1-11.男友達
土曜日の午後、部活終わり。
マネージャーを始めて1週間、ようやく少しずつマネージャーの仕事にも慣れつつあった。
体育館の外に備え付けられている洗濯機にユニフォームを詰め込んだ私は、洗濯機が動き始めたのを確認するとすぐ側にあるベンチに腰を下ろした。
ここから洗濯機が止まるまで、束の間の休憩タイム。
ずっと動きっぱなしだったから、椅子に座っただけでとても楽に感じた。
(…おなか空いた)
携帯を見ると、午後1時を示していた。朝8時から始まった部活が終わったのが12時だったから、それからもう1時間経ったらしい。
部活をしているとあっという間すぎて、時間の感覚を忘れてしまう。
(洗濯が終わったらユニフォームを干して、今日の日誌を書いて先生にもっていって…帰るのは2時ぐらいかなぁ)
先生は職員室で仕事していて、私の仕事が全部終わったら部日誌を先生のところに持って行くことになっている。それが私の「下校」の合図だ。
その頃には先生も帰れるだろうか。もし帰れそうなら、お昼ご飯は一緒に食べてもいいかもしれない。
先週と先々週は佳穂の家に泊まったけれど…今週、その予定はなかった。不思議なことに、そうしたいと思わなくなっていた。
それは多分、先生が同居人としてこの上なく心地よい環境を提供してくれるから。
といっても先生を完全に信用したわけではない。相変わらず話すのは先生からの方が多いし、直接触れることもない。
ただ一つ、以前と変わったことといえば、最近私がリビングで過ごす時間が増えてきたことだ。
分からないところを教えてもらって以来、数学の宿題をするときはいつもリビングでするようになって、そのうち他の科目もするようになって。
先生は仕事を、私は勉強を、同じ空間でそれぞれが集中してやっている。お互いに程よい距離感で、押しつけがましいこともなく生活できている。
そうまるで…ずっと前からそうだったかのように、自然な雰囲気の中で。
「原田」
先生との生活のことをぼんやり考えていたら、突然横から名前を呼ばれた。
振り向いた先にいたのはバスケ部部員でエース兼キャプテンの眞中 篤志。
クラスメイトでもある彼は、優しくて面白くてかっこいいと女子生徒の間で評判だった。うちのクラスはもちろん、他のクラスの女子からも絶大な人気を誇る彼だけど、必要以上に話したことがなかったから、このタイミングでこうして声をかけられたことはとても意外だった。
「お疲れ。洗濯中?」
彼は私の隣に腰を下ろすと、シューズの靴紐を結びなおし始めた。
「お疲れさま。…うん、そう。眞中くん、まだ残ってたの?」
なんとか笑顔を浮かべたけれど、男というだけでどうしても強まる警戒心。
少しでも距離をおきたくて、「どうぞ広く使って」と場所を譲るのを装い、私は彼の向かい側のベンチに座りなおした。
「別にいいのに。うん、自主トレ」
「頑張ってるね」
「もっとシュート上手くなりたくてさ」
そう彼は言ったけれど、彼のシュート成功率は8割以上、十分すぎるほど上手い。
だけど現状に満足しないそのストイックさこそが、彼をエースにまで育て上げ、成長させてきた。
「既に上手だと思うけど。まるで吸い込まれるようなシュート、すごいなぁって思いながらいつも見てるよ」
「え、ほんと?」
靴ひもを結ぶ手を止めて眞中くんが顔をあげた。
少し長い前髪の隙間から、黒い瞳がのぞく――そこに驚きと喜びの色を浮かべて。
「もちろん。今日のミニゲームもすごかった、特に最後のファストブレイクからのスリーポイント、びっくりしちゃった。他の部活の女の子たちも黄色い歓声あげてたし」
「そうだっけ。気付かなかった」
「あの大歓声、聞こえてなかったの?だとしたらすごい集中力」
「ん…ていうか、あんまりそういうの興味ないから。原田が見ててくれてたなら、それでいい」
「…?」
彼の最後の言葉の意味がよく分からなかった。
まるで私にみて欲しかったと言わんばかりの言い方だ。日々の実績をタブレットに書き込んでいるから?でも今日の記録担当は美玖だったし、その可能性は低いと思う。
でも、だとしたら一体…?
眞中くんはそれ以上何も教えてくれず、もう片方の靴紐を丁寧に結びなおしている。
洗濯機の音が響く中、沈黙が少し続き、やがて眞中くんの声で破られた。
「…原田ってさ、なんでマネージャー始めたの?」
「え?あの、転校前の学校でバスケやってて、それで」
「女バスに入ろうとは思わなかった?うちの女バスも結構強いじゃん」
「それは…」
靴紐を結び終えて顔をあげた眞中くんから視線を逸らしながら、私は答えに困った。私がバスケを辞めた理由――それは、永遠に消してしまいたい傷跡でもある。
「…自分がバスケするのも好きだけど、サポートするのも楽しいかなって思って」
できる限りの平然で、なんとか絞り出した言い訳。真実ではないけれど、嘘でもない。
本音を言えばまたバスケをしたい気持ちはある。でも今はマネージャーの仕事も悪くないと思い始めているから。
「ああ、なるほど」
ありがたいことに眞中くんは特に疑念を抱くことなく、その言い訳をすんなり受け入れてくれたようだ。
「どこの学校なんだっけ?」
学校名を告げると、「ああ、あそこか」と心得たように頷いた。
「そこそこ強くて有名だよな。まあうちの学校程じゃないけど…ってごめん、感じ悪いな俺」
「ううん。いいよ、気にしないで」
しまった、って顔を彼は見せたけど、私は首を横に振って笑った。残念ながらそれは事実だと知っている。
「…あ。笑った」
「えっ?」
「初めて見たかも、原田の笑顔。やった、勝利の女神に微笑まれた気分」
「ええ?なにそれ」
私は眞中くんの言葉に、さっきよりも深く笑ってしまった。
だって、私が勝利の女神だなんて大袈裟すぎると思う。
とその時、「おい眞中、練習再開するぞー!」とグラウンドの方から二年生部員の声が聞こえた。
どうやら数人で自主練を共にしているらしい。
「ごめん、そろそろ自主練に戻る。また話しかけていい?」
「…もちろん」
私の返事に彼は満足気に笑うと、じゃあまた、と手を挙げてグラウンドへと走っていく。
その後ろ姿を眺めながら、私は男子と自然に会話できた自分に驚いていた。




