卒業〜Necessary for us〜 2
卒業式を終えたその夜。
私は佳穂と一緒に、先生――ううん、今日からはもうただの恋人――と共に佳穂の実家を訪れていた。
私と佳穂の卒業祝いとして、リビングのテーブルには、佳穂の大好きなケ◯タッキーのバーレルにサラダやオードブルなどが所狭しと並び、美味しそうな匂いが部屋中に漂っている。
先生と佳穂、そして二人の父親であるおじさんで過ごす家族団欒の場に、“他人”の私がいていいのか最初は迷ったのだけれど、三人とも私がここにいることが当然のように振る舞ってくれている。そのことがとても嬉しく、ありがたかった。
――ちなみに、おじさんは私と先生が恋人だということをまだ知らない。もちろん、同居していることも。
そのことを打ち明けるのは、もう少し時間をおいてからにしようと、佳穂と先生と三人で決めていた。
乾杯を終えて、話題は自然と私と佳穂の進学先へと移った。それぞれが第一志望校に合格できたことを喜ぶ会話のなかで、先生が口を開く。
「お前に教師なんて務まるのかねえ」
その言葉通り、佳穂が進学校に選んだのは都内にある音大の教育学部。将来は、中学校の音楽教師を目指している。
「は?兄貴にできるんだから私にできないわけないじゃん」
ムッとしながら返す佳穂に、この野郎、と先生は手元のティッシュを投げる素振りを見せたけど、見るからに楽しそうで。
二人が兄妹だと知らなかったから嫉妬してしまうほどだ。
だからだろうか、私はつい、いたずら心を抑えきれなかった。
「でも佳穂が教師を志したきっかけって、先生を見て憧れたからだって言ってたよね」
「ちょ、紗妃!それは言わない約束でしょ!?」
「あれ、そうだった?ごめんね」
わざとらしくとぼけてみせると、先生がニヤニヤと佳穂を見つめた。
「ほう、そうなのか」
「ちょっと兄貴、その気持ち悪い顔やめてくれる?」
「はいはい、そうですか。小さい頃は毎日俺の手を握りしめながら寝てたお前が俺と同じ教職目指すなんて、感慨深くてさ」
「そ、そんなことは記憶にございません!」
「俺が隣にいないことに気付くと泣きべそかきながら起きてきてさあ。あの頃はほんと可愛かった、懐かしい」
先生が笑えば、おじさんも目を細めてうなずいた。
「そうだな。俺が働き詰めだったから、佳穂は昔から兄ちゃん子だったもんな」
「全部演技だし。兄貴が私のお世話をしたくなるように仕向けてただけ、大成功」
「またまた。兄ちゃんが家を出るってなった時、お前最後まで反対してただろう」
「それは、兄貴がいなくなったら私が家事をやんなきゃいけないからだよ!」
揶揄うおじさんに向かって、佳穂は顔を真っ赤にして叫んでいる。なんとしてもお兄ちゃん子を否定したいらしい。
そうやって必死になるところが、そうだって言ってるようなものなのにね。
ちらりと隣の先生を見ると、先生はまんざらでもない様子で佳穂の苦しい言い訳を聞いている。
――ああ、すごく嬉しそう。先生もなんだかんだいって佳穂のことすごく可愛いんだろうなっていうのが伝わってくる。
「その割には、引っ越した日の夜寂しいって泣いてたじゃないか」
「へえ、それは初耳」
先生が楽しげに言うと、佳穂は机をばんっと叩いた。
「泣いてない!それは激しく否定する!」
「照れんなよ」
「私のど、こ、が!照れて見えるの!?」
「本当にお前は素直じゃないな。誰に似たんだ?」
「親父じゃね?」
「いや俺はここまで酷くないぞ」
「じゃあお袋?」
「まさか!母さんは素直そのものだった、そもそもこんなに大声でがなったり絶対しなかったし」
「ねぇ二人して私をディスるの何なの?ひどくない?…はあ、もうやだ、ほんと疲れるこの家族。ちょっと紗妃もなんとか言ってやって!?」
急に矛先を向けられて、私は肩をすくめて笑った。
「佳穂、せめて家族の前では素直になったほうがいいと思う」
「ええ、紗妃までそっちの味方…?」
まさかの孤立無援状態に佳穂ががっくり肩を落とした。リビングに響く笑い声は、それでもやっぱり温かい。
そのとき、佳穂のお父さんが、ふと真剣な目をこちらに向けた。
「紗妃ちゃんも、うちの家族みたいなもんだからな。遠慮しないで、これからもどんどん来なさい」
え、と顔をあげるとそこにはおじさんの柔らかい笑顔。それを見て、先生と佳穂も笑って頷いている。
――まるで当たり前のように、そうすることが初めから決められていたみたいに受け入れてくれる人たち。その温かさが、たまらなく嬉しい。
ずっと、ここが自分の家ならどんなにいいだろうと思っていた。だけど私は他人で、決してそう望んではいけないと思っていた。
でもいつか先生と結ばれて、本当にここが私の帰る場所の一つになったとしたら――ねえそれって、すごく幸せなことだね。
「…はい」
胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら私は頷く。
先生の隣の次に居心地の良いこの家の玄関を、「ただいま」と言いながら開ける日がきっと来ますようにと願いながら。
***
佳穂の家で卒業祝いを楽しんだ後、私と先生は佳穂に見送られて帰路についた。
駐車場に停められた先生の車に乗るとき、いつもの癖でバックシートに乗ろうとした私を、先生が引き留めた。
「紗妃。こっち」
運転席の先生が、ポンポンと助手席のシートを叩いて示す。
その意味にはっとして、私は先生を驚いて見つめた。
「もう隠す必要ないもんな?」
――いつ誰に見られるか分からないから助手席はやめておこう、というのが私達のルールだった。
だけどもうそれは意味を持たない。だって私は先生の生徒じゃないから。
「…はい」
私は後部座席のドアを閉め、助手席にまわると、緊張しながらドアを開けた。
ずっと憧れだった助手席。ここに座ることをどれだけ夢見ていただろう。
すぐ隣には愛しい人の笑顔。こんなに距離が近いんだ、と思わずドキドキしてしまう。
乗りなれた車のはずなのに、座る場所が違うだけでこんなに胸が弾むなんて知らなかった。
「すごく楽しい時間でしたね」
「うるさくなかった?三人揃うといつもあんな感じ、ほんとごめん」
「全然!仲のいい家族だなぁって思いながら見てました。先生と佳穂もほんとに仲が良くて…私もお兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなぁ、なんて思ったりして」
一人っ子の私には兄妹がいる生活なんて想像もできないけれど、もしいたならあんな風に何気ないことで言い合ったり笑い合えたりできたのだろうか。
同じ家庭で育ったもの同士、通じ合う何かが芽生えたりするものなのかもしれない。先生と佳穂がそうであるように。
「紗妃が妹か…それはちょっと気苦労が絶えない気がする」
「え、どうして」
「可愛いすぎるから。学校以外は外出禁止ね」
真面目な顔して言うものだから、私は思わず吹き出した。
「友達と遊びに行くのもダメですか?」
「ダメじゃないけど、俺も一緒についていく」
「ええ?そんなんじゃ彼氏もできなさそう」
「は?俺がいるんだから要らないだろ、そんなの」
不満を隠さないその口調はまるでヤキモチを妬いてるようで、すごく嬉しい。
…なんて言ったらもっと拗ねちゃうかな?
「でも兄妹だと色々都合悪いからさ、設定を変えられるとしたら先輩後輩でお願いしたい」
「色々?」
「そう。色々、ね」
にやりと含み笑いをするところを見ると、あまり深追いしない方が良さそうだ。そう直感が警告したので、私は具体的に突っ込むのをやめて、別の方向へ話を広げることにした。
「じゃあ例えば…バスケ部の先輩後輩とか?」
「ああ、いいね。紗妃が俺に一目惚れするとかどう?」
「え、私が?」
「紗妃からアプローチされたいな。つっても多分紗妃はグイグイくる感じじゃなさそうだから、ちょっとしたところで他と差をつけそう」
「どんな風に?」
「なんだろ、周りが苗字呼びする中で、敢えて名前呼びしてくるとか?結構そういうの、グッとくるんだよな」
「なるほど。こんな感じですか?――『今日も部活頑張りましょうね、龍先輩』」
悪戯心でそう言って先生を見上げたら、先生が息を呑んだ。
そしてどこか困惑したような、照れたような、複雑な表情で私をちらりと見やった。
「…紗妃、今のはちょっと」
言葉を濁す先生の横顔を見て、私ははっとする。
なんの考えもなしに呼んじゃったけど、あくまで仮定の話であって、決して気持ちいいものではなかったのかもしれない。
「ごめんなさい!さすがに嫌ですよね、私にそんな風に呼ばれるの。冗談が過ぎました」
「嫌では全然ないんだけど…ただ、運転中は避けてもらえると助かる」
「……?」
なぜ限定的なのだろう、と首を傾げていると。
「そういう不意打ちは心臓に悪いから。でも家に着いたらさ、その、是非もう一回お願いします…」
やけに落ち着かない様子で、先生が口の両端を上げて言った。想像するだけで楽しくて仕方ないと言わんばかりに。
それでようやく先生の言葉を意味を理解した私は、安心すると同時に思わず苦笑した。
「――ところで、明日どっかご飯食べに行かない?念のため、今月中はあまり派手に動かない方がいいと思うから、家の周辺になるけど。二人の新しい門出をお祝いしよう」
それは思いがけない提案だった。
私は胸を弾ませ、迷わず大きく頷く。
例えそこが見慣れた街の一角だとしても全く構わない。先生と二人で外食したことなんてないから、ただそれだけで特別だ。
「何がいい?ちょと贅沢に寿司とかどう?」
「いいですね」
「佳穂には内緒な?アイツに言ったら絶対ついてくるし」
「分かりました」
くすくすと笑いあう二人を乗せて、車はネオンに照らされた街の中を走り抜けていく。
いつも先生の背中越しに見ていた景色が、今は遠くまで明るく煌めいて見える。
それは、ねえ、きっとあなたが隣にいるから。
「あとさ、紗妃が大学入って落ち着いたら旅行行こうか」
「旅行!行きたいです」
「ゴールデンウイークあたりかな?夏でもいいんだけど。あ、花火大会は絶対行こう、浴衣着てほしい」
「普通の服じゃダメなんですか?」
「いやダメってことはないけどさ。やっぱ男の憧れじゃん?浴衣姿の彼女と花火デート。そんで最後は二人きりになって脱が…」
「それは却下です」
「え!じゃあ何のために浴衣着るわけ??」
真面目な顔で邪な想像を働かせる先生に私は呆れたため息をついた。
だけどそんなところも、本当は愛しくてしょうがなくて――「頼むよ、一生のお願いだから!」と懇願し始めた先生が面白くて声をあげて笑う。
私たちを縛るものはもうない。
なんだってできる、どこへだって行ける。
もう負い目を感じる必要などないこの世界で、こうして未来の話ができることがとても嬉しい。
「そうだ、それからさ、先生って呼ぶのもうやめてくれる?」
「え…」
突然言われて戸惑った。なんせ今までずっと先生と呼んでいたのだ、無理もない。
「な、なんて呼べば…」
「普通に、呼び捨てでいいよ」
「それはちょっと…!年上ですし…!」
「なんで?ベッドでは呼んでくれるのに」
「先生!」
突然恥ずかしいことを言われて、私は顔を真っ赤になった。
そんな私を「いや、事実じゃん」と先生は笑っている。
確かにそうなんだけど、別に今引き合いに出さなくてもいいと思う!…本当、時々意地悪なんだから。
「まあ任せるけど、『先生』以外で頼むよ」
「努力、してみます…」
「うん。あと言葉遣いも、明日からため口でよろしく」
「え、それも!?」
思わぬところを突かれて私は息を呑んだ。
話し方だってずっとこうだったわけで、それを明日から変えろというのもハードルが高すぎる。
でも…。
「だって付き合ってるのに敬語とか普通ないだろ。呼び方もそうだけど、これから色んなところに出かけるんだからさ」
そう言われては、返す言葉もない。
確かに今のままでは変に誤解されてしまう。
これを機に、どちらも思い切って改めた方がいい…のかもしれない。
「わ、わかりました。でも、あの、それも努力義務でお願いします…」
「あー絶対変える気ないやつ、これ」
私を見透かしたのか、呆れて困ったように先生が笑う。
だけどそれはあまりに優しい笑顔だったから、見とれて私も一緒に笑った。
密かに始まり、密かに育んだ恋。
あの日泣いたことも悩んだことも、少しずつ色褪せ、やがて愛おしい思い出となるだろう。
だけど私達はこれからもっと沢山の思い出を作っていく。
教師と生徒ではなく、恋人同士として…きっと、いつかは夫婦として。
この1年半よりもっと長く、永遠に続いていくかのような穏やかな時間の中で――二人出会い恋に落ちたことは必然だったのだと、他でもないあの頃の私達に証明するために。
これにて完結となります。(予定です←)
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後日、眞中くんのスピンオフを別ページで始める予定ですので、そちらも読んでいただけると嬉しいです!




