第3章 能力の確認
午前中の授業は、まるで悪夢のような時間だった。
国語も英語も、頭に一言も入ってこなかった。
頭の中はあの「現象」のことでいっぱいだ。
朝の沙織さんと、数学の授業中。
二度も同じことが起きた。
偶然じゃない。
どう考えても、俺に何かが起きている。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、俺は教室を飛び出していた。
「おい、陸! 昼飯は?」
佐々木の声も構わず、図書室に向かう。
今は一人で考える時間が必要だった。
図書室は昼休みでも比較的静かで、パソコンが使える唯一の場所だ。
◇
図書室に着くと、案の定、人はまばらだった。
パソコンコーナーの空いている席に座る。
図書室特有の本の匂いと、木の机の感触が少し落ち着きを取り戻させてくれた。
ディスプレイの前に座り、検索エンジンを開く。
何から調べれば良いのだろう?
「突然下着が消える現象」
検索結果には、いくつかのオカルト系サイトや都市伝説のまとめページが表示されたが、どれも俺の状況とは違う。
『透明人間の仕業』『幽霊の悪戯』など、非科学的な説明ばかりだ。
「思念による物質消失」
今度は、超能力や超常現象についての疑似科学サイトがヒットした。
テレキネシスや念動力について語るページはあったが、「下着だけを消失させる能力」なんて記述はどこにもない。
「おかしな超能力 下着 消失」
この検索でも、まともな情報は見つからない。
画面が目に痛くなってきた。
頭を抱え、深いため息をつく。
「まさか本当に俺のせいなのか……? 確かめる方法は……」
もし本当に俺に何らかの「能力」があるとしたら、それはどんな条件で発動するのだろう?
朝と授業中、共通していたのは……俺が緊張していたこと、そして興奮していたことだ。
朝は沙織さんの体に触れてしまい、授業中は黒板の前で緊張して。
頭の中で、一つの仮説が浮かび上がる。
「もしかして……俺が『興奮』すると、周りの女子の下着が消える……?」
冷や汗が背中を伝う。
そんな馬鹿げた能力があるわけない。
でも、もしそうだとしたら……。
確かめる方法はある。
図書室の隅、誰も見ていない場所で実験してみよう。
席を立ち、本棚に囲まれた奥のスペースに移動する。
ここなら誰にも見られない。
深呼吸して、目を閉じる。
過去の恥ずかしい記憶を思い出そう。
中学の時、間違って女子更衣室に入ってしまったこと。
去年の文化祭で、劇の衣装が破れてパンツが見えてしまったこと。
そして、今朝の沙織さんとの接触……。
沙織さんの柔らかな胸の感触。
彼女のスキニージーンズから浮かび上がる曲線美。
消えてしまった下着の下の……。
「ち、違う、違う!」
頭を振り、変な方向に行く妄想を止める。
だが、既に心拍数が上がり、顔が熱くなっているのを感じる。
体が熱い。
これが「興奮状態」というやつか。
その瞬間、向こうの本棚から女子の声が聞こえた。
「きゃっ!?」
心臓が止まりそうになる。
慌てて声のする方に向かうと、女子生徒が本棚の間でしゃがみ込んでいた。
小柄で可愛らしい顔立ちの女の子だ。
彼女は明らかにパニック状態で、スカートを押さえながら周囲を見回している。
「だ、大丈夫?」
「ち、近づかないで!」
その言葉に胸が締め付けられる。
彼女の目に映る俺は、きっと恐ろしい変態だ。
「ごめん……」
俺は一歩下がり、目を逸らす。
彼女は図書室を出て行く。
その姿を見送りながら、恐ろしい確信が湧き上がってきた。
「やっぱり俺のせいだ……」
もう疑いようがない。
俺が「興奮」すると、周囲の女子の下着が消えてしまうのだ。
こんな能力、誰にも言えない。
理解されるはずもない。
足早に図書室を出ると、ちょうど廊下を歩いてきた佐々木とぶつかりそうになった。
「おい、どうした? 顔真っ青じゃん」
佐々木の表情に心配の色が浮かぶ。
俺の親友は、その明るさとは裏腹に、人の微妙な変化をよく察知する鋭さを持っていた。
「なんでもない……」
「そんなわけないだろ。朝からおかしいぞ、お前」
「本当に大丈夫だって。ちょっと……調べものしてただけだ」
佐々木は納得していない様子だったが、それ以上は追求してこなかった。
「とりあえず飯食おうぜ。昼休み、もう半分過ぎてるぞ」
佐々木に促されるまま、食堂へ向かう。
人が多い場所に行くのは不安だが、今はそれを拒否する理由も思いつかなかった。
◇
食堂に向かう階段を降りる時、後ろから走ってくる女子生徒の声が聞こえた。
「あっ、危ない!」
振り返る間もなく、背中に強い衝撃を感じる。
バランスを崩した俺は、階段を数段転がり落ちた。
「痛っ……」
頭を抱えながら起き上がると、俺にぶつかってきた女子生徒が心配そうに駆け寄ってくる。
長髪の女の子で、確か3年生の先輩だ。
「ごめんなさい! 大丈夫?」
彼女が俺の腕を掴み、起き上がるのを手伝ってくれる。
その瞬間、またあの電流のような感覚が全身を駆け抜けた。
「あっ……」
予感した通り、彼女はその場で固まり、顔を真っ赤にした。
「え? え?」と混乱した様子で自分の体を確かめる。
その周囲にいた女子たちからも悲鳴が上がり始める。
「きゃあ!?」
「なにこれ!?」
「下着が、ない!?」
階段周辺はみるみるうちにパニック状態になった。
女子たちが悲鳴を上げ、中には泣き出す子もいる。
「またか!」
思わず漏れた言葉を、佐々木が聞き逃さなかった。
「お前、なんか隠してないか?」
佐々木の表情が真剣になる。
「朝からおかしいし、今はこんな感じだし。何かあったなら、言ってくれよ。親友だろ?」
彼の真摯な眼差しに、胸が痛む。
確かに俺たちは小学校からの親友で、これまでほとんど秘密なんて持たなかった。
しかし、これは違う。「俺が女子の下着を消す能力を持ってしまった」なんて、どう言えば信じてもらえるというんだ?
「気のせいだって。本当に何もないよ」
目を逸らしながら言う俺に、佐々木は明らかに失望した表情を浮かべた。
「そうか……まあ、無理に言わなくてもいいけどさ」
彼の声には、かすかな寂しさが混じっている。
今までお互いに何でも話してきた関係に、初めて亀裂が入った瞬間だった。
騒然とする階段から離れ、俺たちは無言で食堂に向かった。
周囲の喧騒とは裏腹に、俺たちの間には冷たい沈黙が流れている。
親友との間にも溝ができてしまった。
この「能力」のせいで、俺の日常は確実に崩れ始めていた。