1-15.勝敗の行方
先生に全てを打ち明けてからというもの、二人の距離は再び近づき、穏やかな日常が戻ってきた。
その中で私に訪れた小さな変化。
以前よりも先生とよく話すようになって、一緒に笑うことが増えた。
勉強するときだけじゃなくて、先生とソファに並んでテレビを観たりすることが増えた。
先生と過ごす時間はあっという間で、だから学校で先生に会えるとなんだか嬉しくて…。
友達でも家族でもないのに、特別な人。生まれて初め感じるこの気持ちを何て表現したらいいか分からないけど、先生の隣はとても…そう、とても居心地がいい。
何気なく、そんなことを学校の休み時間に佳穂に打ち明けたら。
親友の表情はみるみる固まり、明らかに困惑した表情で、今、私を見つめている。
「紗妃、まさかそれって…兄貴のこと、好きだってこと?」
「…え?」
その言葉に驚いたのは、他でもない私だ。
「まさか、兄貴のこと好きになっちゃったの…?」
「好き…?」
繰り返した言葉の意味を理解して、今度は私が驚いて固まってしまった。
好き?私が、先生を?…男を?
「そんな、まさか…私が?」
「だって、紗妃が今言ったこと全部。それってつまり、兄貴のこと気になるってことでしょ?」
「気になるっていうか…。その、同居人として仲良くなっただけだよ」
「本当に?ただそれだけ?」
「も、もちろん」
「ならいいんだけどさ…」
佳穂は解せない様子で「まぁ、そうだよね。まさかね、よりによって紗妃があんな奴にね…」とぶつぶつ自分に言い聞かせるように呟いている。
…確かに、先生のことは男の中では唯一といっていいほど、信頼している。
だけど先生が男である以上、越えてはいけない線がある。その思いは、今も変わってない。
「それに…仮に好きになったとしても、愛なんて幻想だもん。そんなもの信じられないよ」
そう言い訳した私に佳穂は眉をひそめたけど、それ以上は何も言わなかった。
言えなかっただけかも、しれない。
***
それから数日後の夕食のことだった。
いつもどおりご飯を食べ終えた先生が改まって言った。
「来週、ここを出ていこうと思ってる」
「…え?」
私は箸を持つ手を止めて先生を見上げた。
「もう一ヶ月、経つだろ?」
それでようやく私は先生との約束を思い出した。そういえば、あの約束の日からもう一ヶ月が過ぎようとしている。
「賭けは原田の勝ちだな。俺が約束を破ったから」
「破った?」
「ほら、あの路地裏で。触らないって約束してたのに、触ってしまっただろ?」
「…あ」
そういえば、確かにあの時先生は私に触れた。抱きしめて、家に連れて帰って。
手当してくれたり、涙をぬぐってくれたり。
でもあれは緊急事態であって、てっきり無効だと思っていた。
実際、あの日以降、先生は私に触れていない。
「本当はすぐに負けを認めて出ていくべきだったんだろうけど、仕事とか忙しくて。…いや、違うな。原田と少しでも多く、一緒にいたかったんだ」
「先生…」
苦笑する先生の瞳は、どこか切なげで…私の方まで何故か苦しくなる。
「でも、約束は約束だし。てなわけで、俺引っ越すから」
「…どこに?」
「当面は実家に戻ろうかと思ってる」
その言葉に私は少しだけ安堵した。
実家とはすなわち佳穂の家。つまり、佳穂の家に行けば会えるのだ。でも…。
「といってもまた部屋見つけるつもりだから、それまでの繋ぎとして」
「え」
「だって原田はあの家によく行くだろ。そこに俺がいるのは嫌だもんな」
嫌じゃない。むしろたった今、それを期待していた。
そう言いかけて、言葉を飲み込む。
なぜそう思うのか訊かれた時に説明できる理由がなかったからだ。
「約束どおり、生活費は俺が負担するから心配しなくていいよ。あ、ところで原田、口座って持ってたよな?後で教えてくれる?これからのこと考えると、そっちの方が色々と都合もいいだろうし」
「…はい」
それは、待ちに待った勝利の瞬間、のはずだった。
生活を保障されるうえ、男から解放される――喜び以外の何もないはずだったのに。
それなのに、どうして?全然…嬉しくない。胸の奥がモヤモヤする。
まるで強く握りしめていた手を突然振りほどかれたような不安…あるいは、孤独?
「うん、じゃあそういうことで。残り短いけど、最後までよろしく」
私の気持ちを知ってか知らずか、先生は言うだけ言うと、どこか吹っ切れたような顔で「風呂に入ってくる」と席を立ってしまった。




