2-11.大人の女性
部屋に入った後、私は嗚咽混じりに涙の理由をすべて佳穂に打ち明けた。
佳穂は私の話を聞くうちにひどく神妙な顔になったけれど、否定せず最後までちゃんと聞いてくれた。
一人で抱え続けた不安や不満を吐き出したら安堵してしまったのか、そのまま私は眠ってしまったらしい。
気付けば朝になっていて、目を覚ましたら隣には佳穂が眠っていた。それも、私の手をぎゅっと握ってくれたまま――まるで、「私は何があっても紗妃の味方だから」とでも言うように…。
早朝に目を覚ました佳穂は、今日一日私と一緒にいると言ってくれたけれど、それは断固として拒んだ。
何の罪もない佳穂を道連れにはできない。
だから精一杯の強がりと不器用な笑顔で渋る佳穂を送り出したのだけれど、本当の闘いはここからだった。
ベッドの上で膝を抱える私を、孤独と後悔が襲う。
独りでいるとろくでもない考え事をしてしまうからいけない。
テレビで静寂を掻き消してみようと試みたけれど、結局煩わしいだけですぐに消してしまった。
…そう。どれほど紛らわせたところで、考えることは一つだけ。
誰より信じていた。何より真実だと思っていた。でもその全て、私の勘違いだったのかもしれない。
それからしばらくの間ぼうっとしていると、突然ドアをノックする音が聞こえた。
ドクリと鳴る心臓。まさか、先生?
皆の引率で忙しいはずなのに、その合間を縫って私のために?
だけど、どんな顔して会えばいいのだろう。
泣いて顔はボロボロだ。声も掠れて、ひどい有様だった。
だけどそこに先生がいるなら、せめて声を聴きたいという気持ちが勝って…。
私は重い体を引きずりながらドアの前まで来ると、ドアチェーンをかけた状態でほんの少しだけドアを開いた。
だけどドアの向こうから聞こえてきた声は。
「…原田さん?」
その声の主は、私にしてみれば全ての元凶の人だった。
先生かもしれないと愚かな期待をしてしまったことを後悔したけれど、もう遅い。
「原田さん?おなかすいたでしょう?朝食、一緒にどう?」
「…結構です。食欲ないので」
冷たく言い捨ててドアを閉めようとしたけれど、凛とした、迷いない答えが返ってきた。
「それならしょうがないわねって言いたいところだけど、一緒に来てもらわないと教頭先生に報告しなければいけないわ」
言い方は柔らかくても、一種の脅迫だ。
何を言わんとしているのかを悟った私は、少し逡巡したあと、渋々ドアを開けた。
「おはよう」
ドアを開けたら、君川先生が満面の笑みを浮かべて私を出迎えた。
それが私には、勝ち誇った笑顔のように見えてならなかった。
***
時間的に生徒の皆も朝食の時間のはずだけど、遭遇させないためか私は皆とは違う食堂に連れていかれた。
通された窓側の席で、君川先生と向き合うようにして座る。
嫌でも視界に入る君川先生は、女の私から見ても美しい女性だ。
白い肌に丁寧に施された化粧がその魅力を更に引き立てている。
上品でゆるやかなウェーブがかかるダークブラウンの長い髪、長いまつげ、潤った唇。そして何より、滲み出る「大人の女性」の雰囲気。
…先生がこの人を好きになっても、全然不思議じゃない。
「原田さんは、どれにする?」
問われて、私は慌てて彼女から目をそらした。
メニューに目を落として、適当に目に入った「モーニングセット」を指差す。
君川先生は笑って、「私もそれにしようと思ってたの。バタートースト、美味しそうよね」と優しく笑った。
だけどそんな君川先生に笑い返せる気分にはなれず、私はすっと窓の向こうに視線を逃す。
山に囲まれたホテルだからか、窓の向こうに広がる景色は緑に溢れていて、それだけで癒されるようだ。
少し遠くには滝も見えて、車や人の喧騒もない。だけど残念ながら、そのどれもが今の私には響かなかった。
「今日の原田さんの予定だけれど…残念ながらみんなと一緒に行動することはできないの。夕方に次のホテルに移動します。それまではこのホテルでレポートを書いていること。…納得できないかもしれないけれどちゃんと受け止めてほしい」
そう言われたけど、納得しているし覚悟もしている。だから、静かに頷いた。
「それと、夜には高上先生もいらっしゃるみたいだから。ちゃんとお話がしたいって」
その言葉に突き動かされ、ちらりと視線を戻すと、目を合わせた君川先生が優しく笑った。
――もしかして、彼女は私と先生のことを既に知っているのだろうか。その上でこんな言動をしているの?
だとしたら、恋敵相手に見せる余裕は大人そのもの。
どこまでも自信があって、それだけで私を惨めにさせる。
「昨日の夜、高上先生、本当にあなたのこと心配してたのよ。彼のことは大学時代から知ってるけど、あんなに必死な姿を見たのは初めて。きっと、あなたが担任の生徒だから…」
どこか言葉を選ぶような言い方だった。
中でも最後の一言に、その本意が隠れている気がする。
生徒だから、子供だから、優しくされている。甘やかされている。
だってただの生徒相手に、彼が本気になるなんてありえないでしょう?
でも私は違う。大学の頃からずっと知ってる。あなたより、もっと彼を知っている。
年齢も容姿も釣り合う私の方がよっぽど、あなたより相応しい。
―――そう君川先生に言われている気がした。
「あんなに大事にあなたのことを思ってくれているから、安心して高上先生には心を開いてもいいよ。悩みがあるならきっと真剣に聞いてくれると思うし。私だって、いつだって相談に乗るからね」
傍から聞けば、それは生徒に寄り添う美しい言葉だったかもしれない。
でも卑屈な私にはその全てが見下すような悪意に思えてならなかった。
「お待たせしました」
注文していたモーニングセットが届いて、君川先生がフォークを手渡してくれる。
私はそれを無言で受け取ると、力なくフォークを握った。
「あなたがコースを外れたことに何か理由があるのは分かっているけど、そのことでたくさんの人に迷惑をかけてしまったことは否定できない。それは自分の責任として、あなたは解っていないといけないと思う」
諭すように告げられた言葉は、あまりにも正論すぎた。
だから私は言い返すことはせず、ただ俯いてバタートーストを一口齧る。
それを食べ終わる頃には、どんな味だったのかもう思い出せなかった。




