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1-1.傘

連載はじめます。よろしくお願いします!

冷たい秋雨が降りしきる、静かな夜だった。

街灯もない暗い路地裏で、電柱の影に隠れるようにして膝を抱え(うずくま)る私に、一人の男性が傘を差し出した。


「…原田?」


聞き覚えのある声だった。

虚ろな視線でゆっくり見上げると、そこにいたのは高上龍(たかうえ りゅう)――私が通う高校の担任教師だ。

先生は視線を合わせるようにしゃがむと、怪訝な様子で私を覗き込んだ。


「こんなところで、何してるんだ」


――それはこっちの台詞だ。

人目につかない場所を選んだはずなのに、一体なぜ。


「原田?」


繰り返す呼びかけを無視して、私はぎゅっと膝を抱き寄せた。

何も聞きたくない、何も言いたくない。かまってほしくない。先生に求めるのはそれだけ。

膝の間に顔を埋め、話す意思がないことを暗に伝えるけど、いつまで待っても目の前の気配は消えなくて…。


「とにかく、話聞くから。場所を移そう」

言って、先生が私の左腕を掴んで引き上げた。

それは多分私を立ち上がらせようとしただけで、他意はなかっただろう。だけど私の身体はそう思わなかった。あの忌まわしい出来事がまるで映画のフィルムのように脳裏に蘇って――。


「いや!!」


私は本能のまま、先生の手を乱暴に振り払った。


いやだ、いやだ、いやだ…!

思い出したくない、できるなら消してしまいたい。

どうして、どうして。またあんな目に。


私は目を瞑って強く自分を抱きしめた。この残酷な世界からなんとか自分を守るために。


「原田」

拒んだはずなのに、先生はめげることなく再び私の名を呼んでくる。

うるさい、うるさい。早く何処かへ行って。

先生だって一人の男だ。そうやって優しさを振りまく裏で、きっとあいつらと同じこと考えているんでしょう?


「立て」

「放っておいてください」

「そのままじゃ風邪をひく」

「先生には関係ありません」


全身ずぶ濡れのまま敵意をもって見上げたら先生が困惑に眉をひそめたけれど、それは私も同じだ。

ここまで言ってるのに、どうして構うの?

そもそも、この先生が私は苦手だった。授業は厳しいし、近寄りがたいし――何より、こうやって偽善者ぶった顔をする。


「…わかった。なら、保護者に連絡して迎えに来てもらうから――」

「やめて!そんなことしたら死んでやる!」


携帯を取り出した先生に、噛み付くように叫んだ。普段学校で大声をあげることなんてない私だからか、先生が驚いたように目を見張った。


子どもみたいに駄々こねていると思われるかもしれない。

それでも構わない、あそこへ戻されるくらいなら。

だって何処にも安心できる居場所なんてない。

そう、この世界の何処にも…。


「なら立って。いずれにせよこのままにはできない」

「放っておいてと言っているでしょう!」

「できない。家に帰るか俺についてくるか、どちらか選べ。沈黙は帰宅とみなす。…どうする?」


そのどちらもお断りだと無言の返事をしたけれど、目の前の人には届いていないらしい。それどころか、催促するように携帯を目の前でちらつかせてきた。ほら早く答えないと電話するぞいいのか、と言わんばかりに。

――このままでは、本当に連絡されかねない。

無言の攻防戦が暫く続いた後、遂に私は抵抗を諦め、渋々立ち上がった。

 

***


途中のコンビニで傘を買い与えられ、先生の後をついて歩くこと数分。辿り着いた先は、大きなマンションだった。

エントランスの前で立ち止まった私を先生が訝しげに振り返ったけれど、不審に思うのも当然だろう。

てっきりカフェとか人がいるところに連れていかれると思っていたのに、一体どういうつもりだろうか。

不信感を露わにする私の表情からその懸念をすぐに察したらしく、先生は「何もしないさ」と苦笑した。

けれど男の言葉など信じない私は警戒を緩めない。そんな私に、先生は観念したように両手をあげた。


「指一本触れないって約束する。ほら入って。本当に風邪ひく」


近づかない、という言葉は甚だ疑わしかったけれど、残念ながら雨に打たれて冷えた体は今何より暖を欲しがっている。

濡れた服が体温を奪って、ぶるりと体が震えた。急いでいたから足はサンダルで、砂利のような汚れが足裏にまとわりついているせいで歩くほどに不快だ。

…それに、と考える。

万一何か乱暴なことをしようとしたなら学校に――すなわちこの人にとっての職場に――悪事を暴露すればいい。

そうつまり、私はある意味彼の弱点を握っている。


やむを得ないと判断して、私は慎重に先生との距離を測りながら、小さく歩きだす。それを認めて、先生はマンションのオートロックを解除した。



10階建てのマンションは、すこし年季を感じるとはいえ、廊下の隅まで清掃が行き届いていた。きっと住人の民度が高いのだろう。ずぶ濡れの私が足を踏み入れていいのか躊躇ったけれど、先生はまるで気にしていないようで、すたすたと歩いていく。

5階の角部屋に先生の部屋はあって、濃いブラウンの鉄扉を開けると、先生が中に入るように促した。


「どうぞ。多少散らかっているが、見逃してくれな」

「…先生が、先に」


そう言ったのは遠慮したからではなく、後ろから襲われることを警戒したからだ。

一瞬たりとも気を緩めるべきではないし、玄関の鍵も閉めてはいけないと思った。逃げ道は確保しておかなければ、到底安心できない。


そんな私に先生は「了解」と肩をすくめると、部屋の中へ入った。

そして靴を脱ぎ廊下の灯りをつけると、一足のスリッパを私の足元に差し出した。

それに濡れた足を入れてよいものか戸惑っていると、先生が「どうした?」と首を傾げた。


「…スリッパが汚れてしまいます」

「いいよ、そんなの」


ふ、と先生が笑った。

それはいつも学校で見せるのとは全然違う、優しい笑い方で。

クールなイメージが強かったけど、こんな風に笑うんだ、と思わず目を瞬いた。


「上がって。いまタオル持ってくる」


私がスリッパに足を入れたのを見届けると、先生は玄関近くの部屋から1枚のフェイスタオルを取って戻ってきた。それを私に手渡すと、またすぐ別の部屋へ。けれどそれもほんの数十秒のことで、次に戻ってきた時、その手には衣服らしきものが握られていた。


「とりあえず、風呂入って。シャワーはそのままレバーを下に押せば適温が出るから」


親指でさっきフェイスタオルを取り出した部屋を指しながら――きっと浴室なのだろう――先生が言った。

そして、これ着替えね、と続けて私に持ってきた服を差し出す。


「服は妹のがあるから、それで我慢してもらいたい」


迷いつつも、持ち合わせもないので素直に受け取った。

ちらりとめくると、シンプルな英字ロゴが入ったグレーのロングTシャツに黒いルームパンツが見てとれた。


「…妹さんは今、向こうの部屋に?」

先生の後ろに見える奥の部屋を視線で指して尋ねた。

家族がいるなら、万が一にも先生が変な気を起こさないのではと思ったのだけれど…。


「いや、俺は一人暮らし。妹はたまに来ることがあるくらいで」


どうやら一緒に暮らしているわけではないらしい。でもこんな風に服を置いているということは、結構仲が良いのだろう。

それにしても、先生に妹がいるなんて初耳だった。

教師の顔しか知らないから、兄としての顔なんてまるで想像できない。

…いや、そんなこと別にどうでもいい。私には一ミリも関係のない話だ。


「…鍵は、かけられますか」

「もちろん」

「では、お風呂お借りします」

「うん。あ、タオルとかドライヤーとか自由に使って。上がったらここを出て左、一番奥の部屋に来てくれ」

私は無言で頷き、示された部屋に入る。そして鍵をかけると、一つ息をついた。



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