1・新しい匂い
この辺鄙な村にめずらしく客がきた。ずいぶん遠いところから来たみたいだね。風が運んでくる匂いで色々とわかるよ。
男だ。子どもってほどじゃないけど年若い。青年ってところか。
小食で質素なものばかり食べてるね。自制心が強くて、活力は低そうだ。
それにただの人間じゃない。呪法やら妖術やら、そういった力を扱う手合いの匂いがプンプンする。
そんなヤツが何しにここへ?
『長者屋敷にむかってますよ』
『あの新顔の人間、どうします?』
私をしたう妖怪たちがキィキィ声で報告する。里の息吹と山の気配が混ざりあって生じた小鬼のような連中だ。
『何事も最初が肝心って言うだろう』
お気に入りの苔むした大岩の上から、私はゆっくりと身を起こす。自慢の尻尾を軽くゆらした。
話の通じる相手なら顔合わせの挨拶で済むだろう。
悪徳な霊能力者だったらすぐに追い払ってやる。
死して霊威を宿した名犬モナカの偉大さの前にひれ伏すが良い!
長者屋敷の広い庭。池では鯉たちがのびのび泳ぐ。母屋から少しへだったった場所に、離れが建っている。どちらも落ち着いた雰囲気の和風建築だ。
離れの縁側は雨戸も、引き戸式の大きな窓も開け放たれている。でも、縁側と部屋を区切る障子は閉まっている。人の気配と匂いはするものの、中の様子はうかがえない。
いいよ。むこうに開けさせるから。
大きな錦鯉たちが次々に景気良く跳ね上がる。
整った形のマツやツゲの木の間を爽快な風が吹き抜ける。
相手も何かを感じ取ったのだろう。
ためらうような、それとも焦らすような間を置いて、ゆるゆると障子が引かれていく。着物姿の人影が見える。
男と目が合う。
白い。
慣れ親しんだ犬の視界、青みと黄みと白黒の濃淡が広がる世界であっても、その白はまばゆかった。
村一番の美人猫と名高いユキちゃんに引けを取らないキレイな毛並みだ。
いや、人間は毛並みって言わないのか。白い髪だ。長く伸ばされている。
人の顔立ちの細かな美醜は正直よくわからない。ただ、暗い表情をしていることは感じ取れる。動作の一つとっても、丁寧というより元気がない印象だ。
ここに何しに来たのか探ろうと思っていたけれど、もしかしたら療養目的とかかもしれない。それくらい活気がなくて弱っているように見えた。
「……この土地の守護者でしょうか」
かすれた小声は聞き取りにくい。
それでもハッキリと伝わってきたものがある。
言葉の奥底ににじむ、隠し切れない病み。
私は警戒心を強めた。まだ本格的な威嚇こそしてないけれど、少し前のめりの姿勢になって堂々と立つ。
「羨ましい……」
この世の終わりみたいな顔をして、その場にへたりこんでしまった。
敵意はなさそうだけど、すごく心配!
「先ほどは、お見苦しいところをお見せしました」
『気にしなさんな』
離れの縁側に、白髪の魔術師と並んで座る。
落ち着くまでの間に断片的に事情を聞けた。まず、名前はトウヤ。
『もとは重要な場所を守る役目についてたってのに、いきなり用なしってことになっちゃったんだって?』
「そう……なのでしょうか。わかりません。でも、きっとそうなのでしょうね」
この調子だ。
トウヤは生まれてからずっと結界の維持を任されてきた。それだけのために生かされていた。
世話役の従者や指示を与える者とやりとりをするために、言葉は必要だったので、一応は話すことはできる。でも世間から切り離された生活をしてきたせいか、複雑な話をするのは難しい。
人といっしょに生きて、死んでからも人を見守り続けてきた私の方が、人間の社会にくわしいような気もする。というか、断言する。私の方がくわしい。
『しばらくはここにいる予定なんだよね?』
「はい。他に行く宛てもありません」
話を聞いた限り、トウヤは自分一人じゃ電車にもタクシーにも乗れそうにない。ここには、なかば厄介払いの形で従者に連れて来られたみたい。その従者も、すでに長者屋敷から立ち去っている。
この離れにいれば、すぐに衣食住に困るということはないだろう。
だけどそれだけを続けていくのは、あまりに……。
『よしよし、捨て人間。私が面倒を見てあげようね』
なんだかんだで私は人間が好きなのだ。
「そうですか。ありがとうございます」
特に感謝もしていないし、別にイヤミをぶつけるつもりもない。そんな平坦な声でお礼の言葉が告げられる。
トウヤが人間の世界で楽しく生きられるようにするには、色々と教えることが多そうだね。




