君を、失いたくない 4 -side Ryu-
その日の仕事終わり、紗妃の部屋に行ってみたものの、面会を拒まれた。
どうやら「立ち上がれないくらいの体調不良」らしい。
なのに佳穂が訪ねた時は自分からドアを開けたというから不思議だ。
「…大丈夫?」
夕食時、ため息ばかりついていた俺を君川が同情混じりに覗き込んだ。
一体誰のせいで、と言いたくなったけど、それはただの八つ当たりにすぎない。
そもそも君川は俺と紗妃の関係を知らないのだから。
「原田さんと、話できてないの?」
「行っても拒まれるもんでね」
分かっているのに、つい口調が荒くなってしまう。
情けなくて、それがまた自己嫌悪を呼ぶ。
「そう…。私も今朝話したんだけど、目も合わせないし何も言ってくれなくて…。困ったわね…」
困ったどころじゃない。はっきり言って、心底滅入っていた。
完全に道を塞がれて、前にも後ろにも進めない。
俺にできるのは、もしかしたら佳穂が紗妃を説得してくれるかもしれないという淡い期待に縋るだけ。待つことしかできない、それが一番堪える。
「…ごちそうさま」
そう言って、食べかけのまま席をたった。悪いけど今は、君川と話したくなかった。
もしもこれで本当に紗妃と終わりになってしまったら、俺は一生君川を恨んでしまうかもしれない。そこまで思った。
***
修学旅行最終日、約1日半ぶりに紗妃を見た。
最終日は、紗妃に合流の許可が下りたからだ。
だけど点呼のときしか紗妃は俺の声に反応せず、その他はずっと佳穂に寄り添っていた。
しかしそれは予想の範疇内。
俺はある意味、この旅行中に紗妃の誤解を解くことは諦めていた。
でも東京に戻ったら、いやでも紗妃は俺と向き合わなくちゃならなくなる。
下宿先や佳穂のところに当分身をおくとしても、一度は必ず俺のマンションに戻らなくちゃいけない。
紗妃の制服も鞄も教科書も服も、全てあそこにあるんだから。
いずれにせよ、紗妃とじっくり話す機会をどこかで得られるだろう。
だって、このままじゃ終われない。勘違いされたまま失うなんて絶対に嫌だ。
こんなことで別れてたまるものか。一緒に過ごしてきた日々を悲しい思い出になんかさせない。
時間がかかってもいい。また二人の溝を少しずつ、埋めていきたい。
いつかきっと、笑顔を取り戻してみせる。
そんな風にすっかり開き直った俺は、時間が経つごとに少しずつ、いつもの調子を取り戻し始めていた。
今は仕事に集中するんだ。
生徒全員を無事に家に帰らせるまで、俺の仕事は終わらない。
空港に向かう前、最後の自由時間。
他の先生と見回っている途中で、とあるショップの中に紗妃を見つけた。
彼女は一人で陶芸コーナーをじっくり見ていて、少し離れたレジには佳穂が並んでいる。
俺はふと思う。
今、ここで話しかけたら、さすがの紗妃も、あからさまに俺を拒否することはできないんじゃないか?
紗妃はさっきからずっと同じ場所にいて動かない。
2~3個の品を手にとっては戻し、ずっとそれを繰り返している。迷っているのだろう。
(…「誰に買っていくんだ?」って訊いてみるとか)
紗妃のことだから、たぶん叔母さんへのお土産なんだろうけど、でもここはとりあえずそう訊いて。
それからなんとなく、話をつなごう。それで誤解だって、俺の気持ちは何も変わってないって、それだけでも伝えたい。
注意深く周囲を見渡してみると、幸い、紗妃の周りに学校関係者は誰もいない。
つまり今なら、誰にも聞かれない。
「あの、俺、ちょっと…」
離れます、と言おうとした瞬間。
「――紗妃!」
すぐ近くから、駆け寄る足音と、紗妃を呼ぶ声が聞こえてきた。
それも、男の声が。
「眞中くん」
紗妃が顔を上げる。その表情に驚きはない。
――つまり、名前を呼ばれることを承知しているということだ。
「探したよ、こんなとこにいたんだ。…陶芸品?」
「うん。叔母さんにね、買って行こうかと思って」
「なんで陶芸品?食いものじゃなく?」
「物がいいと思って。なおかつ、使えるもの。食べ物はね、なくなっちゃうから」
「ふーん。じゃあ俺も一緒に選んでやろっか」
「え」
「任せろ。俺こういうの得意なんだ」
「お土産を選ぶ自信?」
紗妃は笑っていた。目の前の光景がとても信じられなくて、俺はその場に凍り付いた。
――その笑顔が向けられる男は、俺だけのはずだった。
名前を呼ぶのを許されたのだって、男では俺だけのはずなのに。
「あ、紗妃、これは?ブタの置き物。紗妃にそっくり」
「…やっぱり一人で選ぶ」
「あ、嘘です。ごめんなさい、すみませんでした。ただの冗談なので俺を見捨てないでください。ついでに付き合ってください」
「…途中から論点激しくずれてるよ?」
吹き出した紗妃に、胸が猛スピードで曇っていくのが分かった。
眞中が紗妃を見つけたと聞いた、あの時と同じ。
嫉妬と焦燥が混じって、掌を強く握り締めることしかできない。
「高上先生、どうしました?」
何か言いかけて止まったままの俺を、怪訝に見上げる顔が横にあった。
「…いえ、なんでもないです。次はあっち行きましょうかね」
俺はなんとか微笑みを作って歩き出す。
背後では、眞中の冗談に笑う紗妃の声がまた聞こえる。
それを聞きながら、もしかしたら例えどんなに俺が努力したところで、紗妃の心はもう戻ってはこないんじゃないかと――堂々と傍にいられる眞中こそ、紗妃は必要としているんじゃないかと、卑屈な自分が囁いた。




