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第4章 有栖川の異変

 あの日から数日が経った。

 俺は必死に自分の感情をコントロールしようと努力していた。


 ドキドキする場面では深呼吸。

 緊張したら目を閉じて数を数える。


 女子を見かけたら視線を逸らす。

 とにかく「興奮」を避けることだけを考えて過ごしていた。


 それでも完全には防げない。

 二度、三度と「事件」は起きてしまった。

 幸い直接的に俺と結びつけられることはなかったが、学校中に「突然下着が消える怪現象」の噂が広まっていた。

 女子たちはいつもより厚手のストッキングを履くようになり、体操着を下に着込む子も出てきた。


 佐々木とは、あの後も普通に話しているが、以前のような打ち解けた雰囲気ではない。

 彼は察しがいいからこそ、俺が何かを隠していることを感じ取っている。

 そのことが二人の間に微妙な距離を生み出していた。


 そんな日々の中で、俺は一つの違和感に気づき始めていた。


 有栖川凛。


 彼女だけが、なぜか他の女子たちと違う反応を示していた。

 パニックになり騒ぎ立てるどころか、奇妙なほど冷静に対応しているのだ。


 そして時折、突然顔を赤くして席を立ち、教室を出ていく。

 その行動パターンに、俺は何か引っかかるものを感じていた。


 今日の国語の授業中も、彼女を観察していた。

 窓際の席に座る有栖川凛。

 スレンダーな体型に、肩下の長さの黒髪。

 左側だけにつけた小さなヘアピンが、彼女の特徴だ。

 紫がかった青い瞳は、いつも遠くを見ているような冷たさを湛えている。


 教師の朗読を聞きながら、彼女は背筋をピンと伸ばし、真剣にノートを取っていた。

 その姿勢の美しさに、思わず見入ってしまう。

 制服のブラウスが彼女の細い首筋を引き立てていて、その白さが印象的だ。


(彼女、いつも一人だな)


 成績はトップクラス、容姿も申し分なし。

 本来なら羨望の的になるはずの彼女が、なぜか周囲と距離を置かれているように見える。

 いや、正確には彼女自身が距離を置いているのかもしれない。

 藤宮美咲という親友らしき女子はいるが、他の生徒とは必要最低限の会話しかしない。


 彼女の横顔を見ていると、ふと彼女が身体を強張らせた。

 顔が徐々に赤くなっていき、額に小さな汗の粒が浮かぶ。

 そして突然、


「先生、すみません。トイレに……」


 彼女は小さな声で言うと、教室を出て行った。

 それを見送る女子たちの視線には、「またか」という諦めのようなものが浮かんでいた。


 不思議だ。他の女子たちが下着消失事件に遭遇するときは、明らかにパニックになる。

 悲鳴を上げたり、慌てて逃げ出したり。

 でも有栖川は違う。

 まるで……予測していたかのような、覚悟を決めたような表情だった。


 昼休みには戻ってきたが、彼女は終始物思いに耽っているようだった。

 俺が気にしているのを察したのか、時折視線が合うと、すぐに目を逸らす。

 

 ◇

 

 放課後、バスケ部の練習が急遽休みになり、早めに帰れることになった。

 俺は教室に忘れたノートを取りに戻った。

 廊下に差し掛かると、教室から話し声が聞こえてきた。


「凛ちゃん、最近どうしたの? また突然席を立ったりして……」


 藤宮美咲の心配そうな声だ。

 

「……何でもないわ」


 有栖川の冷たい返事。

 しかし、その声には微かな震えがあった。


「嘘! 絶対何かある。友達なのに隠すなんて……」


 藤宮の声が少し上ずっている。

 本気で心配しているのが伝わってくる。


「ごめんなさい、美咲。でも、これは……私一人で解決するべきことなの」


 有栖川の声には、これまで聞いたことのないような感情の揺らぎがあった。

 思わず立ち止まって、その会話に聞き入ってしまう俺。

 そして……。


「立ち聞きは良くないわよ、都倉くん」


 背後から突然声がかかり、肩をビクッと震わせた。

 振り返ると、クラス委員長の鷹宮詩織が立っていた。

 鷹宮はクラスの中では「規則の執行者」として、少し恐れられている存在だ。


「あ、いや、その……忘れ物を取りに来ただけで」


 慌てて言い訳する俺に、鷹宮は眼鏡の縁を指で押し上げながら冷ややかな視線を向ける。


「じゃあ、素直に入ればいいのに。なぜこそこそと?」


 彼女の鋭い指摘に言葉に詰まる。


「ごめん。悪かった」


 頭を下げると、鷹宮はため息をついた。

 目を逸らす俺を、鷹宮は疑わしげに見つめていた。

 その視線から逃れるように教室に入り、ノートを手に取って急いで立ち去った。


 ◇


 下駄箱の近くで、有栖川と藤宮が並んで歩いてくるのが見えた。

 藤宮はまだ不満げな表情を浮かべているが、有栖川は相変わらず無表情だ。


 有栖川が俺の近くを通り過ぎる時、ほんの一瞬、彼女の肩が俺の腕に触れた。

 その瞬間、奇妙な静電気のような感覚が走った。

 彼女も何かを感じたのか、一瞬足を止め、俺を振り返った。


 その瞳には明らかな驚きが浮かんでいた。

 だが、次の瞬間には元の無表情に戻り、そのまま廊下を歩いていく。

 ただ、その白い耳が少し赤くなっていたように見えた。


 下駄箱で靴を履き替えながら、俺は有栖川のことを考えていた。

 彼女の行動パターン。

 突然顔を赤くして席を立つ。

 パニックにならない。

 そして、さっき触れた時のあの感覚……。


「もしかして……彼女も何か特殊な能力を……?」


 そんな疑念が頭をよぎった瞬間、玄関を出ようとした俺の前に、有栖川凛が立っていた。

 彼女は一人、校門の前で立ち止まり、振り返って俺を見つめていた。


 夕陽に照らされた彼女のシルエットが、まるで燃えるように輝いていた。

 風が彼女の髪を揺らし、スカートがわずかに舞い上がる。

 その姿は息を呑むほど美しかった。


 俺たちはしばらくの間、言葉を交わすことなく見つめ合った。

 彼女の瞳に浮かんでいたのは、疑問だろうか、それとも期待だろうか。


 やがて彼女は小さく首を振ると、踵を返して歩き始めた。

 その背中はどこか寂しげで、でも凛とした強さも感じさせた。


 呟きは風に消え、残るのは夕陽に染まった空と、胸の中のモヤモヤした感情だけだった。

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