君を、失いたくない 2 -side Ryu-
少し遅くなった昼飯をドライブスルーで済ませようかと、君川と話していたときだった。
突然、携帯がやかましく鳴った。着信はベートーヴェンの「運命」、佳穂からの着信を意味する。
「…でないの?」
放っておいたら、君川が訝しげに俺を見上げた。
「あぁ、妹からだから」
「佳穂ちゃん?」
「うん」
大学時代からの付き合いである君川は、俺と佳穂が兄妹だということを知っている。
佳穂が吹奏楽の強豪校である今の学校を第一志望校に決めた時、俺はすでにこの学校の教員試験に合格していた。
同じ学校に兄妹が教師と生徒として居ることは色々と問題になるだろうというわけで、赴任する直前、俺は実家を出て独立し、また母方の祖父母の養子になる形で姓を変えたのだ。
幸いなことに俺は完全に母親似、佳穂は父親似で、歳も結構離れているので、昔から兄妹と思われることが少なかった。
そのおかげか、誰からも不振に思われることなくそれぞれ生活を送れている。
まさか2年で担任になるとは予想もしていなかったが…。
「でもずっと鳴ってるけど…あ」
言ったところで携帯が切れた。だけどまた数秒後に鳴り始めた携帯を、君川が心配そうに見つめた。
「ねぇ、出たほうがいいんじゃないの?緊急ってこともありえるし」
「緊急ねぇ…」
やれ何が欲しいから買ってこいだの、やれこれから家に行くからお菓子準備しておけだの、そういうしょうもないことばかり連絡してくるのが常なので、今回もその類な気がする。
とはいえ、君川の話もありえない話ではないと思いなおした。
「しょうがないな。一旦車停める」
「うん」
ハザードランプを点灯させて車道の脇に車を停めると、携帯を手に取った。
そして通話ボタンを押したその瞬間、電話の向こうから大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
『なんですぐに電話にでないのよ、このタコッ!!!』
かなり立腹した様子の佳穂に、俺は一瞬面食らう。
その怒鳴り声は隣の君川にも聞こえていたらしく、驚いた視線とぶつかった。
「運転中だったんだよ。そんな怒ることか?」
『のんきなこと言ってんじゃないわよっ!紗妃が、紗妃が…!』
「紗、…原田?」
君川の前で紗妃を名前で呼ぶわけにはいかなくて、とっさに苗字に言い換えた。
だけど俺の余裕は、そこまでだった。
『紗妃が、行方不明なの!』
「行方、不明…?」
何を言っているのか、一瞬分からなかった。
佳穂の言葉を反復する自分の声で、ようやく意味を理解した。
『公園のトイレに寄ったんだけど、紗妃だけ外で待ってて。でも、出てきたらどこにもいないの。荷物も携帯も置いたままで!』
泣きながら説明する佳穂の声を聞きながら、一気に血の気が引く思いがした。
まるで脈の打ち方を忘れてしまったかのように、心臓が凍り付く。
『皆で手分けして探してるけど、見つからないの。ひょっとしたらコースを外れているかもしれない。ねぇ、車で回ってるんでしょ?紗妃を探して欲しいの。まだそう遠くには行っていないと思う』
「…分かった。コース外を探してみる。お前たちはコース内を探せ。いいか、コースから絶対に出るなよ」
『分かってる。紗妃が見つけたら連絡して。あたしたちもそうする』
「了解。また連絡する」
『うん』
緊張した面持ちで通話を終了させた俺に、君川が緊急を察して尋ねた。
「何かあったの?」
「原田が行方不明になった」
「え!?」
「佳穂たちがトイレに行ってる間にいなくなったらしい。コースから外れた可能性がある。今から探しに行く」
「わかった。他の先生方にも頼んで、皆で手分けして探そう。私も違うところ探す」
「ありがとう。教頭には俺から連絡する」
「了解!じゃあ私はここで。高上くんはこのまま探して。見つけたらすぐに連絡する」
「サンキュ。…頼む!」
君川を車から降ろすと、そのまま教頭に一報を入れた。
そして君川がタクシーに乗り込んだのをミラー越しに確認して、俺は車をUターンさせた。
コース内で大きな公園といったらひとつしかない。ついさっき、その横を通ってきたところだ。
(――無事でいてくれ)
そう強く願っていても、思考は悪い方向へと流れていく。
道に迷っているならまだいい。きっと俺が見つけ出してみせる。
だけどもしも、事故に巻き込まれていたりでもしたら。何か事件に巻き込まれたりしていたら…。
仮定に過ぎないのに、本気で恐怖を覚えた。
***
紗妃が行方不明になったことは、教頭からの一斉連絡により、すぐに教員たちに共有された。
とにかくまず全員の安否確認をという教頭の指示のもと、生徒達を予定より早めにホテルに集合させ、紗妃を除く全員が揃っていることを確認した。
その後は、生徒達のフォローのため教頭含む教員を最低限だけ残し、他はコース内とコース外をそれぞれ分担して探すことになった。
佳穂や眞中をはじめとする複数の生徒が捜索の協力を願いでたものの、彼らに危険があってはいけない。
ゆえに最初は許可しなかったが、抜け出してでも私たちは探します、と言う生徒達の強い意志に、教頭は方向転換を余儀なくされた。
結局、教員同伴を条件に、佳穂や眞中を含む、数人だけが捜索参加することで落ち着いた。
――『警察にも連絡済です。近隣を重点的にパトロールしていただけるそうです。発見はもちろん、手掛かりになる情報があればすぐに連絡をしてください』
――『各教員は30分ごとに現在地を共有してください。生徒が同行している教員は必ず生徒の所在・状況を把握して動いてください』
教員同士のメッセージグループに表示された教頭からのメッセージを一瞥し、俺は車のアクセルを踏む。
機動性を優先するため一人で捜索させてもらうことになった俺は、まず紗妃がコースに戻ってきている可能性を考え、コース内をぐるりと車で回ったが、やはり見つからない。
そこで適当な場所に車を一旦停めて紗妃を探しはじめた。
夕方で賑わう街、ざわめく人ごみ。
その中を掻き分けて、ただ紗妃だけを探す。
額に落ちる汗も気にしない。ぶつかった人に謝っている余裕もない。
どこだ、どこだ。紗妃、どこにいる?
あんな小さな体で、こんな大きな街のどこにいる。
俺が見つけないと。あの雨の夜みたいに、俺が紗妃を助けないと――紗妃が、泣いている。
それから数時間、俺は休憩もとらずに紗妃を探し続けた。
何度も行き交う人に訊いたり、携帯で他の教員と連絡をとってみたが、どれも期待はずれの答えばかり。
だけどすっかり陽が暮れて辺りが暗くなってきた頃、携帯が着信を知らせた――佳穂だ。
『紗妃が、見つかったの!』
「見つかった!?」
『うん、通り雨で濡れてたけど、無事でケガもないって!』
ついに掴んだ朗報だった。
無事に、怪我なく見つかった――その言葉をどれだけ渇望していただろう。
安堵のあまり大きな息がこぼれて、同時にずっと走りっぱなしだった脚がついに止まる。
その途端、今まで全く感じなかった疲れが錘のようにどっと押し寄せた。
「よかった…。どこにいた?」
『えっと、隣の町のね、大通りの路地裏だって。しゃがみこんでいた紗妃を、眞中くんが見つけた』
「――眞中?」
途端に声が低くなったのは、その態度から眞中が紗妃を想っていることに気付いていたからだ。
『今、紗妃と一緒にタクシーでホテルに戻ってるところだって。だからもう大丈夫、帰ってきて』
「…分かった」
そう返事をして通話を切ると、俺は携帯を持った腕を力なく下ろした。
(…眞中が、紗妃を)
嫉妬と悔しさと情けなさが同時にこみあげてくる。
安堵も勿論混じっていたけれど、それはもう小さかった。
眞中が紗妃を見つけた。一人できっと泣いていた紗妃を、俺よりも早く。
悔しさに強く噛んだ唇が切れて、血が滲んだ。




