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第3回:渡世人の歴史的背景 ― 義理と孤独のあいだで生きた男たち ―

第3回:渡世人の歴史的背景


― 無宿の世を生きた者たち ―


(-⊡ω⊡)_/

さて、今回の講義では「渡世人はどこから来たのか?」という、根本の部分に踏み込みます。

江戸時代の股旅ものに登場する“渡世人”は、決してフィクションから生まれた存在ではありません。

その起源は戦国の乱世にまで遡るのです――。


◆1. 無宿人の起源:戦国の動乱から流浪へ


(-⊡ω⊡)_/

戦国時代、戦に敗れた者たち、領地を失った農民、浪人――。

この“流浪する人々”こそ、後の無宿人の原型です。

豊臣秀吉の刀狩り・太閤検地によって、土地を持たぬ者が急増。

江戸幕府成立後、彼らは「宗門人別改帳」から外れた存在として、“戸籍外れの民”とされました


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つまり、現代の言葉でいえば「どこの誰とも記録されない人たち」ですね。

制度外=社会的には“透明人間”のような存在……。


(´・ω・) (´・ω・)<え、つまりマイナンバー無い人?

(-⊡ω⊡)_/<まぁ、だいたい合ってる。


江戸中期には享保の大飢饉(1720年代)で無宿が急増。

仕事を求めて江戸に流れ込むが、住所も保証人もない彼らは“浮浪者”として取り締まり対象にされていきます。


◆2. 渡世人の誕生:無宿から「義理ある流れ者」へ


(-⊡ω⊡)_/

18世紀――江戸中期の頃。

ただの“無宿”とは違い、義理と筋を重んじながら旅をする者たちが現れます。

それが「渡世人」。


彼らは諸国を巡り、一宿一飯の恩義を忘れず、

時には仲裁、時には喧嘩の調停、時には用心棒として働きながら暮らしていました


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“渡世”という言葉自体に、「世を渡って生きる」という意味が込められているんですよね。

現代風に言えば、“フリーランス義侠業”みたいな。


(´・ω・) (´・ω・)<クラウド任侠サービス。

(-⊡ω⊡)_/<言葉のセンスが現代過ぎる。


象徴的な人物は甲州博徒の竹居安五郎(1811-1862)。

義理を通し、飢饉と圧政の中で人々を守った侠客的渡世人として知られています。


◆3. 幕府から見た渡世人:厄介者か、調停者か


(-⊡ω⊡)_/

幕府にとって渡世人は、治安維持の観点では“厄介な存在”でした。

長脇差を持ち歩き、移動を繰り返す。身分不明、定職なし。

――「社会不安の温床」として、監視と取締の対象です


しかし、一方で下層社会の揉め事を収める調停者でもあった。

幕府の手が届かない地域では、彼らが“影の行政”を担ったのです。


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「公式には敵、非公式には便利な存在」――

この二面性こそ、渡世人の本質かもしれませんね。


(´・ω・) (´・ω・)<つまりバグ技で動く治安維持システム。

(-⊡ω⊡)_/<うむ、修正版アップデートは幕末まで来なかった。


◆4. 侠客・博徒との違い


(-⊡ω⊡)_/

ここを整理しておきましょう。

渡世人は「無宿」の総称。

侠客と博徒は、その中から派生した“専門職”のようなものです。


侠客:弱きを助け、義理を通す。社会的正義を掲げる任侠型。

博徒:賭場を仕切り、金と縄張りを巡る興行型。

渡世人:定住せず、両者を橋渡しする流浪型。


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なるほど、社会的機能で分ければ「侠客=ボランティア」「博徒=企業家」「渡世人=フリーランサー」ですね。


(´・ω・) (´・ω・)<どの世界にもブラック案件はあるってことか。

(-⊡ω⊡)_/<筋を通せば報酬も心意気も生きる。

そこが渡世人の哲学だ。


5. 守り手としての渡世人


(-⊡ω⊡)_/

江戸後期になると、幕府は渡世人を“治安維持の協力者”として黙認するようになります。

八州廻りの目が届かぬ村々では、彼らが喧嘩や借金を仲裁し、秩序を保った


ただし、その立場は常に危うく――一歩間違えば犯罪者、

一歩踏み出せば義侠の英雄。

まさに綱渡りの生き方でした。


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「裏の治安官」みたいな存在ですね。

正義を名乗るには資格がいらないけど、責任は重い。


(´・ω・) (´・ω・)<それってまるで……作者業?

(-⊡ω⊡)_/<いいところを突いた。物語を書く者もまた、世を渡る渡世人よ。

_(┐「ε:)_{作家の仁義忘れんなよ!



6. 幕末から明治へ:渡世人の終焉と変容


(-⊡ω⊡)_/

幕末になると、開国と内乱で世は再び動乱の時代へ。

流浪の民が激増し、渡世人文化は最盛期を迎えます。


しかし明治維新で戸籍制度が整うと、彼らの居場所は消えました。

流浪は“犯罪”、義理は“前科”とされ――。

近代国家に「渡世人の余地」はなかったのです


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ただし、その精神は消えなかった。

清水次郎長のように社会事業に転じた者も多く、「任侠=社会奉仕」の萌芽を残しました。


(´・ω・) (´・ω・)<つまり現代のNPO法人?

(-⊡ω⊡)_/<まぁ、刀をペンに持ち替えた義侠たちだな。


結び:義理と孤独の間に生きる者


(-⊡ω⊡)_/

渡世人とは、社会の枠に入れなかった者でありながら、

筋と義理を支えに己の誇りを守った人々でした。


制度から弾かれた“外”の世界にこそ、

もうひとつの日本の精神史がある――。


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現代の「孤独な自由人」たちにも、通じる生き方ですね。


(´・ω・) (´・ω・)<つまり、俺も立派なネット渡世人?

(-⊡ω⊡)_/<お控えなすって、ネットの義理も忘れずに。



(´・ω・`)つ【以下追加記事】


第3回補足:渡世人の裏側 ― 治安政策に封じられた「自由」


(-⊡ω⊡)_/

さて、今回はさらにおまけ

「渡世人がどうして幕府の“治安対象”になったのか?」

――その歴史的経緯を掘り下げていきましょう。


義理と人情を背に生きた渡世人たちも、幕府にとっては“秩序の外”。

彼らの「自由な生き方」は、時として“危険な自由”と見なされたのです。


[1]人足寄場 ― 社会更生か、強制収容か


(-⊡ω⊡)_/

時は寛政2年(1790年)。老中・松平定信は、天明の大飢饉であふれた無宿人を取り締まるため、

江戸・石川島に「人足寄場」を設置します。

これが、後の刑務所制度の原型とされる施設です。


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長谷川平蔵――そう、「鬼平犯科帳」の鬼平――が現場の責任者でしたね。

彼の温情と冷徹が同居する政策が、この寄場に色濃く反映されています。


(-⊡ω⊡)_/

うむ。表向きは「職業訓練による更生」。

大工・紙すき・米つきなどの技能を教え、賃金まで出る。

だが実態は――脱走即追放、監視付きの“強制労働”。

飢えと貧困で逃げた者が、再び捕まって戻される、そんな地獄のループでした。


(´・ω・) (´・ω・)<ブラック企業の江戸支店……。

(-⊡ω⊡)_/<うむ、タイムスリップしても入りたくない職場ランキング上位。


収容者の多くは渡世人。

博打や口論ひとつで「浮浪の徒」とされ、

義理の絆を絶たれた彼らは、ここで“世間から切り離される”のです。


[2] 佐渡金山 ― 黄金の裏に沈んだ魂


(-⊡ω⊡)_/

次に触れるのは、江戸幕府最大の「見えない収容所」――佐渡金山。

新潟・佐渡島の坑内には、

江戸・大阪・長崎などから送られた無宿人約1,800人が働いていました。


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坑道の水をくみ上げる“水替人足”。

酸欠、油煙、真っ暗闇の中での作業。

平均寿命3年――“黒い血を吐く”病もあったとか。


(-⊡ω⊡)_/

その通り。

幕府は「更生の場」と称したが、実際には治安対策+労働力確保。

都市の浮浪者を排除し、同時に金を掘らせる。

まさに“一石二鳥”の政治。


(´・ω・) (´・ω・)<いや、命の値段が軽すぎる……。

(-⊡ω⊡)_/<渡世の自由と引き換えに、国家は“鉱山の鎖”を与えたのだ。


この地には今も「無宿供養碑」が残ります。

名もなき渡世人たちの墓。

彼らは、筋を通す場所すら奪われて、土の下で“静かなる仁義”を貫いたのです。


_(┐「ε:)_{ちなみに作者は佐渡金山を観光で行ったことがありますが、終始奇妙な視線を感じていました。今にして思えばあれが無念の魂たちだったのかもしれません。


[3]島流し ― 自由の海を越えられぬ者たち


(-⊡ω⊡)_/

そして、最も重い処分――遠島(島流し)。

江戸では罪の軽重を問わず、無宿・渡世人がこの刑に処されることがありました。


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行き先は佐渡、伊豆七島、隠岐など。

浦賀から出る流人船は年3回、

“片道きっぷ”そのもの。航海中に餓死する者も多かったそうです。


(-⊡ω⊡)_/

彼らは罪人ではなく、“存在そのものがリスク”とされた。

武装禁止、江戸立ち入り禁止。

「動くこと」そのものが秩序の敵とされたのです。


(´・ω・) (´・ω・)<つまり、“歩く自由”が罪だったんだ……。

(-⊡ω⊡)_/<ああ。渡世人とは「動くことによってしか、生きられない者」だったのにな。


島流しの渡世人は、孤立しながらも筋を通した。

労働に耐え、誰に見られずとも義理を守る。

その生き様は、明治の新政府にも語り継がれ、

「近代刑法の礎」となっていきます。


[4] “抑圧と保護”の二重構造


(-⊡ω⊡)_/

まとめよう。

幕府の政策――人足寄場、佐渡金山、島流し。

どれも“治安維持”の名の下に、自由を封じた制度だった。


だが同時に、それは「衣食住を保障された唯一の場所」でもあった。

保護と抑圧――表裏一体の関係だ。


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まさに、現代社会にも通じますね。

“安全のための管理”が、“自由の剥奪”になる構図。

江戸の渡世人たちは、そのジレンマを最初に生きた人たちかもしれません。


(´・ω・) (´・ω・)<今で言うと、派遣業とかにも似てるよね……。

(-⊡ω⊡)_/<おっと、そいつは次の世の義理話だな。


§ 結び:封じられた義理の灯


(-⊡ω⊡)_/

寄場に囚われても、金山に沈んでも、島に流されても――

渡世人たちは「義理」を忘れなかった。


制度は彼らを“無宿”と呼んだが、魂には確かな“宿”があったのだ。


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社会の片隅で消された自由の形。

それでも、彼らの生き方が「筋」として語り継がれた。

その記憶こそ、渡世文化の真髄ですね。


(´・ω・) (´・ω・)<義理って……消えないんだね。

(-⊡ω⊡)_/<ああ。義理は火のようなもんだ。風が吹けば燃え上がる。



□ 次回予告

第4回は「渡世人の言葉と美学」。

――「仁義」「義理」「筋」の違いとは?

そして、「啖呵」「盃」「三下」といった言葉の裏に潜む、渡世人の美意識を掘り下げます。


(´・ω・`){作者が、想像以上に深い世界だと驚いてました。



(´・ω・`)つ 読者へのご案内

このエッセイは、拙作『異世界三度笠無頼』に連なる考察シリーズです。

股旅ものの「渡世人」を異世界に転生させたら?――そんな発想から始まった物語。

もしよければ、作品本編も覗いてみてください。


下のリンク先からどうぞ

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無宿の渡世人が活躍する異世界ロードムービー風ハイファンタジー作品 『異世界三度笠無頼 ―凶状持ちの渡世人が、精霊の異郷へ旅立った―』の作品内容紹介テイザーサイトへのリンクです。 作品についてはこちらを御覧ください。
異世界三度笠無頼関連
作品紹介テイザーページ
【異世界三度笠無頼:本編】
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