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第7回:ドラマ・映画の渡世人像―風と映像の時代劇革命

了解しました。

以下は第7回エッセイ――


⇒「ドラマ・映画の渡世人像―風と映像の時代劇革命」


講師・アシスタント・ボケの三人構成での語り形式です。

第6回の「文学に描かれた渡世人」から自然に繋がり、今回は“映像が渡世人をどう生かしたか”を描きます。

木枯し紋次郎のドラマ化を中心に、映画史・演出革新・文化的遺産まで俯瞰する内容です。




■第7回:ドラマ・映画の渡世人像―風と映像の時代劇革命




(-⊡ω⊡)_/

前回、我々は紙の上の渡世人――“文学の中の孤独な男”を見た。

では今回は、光と影の中に立つ彼ら、

つまり“スクリーンとブラウン管の渡世人”たちを語ろう。


文学が理想を描いたなら、映像はその呼吸を映した。

風の音、笠の影、沈む夕陽――

それらが一つの文化を築いたのだ。




■1:股旅物映画の始まり―「庶民の夢と自由のかたち」


(-⊡ω⊡)_/

渡世人が初めてスクリーンに立ったのは、1920年代のこと。

長谷川伸が新国劇に書き下ろした『沓掛時次郎』『股旅草鞋』が火をつけた。

義理と人情、そして旅。

この三拍子が、庶民の心を撃った。


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当時の日本は都市化の波が進み、自由を求める空気が生まれつつありました。

股旅物は“放浪する自由”を疑似体験させる娯楽であり、

権力批判を間接的に描ける安全なジャンルでもあったのです。


(-⊡ω⊡)_/

戦後になると、東映京都撮影所がこの流れを受け継ぐ。

時代劇の黄金期、スクリーンを駆ける無宿者たちは、

社会の矛盾を背負いながら、痛快に刀を振るった。

彼らは――民衆の代弁者だったのだ。


(´・ω・`)<悪を斬っても、政府に捕まらない。夢の世界だね。

(-⊡ω⊡)_/<その夢が、人々の息抜きになった時代さ。




■2:テレビドラマに吹いた風―『木枯し紋次郎』の衝撃


(-⊡ω⊡)_/

映像化の頂点は、やはり1972年のフジテレビ版『木枯し紋次郎』。

監督は市川崑、主演は中村敦夫。

全38話で、平均視聴率30%を超えた異例の大ヒットだった。


>「あっしには関わりのねぇことでござんす」


この一言が、全国に木霊した。


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放送は土曜22時30分。

それでも子供から大人までがテレビの前に集まりました。

三度笠や道中合羽のグッズが飛ぶように売れ、

主題歌「だれかが風の中で」(上條恒彦)はオリコン1位。

時代劇が“流行文化”になった瞬間です。


(-⊡ω⊡)_/

市川崑は、従来の“剣劇美”を壊した。

殺陣は泥臭く、リアルに。

夕陽のロケに三ヶ月を費やし、刀光の代わりに“風”で緊張を演出した。

マカロニ・ウェスタンの手法を時代劇に持ち込み、

日本のテレビ表現を一段引き上げたのだ。



(´・ω・`)<つまり、「風」と「沈黙」で視聴率30%?

(-⊡ω⊡)_/<ああ。沈黙の中に“義理”が聞こえたんだ。




■3:俳優たちの“渡世”―映像に宿る孤独の演技


(-⊡ω⊡)_/

中村敦夫の演技は、まさに冷徹と優しさの境目に立っていた。

原作者・笹沢左保は別の俳優を希望したが、

市川は「彼の沈黙こそ紋次郎だ」と言い切った。

結果――孤独の美学が完成した。


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撮影中の事故(アキレス腱断裂)にもかかわらず、

スタンドインを駆使して撮影を続けたエピソードは有名です。

現場のスタッフ93名が倒産寸前の大映に残留を願い出て、

“映像京都”が誕生したのもこの作品が原点でした。

まさに現実の「渡世」ですね。


(-⊡ω⊡)_/

一方、映画では市川雷蔵が静かなる渡世人像を築き、

高橋英樹が『桃太郎侍』で明るい義侠の理想を体現した。

それぞれの表情に、「渡世人=人間の多面性」が映っていた。



(´・ω・`)<雷蔵は冷たく、英樹は熱い。風の温度が違うんだね。

(-⊡ω⊡)_/<うむ。どちらの風も、観客を泣かせた。




■4:股旅と任侠―二つの道、同じ魂


(-⊡ω⊡)_/

ここで整理しておこう。

股旅物と任侠映画――似ているようで、違う。


股旅は、旅する孤独者の義理と放浪。

任侠は、組織の掟と忠義。


前者は「風」、後者は「炎」。

その違いが、東映と大映の作風を分けた。


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しかし境界は曖昧で、

工藤栄一や山下耕作の監督作品では両者が融合します。

菅原文太の女侠客役など、股旅と任侠の魂が交差する瞬間は、

“自由と掟”という永遠のテーマを鮮やかに照らし出しました。


(-⊡ω⊡)_/

どちらも“社会の外”に立ち、

自分の正義で人を救う。

それが、映像の中の渡世人だ。




■5:風は今も吹いている―『木枯し紋次郎』が遺したもの


(-⊡ω⊡)_/

『木枯し紋次郎』の放送から半世紀。

だが、あの風はまだ止んでいない。


リメイク版『新・木枯し紋次郎』(1977)、

映画『帰ってきた木枯し紋次郎』(1993)、

そして群馬県太田市の「三日月村」。

観光地にも、ネットのBotにも、彼の影が生きている。


ჱჴƠωƠჴჱ

SNS時代になっても、

「あっしには関わりのねぇことで――」という言葉は

共感の象徴として拡散されています。

孤独と優しさを両立するヒーロー像は、

現代の視聴者の“心の避難所”でもあるのです。


(-⊡ω⊡)_/

市川崑の映像革命、笹沢左保の物語、

中村敦夫の孤独な表情。

それらが合わさって、

“風で語るドラマ”という芸術が生まれた。



(´・ω・`)<風が語るドラマ……なんか詩みたいだね。

(-⊡ω⊡)_/<渡世人の物語は、詩そのものだったのさ。




★結び―渡世人はスクリーンを越えて


(-⊡ω⊡)_/

映像は、渡世人の孤独を「見える形」にした。

そして、彼らを永遠に生き続けさせた。


木枯らしは、今もどこかで吹いている。

それは、誰もが心の中で抱える“筋の風”――

譲れない誇り、守りたい何か。


映像の中の渡世人は、

もう刀を抜かない。

だが、彼らの眼差しはいまも我々を見ている。

「お前はお前の筋を通せ」と、

静かに語りかけながら。




■次回予告:第8回:渡世人と異世界創作


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無宿の渡世人が活躍する異世界ロードムービー風ハイファンタジー作品 『異世界三度笠無頼 ―凶状持ちの渡世人が、精霊の異郷へ旅立った―』の作品内容紹介テイザーサイトへのリンクです。 作品についてはこちらを御覧ください。
異世界三度笠無頼関連
作品紹介テイザーページ
【異世界三度笠無頼:本編】
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