第17話【雨宮礼奈】フェイクのパッチ
学園の心臓部、メインタワーの地下深くに位置する『特任教務委員会システム端末室』。
無機質な白銀の壁に囲まれ、巨大なモノリスのようなホログラムコンソールが冷たい青い光を放っている。
ここは各階区の『リーダー』だけがアクセスを許された、学園のルールそのものを書き換えるための祭壇だ。
私はコンソールの前に立ち、震える手をギュッと握りしめた。
「……礼奈、本当にやるのね。あのイカれたパッチを」
私の背後で、付き添ってくれた友人の琴吹千夏が、眼鏡の奥の瞳に不安を滲ませて尋ねてくる。
「なんだか空調が効きすぎてて、寒いですぅ」
さらにその後ろで、第五階区の象徴である一色唯ちゃんが、自分の両腕をさすりながらビクビクと辺りを見回していた。
今年から『象徴』である彼女の生体認証、つまり同席がなければ、特定のペナルティを含むパッチ申請は行えないため、半ば無理やり連れてきた。
「やるよ。これをやらないと、明日の決戦でクラスのみんなが第三階区のヤクザたちに骨の髄まで搾取されちゃうから」
私はコンソールの認証パネルに手を置いた。
《生体認証クリア。第五階区リーダー雨宮礼奈のアクセスを確認。これより、一学年第一回覇権闘争におけるパッチ申請を受理します。現在の所持統治権力は【100A】です 》
機械的な音声と共に、空中に半透明の入力フォームが展開される。
私は、今日の昼間に天堂くんから渡された『台本』のデータを開き、最初の法案を打ち込み始めた。
「申請法案名、『絶対的弱者保護法』」
私は震える声で読み上げながら、ホログラムキーボードを叩く。
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【申請内容①】
明日の『コロッセオ』および『アビス』特区において、実戦格闘における一方的な暴力および重大事故を防止する
【申請内容②】
システム端末で【サボタージュ(降参)】を選択していない状態で、自ら『出力0%(無抵抗)』を示している生徒に対し、物理的接触(攻撃)を行った生徒は危険行為とみなし、即座に反則とする。反則を犯した階区は『特区制圧放棄(不戦敗)のペナルティ』を負う
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入力を終え、エンターキーを押す。
この申請内容はつまり、「無抵抗の相手を殴ったら反則負け」というルールだ。これなら、私たちは『実戦格闘』という暴力の恐怖から完全に守られる。
しかし、システムAIの演算ランプが赤く点滅し、即座に冷酷な回答が弾き出された。
《査定完了。本法案は『安全管理』の観点から適法と認められます。しかし、第三階区の戦闘行動のみを著しく制限し、一方の階区に極端に有利に働く『非対称なパッチ』であると判定されました。コンプライアンス違反および他者の権利侵害の補填として、要求コストは【150A】となります 》
「ひ、150A……?」
千夏が珍しく声を上げる。
「無理よ、 私たちの全財産は『100A』しかないのに! 到底払える金額じゃないわ」
私は天堂くんの言葉を奥歯を強く噛み締め、追加条件の欄に、最も重い『ペナルティ』の条文を打ち込んだ。
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【追加条件】
上記ルールの適用の等価交換として、もし本覇権闘争において第五階区が最終的に勝利できなかった場合、以下のペナルティを負う。
【ペナルティー①】
第五階区リーダーである『雨宮礼奈』を即時退学処分とする。
【ペナルティー②】
象徴である『一色唯』の配当Rを一年間「0R」とする。
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「なっ……! 礼奈、ちょっと待って! あんた自分が退学になるって……それに、唯さんの配当ゼロってどういうこと!?」
千夏が血相を変えて私の腕を掴んだ。
「ふぇ? わたしの年間配当がゼロ? ……えっと、それってつまり、わたしのお小遣いが一年間なくなるってことですかぁ!」
唯ちゃんが、一歩遅れて状況を理解し、涙目でパニックを起こし始めた。
「な、なんでわたしの条件が勝手に組み込まれているんですかぁ! ひもじい思いをするのは絶対に嫌ですぅ!」
「ごめんね、唯ちゃん。でも、こうしないと勝てないの」
「正気なの、礼奈!? 負けた瞬間、あなたの人生は完全に終わるのよ! 永久ブラックリスト入りで、本土の妹さんだって路頭に迷うのよ!」
「背負わなきゃ、通らないよ!」
私は震える手でコンソールを叩いた。
「敵の攻撃だけを禁止する都合のいいルールなんて、私の人生と唯ちゃんの資産を担保にして、天秤を無理やり釣り合わせるしかないの!」
普通に考えれば、これは「私が退学になり、唯ちゃんが極貧生活に落ちる」という、絶対にしてはいけない恐ろしい選択だ。
天堂くんから台本を渡された時、私も耳を疑った。
本当にこんな言葉遊びみたいな自爆テロで、AIを誤魔化せるの……?




