第10話【切島悠河】インテリヤクザと処刑姫
「勝ったな」
第三階区に位置する、選ばれたエリートだけが立ち入れるVIPラウンジ。
俺、切島悠河は、空中に展開されたホログラムモニターの通信を切り、窮屈なネクタイをゆっくりと緩めた。
モニターには、たった今、第五階区のリーダーである雨宮礼奈が『覇権闘争』の受諾ボタンを押したことを示す、システムからの承認ログが鮮やかな真紅で点滅している。
「容易いものだ。コミュ障とスリとオタクの掃き溜め。あの第五階区のお人好しリーダーなど、『仲間が退学になる』という脅威をチラつかせてやれば、自己犠牲という名のバグを起こして、勝手にギロチンへ首を突っ込んでくる」
俺は冷笑を浮かべ、備え付けのワインセラーから冷えた炭酸水を取り出した。
暴力は野蛮だ。俺たち第三階区は『武断派』と呼ばれ、学園で最も血の気の多い戦闘集団として恐れられている。
だが、リーダーである俺自身は、無意味に拳を振り回すような下品な真似は好まない。
俺にとっての暴力とは、感情の発露ではない。
相手の退路と選択肢を削り、金を効率的に搾取するための『最も合理的な交渉手段』でしかない。
今回もそうだ。あの貧困層どもを合法的に盤上に引きずり出し、俺の用意したルールで縛り上げ、文字通り骨の髄までしゃぶる。
「おい、切島ぁ」
背後から、ひどく退屈そうな、それでいて鼓膜を直接引っ掻くような鋭い声が響いた。
「テメェのその、ネチネチした小賢しい独り言、聞いているだけで反吐が出そうなんだけど。さっさとアタシに『誰をミンチにすればいいか』だけ教えろよ」
俺は小さく息を吐き、ラウンジの中央へ振り返った。
特注のイタリア製レザーソファ。
そこに、行儀悪く両足を投げ出し、寝そべっている一人の少女。
猛獣の様な鋭い金色の三白眼。着崩したブレザー。傍らには、一本1万Rは下らないノンアルコールのシャンパンが何本も転がっている。
彼女は裏社会のヤクザ組織や非合法ビジネスを束ねる『八神プレジャーグループ』の令嬢にして、この学園における『物理的破壊力』の最高到達点。
第三階区『象徴』――処刑姫。それが、この八神燐花という存在だ。
「少しは自重しろ、燐花。もうすぐ覇権闘争が始まる」
俺は、無残に散らかったテーブルを忌々しげに一瞥した。
「お前が毎日そんな風にVIPラウンジで豪遊しているせいで、ウチの階区の連中は常に不満を抱えているんだ」
「あぁ? アタシがどうしようが勝手だろ」
「燐花、俺らの階区の血の気の多い野郎どもの胃袋を満たすだけでも、毎月莫大なコストがかかっているんだぞ」
俺は手元のタブレットを操作し、現在の自分の階区の資産状況を開いた。
「いいか、燐花? これから俺は、第五階区を確実にすり潰すために、『50A』つまり、来月の階区全員の予算を『50万R』も削って、この覇権闘争に強力なパッチを申請する」
俺はタブレットの画面を燐花に向け、極めて合理的な提案を口にした。
「お前が実家から、入学前に個人的に6000万Rという莫大なお小遣いを受け取っているのはお前から聞いた」
「この前、話した件だなぁ」
「その金を少しでも……せめてパッチ代の50万Rだけでも、自分の階区の軍資金として寄付する気はないのか。お前は第三階区の『象徴』だろう」
瞬間。
ラウンジの空気が、物理的な重さを持って凍りついた。
ソファで寝転がっていた処刑姫が、ゆっくりと上半身を起こす。
彼女の目がスッと細められ、獲物を狩る直前の猛獣のような、純度の高い殺意が俺の全身に突き刺さった。
「はぁ? 寝言は寝て言えよ、切島ぁ。6000万R? もう5000万Rしかないんだよ」
燐花は、氷のように冷たく吐き捨てた。
「お前、正気か? 入学してまだ2ヶ月だぞ?」
一体何に一千万もの大金を無駄に使ったのかまるで見当もつかない――と、言いかけた俺を置き去りにして、燐花はさらに畳み掛けてきた。
「テメェ、インテリのくせにバカなのか?」
「どう言うことだ?」
「いいか、これはパパが『アタシ個人』にくれた金だ。テメェら貧乏人の赤字補填になんて、1Rたりとも渡すわけねえだろ」
「階区全体のためだ。お前も無関係ではないはずだ」
「お前が勝てばいいだろ、勝てば。ドジしか能のない本屋のお嬢が象徴をやってる雑魚階区に、テメェはビビってんのか?」
「あぁ、そうだな。だが、俺はリスクヘッジの為にだな」
「うるせえよ。他人が飢えようが知ったこっちゃない」
燐花は立ち上がり、俺の胸ぐらを掴み、凄んだ。
「アタシの金はアタシの金だ。パパがくれた、アタシの大事な資産に手をつけようとする奴は、味方だろうが全員殺すぞ……」
殺気で周囲の空気が重く歪む様だ。
「……分かった」
「次、そのふざけた提案を口に出したら、その綺麗に撫でつけた金髪、根元から引っこ抜くぞ」
本気だ。
この女は、自分の快楽と資産を侵されることに対して、異常なまでの執着と排他性を持っている。
「まぁいい。お前の暴力さえ盤面で機能すれば、それで十分だ」
俺は小さくため息をし、深追いを避けた。
処刑姫はこの学園における武の頂点だ。俺たち武断派が10人がかりで挑んでも、止められるかすら分からない。
燐花との不用意な衝突は何も意味をなさない。
俺にできるのは、彼女の圧倒的な暴力を『最強の矛』として、敵陣の最も脆い部分に誘導することだけだ。
「俺が申請するパッチの内容を説明しておく。今回は生徒のパラメーターに対応した五つの場所にメンバー30人を配置し、ステータス合計値で陣取りをするゲーム」
「数字比べかよ。つまんねぇ」
「燐花、最後まで聞け。俺は、50Aを支払ってコロッセオとアビスの二つの特区においてのみ、ステータス勝負を無効化し、センサー付き保護ウェア着用の『実戦格闘』を許可するパッチを通す」
「へぇ? つまり、合法的にあいつらを殴り飛ばしていいってことだな」
燐花の瞳に、嗜虐的な熱が灯る。
「ああ。だが、それだけじゃない。敵の退路を完全に断つ『敗者賠償法』を組み込む」
俺は、自らの知略に酔いしれるように、口角を上げた。
「特区内で、我々への恐怖によりルールの『サボタージュ』を選んで逃げた生徒は、ペナルティとして『個人の所持Rの半分を勝者へ強制譲渡』しなければならない」
「あははっ、 最高じゃん! 殴られて痛い目を見るか、ビビって半分むしり取られるか。底辺のゴミ共にはお似合いの二択だ!」
「……さらに、だ」
俺はホログラムの法案データを指で弾き、傲慢に言い放った。
「特任教務委員会のAIは、相手だけを縛る不公平なルールには莫大なコストを要求してくる。そこで俺は、コストを50Aまで劇的に引き下げるために、一つの『ダミーテキスト』を仕込んだ」
「ダミー?」
「パッチの条文の最後にこう付け加える。『もし両陣営のサボタージュ等により特区が勝者不在となった場合、興行を不成立させた連帯責任として、『サボタージュ選択の有無に関わらず』当該特区内の全参加者から所持Rの半分を学園システムが強制没収する』……とな」
俺の言葉に、燐花が睨みつけた。
「それ。下手打ったら、ウチの連中も金没収されるだろ」
「システム上はな。敵味方どちらにも『所持R半分没収』という極大リスクを背負わせることで、AIの形式主義的な対称性評価の盲点を突き、『極めて公平な法案だ』と算術的に錯覚させ、要求コストを想定では本来の5分の1以下に割引する」
俺は鼻で笑い、完璧な論理を提示した。
「だが、安心しろ。これは永遠に発動しない、無害な飾りの死に設定だ」
「説明しろよ、切島ぁ」
燐花が珍しく、真面目な目で俺を見つめた。
「我々武断派が、敵前逃亡を選ぶなど天地がひっくり返ってもあり得ないだろ? ましてや、お前が降参するなど確率はほぼゼロだからな。俺たちが殴り勝つ以上、理論上は引き分けになどならないはずだ」
「……ふーん」
燐花は、あくびを噛み殺しながら爪の手入れを始めた。
「小難しい話はどうでもいいよ。要するに、アタシは特区に行って、目の前の雑魚どもを全員ミンチにすればいいんだろ?」
「そうだ。頼んだぞ、燐花」
「ま、面白ければなんだっていいけどさ」
燐花は残っていたシャンパンをラッパ飲みして、乱暴に口元を拭った。
その金色の瞳の奥で、八神燐花の天才特有の冷徹な計算が、俺の言葉を一言一句違わずデータとして保存されたと肌で感じる。
「さあ、狩りの時間だ。2日後、第五階区の貧民どもに絶対的な経済格差と暴力の恐怖を教えてやろう」
盤面は、俺の支配下にある。




