はじまりの季節 3 -side Ryu-
自分で言うのもなんだが、それなりにモテる人生を送ってきた。正直、女に困ったことはない。
かといって持て余すほどでもなかったが、まさか自分の生徒に恋するなんて思ってもみなかった。
勝算の見込みは極めて低く、仮に想いが通じたとしても苦労は目に見えている。
だが感情とは時に、理屈を容易に越えてしまうものだ。
いくら理性が制御したって、言うことなんて聞いてくれない。
「お前それはありえねーだろ、やめとけ」といくら自分に言い聞かせたところで、彼女を見ただけで勝手に心臓が高鳴ってしまう。
本当に、恋の力というのは恐ろしい。倫理すらも吹き飛ばし、教師の意地すらことごとく破壊してしまう。
別の恋をすれば、きっと忘れられるはず――そう意気込んで参加した合コンも、原田のことが脳裏をよぎって結局上手くいかなかった。
比較してしまうのだ、どうしても。
そうすると一気にやる気が萎んで結局彼女への想いを再認識してしまうという、そんな悪循環が続いていた。
この想いには気付いているし、認めている。だけどそれを口にできない矛盾がある。
今更ながら、どうして俺は教師なんて選んでしまったのだろうか。
でも教師でなければ、彼女には出会えなかっただろう。
そんな葛藤する俺を知ってか知らずか、原田は相変わらず俺に無表情な顔で接する。
少しでも関わりたくて授業の準備を頼む時も、声が聞きたくて授業中に指名するときも――彼女は一切顔色を変えない。
義務的に俺を見上げ、用が済めばさっさと背を向けてしまう。
全く、八方塞がりもいいところだ。
「あれ、兄貴。おかえり、早かったね」
学校帰りに実家に寄ったら、佳穂がリビングで出迎えた。
リビングのテーブルには大量のプリクラが散乱している。
プリ帳と呼ばれるノートが広げられていて、それに貼り付けている最中だったらしい。
一体これの何が面白いのか俺にはさっぱり分からないが、女子たちの間では絶大な人気を誇っていることだけは知っている。
「ただいま。郵便取りに来た」
「うん。同窓会のハガキとかだよね。ちょっと待って、取ってくるから」
佳穂はそう言って隣の部屋へ駆け込んで行った。俺は待っている間、息をひとつついて何気なく散乱したプリクラを眺める。
そこには学校で見知った生徒たちの、普段とは違う顔が収まっていた。
制服で撮ったもの、私服で撮ったもの…たくさんある中で、俺は一枚のプリクラに目を引かれた。
それは原田が写っている一枚のプリクラ。
比較的大きいサイズのそれは、立ったままでも十分に表情が見て取れた。
プリクラの中の彼女は佳穂と寄り添い、ピースして微笑んでいる。無論、カメラに微笑んでいるわけだが、その表情も態度もこれ以上なくリラックスしていた。こんな顔、学校じゃまず見せない。
――そう、原田が一番仲いいのは、奇しくも俺の妹でもある佳穂だった。
最初の席――彼女の意思を尊重して、男子と隣接してない席にした――で隣になったことがきっかけのようだ。
止めなければ延々と喋り続けるぐらいに騒がしい佳穂と無口な彼女は正反対がゆえにやけにウマが合うらしく、席替えで離れてからも共に行動するようになっていた。
(佳穂にはこんな顔を見せるのか…)
そう思うと、佳穂に一種の嫉妬さえ覚えてしまう。
俺が、佳穂になれたらいいのに。いつも彼女の傍にいて、彼女のどんな表情も逃がさない。
他愛もないことを話して、笑って、時にはケンカだってして。一緒に遊びに行って、掛け替えのない思い出を作って…。
当たり前のように佳穂に許されている全てが、羨ましくて仕方がない。俺には決して叶わないことばかりだから。
「あ、あったあったー!」
隣の部屋から佳穂が戻ってくると同時にプリクラから視線を外す。幸い、佳穂は何も気付いていないようだ。
「サンキュ。じゃ」
「あ、待って兄貴」
用事が済んだので帰ろうした俺を佳穂が呼び止めた。
振り返ると、ねだるような表情で「ついでだからさ」と両手を合わせこちらを見上げている。
「ご飯作ってってくれない?私、プリクラの整理に忙しくてさ~」
理由を聞いて呆れた。俺には俺でやらなきゃいけないことがたくさんある、そうそうのんびりもしていられない。
「ざけんな。自分で作れ」
付き合ってられるか、と玄関へ再び歩き始めると「兄貴待ってよー!」と更に呼び止める声がした。
「ほら、私のプリクラ一枚あげるから!」
「いらねーよ、んなもん」
生憎俺はシスコンではない。佳穂の写真など興味もなければ、もらったところでゴミ箱行きは間違いなし。
「あ、ちょっと可愛い妹にそういうこと言う!?だって見て、これ!この前の日曜日に紗妃と撮ったんだけど、かなり写り良くて気にいってるの~!」
そう言って俺に差しだしたプリクラは、さっきのものとはまた違う、原田とのツーショットだった。
当然だが佳穂よりも彼女の方に視線は向く。
どうやら台場に買い物に行った際に撮ったものらしいが、その表情は別のプリクラ同様、普段の彼女からは想像できないくらい綻んでいた。
佳穂の写りなど極めてどうでもいいが、その原田の笑顔には強い魅力を感じた。それにプリクラとはいえ、原田の写真。もらえるなら、もちろんほしい。
「ね、これあげるからさ!よかったね、可愛い妹だって友達に自慢してもいいよ!」
じゃあよろしく頼むよ~と俺の手に強引にそのプリクラを押し込むと、佳穂は鼻歌を歌いながらプリクラの整理に戻った。
どうやらプリクラはただの都合のいい口実で、何としても俺に飯を作らせたいらしい。
作る気はしなかったが、思いがけず彼女の写真を手に入れて嬉しかった。だから、今日に限っては佳穂の我儘も聞いてやることにした。
「…仕方ないな。何があるんだ?」
「冷蔵庫の中見てみてー。そうだ、兄貴も食べて行けば?」
「当然だろ。作って帰るだけなんて骨折り損もいいところ」
そして余ったら持って帰る。明日の朝飯にしよう。
「だよね~。父さんも帰ってきたらきっと喜ぶよ、最近全然連絡がないって心配してたからさ」
確かに、佳穂の言うとおりだった。最近親父ともあまり話せてないし、いい機会かもしれない。
なんせ親父は、あまりに連絡が途絶えると俺のマンションへ佳穂を押しかけさせる癖がある。
佳穂をリビングに残し、俺は久しぶりに台所に立った。
独立するまではほぼ毎日のようにここで家族の食事を作っていたのでなんだか懐かしい。
冷蔵庫を開けて、材料を確認する。献立を決めた後、包丁を手に取る前にさっきのプリクラを取り出し、もう一度眺めた。
こうして見ていると、まるで俺に微笑んでくれているかのような錯覚に陥ってしまう。
写真でなく、いつか本当に俺に笑ってくれる日がきたらいいのに。
俺だけにその笑顔を見せてくれなら、どれだけ幸せなことだろう。
期待してはいけないと、分かっている。
だけどそれでも、未来に何が起きるかなんて、誰にも分からないはずだ。
例えば、高校を卒業して数年経った頃、もし偶然に再会したら。そして、その時彼女がほんの少しでも俺のことを――悪くないなって思ってくれたなら。
そういう可能性だってないとは言い切れない。
そうしたら、俺はきっと彼女に打ち明けよう。
ずっとずっと、俺は君だけを見ていたんだと。
「なんて、ありえねーよなあ」
思わず、俺は自分の浅はかすぎる妄想に苦笑した。
成就度を数値化するなら、1%だ。いや、もしかしたら0%かもしれない。
それでも0%とは言い切りたくない自分がいた。
夢を見るくらい、悪いことではないはずだと変な言い訳をして。
…だけどどこかに神様ってもんがいるなら、そんな健気な俺の願いを哀れに思ってくれたのかもしれない。
それから数ヶ月後、俺と彼女の関係は劇的な変化を遂げることになる。
それは、本当に偶然としか言いようのない、昨日と同じ日常の夜の出来事。
強いて言うなら、同窓会の帰りに、街へ逃げ込むような彼女の背中を偶然見かけた時から、何かが変わりそうな予感がしていた。
やがて路地裏で一人しゃがみこむ彼女に、俺は傘を差しだした。
――それが、全ての始まりだった。




