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1-6.先生と親友の関係

先生と一緒に暮らし始めてから、約1週間。

ここでの生活にも少しずつ慣れ始めた頃、その事件は起きた。


すっかり日も暮れた金曜日の夕方、部屋の掃除をしていると、静かな部屋に固定電話のベルが鳴り響いた。

いつもなら先生が電話を取るのだけれど、生憎まだ帰ってきていない。

掃除機をオフにしてみたものの、取るべきか少し迷う。

先生や生徒とか、学校関係の人だったらどうしよう。私を知ってる人だったら問題になるのは間違いないし…。

でも、と思う。


(固定電話だし…大丈夫、だよね…?)


学校の連絡網で公開されているのは先生の携帯番号だ。固定電話の番号は担任生徒の私ですら知らない。

ということは、多分仕事関係じゃなくプライベートな電話なんじゃないだろうか。

大切な用事かもしれないし、伝言程度なら受け取っておこう――そんな軽い気持ちで鳴り響く受話器を取ったのだけど、その浅はかな考えはすぐ後悔に変わることになる。


「はい、もしもし」

応答したものの、受話器の向こうから返事はない。

代わりに聞こえて来たのは車や人が行き交う街の喧騒、少なくとも電話自体が繋がってないわけではなさそうだ。

不自然な沈黙に不安を覚えて、私は少し声を強張らせて再度尋ねた。


「もしもし?どちら様でしょうか?」


それでも返答はなかった。間違い電話か、それともいたずら電話か。どっちにしたって、こうも沈黙が続くと気味が悪い。


「もしもし?用がないなら切りますよ」


最終通告とばかりに告げると、ようやく受話器の向こうから声が聞こえた。それも…ひどく聞き慣れた声が。


『…紗妃…?』

まさしく名前を言い当てられ、心臓が跳ねた。

だけどそれだけじゃない。

受話器の向こうから聞こえてきた、その声は。


「…佳穂?」

思わずその名前が口から出ていた。

顔を見られたわけじゃないのだから誤魔化せばよかったのかもしれないけど、あまりに気が動転して言い訳することすらできなかったのだ。

そしてその名前を呼んだことが、佳穂にとっては決定打となった。


『…紗妃、なのね?どうして?なんで、あんたが電話に出るの?』


電話の向こうからは驚きと困惑が混じったような声が聞こえてきたけれど、それは私も同じだ。


「…なん、で…って…」

『どういうことなの、紗妃』

「あ、私…っ、――ごめん!」


真っ白な頭ではろくに話すこともできず、私は強引に電話を切った。

受話器を押さえたまま、思考が目まぐるしく回る。


(どうしよう、どうしよう…!)


なぜ佳穂が先生の固定電話を知っているのかという疑問が今更浮かんだけど、そんなこと今は問題ではない。

佳穂にバレてしまった。よりによって学校の関係者に。


(佳穂になんて説明すれば…。待って、その前に先生に連絡を…!)


自分の携帯から先生の連絡先を探すのに、指が震えてうまく操作できない。

だけどようやくアドレス帳から電話番号を開けても、発信ボタンを押す直前で指が止まった。

「誰にも言わないこと」、それは賭けの条件の一つだった。つまり先生に連絡したら――私の負けが確定するということにならないだろうか。


負けたら私はどうなるの?実家にも叔母さんの家にも帰りたくない。かといって行く宛てもない。

そもそも、どうやって部屋を探す?生活費はどうする?学校は?

それか、佳穂にすべてを打ち明けて謝って頼み込んで、何も知らないことにしてもらう?でも正義感の強い佳穂が、こんな危険な賭けを黙認するとは思えない。

あるいは、潔く負けを認めて佳穂の家に泊まらせてもらう?いや、卒業まで残り1年半もあるのだ、とてもそんな長期間、迷惑はかけられない。おじさんだってさすがに頷きはしないだろう。

となればどうにかしてこの状況を解決するしかない。でも…どうやって?

この一週間、素知らぬ顔で佳穂には何も言わずに来たのに?ばれたから話します、なんてあまりに都合がよすぎる。


どちらを選んでも茨の道。

どうするべきなのか、どうしたらいいのか分からず立ち竦んでいると、今度は来客を告げるインターホンが部屋に響いた。


(もう、こんな時に…!)


なんとも悪いタイミングに内心憤りながら、ひとまず相手を確認しようと駆け足で玄関へ向かう。

そしてドアスコープを覗いた次の瞬間、私は自分の目を疑った。


「佳穂!?」

信じられないことに、そこには佳穂が立っていた。それも、ひどく怒った顔で、腕を組んで。

――どうして。なぜここが。

驚愕と絶望で思考が止まる。

どうして佳穂は先生の家を知っているの?そもそもこのマンションはオートロック、ここまで来るのは住人以外、基本的に不可能だ。

それに佳穂の家はここからかなり離れたところにある一軒家だし、用事がなければまず来ないエリアのはず。


(もしかして、佳穂と先生は付き合って…?)


脳裏をよぎる一つの可能性。まさか、二人は恋人同士なのだろうか。そう考えたら佳穂がこの家に来る理由も納得がいく。

でもだとしたらなぜ先生は私をこの家に住まわせたのだろう。

恋人がいるなら、たとえ生徒だろうが事情があろうが、他の女と一緒に暮らすなんてしないのではないだろうか。

…ああ、一体何がどうなっているのか全然分からないよ。


何から考えて、何をすればいいのか。全く見当がつかなくて、ただドアの前で立ちつくすことしかできない。


「いるんでしょ、紗妃。開けて」

ドンドン、と佳穂が乱暴にドアを叩く。

「開けるまで帰らないから!」

ここに私がいることを確信しているのだろう、佳穂は断固とした声音で叫んだ。


――だめだ。逃げられない。

その言葉どおり、佳穂は座り込んででもそこを動かないだろう。そしてやがて先生が帰ってきたなら、殴り込む勢いで入ってくるのは明らか。


私は暫し考えたのち、大きく息を吐いた。…ここは覚悟を決めて、全てを話すしか道がなさそうだ。


遂に観念した私は、力なく開錠するとゆっくりドアを開けた。そこには予想通り、顔を顰めて私を睨みつける佳穂がいた。

燃え盛る炎のような怒りをその全身に纏った彼女は、閉め出されないよう玄関の中へ入ってくると開口一番、私を厳しく問い詰めた。


「どういうこと?なんで紗妃がここにいるの?ちゃんと説明して」


なんとか言い返さないとと思うのに、喉がひゅっと鳴って声が出ない。

目の前の親友に圧倒されながらも、私はなんとか足を踏ん張り、小声で訊き返した。


「佳穂だって、なん、で…」

「私は父さんに言われて兄貴の様子を見に来たの」

その言葉に、今度は私が眉をひそめた。

「…兄貴…?」

佳穂の言っている意味が暫く理解できなかった。だって兄貴って…一体どういうこと?


「ちょ、ちょっと待って。何言ってるの?だってここは、高上先生の…」


そこまで言って、私は突然理解してしまった。

初めてここに来た時に借りた服。私と同じ背丈のそれは、言いかえれば私と同じ身長の佳穂にもぴったりなはずで。

つまり、既に家から独立した佳穂のお兄さんとは…。


「まさか…兄妹、なの?」

「そうよ」

これまでになく真面目な顔で、佳穂が頷いた。

「え、でも苗字が…」

「家の事情で、兄貴は母方の祖父母の養子になったの。つまりもともとは大崎だったけど、今は高上を名乗ってるってわけ」

「え!」

「でもそれは戸籍上の話で、今も変わらず家族だから。兄妹だって黙ってたことは悪かったけど、兄貴の立場っていうのもあるし。でもそれとこれとは、全然関係ないんだからね。一体どういうことなの?なんで紗妃が、兄貴の家にいるわけ?ほら今度は紗妃が答える番!」

「それは、その…」


一体どこから話せばいいのだろう。先生の家に来た理由を話すということは、そこに至った経緯を話さなければならない。

けれど正直…一番親しい友人といえる佳穂にすら、自分の心の闇をさらけ出すにはかなりの勇気と覚悟が必要だった。


「白状するまで、絶対帰ってやんないんだからねっ」


ふんっ、と佳穂は頬を膨らませると、靴を脱いで部屋の中へドカドカと入っていく。

そしてカップボードからコップを、冷蔵庫から麦茶を取り出し、手慣れた様子でごくごく飲み始めた。迷いないその一連の様子は、佳穂がこの部屋に来慣れていることを何より証明している。

ひととおり喉を潤すと佳穂は最後にダイニングテーブルの椅子を引き、荒々しく腰を下ろした。

そして足を組み、腕を組み、まるで般若のような顔でじろりと私を睨みつけている。

まさに蛇に睨まれたカエル状態。私は微動だにできず、必死にこの状況を打開する言い訳を探していた。



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