悪食姫と偏食王子
むかしむかし、あるいはそう遠くないむかし。
食の大地・ガストロノミアにふたつの国がありました。
ひとつは『なんでも食べる』ことで有名なオンニーボロ王国。もうひとつは『選り好みこそ美徳』とするスクィジット王国です。
ふたつの国は、おおむかしにあった食の哲学を巡る百年戦争によって、食卓の端から端まで、どこまでもいがみ合っていました。
オンニーボロ王国の姫アレッシアは、国民から親愛を込めて「悪食姫」と呼ばれていました。彼女は山羊のチーズからスライムの煮込みまで、どんな料理もペロリと平らげる、健啖家なのです。
城の厨房では、シェフたちが「姫の胃袋は宇宙だ!」と頭を抱えるほどでした。
ある日、アレッシアは王様から呼び出されます。
「アレッシアよ、スクィジット王国との和平のため、おまえをバルナバ王子へ嫁がせることにした!」
「えーっ、スクィジット王国のあの偏食王子⁉ 絶対ムリ! あいつ、トマトすら食べないってウワサよ?」
不満の声もむなしく、アレッシアは和平の使者としてスクィジット王国へ送られることになりました。
一方、スクィジット王国の王子バルナバは、国民から敬意を込めて「偏食王子」と呼ばれている美少年です。
「いいか、食は見た目からだ」
バルナバのその決めセリフは、スクィジット王国のことわざにすらなったほどです。
バルナバは、美しく、かつ完璧な味の食事でなければ口にしません。なので彼の朝食は、黄金色に輝くクロワッサンと、完熟マンゴーのスムージーのみです。
バルナバにとってそれ以外の朝食は「下品」なのです。城の料理人たちは、彼の機嫌を損ねないよう、毎日神経をすり減らしていました。
そんなバルナバのもとに、アレッシアが到着しました。
「ああ、なんていい香り! この国にはまだ食べたことのないものがありそうね!」
アレッシアは目を輝かせて周囲を見回します。そんな彼女を見て、バルナバは眉をひそめ、鼻で笑ってつぶやきました。
「ふん、オンニーボロ王国の姫ともなれば、さぞ粗野な食事をするのだろう。だが、このスクィジット王国では、芸術的な料理のみが許されるのだ!」
早速、晩餐会が開かれました。
テーブルには、宝石のようなサラダ、絹のように滑らかなスープ、そして薔薇の花びらを模したデザートが並びます。
アレッシアは、とても美しい食卓に驚いてしまいました。
そしてバルナバはナイフとフォークを優雅に操り、ほんの一口だけ味わいます。
「ふむ、このスープは許容範囲だ。だが、デザートの甘さが0.02パーセント過剰だな」
アレッシアは目を丸くしました。
「なんですって⁉ こんな美味そうなものになんてことを言うの。ぜんぶ食べなきゃもったいないじゃない……!」
アレッシアは憤慨し、サラダをすべて平らげました。それにスープも。もちろん、デザートも!
給仕たちはあわてて厨房へ連絡し、また美しい食事を運んで来ようとします。アレッシアはそれを留めて、ひとこと言いました。
「お食事はもう、たくさんいただきました。シェフを呼んでくださる?」
スクイジット王国のシェフは、きっと首をハネられるのだと思って真っ青になってやって来ました。
そんなシェフへ、アレッシアは言います。
「本当に美味しいお食事でした。わたくし、これまで素材の美味しさこそが正義だと思っていました。でも、こうしてキレイに調えられた食卓に与って、繊細な調理はとてもすごいのだと学びました。本当にありがとう」
シェフも、給仕たちも、バルナバさえも驚きました。繊細な調理は料理に必要不可欠なのが、スクイジット王国の常識なのです。
バルナバは、驚きのあまり声をあげました。
「なんて野蛮な考えだ! 食事は芸術だぞ! 素材によらず、それを活かす調理と技術こそが正義に決まっている!」
アレッシアはそれに反論します。
「芸術? それこそがバカげた考えですわ。食事は素材と調理者に感謝して味わうものよ!」
ふたりの言い争いは、城中へ響き渡りました。和平の話は暗礁に乗り上げ、両国の使者たちは頭を抱えます。
ところが、事態は意外な方向へ進みました。
翌日、アレッシアがバルナバを森のピクニックへ誘ったのです。
「あなたの好きな『芸術的な食事』を、外で食べてみませんか? 新鮮な空気のもとでいただけば、もっと美味しいですわ」
バルナバは渋々ついていきますが、用意されたのはオンニーボロ王国風の『なんでもあり弁当』です。
色とりどりの野菜、怪しげなキノコの炒め物、果ては『ドラゴンの尻尾スープ』なる謎の料理まで。
バルナバは顔をしかめます。
「こんな得体の知れないものは食べられん!」
「一口でもいいですから、召し上がって! ほら、このキノコ、すっごく香ばしいんですのよ!」
アレッシアの笑顔におされ、バルナバは恐る恐るキノコを口に運びました。アレッシアもわりと美少女なのです。すると、驚くほど豊かな風味が広がり、彼の目が見開かれます。
「こ、これは……⁉ まるで森の息吹が舌の上で踊っているかのようだ……!」
「でしょう! 見た目や名前で判断してはいけませんわ。食べてみなきゃわかりませんもの!」
「見た目が悪いのに……こんな……」
その日から、バルナバは少しずつアレッシアの「なんでも食べる」哲学に触れていきました。
彼女に連れられ、市場の屋台で串焼きを食べ、川辺で焼いた魚を頬張り、果ては『魔獣の角パイ』なる奇妙な菓子まで挑戦しました。
最初は抵抗していたバルナバでしたが、アレッシアの笑顔と未知の味に心が揺さぶられ、次第に笑顔が増えていきました。
一方、アレッシアもバルナバの影響を受けました。彼が愛する繊細なデザートや、色鮮やかなサラダに目を奪われ「たしかに、見た目も味の一部かもしれないわ」と気づき始めました。
ある日、彼女はバルナバにこう尋ねました。
「ねえ、バルナバ様。あなたが好まれるお食事は、本当にキレイですね。スクイジット王国では、どうしてこうしたお食事が主流なのでしょうか?」
バルナバは、自分が褒められたかのように少し照れながら答えました。
「食を愛し、それが自分自身を形作るものだと考えるんだ。美しく繊細なものを摂り入れることによって、私たちはより美しく、細やかに己を律することができる」
アレッシアはうなずきます。
「たしかに、キレイなお食事をいただきますと、まるで背筋が伸びるような気持ちになりますわ。たくさんの気遣いがあふれたお食事ですもの」
アレッシアがそう述べて、バルナバや給仕たち、それにシェフへの感謝を告げると、バルナバも言いました。
「……おまえと食べるようになって、私も食材の新しい魅力に気づけた。たとえ見た目が整っていない場合でも、美味いものは美味いと。ありがとう、アレッシア」
ふたりの距離は急激に縮まり、ついに和平の宴が開かれることになりました。
そこでは、オンニーボロ王国とスクィジット王国の料理が融合した前代未聞のメニューが並びます。
アレッシアが提案した『ドラゴンの尻尾スープ』に、バルナバが愛する『星空のサラダ』。そして二人が共同で作った『虹色のパイ』。
賓客たちはその美味しさに驚き、両国の和平は大成功に終わりました。
宴の最後、アレッシアはバルナバに笑いかけました。
「ねえ、バルナバ様。これからもいっしょに、いろんなものを食べて行きましょうね!」
バルナバはほほ笑み、アレッシアの手を取ります。
「ああ、もちろん。けれど、おまえはちゃんと、しっかり味わって食べるように練習しなければな」
そうして、ふたりはその後も同じ食卓を囲み、笑い合いながら新しい味を探し続けました。
オンニーボロ王国とスクィジット王国は、食を通じてひとつになり、ガストロノミアに平和が訪れたのでした。
めでたし、めでたし。