君を、諦めたくない 2 -side Manaka-
後半は、2-5.束の間の恋人タイム の裏側のお話となります。
男子とは距離感をもって接する彼女だが、あからさまに避けるわけでもない。
小さな話題を見つけては何度も話しかけていると、最初はぎこちなかった彼女の態度が次第に軟化し始めた。
クラスの席替えで隣になったこともあってその距離は更に近づき、今では気軽に冗談も言える関係。
原田にとっての数少ない…いや、唯一親しい男が俺であることは、誰の目から見ても明らかだった。
「なぁーお前たちって付き合ってんの?」
「…は?」
部室で椅子に腰かけ、部活用のシューズに履き替えていたら、突然妙な言葉が降ってきた。
視線を上げると、にやにやした顔で何人かの部員達がこっちを見ている。
「噂だぜ、お前と原田が付き合ってるんじゃないかって」
「あー、俺も聞いた、それ。お前らクラスでも隣同士でいちゃついてるんだって?」
「原田いいよな。可愛いし、バスケのこと分かってるし、話題も尽きないんじゃないの?」
確かに、彼女と話す話題はつきない。勉強のこと、部活のこと、お互いのこと。
そして彼女のことを知るほどに、少しずつ募っていく何かがある。
と、その様子を見ていた別の部員が、また揶揄い顔で口を挟んできた。
「原田とか超優等生じゃん。お前ああいうのタイプだったんだ?意外だわ~」
「俺はあんまタイプじゃないけどな。真面目でつまんなさそう。デートとかさ、毎回図書館だったりして。あとガードも高そう、100%処女だろあれは。なかなかヤらせてくれないよ絶対。あ、もしかしてそれ狙いだったりする?カタブツ優等生をどうやって落とすかって」
「――あ?」
考えるより先に体が動いた。
ガタン、と荒々しい音とともに立ち上がり、怒りを露わにしてその部員の元へとにじり寄る。
「おいおい眞中!」と他の部員が慌てて間に入って止めたが、到底笑い流せなかった。
確かに彼女は真面目だ。でもだからこそ誠実だし、信用できる。
部活で課題を見つけたらともに悩んでくれるし、試行錯誤した結果いいプレーができたら喜んでくれる。そういう存在が支えになるから、ハードな練習もさらに頑張れているのだ。
ここ最近の成績が右肩上がりなのは間違いなく原田のおかげなのに、そんな風に彼女を軽視されたり侮辱されたりするのは我慢ならない。
「くだらねえ妄想してんじゃねーよ」
拳を強く握りしめ、暴れ出しそうな怒りを何とか堪える。それでも全ては抑えきれず、おのずと声が低くなった。
「じょ、冗談じゃん。本気にするなよな」
原田の悪口を言った部員はさっきまで勢いがよかったのに、一転慌てたように言い訳し始めた。
ただの悪戯のつもりだったのかもしれないが、許せることと許せないことがある。
「原田を二度と悪く言うな」
「わ、分かったよ。ごめんって」
両手をあげて降参のポーズを見せた部員を一瞥すると、俺は乱暴にタオルを掴んで部室を出た。
乱暴な足音になってしまったのは、一秒でもこいつから早く離れたかったから。今は同じ空気も吸いたくないと思った。
「おい待てって!」
怒気をまとって一人体育館に向かう俺を追いかけてきたのはクラスメイトでもある持永、さっき俺を止めに入ったのもこいつだ。
「あんな怒るお前、初めて見た。本当に原田のこと好きなんだな」
ニヤリ顔で窺ってくるこいつにデリカシーというものはないのだろうか。
だが反論できない自分がいる、だって図星だったから。
――そう、俺は原田に惹かれている。
いつの間にか、どうしようもなく、好きになっている。
「で、実際どうなの?本当に付き合ってんの?」
残念ながらその噂は真実ではない。今は、まだ。だけど否定もしたくなかった。
「それは俺と原田だけの秘密」
「は、何それ。やっぱ付き合ってんだろ?」
「肯定はしてない」
「なら、付き合ってないってこと?」
「そうも言ってない」
「何だよそれ!」
はっきりしろよこの野郎、と笑う持永に、うるさい、と不機嫌に返した。
いつか、きっと彼女の心を占める一人になる。彼女が俺にとって、既にそうであるように。
でも想いを告げるのはまだだ。原田と俺の間には、踏み越えられない境界線がある。
焦っても無駄に傷つくだけ、本気だからこそ絶対に失敗したくない。
今はお互いを知り、その心を少しでも近くに手繰り寄せる時。
それでも、いつか、きっとその噂は本当だと言ってみせる。
俺にはその自信がある。そうしてその日はきっと――そう遠くない。
***
ある日の部活帰り、すっかり暗くなった夜道を俺は駅に向かって歩いていた。
自宅とは別方向だが、今日は用事があって近くのギフトショップで買い物をしていたのだ。
人通りの少ない裏道を歩いていると、正面のドラッグストア駐車場から見覚えのある黒い車が出てきた。
それがクラス担任で部活顧問でもある高上の車だと分かるのに、時間はかからなかった。遠征の時、何度も見たことがあるからだ。
そして思った通り、運転席では高上がハンドルを握っている。だがその背後で動く何かがあった。
何気なくそちらに目を向けたその瞬間、はっと息を呑む。
後部座席に座っていたのは――原田だった。
「なんで…」
一瞬、人違いかと思ったが、毎日見つめている彼女を俺が間違えるなんてありえない。
二人は俺には全く気付いていないようで、駐車場から道路に出るタイミングを待っている。
後部座席から、少し乗り出すようにして運転席に何かを話しかけている原田。それに応える高上の表情も柔らかくて…。
二人の雰囲気は見るからに親しげだった。だが何より驚いたのは、原田が笑っていたことだ。それも俺に見せるものよりずっと自然に。
やがて二人を乗せた車がタイミングを見計らって車道に進入した。
そのまま走り去っていく二人、俺はそれを呆然と見つめることしかできない。
なぜ、という疑問ばかりが頭を占める。
辺りはこんなに真っ暗だし、たまたま高上が原田を家まで送っていったのだろうか。
そう思ったが、「でも」という声がする。
それならどうして堂々と学校で待ち合わせしない?
こんな人目のつかない駐車場でなんて、明らかな意図を感じる。
そもそも、原田のあの笑顔はどういうことだ?
俺ですら見たことがない、あんな気を許した笑顔。
(まさか、原田は高上のこと――)
不安が胸を締め付ける。だてにここ数ヶ月原田を見てきたわけじゃない。
今この瞬間まで、まるで彼女の全てが俺のものであるような気がしていた。
彼女も心のどこかで俺を想ってくれているんじゃないかと…その芽はあって、後はそれを育てていくだけだと。でもそれは俺の思い違いだったようだ。
自分が情けなくて、俺は拳を強く握り締めた。
裏切られたような複雑な気分で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
***
俺と原田の関係は大きく進展することもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
焦るほどに思い知ったのは、やはり俺たちの間には明確な境界線があるということだ。
例えば彼女に転入前の話を聞こうとしたとき。
例えば彼女のプライベートに踏み込もうとするとき。
原田の核心に俺が触れようとすると、彼女は明らかに顔を強張らせた。
まるで殻に閉じこもるように、視線を逸らしてしまう。
それがあの日の担任と俺との違いを思い知らせて、原田が好きなのはやはり担任なのでは、と嫌な予感ばかり膨らませていく。
しかしそれでも俺は諦めるつもりなどない。だって彼女の恋は残念ながら実らないと知っているから。そもそも、あの鬼教師が生徒を好きになるなんてありえない話だ。実際、これまでも生徒に告白されたことはあるようだが全て断っていると聞く。
だから俺は何も悲観していなかったのだけれど――。
それは、修学旅行で原田と大崎が買い物に行っている時だった。
二人を待っている途中、同じ班の女子達の小さな噂話が耳に届いた。
「ねぇ昨日の夜の話、なんだかんだでうやむやになっちゃったけど、もっと紗妃の話聞きたかったよね」
「あ、彼氏の話?」
「そうそう。だって、紗妃の彼氏だよ?めちゃくちゃカッコいいんだろうね」
「社会人って言ってたっけ。いいなー年上。包容力ありそう」
「でもさ、なんかちょっと言いにくそうだったのが気になったなぁ。禁断の恋的な?」
「あ、そう言えばオトナの恋愛って言ってたっけ!」
その話が意味することに、頭が真っ白になった。
原田に彼氏がいる?だけど原田は担任が好きじゃなかったのか?
あれはやっぱり俺の勘違いだったのだろうか。
いや、そんなはずはない、だってあのときの原田の表情は確かに学校とは違ってた。
それに、さっき俺といるところを高上に見られた時だって、原田は必死に言い訳してた。まるで、高上にだけは誤解されたくないと言わんばかりに――。
と、そのとき、ふと辿り着いた答え。瞬間、全ての糸が繋がった。
あの日の原田の笑顔。
社会人の彼氏、禁断の恋。
誤解をとくように必死な言い訳。
(それってつまり…)
もし、俺の予感が当たっているとしたら。
原田と担任が――付き合っているとしたら。
そんなことありえないと思っていたけど、それが真実だとしたら…。
「おーい眞中。どーしたんだよ?」
その夜、ホテルで考え込んでいた俺を、同じ班の持永が怪訝そうに覗き込んだ。
「帰ってきてからずっとぼーっとして」
「あ…わるい」
「別に謝られても困るんだけどさ」
持永は言いながら俺の隣に腰をおろすと、揶揄うような口調で続けた。
「なに、ホームシック?」
「ちげーし」
「じゃああれか。彼女の原田さんに会いたいのか」
そういえば、こいつは俺と原田が付き合っていると思い込んでいたんだっけ。
否定するのもめんどくて、ぷいっと横を向いた。
「別に…そんなんでもないし」
「あー分かった、ケンカ?」
「…それも違う」
「じゃあ、なんだよ」
訊かれたけど、俺は答えない。だって言えるわけがない。
担任と原田ができてるかもしれない、俺は失恋したかもしれないなんて…。
「あ、そういえば俺、さっき原田見たぜ」
「…へえ」
正直、今はあまり聞きたくない名前だと思った。彼女のことしか考えていなかったから。
――もうこれ以上、俺の中を原田でいっぱいにしないでほしかった。
「ちょうど、担任の部屋に行くとこだった」
「…え?」
持永の言葉に、俺は顔をあげる。聞き捨てならない言葉だった。
「日誌持ってたから、提出じゃないかな。でもさー、先生たちって個室じゃん?原田可愛いからさー、担任に襲われたりして。なんて冗談、冗談。ありえねーもんな、あの担任に限って…って、おい眞中!?」
話の途中で立ち上がり、俺は走り出した。
背後で名前を呼ぶ声がしたけど、止まれなかった。
…ありえない?何がありえないっていうんだ。
ただ教師と生徒なだけで、それ以前に担任は男だし、原田だって女だ。
二人が恋に落ちないなんてどうして言いきれるというのだろう――現に原田は担任に想いを寄せている。
オレンジ色の明るい灯りの中を、俺は担任の部屋めがけて全力で走りぬけた。
担任の部屋は確か、2つ上の階だったはずだ。
エレベーターを待つ余裕すらなくて、俺は階段を駆け上る。
(――やっぱり、諦められない)
考えた末の結論だった。
何ヶ月も原田に片思いしてきたのだ。
今さら、簡単に諦められるわけがない。
先生たちのフロアにたどり着き、息を切らしながら廊下に出た。
まさかいるわけないと信じたい自分と、間違いなくいると確信する自分とで葛藤する。
どうか、俺の勘違いであってくれ――そう願ったとき、フロアの向こうで、一つのドアが、ガチャリと開いた。
予感が確信に変わる。それも、悪夢のような景色の中で。
――担任の部屋から、頬を赤らめた原田が出てきた。




