第14話【雨宮礼奈】 ゼロ円防衛の成立
「でも、いないと言い切れる。そして、万が一いたとしても『絶対に防がれない』と言い切れるね」
「どうして?」
「理由は明確だ。インテリの傲慢さと、バカの不器用さ。そして最後はそもそもの『ルールの壁』だよ」
彼は、ペパーミントのガムをパチンと割り、四つの指を立てた。
「一つ目。簡単なコスパの話だ。切島は自分の作った完璧な数式に陶酔している」
そして、天堂くんはニヤと笑いながら私に質問をした。
「雨宮。インテリヤクザの切島から見て、僕ら第五階区の連中はどういう名札をぶら下げている?」
「え? それは……全ステータスが赤点の、臆病で無能な廃棄物……」
答えた瞬間、私の脳内にカチリとパズルのピースがはまる音がした。
「あっ!」
「気づいた?」
「無能なゴミから、わざわざ自分たちの貴重なお金を払ってまで情報を買う価値なんてない……切島くんは、私たちをそう見下しているから!」
「そうだ、あいつは僕たちを『全ステータスが平均以下の無能の群れ』だと舐め腐っている。わざわざ自分の階区の貴重な軍資金を払ってまで、勝敗が確定した消化試合のためにゴミから情報を買うなんていう非効率な真似は『基本的』にはしない」
私はハッとして息を呑んだ。
「私たちが底辺だと思われているからこそ、敵は私たちを買収する価値すらないと切り捨てるんだね」
「あぁ、第五階区に一人だけ、『例外』がいる。でも、そいつは放置していいだろう。むしろ、そいつから情報を買って貰った方がこっちは助かる」
「気になるよ! 教えて」
「教えない。教えたらお前が余計なことをしそうだから」
その身も蓋もない正論に、私は小さく唇を噛むことしかできなかった。すべて見透かされている。後先考えずに感情で動いてしまう、私の危うい直情性を。
「続けるぞ? 二つ目。ウチの連中のステータス『CES』を思い出せ。天野の様なギャル女子を除いて対人スキルが15とか20の、コミュ障と引きこもりが半分以上だろ」
「それはそうだけど」
「だろ? あんな武断派のヤクザどもに、自分からコソコソとコンタクトを取って、怯えずに裏交渉できるような度胸やコミュ力がある奴が、このクラスに何人いるんだよ」
「……確かに」
アニオタの木下くんも、ギャンブル狂の浅原くんも、第三階区の不良たちを極端に怖がっている。
自分から裏切りを持ちかけて、上手く取引するなんて、彼らじゃ絶対に無理だ。
「そして三つ目。切島が通した『敗者賠償法』は、敵全員からRを半分没収するという全体攻撃だ。もし、スパイが内通して切島に寝返ったところで、切島がそのスパイの口座だけを『没収対象から外す』なんていう個別対応をするわけがない」
「どうして、できないの?」
「そんな不公平なえこひいきをすればAIの『公平性評価』が崩れて、パッチのコストが天文学的な数字に跳ね上がるからな。……つまり、スパイになったところで、そいつも結局は金を奪われる可能性が出る」
「あっ……!」
「裏切る『メリット』が、経済学的に存在しないんだよ」
私たちが無能だと思われているからこそ、敵から買収されない。
私たちが臆病で不器用だからこそ、自分から敵に近づけない。
そして、敵のルールが非情だからこそ、裏切る利益がない。
「そして最後、四つ目だ。これが盤石のトドメだな」
天堂くんは、立てていた最後の指を折り曲げ、悪魔のように意地悪く微笑んだ。
「万が一、スパイがいて、明日の朝の『資金退避』の瞬間に切島へ密告したとしよう。決戦は明後日だからな、切島にはまだパッチ申請の『時間』も『手持ちのA』も残されている。……だが、それでも『手遅れ』なんだよ」
「……え? どうして? 切島くんはまだ200Aを残してるはずだよ。それを使って、明後日の決戦までの間に、私たちの送金を無効化する追加パッチを打たれたら……」
「打てないよ」
天堂くんは、自分が作成した『R防衛・完全保護プログラム』の電子契約書を指差した。
「この学園のAIが一番重んじている建前……近代法学における絶対原則の『事後法の禁止』と『財産権の絶対保障』だよ」
「事後法の……禁止?」
「いいか、雨宮。僕たちが明日の朝、唯ちゃんの口座にRを送金するのは、ただの資金隠しじゃない。れっきとした『ビジネス』だ」
天堂くんは、ペパーミントのガムをパチンと鳴らした。
「わざわざ『手数料として20%を徴収する』っていう特約を入れたのは、この送金が民法における『契約自由の原則』に基づいた、合法的な商取引だってAIに錯覚させるためのチケットなんだよ」
「私たちの全財産を……ビジネスに偽装するの?」
「そう。じゃあ聞くけど」
彼は教卓に身を乗り出し、私の思考を試すように目を細めた。
「もし送金が完全に終わった『後』になって、第三者の切島がパッチで『あの送金は無効だ、強制没収する』なんてルールを申請してきたら、AIはどう判断する?」
「それは……」
私は頭の中で、学園の厳格な形式主義を考えてみた。
「後出しジャンケン? 終わった取引を、後から作ったルールで罰するなんて、システムが許さないってこと?」
「大正解、過去の適法な取引を罰する『遡及処罰』だ。カジノで大穴を当てた客に向かって、胴元が後から『今からその台は違法にするから、勝金は全部没収ね』ってイチャモンをつけるような、三流の詐欺だよ」
天堂くんは、底知れない笑みを深く刻み込んだ。
「終わったゲームの盤面を、過去に遡ってひっくり返すような無法パッチは、AIが最も嫌う重大な『財産権の侵害』だ。……さらにダメ押しで、そのお金が預けられている『金庫』は誰のものだ?」
「特権階級の……唯ちゃんの口座」
「その通り。学園のメガスポンサーの令嬢が持つ、不可侵の『聖域』だ。そんな分厚い金庫の扉をルールで無理やりこじ開けて、中からRを差し押さえるような暴挙、あの石頭のAIが安く通すと思うか?」
「……絶対に、数千A以上の天文学的なコストを要求してくる。第三階区の残高なんかじゃ、逆立ちしても払えない!」
私は震える声で答え、あまりの完成度に目眩を覚えた。
「その通り。僕がわざわざ20%のピンハネを入れたのは、僕の小遣い稼ぎのついでに、AIに『これは正当なビジネスだ』と形式的に誤認させ、絶対的な『法の盾』にするためだよ」
「す、凄い!」
「だから、明日の朝のホームルーム。全員の送金ボタンを一気に押させて『不可逆な既成事実』に流し込んで固めてしまえばいい」
天堂くんは、空中で見えないスタンプを押すように指を弾いた。
「一度システム上で完全に決済が押された金融取引の履歴は、後からどんなパッチを使っても基本的には覆せない。……これが、社会の『契約の絶対性』を利用したリーガル・ハックだ」
完璧だ。
言葉が出なかった。天堂くんの頭の中は、一体どうなっているんだろう。
私たちが「底辺で、臆病で、無能だ」と舐められていること。それ自体が、スパイを防ぐ最強の盾になっているなんて。
それに、あんなに腹立たしかった「20%のピンハネ」すらも、ただお金を隠すだけじゃなく、学園のAIに「正当なビジネス」だと思い込ませてルールで守ってもらうための、巧妙な嘘だった。
情なんて一切ない、冷徹な計算。
天堂くんのその悪魔みたいな頭脳が……「どうしようもなく不器用な私たちの弱さ」を、誰も破れない絶対の要塞に変えてしまったのだ。
でも、と私は思う。
天堂くんは冷徹な経済学と法理学で『誰も裏切らないし、裏切れない』と証明したけれど。私は、それだけじゃないと信じたい。
あの不器用なクラスメイトたちは、自分が飢えるかもしれないのに、私や浅原くんには特売のコッペパンを分けてくれようとした。
彼らは臆病で、ズルいところもあるけれど、意外と損得勘定だけで動くわけじゃない。
この第五階区という、ダメな自分たちを許してくれる『温かい居場所』を守りたいって、そう思ってくれているはずだから。
ただ、その天堂くんが言う『例外』を除いて。
「……納得できた、サインは私に任せて」
私は、天堂くんの氷のような論理を飲み込みつつ、自分の心の中にある『みんなを信じる温かい温度』をギュッと抱きしめて、力強く頷いた。
みんなの弱さも、不器用さも、私が全部まとめて盾になって守る。
私がみんなの退路を爆破して、騙して、恨まれてでも……全員を生き残らせる。
胃の奥が雑巾のようにギリギリと締め上げられるような痛みを無理やり飲み込み、私の瞳に悲壮で暗い決意が宿る。
それを見た天堂くんは「へぇ」と、初めて面白そうなものを見るように目を細めた。
「言うじゃん、雨宮。でも、お前はどうやって全員に『R防衛・完全保護プログラム』をサインさせる?」
「それは、私がリーダーとして、みんなに頭を下げて誠心誠意お願いを……」
「ダメダメ。そんなお涙頂戴の綺麗事じゃ、いくらお人好しのお前でも、誰も他人に全財産なんて預けない」
天堂くんはペパーミントのガムを地面に吐き出し、深く、昏い瞳で私を見据えた。
「明日の朝、もし対応に困ったら、今回だけは無料で助太刀してやる」
「ありがとう……」
天堂くんは前髪をクルクルと回しながらこう言った。
「これだけは言っておく。人間はね、『自分が守られる』と信じた時、規約を読まない。現代の奴隷契約は、重い鉄の鎖じゃなくて、スマホのタップ一つで完了する」
「でも、天堂くん。これでお金の防衛はできても、肝心の『特区の制圧』による勝敗はどうするの? お金を隠して全員で降参したら、結局特区は第三階区に制圧されて負けちゃうじゃない」
私の問いに対し、天堂くんは気だるげに首を鳴らした。
「だから、僕たちが持っている『100A』を使って、切島のロジックを根底からひっくり返す『対抗パッチ』を通すんだよ。その台本はお前の代わりに僕が明日の昼前に用意してやる。お前は精々、階区の連中から金を唯ちゃんの口座に集めとけ」
「……本当に、勝てるの?」
「あ〜、それはネタバレなしだ。当日の盤面を、お楽しみにしてくれよ。最高の退屈凌ぎ(エンタメ)を見せてやるからさ」
そう言うと天堂くんは、手をひらひらと振りながら、自分の第五階区寮部屋へと続く暗い廊下へと消えていった。
一人残された私は、冷たいコンクリートの壁に背中を預け、大きく、そして深く息を吐き出した。
震えは、もう止まっていた。
天堂くんの建前を破壊する、致死量の毒。
それを飲み込んででも、私はこのクラスを守り抜く。
切島くんの完璧な城壁を内側から喰い破るために。




