1-12.先生の告白
あれ以降、眞中くんとはよく会話をするようになった。
先日行われた席替えで偶然隣になったこともその一因と言える。
授業はもちろん部活も一緒だから、自然と話題は絶えない。
何より、一見物静かで真面目そうな眞中くんだけど、実はそういうわけでもなくて…。
「原田、原田」
世界史の授業中、隣から小声が聞こえてきて視線を向けると、眞中くんが少し悪戯な顔をしていた。
「見てこれ」
彼が指さしたノートの端には、眞中くんが書いたと思われる誰かの似顔絵。
少ない髪量、細い目に四角い眼鏡、少し腫れぼったい唇。この学校の人なら誰でも分かるに違いない――世界史の先生だ。
私と違って眞中くんは完全な理系で文系が苦手、ゆえに文系の授業では寝ていることも多いのに、今日は珍しく真剣にノートを取っていたと思ったら…まさか落書きしていたなんて。
「ちょっと…何してるの」
呆れたように言うけど、眞中くんはまるで気にしてない。
「似てない?」
言いながら、仕上げと言わんばかりに隣に「ハヒッ」と吹き出しをつけて書き足す。それは世界史の先生の癖みたいなもので、説明の合間の息継ぎ音がやけに大きいことから生徒達の間では格好のネタとなっていた。
「似て…なくもないけど。ふふっ」
そっくりというわけでもないのに、絶妙に特徴をとらえた似顔絵は後からじわじわ効いてきて、笑いが遅れて込み上げてくる。
先生に見つからないよう、ノートをとるふりをしながら俯きなんとか笑いを嚙み殺す私を見て、眞中くんがにやりと笑った。
こんな風に、彼は隣の席になってからというもの時々…いや、頻繁に私を笑わせてくる。
それは授業中も例外ではなく、しかも毎回私のツボに嵌ってしまうのだから、困ったものだ。
そんなことばかりが続けば、警戒心などあっという間になくなってしまう。「ちょっとやんちゃなお隣さん」というイメージがすっかり定着したことで、教室ではもちろん、部活でも話すことが増えた。
そのうち私から話しかけることも増えて、佳穂にも「紗紀が男子と仲良くなるなんて珍しいね」と目を丸くされたぐらいだ。
初めてできた男友達。うん、その表現がしっくりくる。
もちろん、それでも男であることには違いないから時々身構えてしまうことはあるけれど、彼のおかげで学校生活が少し楽しくなったのは本当だ。
***
その日の夕飯は、朝、先生が仕込んでおいてくれたカレーだった。
辛口が苦手な私のために、はちみつで調整してくれたのだという。おかげで甘すぎず辛すぎずで、丁度いい。
先生特製のドレッシングがかかったサラダも添えられて、最近では外食するより先生のご飯の方が美味しいとすら感じ始めている。
負けず嫌いな佳穂が「私にとってお袋の味は兄貴の味、悔しいけどあの人の料理は一生超えられない」と言うのも納得だ。それくらい先生は料理が上手い。
「…なんですか?」
不意に視線を感じて見上げると、何か言いたげに先生が私を見ていた。
「いや…」
先生が不自然に視線を逸らしたから、私は首をかしげた。
「食べないんですか」
見たら、私のカレーの半分はもうなくなりそうなのに、先生のカレーにはほとんど手がつけられていない。
「あぁ…あまり食欲なくて」
どこか沈んだ声音。そういえば、今日はやけに無口だ。いつもは絶えず話題を提供してくれるのに。
疲れているのだろうと思っていたのだけれど、それにしては雰囲気が重すぎる気がした。
「何かあったんですか…?」
朝は普通だったことを考えると、今日学校で何かあったのかもしれない。こんなに思い悩んでしまうほど。
「…原田さ」
先生は少し逡巡した後、意を決したようにずっと持て余していたスプーンを置き、私を見つめた。
その面持ちがとても真剣だったから、息を呑んで次の言葉を待つ。
「部員の奴らが噂してるの聞いたんだけど…眞中と付き合ってるって本当?」
「…え?」
突拍子もないことを聞かれたせいか、何を言われたか一瞬分からなかった。
聞き間違いかと思ったけど、先生の表情は変わらない。重ねるように、先生は再度尋ねた。
「だから、その…眞中と、付き合っているのか?」
「い、いいえ!」
質問の意図をようやく理解して、慌てて首を横に振って否定した。
なに、それ。いつの間にそんな噂が流れてたの?
彼はただの友達だ。それ以上の感情など、あるわけがない。
「付き合ってません!」
「…本当に?」
半信半疑の視線を投げる先生に、私は強く言い返す。
「本当です!隣の席だし、同じ部活だし、話す機会が多いだけです。眞中くんもそんなつもりないだろうし、迷惑です」
まっすぐに先生を見返す私を見て、先生もようやく信じてくれたようだ。ほっと息をついた。
「…そうか、デマだったのか」
「どこからそんな噂が出たかは分かりませんけど、真実ではないです。でも皆にはそんな風に見られていたんですね。今後は気をつけます」
「うん。そうしてくれ」
先生は心底安堵したように微笑むと、途端に食欲が戻ったのか、ぱくぱくとカレーを食べ始めた。
その変わり様に、私は形容しがたい違和感を覚えた。
「…どうしてそんなこと、確認する必要があるんですか?」
ただの噂でよかった、と言わんばかりの態度。でも私には、その行動の意味が理解できなかった。
「私が誰と仲良くしようと付き合おうと、それは私の勝手です。むしろ私が仮に眞中くんと付き合っているなら、イコール男嫌いが治ったってことですよね。賭けは先生の勝ちになるし、喜びこそすれ落ち込む理由なんてないんじゃないですか」
「それは…」
鋭い指摘に先生はスプーンを止め、言葉に詰まっている。そして何か言いたげに私を見つめるけど、何も反論しなかった…いや、できなかったんだろう。
事実、私に好きな人がいたとしても先生はそれを否定する権利を持ち合わせてなどいない。
賭けのために生活を期間限定で共にはしているけど、だからって私を束縛する理由にはならないのだから。
「ごちそうさまでした」
無言のままの先生を一瞥して、空き皿をもって立ち上がる。
今日はこれ以上、先生の近くに居たくないと思った。足早にキッチンに向かって食器を洗い、自室に戻ろうとリビングのドアに手をかけた――とのその時、耳を澄まさなければ分からないぐらいに小さな声が、背後から聞こえてきた。いつもよく通る声の先生のものとは思えないくらい、小さな声が。
「…喜べるわけ、ない」
立ち止まって振り返ると、先生はテーブルの上のカレーを悲しそうに眺めていた。
そうしてゆっくりと私に視線を移す。その瞳は、怖いくらいに真剣で、どこか泣きそうにも見えた。
「だって、俺は原田が」
先生は、そこで一旦口を閉じて、私をじっと見つめる。
怪訝な顔してその先の言葉を待っている私に、やがて先生が覚悟を決めたように口を開いた。
「俺は、原田のことが…好きだから」
「…え?」
聞こえてきた言葉をうまく処理することができず、私は怒りも忘れて訊き返した。
スキ?すき、――好き?
先生は今、私に「好き」と言ったのだろうか。生徒である私に、男嫌いの私に、「好き」と?
それとも私の聞き間違い?そうでなければ意味が分からない。
だって私と先生は今「賭け」をしていて、正反対の立場にいるわけで…。
「原田が、好きなんだ」
「……――っ!」
今度こそ、聞き間違いじゃなかった。予想だにしない、突然の告白。
私を見つめる先生は冷静で、驚いて言葉も出ない私とは対照的だった。
「ずっと前から原田が好きだった。だから、原田が他の奴と仲良くしてるとこなんか、見たくない。ましてや、付き合ってるなんて――」
先生の言葉全てが、私をひどく混乱させた。
ずっと私が好きだった?一体なぜ?
だって私、先生に好かれるようなこと、何一つしてない。
転入してからあの雨の夜まで、先生と親しくなる出来事も会話もなかった。
それなのに、私を好きだなんてどうして?
そもそも、恋愛感情を持ってこの賭けを提案したというの?
…ああ、何もかも分からない。先生の言葉、何ひとつ理解できないよ。
しばらく続いた沈黙。
先生は私の答えを待っているように見えたし、何か答えなければと思った。
「…私、は」
なんて答えたらいいだろう。
だけど思考は完全に停止して、何一つ浮かばなかった。
それでもただひとつ分かっているのは、その想いには応えられないということだけ。
先生であっても眞中くんであっても同じ。
私は男なんて、その存在すら否定してしまいたいほどに憎んでいる。
「私は――誰も好きになったりなんかしない」
それだけ言い残すと、私は背を向けて自分の部屋に逃げ込んだ。
それが先生の想いに対する拒絶の答えだって言うことを、多分先生は気付いている。




