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今日の敵は明日の恋人〜先生に恋をしました〜  作者: RIKA
第一章

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13/64

1-13.災難

乱暴な表現がありますので、苦手な方はご注意ください。

先生に告白されたあの日以来、私は先生と再び距離を置くようになった。

学校ではもちろん、家にいるときだって必要最低限のことしか話さない。

先生は努めて会話をしようとしてくれるけど、私は視線すら合わせず、食事も自室で食べるようになった。もちろん、リビングで学習することもない。

それでも同居していると完全に避けることなどできるわけもなく、偶然出くわした時は言葉にならないほど気まずい。いや、それ以上に怖くてたまらないのだ。


――だって。あんなこと言われて、どんな顔して接しろというの?

私のこと、好きだって言った。

ということは、私のことを「生徒」でなく「女」として見てるってことでしょう?

今まで私が先生と上手くやってこれたのは先生を教師として認識していたからだ。

下心がある風には見えなかったから、ただ純粋に心配してくれているのだと、最近やっと思い始めていたのに。


だけどこうなってしまったからには、もうそんな風に見れない。

決して油断しちゃいけないって、私のトラウマが自分に警告している。

いくら「指一本触れない」という賭けの条件があるとはいえ、もしもの時、女の私が力で敵うはずがない。

先生はそんな私をいつも悲しそうに見てるけど、この感情を隠すつもりはなかった。

これは一種の警告であり、先生への答えだ。

私はその気持ちに応えることもできなければ、心を許すこともない。



週末、金曜日の放課後。

今日はPTAのレクリエーションがあるということで、部活がいつもより早く終わった。

片付けと明日の準備をした後、もう一人のマネージャーの美玖と下校する。途中駅で別れて、電車で揺られること数駅。最寄り駅で降りた私は、家路を急いでいた。


(急がないと)


いつもは部活の後半にならないと顔を出さない先生が、今日は珍しく中盤ぐらいからずっと監督席に座って指導をしていた。

つまり、仕事が落ち着いているのだ。部活が終わってしまえば、寄り道する人でもないので、いつもより早い時間に帰宅するに違いない。

なるべく早く帰って色々済ませ、できるだけ先生と顔を合わせないようにしたいのが本音だ。


そんな焦りもあって、私はその日、いつもなら決して通らない裏道を選んだ。

そこは街灯も少なく狭い路地裏、人通りもほとんどないような道だけど、いつも歩いている大通り沿いの道よりも半分の時間で行けることを知っていた。

ここを通り抜ければ、大きな交差点に出る。そこを渡れば、マンションはもう目前だ。


(今日ぐらいは、きっと大丈夫)


なんの根拠もないのに、私はその裏道へ足を踏み入れた。


平気よ、今日くらい。50メートルぐらいの短い道だし、何も起きるわけない。

走って行けばもっと早く通り抜けられるだろう。だから大丈夫、大丈夫――。


と、その時。

ふと後ろから足音が聞こえてきた。最初は通行人かと思ったけれど、あまりに近すぎる気配。訝しく思ってちらりと振り返ると、数メートルにも満たない距離の先にいたのは。


「あーあ、気づかれちゃった」

「……っ!!」


驚愕と恐怖に目を見開いた私を捉え、その男は不気味に哂う。

そしてその瞬間、私は本能のままにその人物から背を向け走り出した。

封印したはずのあの夜がフラッシュバックして目の前を横切る。


逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。――逃げて!!


心臓が、本能が、命の危機を訴えている。暗くて狭い道を、私は必死に走った。

50メートルの道が、果てしなく遠い。

足が震えて、上手く動かない。それでも背後から恐怖が迫る。振り返らなくたって、奴が追いかけてきていることは明らかだった。

ああ、やっぱり裏道を選ぶべきではなかった――そんなことを今更後悔したって、なんの意味もないというのに。


「あっ…!」

急かす心に体がついていけなくなった。震える自分の足につまずき、視界が反転する。硬い地面についた手と膝に走った鋭い痛み。でも今はそんなことに構っていられない。

早く立って逃げなければ。早く、早く…!


だけどマズイと思った時にはもう、手遅れだった。はっと見上げると、「そいつ」はそこに居た。

記憶から消してしまいたいくらいに忌まわしいあの出来事が、瞬時に蘇る。

縛られたように硬直する重い体で見上げた先、その人は…私を犯そうとした男は、荒い息を吐きながら、恐ろしい笑みを浮かべていた。…あぁ、あのときと同じ。


「なんで逃げちゃうわけ?やっと見つけたのに」

「い、いや…」

ようやく絞り出した声は恐怖に満ちていて、男の加虐心を悪戯に刺激しただけだった。

男が私の肩を強く掴み、圧し掛かってくる。そしてまるで獲物を捕らえた獣のように、竦み怯える私を覗きこんだ。


「まさか家を出てたとはね。どうりで見かけなくなったわけだ。仕方ないから学校から尾行してたんだけど、全然 人気(ひとけ)のない道通ないじゃん?マンションもオートロックだしさぁ。諦めかけたときにこんなチャンス、逃すわけねーよな?」

「…いやあっ!」


精一杯押しのけようとしたけれど、却って強く肩を地面に押し込まれ、コンクリートの地面に背中を強打した。

だけどもはや痛みなど感じない。この恐怖を前にしたら、そんな感覚、もう働かない。


「いや!お願い、やめて…っ」

懇願したけど、狂気に囚われた相手に届く訳もない。

「いいねえ、その顔。すげぇゾクゾクするよ。初めて見たときからずっと狙ってたんだよ、どんな顔で喘ぐんだろうって。…はあ、いい匂い、たまんねぇ」

首筋に生温かい舌がべちゃっと這う。あまりの気持ち悪さに全身鳥肌が立ち、私は絶望の叫びをあげた。


「…いやあああっ!」

「うるせーな!声出すんじゃねえ!」


必死に抵抗するけど、相手はビクともしない。足をめいっぱい動かしても、男の体重で押さえこまれてしまう。

頬を何度も打たれ、口の中に血の味が広がる。それは私の抵抗が弱まるまで続いて、最後にはすぐ近くの小さな空き地に引きずり込まれた。

そこは今にも崩れ落ちそうな塀に囲まれ、裏道からも死角となるような場所。両隣を廃墟同然の空き家に挟まれ、暗闇に支配された絶望の空間だった。


「やめて!助けて!――誰か!誰か助けて…っ!!」


万が一、さっきの路地裏を通る人がもしいるなら気付いてもらえるかもしれない。

微かな希望にすがって叫んだけれど、それはあっけなく裏切られると同時に一層男の怒りを膨張させただけだった。


「うるせーっつってんだろ!」

怒鳴り声と同時に響く叩打こうだの音。強くたれたせいで、視界が不自然に歪む。


「続きやろうぜ?この前は邪魔が入ったけど、今度こそ逃がさねぇから」


勝手な欲望に塗れた言葉の最後、重なるようにしてその手が私の制服にかかった。強引に剥ぎ取られるブレザー、ボタンが飛んで汚らわしい手がセーターの中に入ってくる。乱暴に捲し上げ、シャツのボタンに手がかかる。なんて醜くて、気持ち悪い。


「やめて!いや!放して…っ!」

悲痛な叫び声をあげ、私は全力で抵抗した。

嫌だ。こんなところで諦めたくない。

こんな風に虐げられる為に生まれてきたわけじゃない。

こんなところで、こんな最低な奴に屈するなんて、絶対に嫌だ…!


「黙れ!」

殴られてもなお抵抗する私に、男がポケットから小さなナイフを取り出した。

私の記憶にも同様に収められているそれを、男は脅すようにかざした。

「死にてーのか?大人しくすればイイ気持ちにさせてやるからよ」

その台詞も、聞き覚えがあった。


…やっぱり、同じだ。全て。何もかもあの時と同じ。助けを求めても、誰も来ない。

抵抗の度に容赦なく殴られ、気色悪い舌と汚らわしい手が肌を這う。

涙なんて溢れても何の役にも立たない。

どんなに願ったって、誰も助けになど来てくれない。

あの時は、偶然叔母さんが帰ってきたから逃げられた。

だけど今回は。ほとんど人も通らない裏道の、こんな死角で、誰も助けになんて来てくれるわけがない。


(…もう、いい)


私は諦め、ついに抵抗をやめた。

来ない助けを求めるほどに傷が増えるのなら、何もしないほうがマシだ。

どうせ、誰も私を救ってなどくれない。今までだってそうだった。そもそも私が誰も必要としてこなかったし、そんな私を必要としてくれる人もいままでいなかった。

だから私は、ずっとずっと孤独なんだ。


(…――本当に?)

そのとき、私の心の奥でぽつりと声がした。


本当に、私は独りぼっちなの?…ずっとそうだったの?

誰も私を解ってくれる人は、助けてくれる人はいないの?…本当に?


「…せ、せ…」


無意識に、呼んでいた。

どうしてその名前が出たのか、自分でも分からない。

唯一心を開いていたのは佳穂だったはずなのに。それなのにどうして、口から零れた名前は親友じゃなかったのだろう。

だけどその名前しか、言葉しか、不思議なくらい今は出てこなかった。

親でも、親友でもない。

絶体絶命のこの瞬間に想い浮かべたのは、ただ一人だけ。


「た、すけて…」


脳裏によぎる、あの人の顔。

以前は淡々と話す教師の顔しか知らなかったのに。

いつの間にか、思い浮かべるその表情はとても優しくて穏やかなものに変わっていた。

大丈夫だよって笑ってくれているような、ただそれだけで安心できるような――ねぇ、それは一体いつから?


「…ぃってぇな!てめぇ殺すぞ!」


思い返したように必死に抵抗したら、そのうちの一撃が男に当たったらしい。

それまで余裕そうだった声色が一瞬にして変わった。

はっと視線を向けた先には、銀色のナイフ。鈍い光が私の命を目掛けて今、振り下ろされようとしていた。

殺される。

そう思った瞬間、私は全力で最後の助けを叫んでいた。


「いや!助けて――先生!」


最後の力を振り絞り、脳裏に映るただ一人の人の名前を呼んだ、そのとき。


(……――っ!?)


急に私の目の前のナイフが吹き飛び、鋭い音を立てて壁に当たった。

と同時に私の上に跨っていた男の姿が横に倒れ、私の視界が暗くなる――正確には、目の前に大きな背中が現れた。


何が起こったかなんて、確認できる時間もなかった。ただ分かったのは、絶望の淵から助けられたということだけ。


私は破れた制服をなんとか掻き寄せ、暗い視界の中で目をこらす。

すぐ近くから聞こえる鈍い音。それはついさっきまで私の身の上に振りかかっていたものと同じ。つまり、誰かが、誰かを殴っている。


さらに目をこらすと、組み敷かれているのは私を襲ったあの男だった。じゃあ、殴っているのは。


(だ、れ…?)


黒い上着を羽織る広い背中に、少し茶色がかった短い髪。

――見覚えが、ある。


(せ、…んせい…?)


私は信じられなくて目を見開いた。

だけどあれほど求めていた存在を見間違えるわけがない。そこにいたのは間違いなく、先生だった。


「せん、…せ…」

恐怖に体はまだ震えている。声も震えて、うまく喋れない。


「せんせ、…」

なんとか声を振り絞ってみても、小さくて先生には届いてない。


「…先生!」

ようやく声が届いたのだろう、先生がぴたりと拳を止めた。

その背中からは燃えるような怒りをひしひしと感じる。この様子では殺すことも厭わないだろう。だから私は首を横に振って懇願した。


「…やめて」

男を庇ってるわけでは決してない。だけどどうしても嫌だった。

そんな汚い奴の血が、先生の綺麗な手を汚してしまうことが、何より許せなかった。


「お願い…ダメです」

先生の振り上げた拳が、少し戸惑って。それから怒りを抑えながらゆっくりと下ろされた。

先生はぐったりとした男の胸座を掴んで引き寄せると、聞いたこともないほど低い声で告げた。


「二度と近づくな。次は殺す」

「ひぃっ…」


男はそれだけですっかり竦みあがって、先生の手が胸から離れた途端によろけるようにして逃げていった。

それを見やると、先生は煮えたぎる怒りを逃がすように大きく息を吐いて、こちらを振り返った。

無惨に引き裂かれた私の制服を見て、先生の顔が苦しく歪む。その瞳は深く傷付き、今にも泣き出しそうだったから、私の方が胸を締め付けられた。

先生はゆっくり近づいてくると私の前に膝をつくと、着ていた上着をそっと私にかけた。それからまるで全てのものから守るように――ぎゅっと私を抱き締めた。


「遅くなってごめん」


呟いた声音にはっとした。…震えて、いる?


「ほんとに、ごめん…」


身体に回る腕の力が強くなって、先生の速い鼓動が直に伝わってくる。

初めて感じる先生の匂い、温もり。それらに包まれて、心が急速に平穏を取り戻していくのが分かった。

…ああ、助かった…。


「先生、私…ごめんなさい」


広い胸に顔を埋めたら、安堵のあまり涙が零れ落ちた。

怖かった。本当に、怖かった。先生が助けてくれなかったら、今頃私は本当に死んでいたかもしれない。

私はぎゅっと先生の服を握りしめた。どこにも行かないで、ここにいて。

今までの私と矛盾してるって分かってるけど、今だけはこのまま抱きしめていてほしかった。


先生の大きな手が私の髪を撫でる。

声にならない願いに応えるように、不安を宥めるように。


それから暫くの間。

先生の腕の中で、私は全てを吐き出すように大声で泣いた。


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