うわさ
それは穏やかなある日のこと。選択クラスの休み時間に、近くの席の女の子たちと差し迫った中間テストの話をしていた時のことだった。
「高上先生って、喋んなきゃかっこいいのに残念だよね」
数学の話から繋がった先生の話題に、他の子も大きく頷いた。
「うん、すごく惜しい。黙ってたら、身長高いし顔も悪くないし、推せるんだけどなぁ」
「それなのに口を開くと一言目には化粧が濃いだの、アクセつけるなだの」
「そういえば、彩がこの前捕まったみたいだよ。香水気付かれてさ、職員室に連行されてファ〇リーズ浴びたって」
「うわあ…かわいそう。別に香水ぐらいいじゃんね。ねえ、紗妃?」
「え?あ…うん、そうだね」
慌てて同調したけど、先生の悪口にあまりいい気はしなくて、ぎこちない返事になってしまった。
だけど友人たちは特にそれを気にも留めず、興奮気味に話を続けている。
「あ、でもそう言えば、私すごい話聞いちゃった」
「えーなになに!?高上先生の弱み?」
「残念ながらそうじゃないんだけど。実はね、隣のクラスの梨恵、高上先生に告るんだって!」
周りの女の子が顔をしかめて「ありえない!!」と絶叫する中、私は一人固まってしまった。
――生徒達における先生の評価は、賛否両論ある。
特に支持率が低いのは女子で、理由は課題の厳しさだったり風紀指導だったり、業務的な理由がほとんど。
かく言う私も、先生のことをちゃんと知るまでは先生が苦手だった。
男女で差別をする人ではないけど、どちらかというと男子に人気があって、女子受けしないというか…。
だから女子の間で先生の話題があがるときはいつも否定的な言葉が飛び交う。
それを悲しく思う反面、私は安心もしていたわけだけれども…。
場所変わって、学校帰りに佳穂と寄ったファーストフード店でも、話題は先生のことだった。
昼間に聞いた話を聞かせると、佳穂は「うひゃー」と苦笑した。
「すごいね。隣クラスってことは、数学は兄貴が担当でしょ?あの課題の量を経験しても兄貴がいいって言うなんて、勇気あるねー」
理解不能だわ、って佳穂は肩をすくめて首を傾げた。
「あ、ごめん。ここには最強の勇者がいたわ」って私の背中を叩くけれど、その冗談を笑える気分には到底なれない。
「しょーがないんじゃない?人の気持ちなんてどうにもできるもんじゃないでしょ。それにあの兄貴だし、心配することないって」
「でもあの子、読モやってるらしいし、すごく可愛い。千沙の情報だと理系だから数学が得意らしいし…」
「それが何なの?顔が可愛いくて数学が得意だから兄貴が靡くとでも?紗妃もまだまだ、兄貴のこと分かってないね」
「え」
「信じなさいよ、兄貴のこと。そして兄貴が好きだって言う紗妃自身のことも」
「…うん」
頷いた私を満足げに見て、佳穂がナフキンで指を拭う。
「じゃ、私もいっこチキンナゲット買ってくるから待ってて。紗妃も何かいる?」
「ううん、私お腹いっぱいだから大丈夫」
「了解」
レジへ向かう佳穂を送り出したあと、私は再び考えを巡らせた。
――佳穂は全く正論を言っていると思う。
確かに、先生は私を好きだと言ってくれているのだから、誰かと比べたりしちゃ先生に失礼だ。
私にできることは、ただ先生の気持ちを信じること。
だから、先生を信じてる。信じたい。…そう、思っている。
マンションに帰ってからも、もやもやした気持ちは晴れなくて。
あの子は、いつ告白するのだろう。そして先生の答えは?
心配ない。でも不安。いや、信じてる。…とは言っても、何を根拠に?
不安がぐるぐるまわる。信じなくちゃと言い聞かせる自分と、傷付きたくないと構える自分と、私は一体…。
「ただいまー。…ん?なんだこの匂いは…?」
帰ってきた先生の声で、はっと意識が戻った。と同時に、こげくさい匂いが鼻をつく。
この原因は…?
(――お魚!)
気が付けば、焼いていた魚から煙があがり、すっかり黒くなってしまっていた。
慌てて火を消したものの、後の祭り。
玄関からキッチンに駆け込んだ先生も状況を掴んだらしく、「あちゃー」と魚を覗き込んだ。
「これは見事な丸焦げだなぁ」
「…ごめんなさい」
いいよ、と先生が苦笑する。
「珍しいな、紗妃が。何か悩み事?」
「あ、…はい…」
「やっぱり。紗妃がぼーっとするときって、大概何かを深く悩んでいるときなんだ」
で、何悩んでたの?と先生が魚をフライパンから皿の上に移しながら尋ねた。
だけどとても先生に訊けることじゃないわけで…。
「いえ、なんでもないんです。ごめんなさい、そういうわけで今晩お魚がないんですけど…」
「まあ、見た感じ中は多少食べれるさ。それに満たなかった分はベッドの上で満たしてもらうから大丈夫」
耳元で意地悪っぽく囁く先生。意味を汲み取って、思わず顔が火照る。
「そんな期待したような顔するなよ。我慢できなくなるだろ?」
「せ、先生!」
「可愛いなー紗妃は。分かりやすくて好きだよ。さ、ご飯食べよう」
余裕な顔でそう言い残すと、リビングへと向かう。
悔しいような恥ずかしいような思いでその背中を見送ると、ひとつため息をついて私もリビングへ向かった。
***
それから数日後、私の悩み事は思いもがけないことで解決することになる。
例のあの友達から、告白の結果を聞くことができたのだ。
「そーいえば、梨恵、高上先生にフラれたらしいよ」
「うわあ、やっぱダメだったか~」
同じく話を聞いていた友だちが大きく息を吐くそばで、私は安堵が混じった複雑な気分だった。
先生が断ってくれたことは、嬉しい。だけど失恋した子の気持ちを想うと、少し苦しい。
「まーそもそも教師と生徒なんて、リスクありすぎだし、絶対無理だよね」
まるで私の恋を否定されたようで、その言葉がチクリと胸を刺した。
それに、多分私が知らないところで先生に想いを寄せている人は他にもいるのだろう。
もしそれが、生徒じゃなかったら?卒業生だったら、先生だったら、友人だったら…。
私よりも断然リスクのないそちらを、先生は選んでしまわないだろうか。
「それもそうなんだけど、そもそも高上先生には彼女いるらしくて」
「えっ!そうなの!?」
一人で色々と思い詰めていると、予想だにしてなかった言葉を耳にして、周りの友達はもちろん、私も驚いた。
と同時に、私達の関係がバレてしまったのかと大きな不安が襲う。
だけどその友達が後に続けた言葉は。
「又聞きの又聞きだから、ホントかどうか分かんないけどね。でもその噂によると、高上先生は彼女にベタ惚れなんだってさ」
「ええ〜、高上先生が!?」
顔を引きつらせて絶叫する友達とは反対に、じわじわと胸に込み上げてくる喜び。
先生が、私にベタ惚れ?あまり実感はないけれど、その噂が本当ならいいのに。
他の誰も目に映らないくらい、私だけを一途に想ってくれているのだとしたら、それ以上望むことなんてない。
「でもさ、高上先生だって男なわけだし、私達には全く想像できないけど、恋愛してても全然変じゃないよね」
「まあね。ねぇねぇ、高上先生も彼女に甘えたりとかするのかな?」
「え〜どうだろ、ツンデレっぽくない?」
「ああ、っぽいね~」
「意外に甘えてたりして。で、ヤキモチとかやいてさ!」
「マジで想像できない!」
勝手に想像を膨らませて楽しむ友人たちに私は苦笑した。
ああ、こんな時、先生のこと言えたなら良かったのに。
ツンデレじゃないけど、ときどきヤンチャな男の子みたいに可愛いってこと。
学校じゃあんな厳しいけど、家ではとても優しくて私を大事にしてくれること。
眞中くんにヤキモチやいて、すこし拗ねたりもすること。
…ううん、でもやっぱり、そんな先生は私だけの秘密にしていたい。
「紗妃は部活も高上先生だよね。なんか話聞いてる?」
「あ…いや、特に」
まさか先生の恋人は私です、なんて言えるわけもなく。
「そっかー、もしそれらしき情報手に入れたら教えてね!」
「あ、うん…」
「ところでツンデレといえば、昨日のドラマ見た!?も~あのラスト、マジ心臓止まった…」
女子の話はとにかく回転が速い。
先生の話題はあっという間に終わりを迎え、そこからは今流行しているドラマの話がメインテーマとなった。
その日の夜、テレビを見ながら昼間のことを思い出した私は、隣に座る先生をちらりと見上げた。
昨日まで悩んでいたことが嘘のように、今夜は気分がいい。
「――今日、学校で先生の話してたんですけど」
「うん」
「高上先生はツンデレだけど意外に甘えそうで、すぐヤキモチやくらしいですよ」
「はっ?」
何の根拠も前触れもない噂話に、先生は目を瞬いている。
一体どういう経緯でそんな話がでたのか、なぜ私がこの話をしているのか、分からないからだろう。
だけど敢えて言わない、だって先生の困った顔を見たいから。それは私だけの特権。
「なんで?それ誰から聞いた話?」
「秘密です」
人差し指を口に当てていたずらっぽく笑ったら、先生が目をぱちぱちさせながら頭をかいた。
…ねぇ先生、知ってる?
先生がその仕草を見せるのは、どうしたらいいか分からなくて、困ってるときなんだよ。
そんなところも愛しいなんて言ったら、先生はどう思うかな。
「当たってるのか、それ」
「どうでしょう。自分の胸に聞いてみたらどうですか?」
「紗妃、今日はやけに意地悪だなあ」
先生は苦笑した。でもどこか楽しんでるって、私にはわかる。
「そうですね。だって高上先生は、彼女にベタ惚れらしいので」
「おいおい、なんでそんな話が出回ってるんだよ」
「女子の、ただの妄想トークですよ」
マジかよ女子って怖いな、と先生が呟く。
「単なる女子の噂話なので、本当かどうか定かじゃないんですが、そうなんですか?」
「ええ、それ聞いちゃう?」
笑って答えをはぐらかそうとしたから、私は先生を追いかけて覗き込んだ。
だってこんなチャンス、滅多にないもの。
根拠はなくとも噂話に少しの勇気をもらったから、余裕すらもって先生に対峙できる気がしている。
「じゃあ、違うんですか?」
そう見上げて尋ねると、先生は困ったような、照れくさそうな顔でこう言った。
「…その点については、何も反論できないかな」
「ベタ惚れだってことですね?」
「まだ分からないなら、行動で証明してみせるよ」
そして答えのかわりに、私の唇に甘く深いキスが落ちてくる。
ずるい、なんて言う間もなく、先生の愛情が直に伝わってきた。
それだけで私の心が満たされるなんて、先生は知っているのだろうか。
やがて長いキスが途絶えたとき、今度は先生が私に尋ねた。
「で、紗妃はどうなの?」
期待に輝くその瞳は、きっと答えなんて分かってる。だけど言葉にするからこそ意味があるのだ。
「…負けないくらい、ベタ惚れのようです」
そう答えたら、先生がとびきり素敵に笑った。




