって分かっている。
リーダーには、学園のシステムに対して『統治権力』、通称『A』を行使する権利がある。これは他階区との闘争や日常で有利なルール、私たちは『パッチ』と呼んでいる。これを通すための絶対的な数字だ。
しかし、この学園のシステムは本当に悪趣味にできている。
『統治権力』と『月間配当リソース』は、「1A=1万R」として完全に連動しているのだ。私が敵からみんなを守るためにAを消費すればするほど、翌月のみんなの生活費であるRがダイレクトに削られる。
もし配給されるRが、生命を維持するための最低生存ラインを下回れば、システム上で自動的にリーダーである私に対する『不信任決議』の投票権がアンロックされる。
味方を飢えさせれば、合法的に自分の背中を刺されるチキンレース。
「どうしよう……このままじゃ、みんなが……」
震える手で、硬いコッペパンを口に押し込む。パサパサの生地が喉の奥に引っかかり、無理やり水道水で流し込んだ。
涙が出そうになるのを、必死に堪える。
賢くて、強くて、狡猾な上位階区のエリートたちから、どうやってこの底辺の仲間たちを守り抜けばいいのか。
私みたいな、ただのお人好しで無力な人間に、一体何ができるというのか。
絶望の淵に立たされた私を嘲笑うかのように、頭上のスピーカーから、アナウンスが響き渡った。
《全階区に通知します。第三階区より、第五階区に対する『覇権闘争』の申請が受理されました、第五階区リーダー雨宮礼奈はこの申請を受けるかを特任教務委員会に報告及び第三階区の切島悠河に対して申請許可を行ってください》
持っていたコッペパンが、床に転がり落ちた。
第三階区『武断派』。
合法的な暴力と略奪を肯定する、凶悪な戦闘集団。彼らが、私たちを完全にすり潰すために、牙を剥いたのだ。




