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手の鳴る方へ、尾を振る方へ  作者: 下山 辰季


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5/5

5・毛が生え代わっても犬は犬

 食事の前にトウヤは手を洗ってる。

 蛇口から水が流れる音。洗面ボウルで水が跳ねる音。なんでもない日常の音が、やけに心地良く耳に届く。

 トウヤの動きってなんかこう、一つ一つが清浄で幻想めいてるんだよね。

 私が神妙な顔して水たまりに前足をつっこんだところで、こんな風情は出まいよ。


 しらないことが多いトウヤだけど、体をキレイにたもつ方法はちゃんと身についていた。

 身を清潔にすることも、トウヤにとって重要だったのかもしれないね。


『っていうか……』


 トウヤを管理してた存在にとって重要だった、って方が正確なんだろうな。

 蛇口が閉まる音がした。




 離れの北側には水回りがある。南の縁側や和室と違って、北側は和の風情をキープしつつ実用性を重視した造り。バリアフリーの和モダン空間。広くて段差がなくて壁に手すりとかがついてるんだよ。

 長者屋敷の前の当主が、老後は故郷に帰ってのんびり過ごしたいって思って建てたからね。でも、実際にこの離れは使われなかった。仕事を引退するより早く、街の方で亡くなったんだ。

 現当主も忙しそうにしてるし、たまにこの村に帰ってくる時は離れじゃなくて立派な母屋に滞在するしさ。


『この離れは世話人たちに最低限の手入れだけされて、ずっと放っておかれてたんだ。トウヤに貸されるまではね』


「……我らが使って良いものでしょうか」


 北側の部屋のテーブルに着いたトウヤが、少し不安げな面持ちで周囲を見回した。


『大丈夫だよ。人が住むために建てられた家だ。大事に使ってくれる人がいるなら、それが良いよ』


 想像だけど、離れの小屋も喜んでいることだろう。付喪(つくも)神にでもなっていれば、直接意見を聞くことだってできたけど、この離れはそこまで年季が入ってないからね。

 犬が霊獣、石や枝が妖怪変化になるように、人間が作ったものに心が宿ることがある。


「そうあるように、と求められた役目を果たすのは幸せなことなのでしょうね」


『だねー! 私も昔は番犬とかお使いとか、お伊勢参りとか、人の頼みごとを気前良く引き受けてたんだー!』


 モナカってば、なんて立派な犬なんでしょう! 褒めてくれて良いんだよ!

 ……む。つい調子に乗っちゃったけど、トウヤのようすが変だな。さっきの言葉で何か考えこんでいるみたい。

 長く生きた霊犬にも、相手の頭の中を読み解く神通力なんてものはそなわってない。そういう力はなくとも、心の内はなんとなくわかる。人間のことが好きな犬なら、特にめずらしくもない芸当だ。


『人や犬がこなす役目って、一時的なもので本質じゃない』


 トウヤはこの村に連れて来られた。自分の意志でそう決めたわけではなさそうだ。


『好むと好まざると、生きていると役目から降りたり外れる時がある。でもその変化は本質を損なうものじゃない。毛が生え代わっても犬は犬でしょ』


 大丈夫だよ。いつまでも悩んでないで、ご飯食べちゃいな!




 トウヤは箸を上手に使いこなしていた。だけどチグハグだ。調理されたご飯になじみがないのに、箸だけ使えるのってどういうことだろう?


 なんか変な想像しちゃった……。

 人間のお葬式で、焼かれた骨をひろうのは箸だよね。それから、神さまの儀式で白木の箸を使っているのも見たことがある。

 ご飯を食べるためじゃなくて、儀式か何かで必要だったから、箸を持てるようになった……ってことなのかな……。


 だから、左手にそっと包むように乗せたおにぎりをキレイな箸さばきで分解して食べるなんて、奇妙な食事風景になるんだね。数百年生きてきたけど、そうやっておにぎり食べようとする人はじめて見た。どうしよう。上品な仕草だけどすごく面白いぞ。


『おにぎりは直接パクッと口で食べるんだよ』


 トウヤは口元におにぎりを近づける。か細く開いた口でご飯をちょびっとかじりとった。やっぱり思ったとおり、中身はシャケだね。


『食事の作法ってややこしいよね。あーでもないとか、こーでもないとか』


 マナーは場所や時代によっても変わるし、新しく独自のマナーを言い出す人もいる。人の世によりそって生きてきた霊犬モナカも食事の作法にはそんなにくわしくはない。生きた犬だったころ、気持ちの良い喰いっぷりだねぇと褒められはしたけれども! 


『食べる人、作った人、まわりで食事をしている人。みんなが心穏やかにすごせてるのが、グッドなマナーだとモナカは思います』


 小学生の感想文っぽくまとめてみた。

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