もっと近くに1
時間軸は第一部終了後です。
紗妃と龍の初めてのお話です。
「――ここのところ毎晩兄貴が帰ってくるんだけどさ、あんたたちケンカでもしたの?」
朝の通学時。いつもの待ち合わせ場所に来るなり佳穂が首を傾げて尋ねた。
それはまさに私の最近の悩みでもあったから、思わず息を呑んだ。
「実は私もそのことは気になってて…。ケンカはしてないよ、家では普通だし…。でも夜になると出て行っちゃうの」
それは数日前のこと、突然夕飯後に先生が実家に行くと言い始めた。
引っ越すという意味ではない。ただ実家に泊まるだけで、明日には帰ってくると言う。
その言葉どおり、先生は翌日の夜マンションに戻ってきた。だけど二人でご飯を食べたり家事をした後は、また実家へ。
そんな生活があの日以来、ずっと続いている。
「理由聞いても用事があってとしか言わなくて。家ではできない仕事かなって思ってたんだけど…」
「うーん、でもなんかそれも違う気がするのよね」
「…そうなの?」
「家に帰ってきたら二階に直行して、部屋に入ってそれっきり。物音ひとつしないのよ。鞄を持って上がることもあるけど、リビングに置きっぱなしの時もあるし。何ていうか…ただ寝てるって感じ?」
「寝てる…?」
佳穂の話に私は首を傾げた。
てっきり何か用事があって実家に帰っているのだと思っていたけれど、そうではないとしたら一体何のために?
寝るのならマンションで寝ればいいのに、なぜわざわざ実家に戻る必要があるのか。
「どうしてそんなこと…。マンションだと居心地悪いのかな」
「うーん…。ねぇ、兄貴と紗妃って別々の部屋に寝てるんだったよね。部屋は隣同士?」
「うん」
私の部屋は先生の隣にある。主寝室を先生が、ゲストルームを私が使っている。
「ってことは…騒音とか?なんか心あたりある?」
「いや…生活音には気を付けてるんだけど」
「じゃあ無意識なやつか。イビキがうるさいとか?」
「えっ!」
「なんて、ウソウソ。何回か紗妃うちに泊まってるけど、気になったことないから大丈夫よ」
顔を強張らせた私の肩を佳穂が笑いながら叩く。
なんだ揶揄われただけかと安堵したけど、それも一瞬だけ。
次の瞬間には、もしかするとそれは核心をついているのかもしれないと思いなおした。
というのも、佳穂は一度寝たらなかなか起きない。だから気付いていないだけで、もしかしたら本当に私は…。
(そういうこと…?)
確証はない。でも、先生がマンションで眠らない理由は私にあると思う。
だってそうじゃなくちゃ、筋が通らない。
「心当たりないなら、思い切って聞いてみれば?紗妃がちゃんと聞けばきっと答えるはずだからさ」
言われて、私は小さく頷く。
確かに佳穂の言う通りだ。一人で悩んでいても答えは出ない。
ならば、勇気を出して今夜訊いてみよう――そう決めたら、心が少し軽くなった気がした。




