6・ご飯の後は
おばあちゃんの手作り弁当風のメニューをトウヤはゆっくりと食べ終えた。
長者屋敷の世話人さんは、冷めても美味しいものを作ってくれたんだ。こういう目立たないけど相手のことを思いやった気遣いって好きだな。
『あ、そうだ。伝え忘れてた』
いただきますとごちそうさまを。たぶん、トウヤはこれも知らないよね。
『食べる前と後に言う言葉があるんだよ』
ざっくりと説明してみせると、トウヤはこんな風に理解したようだった。
「それは祈りに似ていますね」
『そうかも!』
人間たちが何気なく使う言葉だけど、そこにはありがとうのひびきがある。少なくとも、犬のご飯前の号令の待てや良しにはない風情が感じられるじゃないか。
キレイに食べられて空になった食器の前で、トウヤが手を合わせ、目を伏せる。
ごちそうさま、って小さくささやくのは、まるで何かの祈りにも似ていた。
食器がカタカタ震え出す。
何か変だ。ハッとして私は周囲を探る。三角の耳を前に傾け、鼻に届く匂いの信号に最大限の注意をはらう。
……なんだろう。落ち着かない。何かの前兆みたいな……。
でも、危険だとか邪悪だとかって気配でもなさそう。
『うわっ!?』
空の小鉢から、小さな精霊がひょっこり現れる。足の生えたキノコの精霊だ。後から出てきた高野豆腐の精霊に手を貸して、小鉢からよっこらしょっと引き上げている。
『さっきの煮物だ!?』
精霊や妖怪なんてめずらしくもないけれど、なんの変哲もない食事が急に精霊の姿を得るなんてのは、長い歳月を生きたこの霊犬モナカもびっくりだよ。
『あばっ』
宙を浮遊する何かが、私の頭にぶつかってきた。ぬぼーんとして、でろーんとしている。宙をとろとろ気ままにさまようそれは、割れた卵の精霊かな。
食器を乗せたお盆の上で一つの稲穂がゆれたかと思えば、あっという間に部屋は実りの田んぼへ。稲穂の海だ。ただよう昆布。力強く泳ぐシャケ。
精霊たちはトウヤと私のそばにちょっと立ち寄って、こしょこしょ話のような挨拶をしてから、離れの壁をすり抜けながら去っていった。ある者は空。ある者は川。ある者は土。思い思いの場所へと。
食べものの精霊たちを見送ってから、平然とした調子でトウヤがたずねる。
「この後はどうすれば良いですか」
私の頭の中では、無数の言葉が右往左往。シンプルでひねりはないが勢いのある各種ツッコミたちが出番を主張したり、映画のセリフじみたユーモアのある返しがハイッと挙手したかと思えばやっぱり自信をなくて他の言葉の陰に隠れたり。
迷いと競合の末に私の口から出てきたのは、これまた平然とした言葉だった。
『……食べ終わった食器を洗うとかかな』
おろしたてのスポンジはこわばってて、トウヤの手にも食器にもしっくりフィットしない。
使っていくうちになじんでいくよ。そんなもんだ。
着物のそでがぬれないようにタスキがけ。丁寧だけど手慣れた仕草でトウヤはやってのけた。
できることとできないことが、色々とチグハグというか浮世離れしている。
『食事すると……』
いつもああなの? ってつい聞こうとして、私は口をつぐむ。まともな食事をとったのも、ごちそうさまを言うのも、きっとトウヤはこれがはじめてだ。
あれこれ問い詰めるより、食事が楽しいと思えるような声をかけよう。
『トウヤが食事をすると、あんなに賑やかになるんだね』
精霊の姿は誰にも見えるわけじゃない。もしもこの先、トウヤが人前で食事をする機会があって今回みたいなことが起きても、特に騒ぎにはならないはず。
離れの流し場には、水切りラックがない。離れを建てた人は、ここで本格的な料理をする想定じゃなかったんだね。いざって時は、母屋の台所を利用することだってできるんだし。
『フキンが何枚かあるね。一人分の食器だし、それで片づけられるよ』
広げたフキンの上でかんたんに水気を切った後、乾いている方で拭いていく。
手を動かしながらトウヤがつぶやく。
「モナカさんは博識ですね。……我らはこういったことを何も知らないのです。人が日々生きるためにおこなう、一つ一つの積み重ねを」
その声に、不満も怒りも困惑もない。
トウヤの表情は人形みたいに一定だ。




