公爵令嬢ジュスティーヌ・アフレは美しいモノが好き
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「ジュスティーヌ・アフレ、今すぐここへ!」
魔法にのせて発せられた王太子のその声は、卒業パーティーで盛り上がる会場内の隅々まで響き渡った。
急遽演奏が止まったことで、学生最後の夜の記念として婚約者同士や友人同士で踊っていた者たちは怪訝な顔をして、声がした壇上を振り向いた。
そこには、今日、共に卒業するアールド・フォリーノ王太子と学園で常にその傍にいた学友たちが並んでいた。
レイナート・ナベコルズ侯爵令息は普段下ろしている前髪を上げているせいなのだろうか、常より露わになっている銀縁の眼鏡の位置を神経質そうに中指で戻しながら前を睨んでいる。
その横に立っているリガ・イーデン伯爵令息はただでさえ厳つい肩を更にいからせていた。前方へ向けている視線は厳しく、敵と定めた相手を威嚇していた。
そうして、その真ん中に立つひとりの女生徒。艶やかな栗色の髪と甘い蜂蜜色の瞳を持つララ・コロー子爵令嬢。
希少な回復魔法の遣い手であるとされる彼女は、幼い頃から体が弱く三年になってようやくこの貴族学園へと編入してきた。線の細さも手伝って可憐で守ってあげたくなる容姿を持つ彼女のちいさな白い手は今、不安そうに胸元の前で組み合わされていた。
アールドはこの華奢な令嬢をとにかく特別扱いし、婚約者であるジュスティーヌに対して常に彼女と比べてきた。
「ララ・コロー嬢の素晴らしさを認めないどころか、『回復魔法の名手というなら何故自分の病気を治さないのか』などと隅を突くようなことばかり言いおって」
「申し訳ございません。わたくしの知る回復魔法の遣い手は、己の病気も自ら治しておりますので、不思議でしたの」
「魔法の扱いは繊細なもの。また重篤な病気を治すには必要な魔力も膨大になる。風邪や些細な切り傷と一緒にするな」
回復魔法に関してだけでなく、コロー子爵令嬢の貴族令嬢とは思えないほどブレたカーテシーや所作の至らなさ等々。彼女を挟んで婚約者同士とは思えぬ会話をしたもの、一度や二度ではない。
その時の居た堪れなさを思い出したのか、憂い顔になるララのその華奢で細い腰を、アールドの腕が守るように抱き寄せ艶やかな髪のてっぺんへ、そっと唇を寄せた。
「もうっ、アールドさまったらこんな時に。……す、きっ」
壇上でいちゃつくふたりの動きに合わせて、ドレスを埋め尽くすように金糸を使って縫い付けられた宝石同士が当って、カチャカチャと軽い音を立てた。
「よく顔を出せたな、 ジュスティーヌ・アフレ。この悪女め」
「我が国の小太陽、王太子アールド殿下におかれましては、それがひと月後には婚姻を結ぶ約束をしている婚約者に対する言葉として相応しいと思われているならば、卒業はまだ早かったのではありませんか?」
堂々と笑顔で指摘をする。まっすぐに伸びた背筋に、不安に揺れていた学生たちはホッと息を抜いた。
ジュスティーヌ・アフレ公爵令嬢。
艶やかに巻かれた燃えるような赤髪と赤い瞳。
誰よりも優雅に動くその唇には笑みが浮かんでいる。
幼い王女ひとりしかいない現在、適齢期を迎えるもっとも高貴な独身女性であり、この学園における尊敬を一身に集めている令嬢である。
未来の王妃である彼女が曇りのない表情でまっすぐ前を向いているならば、突然始まった王太子によるこの意味不明な余興も、きっと大事には至らないだろうと誰もが思った。教師すらも同様だ。
「ふん。悪女の謗りに対してなんの反論もしないのか。自覚があるとは恐れ入った」
「王太子殿下の誤用を指摘して差し上げるだけで十分だと判断致しましたの。あまり大勢の前で次々と間違いを指摘するのは、マナーに反しますものね」
手にした扇子で口元を隠して、美しい瞳に意味ありげな光を浮かべる。
その視線は、恥を掻くのはお前だと告げているし、口にしたその言葉は、卒業パーティーという公の場で、彼女に対して悪女という誹りを口にした王太子に対する当て擦りが大いに含まれている。
「くそっ。ジュスティーヌ、お前のそういう遠回しな嫌味が嫌われるんだ!」
「誤用を指摘しないまま何度も使われては、恥の上塗りをされるばかりではないですか。婚約者としての心配りが通じなくて哀しゅうございます」
よよ、とわざとらしく涙を拭くふりをしてみせる。
もちろん涙など出ていない。当然だ。人前で感情をあらわにするような淑女として相応しくない行いを本当にジュスティーヌがする訳がないのだから。
「っ! いつもいつもいつも! いっつもそうやって論点をずらすんだ、お前という女は。お前と話していると何を話していたのか分からなくなる。いい加減にしろ!」
綺麗に整えてあった赤金の髪を乱れさせ地団駄を踏んで悔しがる王太子へジュスティーヌは涼やかな笑みを贈る。
だがその薔薇のような唇が紡ぐ言葉はどこまでも辛辣だった。
「ほほほ。自分で書いた脚本くらい、きちんと把握しておいてくださいませ。それもできずに国政を担おうなどとするのは、やはり分不相応でいらっしゃるかと存じますわ。大きすぎる荷に潰れてしまう前に、荷を捨てる勇気をお持ちになるのも御英断でございましょう」
「たかが公爵令嬢が。不敬だぞ! そうやって俺を怒らせて、この先へ会話が進まなくなるよう操ろうとしても無駄だ。どれほど王太子である俺に執着しようとも、無駄だ」
「まぁ。ご存じのありませんでしたかしら。わたくし、美しいモノが好きですのよ」
「だから、私のことが好きなのだろう?」
「殿下が、美しい? 御冗談を」
ジュスティーヌはその美しい唇で弧を描いた。
コロコロと笑うその声は、嘲笑を含んでいた。
「な、何がおかしい!」
「ご自分の醜さを理解されていないとは思いませんでしたので。理解した上で破滅の美を謳っていらっしゃるのだとわたくし思っておりましたのです。わたくしとは相容れない趣味ではありますが、それは個人の趣味趣向だと。けれど、ただ自分が見えていないだけでしたのね」
「なにを不敬な。いいか、公爵令嬢という権力で握り潰させもしないぞ。王太子の婚約者という地位で押しつぶすこともさせない。お前のその地位は、俺という存在があってこそ。王太子というお前よりももっとずっと大きな力を持つ俺の前では、お前は無力なのだと思い知るがいい!」
高らかに宣言をしたアールドの腕の中にいたララが、「さすがです、アールドさま。恰好いいですぅ」と両手を叩いてはしゃいだ。
「仕方がありませんわね。この場で、どうしても始めたいと仰るならば、受けて立ちましょう。逃げるのは性に合いません。美しくありませんもの」
ジュスティーヌは、パチリと扇子を閉じると、美しい赤い瞳を伏せた。
睨むように視線に力を篭め過ぎると魔力による圧を相手に与えてしまうジュスティーヌ・アフレが、本気で相対する際の儀式のようなものだった。魔力を練り上げ、繊細な操作を行いやすくなる。
婚約者でありながらそれを知らないアールドの目には、それがジュスティーヌの自信の無さが表れた物だと映る。勝利を確信して胸を躍らせた。
あの高飛車で王太子である自分にすら高い場所から物を言う生意気なジュスティーヌを、叩きのめすチャンスがついにやってきたのだと。
「ジュスティーヌ・アフレ! お前の悪行にはもう耐えきれないという訴えが届いた。お前が怖くて黙っていようと思ったがもう付いていけない、無理だそうだぞ! お前を正す為には俺のような偉大な存在に縋るしかないのだそうだ。この悪辣悪じょ」「鉄薔薇の牢獄」
自分に酔ったアールドが滔々と話しだしている途中で、ジュスティーヌはその呪文を唱えた。
アールドとリガそしてララ達の足元から、鋼鉄製の蔓薔薇が、ガラガラと大きな音を立て幾重にも生えた。
「うわぁっ」
「きゃっ」
「な、なんだこれは」
ぐるりと彼らを取り囲んだ蔓薔薇はまるで意志を持つように蔓を伸ばし、ガシャンと牢を閉じた。
「ここから出せ!」
「酷いです、ジュスティーヌさま」
「俺達を閉じ込めようと、証人はその証言を覆さないぞ!」
叫んだアールドへ、ジュスティーヌは冷たい微笑みを返した。
「証言? ほほ。御冗談もほどほどになされた方がよろしいわ。王太子殿下はわたくしへ冤罪を掛けようとされているのですもの。証言ではなく、偽証。そうですわよね」
「なっ、なんでそれを!」
「語るに落ちるといいますが、あまりにも素直にそれをお認めになられてしまうのですね。本当に、くだらない企てですこと。偽証をするよう強制された被害者の方々がお気の毒です。このようなくだらない男の巻き添えにされて」
「く、くだらない男だと?! 俺は王太子だぞ! この国で最も高貴な人間だ!」
「最も高貴なのは国王陛下、そして王妃殿下でしてよ」
アールドの抗議を、ジュスティーヌはバッサリと切り捨てる。
そうして、心底見下げたとばかりに形ばかりの笑みすら消すと、冷たい瞳で元婚約者となったアールドを見据えた。
「くだらないでご不満でしたら、悪辣で、薄汚いと言えばよろしくて? あなた方が仕出かした悪行の被害者へ、更に罪を着せかけ加害者に仕立て上げようとする見下げた行ない、許しておくわけにはいきませんわ」
さっと手を挙げ、ジュスティーヌがその呪文を唱えた。
「神の監視」
「なっ。それは……うわぁあぁあぁっ!!」
ジュスティーヌがそれを唱えると、アールドのすぐ横で生まれた強い光が、会場内の天井に向かって伸びていき、像を描いた。
「!?」「!!!」
会場内に激震が走る。
「あぁ、ごめんあそばせ? 淑女たちには刺激が強いかもしれませんので、どうぞ目を閉じて耳を塞ぐことをお勧めいたしますわ」
慌てて目を閉じ耳を塞ぎ、後ろを向いてしまったのは令嬢だけでなく、令息にも多かった。
『はっはっは。もう真面な嫁入りなどできないな。失った純潔は、聖女の魔法でも使わねば戻らない。それとも、純潔を戻して欲しいと教会に申請してみるか? それこそ記録に残るぞ』
『なんということを……なんという非道な行ない。未来の国王となるべく定められた王太子殿下のなさることなのですか』
『いいんだよ、俺は。王太子である俺には、それが許される。だいたいなんだ。口では嫌がっていても、ここは濡れているじゃあないか。よがっている癖に、口先だけは生意気な。いいか、お前はこれから俺の犬だ。雌犬として飼ってやる。そうして俺の言うことをよく聞くように躾けてやる。嫌がるならば、他の男共にくれてやるぞ。どうだ、従順になりたくなっただろう』
非道な行いを受けて元々真っ青であったその人の顔から色が抜け落ちる。
涙声ではあるものの、それまでその声には強い意志を感じられた。力ずくで行われた非道な行いに、心は負けていなかったその人の心が折れた瞬間だった。
『いやあぁぁ!!!!』
悲痛な、野太い悲鳴が会場内に響き渡る。
『さぁ、ジュスティーヌがララを虐めていたと告発するのだ。嫌がるお前に実行犯となるよう強要し、それでも足りないと自身でも悪辣な行為を強いていた、とな。俺の求めに応じて、絶対に、必ず証言するんだぞ、いいな? 男たちの玩具になりたくなかったらな! あっはっはっは。ジュスティーヌの奴は、お前から告発を受けた時にどんな顔をするだろうなぁ』
高らかな笑い声と共に、婚約者を陥れる協力を強引に取りつける。
天井へ大きく映し出されている悪辣非道下劣極まりないその男は、アールド・フォリーノ、この国の王太子に間違いなかった。
そして王太子により強引に衣服を破かれはだけられた状態で、意に染まぬ行為に身体を揺さぶられ悲鳴を上げられているのは、リガ・イーデンだ。
ララが少しだけ、ふたりから距離をとったが、今のふたりはそれどころではないようだ。
「ちょっと待て! 俺は、男なんか組敷く趣味はない! 相手はれっきとした令嬢だった!」
「俺だって! 女のように男に揺さぶられたことなんかないぞ!」
嘘を流すなと、ふたりが叫び暴れる。牢を掴んで揺さぶった手が、鉄薔薇の棘に傷つき赤い血が流れた。
「痛っ。この高貴な俺の血が」
「あら。でもララ様は、わたくしと違って回復魔法の名手なのですものね?」
「そ、そうだ。ララ、早く俺の傷を癒してくれ」
「え、えぇーっ?! わ、私に治せるのは、その、ささくれとか? 青痣を消したりするのは、できなくもないというか?」
そっぽを向いて、元々離れ気味になっていたララが更に一歩アールドから離れる。
「な? それではジュスティーヌの回復魔法より下ではないか!」
「ひどい! 私だってがんばってるのにぃ」
うるうると涙で潤んだ瞳で見上げる。
とことんララの顔に弱いのか、令嬢に頼られていることに酔いやすいせいなのかは分からないが、アールドの声から批難の色が消えた。
「あ、あぁ。そうだな。ララはいつだって頑張っている」
「そうですよね、アールドさま♡ やさしいアールドさまのコトが、ララは、す、き、で、す♡」
天井に繰り返し映し出される映像を余所に、いつものようにアールドとララがイチャつき出す。
その横で、リガはひとりジュスティーヌへの怒りを止めていなかった。
「訂正しろ! そんな嘘を垂れ流すな!!」
「ふふっ。王太子の婚約者ではなくなろうとも、このわたくしが公爵令嬢であることになんら変わりはないのですが。伯爵令息としてその言葉遣いは如何なものなのでしょう」
「ごちゃごちゃ言わず、早く消せぇ!」
ジュスティーヌの忠告などまるで気にしないまま、リガが叫ぶ。
その手は鉄薔薇の棘で血まみれであった。
まるで会話にならない伯爵令息とイチャつくばかりの王太子に呆れるジュスティーヌは、ふう、とちいさくため息をついて、それを認めた。
「本当に、美しくありませんわね。……えぇ、そうですわね。この映像には確かに手を加えてあるそうですわ」
「ほ、ほら見ろ! 悪辣な嘘つき女が」
「王太子殿下と伯爵令息がこの非道な行為を為されたのは、貴族家の令嬢へ、ですものね?」
「!!」
「それはっ!」
先ほど自分達がした否定は相手が男であるとか自分が男の下になっていることに対してのものでしかない。
それだけではなく、女性に対して非道な行いをしたと認めてしまっていることに気が付いて、揃って蒼褪める。
「そ、そもそも先ほど唱えた魔法は、お前如きが使っていいモノではないだろう、ジュスティーヌ。あれも嘘なんだろう」
ジュスティーヌが唱えた『神の監視』は、第一級魔法だ。
扱うことができるのは国で許可された魔法師のみ。またプライバシーがすべて監視下におかれ罪と共に暴かれてしまう為、重大犯罪における容疑者に対してのみ使用が許される。
魔法を刻み込んだ魔石を犯罪者に身に着けさせることで、その行動をすべて記録するものだ。
情報は映像として逐一魔法を刻んだ者へと届けられるのと同時に、魔石へと記録され、裁判でも認められる正式な証拠になる。
「告発も嘘だ! この牢も早く消せ! 俺達は無実だ」
「嘘つき女め! さっき映像に嘘があると認めたのはお前だろう。『神の監視』を使ったというのも嘘に違いない。嘘つき女の告発など取るに足らない」
アールドとリガが抗議の声を上げる。
聞き出したい情報はすでに聴いたとばかりに、軽蔑の視線を向けるジュスティーヌが口元を隠したまま反対側の手を振ると、鉄薔薇がその蔓を伸ばしてふたりの口元を塞ぎ手や足も拘束した。
「なんて美しくないのでしょう」
藻掻くふたりへジュスティーヌは軽蔑の視線を送る。
「当然です。わたくしにできるのは、アールド様の耳元を飾る魔石に刻まれた『神の監視』で録画された映像を引き出すことだけ。魔法を刻んだのはわたくしではありません。アフレ公爵家として宰相へ相談。その話し合いの結果、特級魔法師へ正式な依頼を致しました」
魔石、の言葉にアールドが目を剥く。もしかしてそれすら気が付いていなかったのだろうか。──王族、それも次代の王となるよう定められている方なのに?
「トッキューマホウシ? なんですか、それ」
ララが、貴族学園を卒業する者としてあまりに不勉強なことを呟いた。
アールドとリガもハッとした様に目を見開く。
そうして、ひとりだけ鉄薔薇の牢に入れられずに立つ仲間を、制限された動きの中で出来る範囲で棘が頬に傷をつけたことも構わず振り向いた。
レイナード・ナベコルズ。
侯爵家の三男にして、その優れた魔法の腕が認められ、特例として学生の内から特級魔法師の資格を得ている魔法の天才だ。卒業後は魔法師団への所属も決まっている。
王太子アールドの側近は辞退しているが学園内での警護を任されている。
卒業式という公式な場に合わせたのか、いつもは無造作に下ろしているだけの黒髪を綺麗に撫でつけ結い紐で纏めていた。その為、常ならばあまり目立たないように前髪に隠している紫色の宝石のような涼やかな瞳が今は露わになっており、普段よりずっと貴族的な雰囲気を漂わせている。
その男が、王太子の視線を受けてボウ・アンド・スクレープを取る。
「アフレ公爵より王太子アールド殿下の国家予算の横領疑惑について相談を受けた宰相様からのご依頼により、特級魔法師として『神の監視』を仕掛けさせて頂きました。殿下の警護を担っている私には、たとえ魔術師団長が掛けられたとしても、私以外の魔法が仕掛けられていることに気付かない筈もありませんので。正に御英断だと思います」
批難される筋合いはないとばかりに、レイナードは堂々と経緯を告げる。
「ん、んんんんーんんんんっ!(こ、この不忠義者め!)」
怒りに震えるアールドへ、レイナードは視線すら向けようとしなかった。
「不忠義と言われましても困りますね。幼き頃の誓いを胸にこの国を守るべく修練に励んで参りましたが、王太子殿下個人へ忠誠を誓った記憶はございません。側近のお誘いもお断りしたではありませんか。この身は特級魔法師として任じられすでに魔法師団に所属しております。守るべき国からの依頼を受け、王太子殿下が学園内にいらっしゃる間の警護を任されただけです」
レイナードは平然と、口を塞がれてしまいはっきりと話す事の出来ないアールドと会話を続ける。
「そもそも、王太子ともあろう御方が国家予算の横領を疑われるようなことをする方が間違っていらっしゃるかと。国家を導く者として、その正義と優れた御力を下々へ示して頂かねば。疑いがあるならば一刻も早く、一点の曇りもないよう晴らすべきです。しかしまさか、疑いを晴らすどころか実際に罪を犯していらしたなど。想定外もいいところでした」
「……っ!!」
レイナードの告発に、会場内にいたすべての者が声なき悲鳴を上げた。
ざわざわと不安がさざ波のように広がる。
「ただひとつ。残念かもしれませんが、殿下の非道な行ないに泣いた令嬢はいらっしゃいません。殿下に付けた『神の監視』から送られてきた映像で、令嬢に非道な行いをしようとしていることを感知した時点で、魔法師団が即介入させて頂きました。殿下は、私が見せた幻に向かって、自分が強いようとした計画を滔々と話し続けたのみ。その場にいたリガ殿も同罪だと見做し、被害に遭うはずであった令嬢の姿と置き換えさせて貰いました。置き換えていない録画も、証拠としてきちんと保存してあります。ご安心ください」
そう、被害に遭った令嬢は、いなかった。
そこにはアールドとリガの罪だけが在った。
「令嬢の記憶は、ご家族へ確認した上で消去させて頂いて普通に生活を送られております。どうぞ、興味本位で探されたりしないようお願いしたい」
犯人探しならぬ被害者探しの下卑た声が会場の中で上がっていることに気が付いたレイナードが、声のした方へ視線を向けて釘を刺す。
「ここからについては、わたくしからご説明を申し上げますわ。今回の件は、側妃ゾルテ様から、『息子から高価で美しいドレスや宝飾品を贈られたなら、返礼をするのが常識というもの。貰うばかりなど、アフレ公爵家は礼儀というものを教えないのかしら』と家に対してまで含めての叱責を頂いたことに端を発します」
さらりと自分が今着ているドレスを手で愛し気に撫で下ろした。
ジュスティーヌの赤い瞳と同じ艶やかな赤い絹でできたドレスが、撫でた手に沿って虹色の光沢を生み微妙にその深い赤にニュアンスを与える。
憂い顔で俯くジュスティーヌの艶やかに結い上げた髪を飾る繊細な金細工の髪飾りの中央で、ダイヤモンドが眩しくきらめく。
「ドレスも髪留めもなんと美しい」
「ドレスのあの色合い。素晴らしい生地だわ」
「染めの妙だな。どのような染料を使えばあの色合いが出せるのだろう」
「ダイヤモンドのあの輝き。私の持っている物とは格が違いますのね」
「土台となる金細工の、光を取り込むための細工が凄いんだよ」
「流石は王太子殿下が婚約者へ贈るのに相応しいものばかりだ」
周囲がため息交じりに見惚れる。
当然である。ジュスティーヌが身に着けている物は、どれも彼女に相応しい一級品ばかりだ。
会場内からどれだけ賛辞の声が上がろうとも、ジュスティーヌの表情は晴れなかった。
むしろ眉を寄せ困惑の表情を露わにする。
公爵令嬢として未来の王太子妃として、厳しく躾けられてきたジュスティーヌには珍しいことだ。
「どれもこれも、わたくしが身に着けている物はすべてわたくしが選び、我がアフレ公爵家の予算で、我がアフレ公爵家の運営している工房で作らせた特別な品。わたくしに似合っていて当然ですが、そこに何故王太子殿下の意が混じる余地があるのでしょう」
不本意極まりないとジュスティーヌが口にした不満に、周囲は驚きを隠せなかった。
婚約者の女性へドレスや宝飾品を贈るのは当たり前のマナーであるだけではない。
王族の婚約者へ贈り物はそのまま嫁入り時に持ち込まれ、国の資産となる。だからこその国家予算なのだ。
その予算を使っておきながら、婚約者への贈り物はしたことがないなと、横領以外の可能性は、誰が考えてもゼロに等しい。
批難の瞳が、鉄薔薇に拘束されたままの王太子へ向けられる。
「どれひとつ、王太子殿下から頂いた物はございません。そもそも贈り物を受け取ったことがございませんので、当然身に着けたこともございません。婚約してから十年。王太子殿下から頂いたものなど、『俺の代わりにこの書類の処理をしておけ』という命令と、『俺より前に出ようとするな』というお小言だけですわ。それを贈り物として返礼せよと仰せなのかと困ってしまって。父に相談したのです。その結果……」
「んんん-ん、んんんっんんーんん!(じゅすてぃーぬ、だまれ不敬だぞ!)」
拘束されたまま抗議を続けるアールドへ視線を送ることなく、ジュスティーヌは言葉を続けた。
「アールド王太子殿下は、婚約者への贈り物を購入したことにして、その予算を何か別のことへ使っているのではないか、と疑惑を持つに至ったのです。王家の資産はすべて国に帰します。国の予算で購入される王族が婚約者へ贈るドレスや宝飾品も同じ。国家予算で仕立てられたドレスや宝飾品を婚約者であるわたくしが受けっていないということは、すなわち……国家予算の横領が行なわれているに違いない、と」
「相談を受け、アフレ公爵から用意して貰った魔石へ、特級魔法師として私レイナード・ナベコルズが『神の監視』を刻んだことを証言する。それをアフレ公爵家の工房で宝飾品に仕立て公爵令嬢よりの返礼として、アールド王太子殿下へ届けて貰うようにしたのだ」
豪奢な金細工の中心に魔法を刻んだ魔石を据え、その周囲を取り巻くように煌びやかな宝石がはめ込まれた耳飾りは、正直ジュスティーヌの好みではまったくない。
だが、アールドの好みはこうだろうと彼がいつも身に着けている物を参考にデザインしたのだ。そうして予想通りに、アールドは受け取った日からずっとそれを耳に着けて過ごすようになった。
「目線に合わせた高さで身に着けられる、日常的に身に着けやすくあまり外さない物の方が情報が集めやすいということでしたので耳飾りに仕立てたのですが、正解だったようです」
「あんなジャラジャラとした派手な物を耳に着けていたら、耳が悪くなりそうだがな」
アールドは、ようやく先ほどの光が、最近お気に入りのこの耳飾りが原因だったのだと気が付いた。
いつ誰に貰った物かも分からない物ではあったが机の上に置かれていたそれを、ひと目見て気に入ってからずっと身に着けて過ごしていた。まさかアフレ公爵家の罠だとは思わなかった。
半狂乱で外そうと頭を振るが、鉄薔薇の蔓で拘束された身体はまったく自由にならず手で掴んで外すことなどできはしない。
ただ動きに合わせて魔石が光り輝くばかりだ。
「アールド様は派手なら派手なほどお好みのようでしたので、下品なほど飾り立てさせて頂きましたわ」
馬鹿にされたのだ、とアールドはカッとなった。視線で誰かを殺せるならばアールドは今すぐジュスティーヌを殺せるだろう。それほど視線は鋭い。
しかし、その鋭いアールドの視線を物ともせず、ジュスティーヌは冷たく婚約者であった王太子を見下ろしていた。
ところで、魔力量が勝る相手の魔法を破ることは難しいことではないとされている。
また魔力量さえあれば、呪文を唱えなくとも無詠唱で魔法を発動することも可能である。
確かに公爵令嬢であるジュスティーヌの魔力はこの国の中でも豊富とされる。だが王族であるならば、それを上回って然るべきなのだ。
未だもがくばかりのアールドへ、ジュスティーヌだけでなく数多の視線が冷たく向けられる。
それに気づかないアールドは、ジュスティーヌへ敵意を籠めた視線を向けるばかりだった。
「さぁ。ここまでが、わたくし達がどう考えて今回王太子殿下へ『神の監視』を付けることになったのかの説明です。そうして、ここからが、本番ですわ」
話を進めようとジュスティーヌは、侍女から受け取った書類を二枚、両手で周囲へ見えるように掲げ持った。
「どうぞこちらをご覧ください」
会話の最中も繰り返し流し続けられていた先ほどのあの無様で醜悪な映像に代わり、その書類が大きく会場に映し出された。
耳と目を塞いでいた令嬢令息たちが、ホッとした様子で目を開く。
「右が、アールド王太子殿下が婚約者への贈り物であると予算を使った際に王宮へ届いた請求書だそうです。そうして左が、殿下が婚約者の為にドレスを仕立てた筈のドレス工房が本当に使っている請求書ですわ」
それは、明らかに別物だった。
書式だけならばよく似ていた。書かれている文字もよく似ている。
だが、使われている紙が違い過ぎる。そしてなにより住所と支払先とされる口座が違っていた。
「王太子殿下側からは、『王太子の婚約者に相応しい特別仕様のものばかりなので振込先が違うそうだ』という説明がされたそうですね。ですわよね、リガ・イーデン様?」
ビクン。大袈裟なほど大きくその大きな身体が跳ねた。
鉄薔薇の蔓に拘束された巨体がガタガタと煩いほどに震えている。
「あぁ、失礼致しました。口元まで覆われていては、質問に答えることはできませんね。『鉄薔薇』」
呪文と呼べるほどのものですらない。自らの魔法へ呼び掛けるようにジュスティーヌがその名を口にすると、まるで意を汲むように鉄の蔓がしゅるりと解けていく。ただし当然のように解放されたのは、リガの口元の部分だけだ。
「さぁ、どうぞ」
言質を取ろうという気満々であるジュスティーヌへ、リガは理不尽にも怒りを覚えた。
「……、アールド様の選んだ、真なる婚約者への贈り物だ。何の問題も、ない」
「なるほど。そういう理屈でしたか」
パチン、と音を立てて扇を閉じる。
その声には納得したという響きが確かにあった。
リガは、まさか自分の苦し紛れの回答に納得するジュスティーヌではないと思っていたので、あっけに取られた。そうして、じんわりと喜びが湧きあがってくる。
──どれだけ賢いと言われても所詮ジュスティーヌは女なのだ、騙すのは容易い、と。
しかし、薄らと口元に笑みを貼り付かせて、ジュスティーヌはリガに裁定を申し渡した。
「それならば、せめて婚約を破棄する手続きを為し、新しくララ・コロー子爵令嬢との間に婚約を成立させてからにするべきでした。わたくしを婚約者の座に据えたまま勝手に予算を使うのは許されません。国家予算の横領、それをお認めになられたということですね」
「そ、それは、その」
「そして、横領とはまったく別の問題も残されたままです。先ほどの請求書に関してドレス工房に問い合わせた結果、『自分の店の名前を勝手に使われた』との回答を得ました。同等の告発を、宝飾品店や靴工房などから受けております」
「!」
「請求書を偽造し、振り込まれたお金を詐取した罪についても、お認めになられますか?」
「そそそそそれは、その、あー、ああああーるどデンカが」
「アールド王太子殿下からの指示だった、ということでしょうか」
「は、はひ」
間髪を容れずに問われた言葉に、リガは頷く以外できなかった。
「んんっ、んんん、んっんんんんっ!(リガ、お前ちょっと黙れ!)」
「偽造するにしても調査不足と言わざるを得ません。詐取するつもりでしたのでしょうから口座が違うのはともかく、その口座を開かれたのがリガ様ご自身というのもお粗末ですし、請求書に使われている紙の種類くらいは合わせるべきです。そこをケチってどうするのです」
懇々と説教されて、リガは涙目になった。
偽造したいと相談したのは、懇意にしている平民の生徒だった。
母親の処へ届いたドレス工房の請求書を一枚盗みだし、それを元に振込先を書き換えたものを用意させたのだ。その時リガは、殿下が卒業して側近として召し抱えられた暁にはその生徒の親が持つ商会を贔屓にして金を落すという約束で請求書の製作代金をかなり値切ったのだ。
あそこで値切らなければ、発覚しなかったのではないか。いいや、ひと目で分かるほど質の劣る紙を使うような男を信用したのが間違いだったのだ、やはり平民などに任せたのが間違いだったのだと、自身の油断を後悔していた。
「そもそもこの請求書にある金額では、わたくしが今着ている服の、生地代にすら足りません。桁が違いすぎますわ。このドレスを作る為に係わって下さったすべての職人の方にも失礼ですわ」
「なによそれ! このドレスの、どこが安物なのよ。あんたの着てるのより、ずっと豪華じゃない!!」
それまで、牢の中で大人しく震えているばかりであったララが、突然吠えた。
「宝石だってたくさんついてるし。ほらほら、ちゃんと見なさいよ。そんな素っ気ないシンプルすぎるドレスが、この豪華なドレスより高い訳がないでしょう!?」
くるくると鉄薔薇の牢の中で廻ってみせる。
「あぁ。そのような真似をしては危ないですわ」
ジュスティーヌが止めるのも聴かず、見せびらかすように裾をはためかせた。
その時、ララの広がったドレスの裾に縫い付けられた宝石、いいや色石が、牢に当たってかしゃんと割れた。
「そんなっ」
「あぁ、だから御止めしましたのに。色ガラスですもの、金属にぶつけたら、割れて当然ですわ」
「色ガラスですって? そんな。宝石じゃないの?」
金属を精錬する際に出た不純物をガラスの形成時に加えることで様々な色を付けることができると分かったのはごく最近のことだ。まだ庶民の手に行き渡るほど一般的な物ではない。だがそれでも天然の宝石に比べたらずっと安価なことや、加工もしやすく、透明度も変幻自在で様々な色合いの物が作り出せるとあって、取扱う店が増えてきている。
「人工物ですもの。そもそも、そのようにすぐに壊れてしまうものは宝石とは呼びません」
天然石ですら、硬度が低いモノは半貴石と呼ばれて価値が低いとされるのだ。
脆いガラスでは、人工宝石ということすらできはしない。
「なによそんなの、知らないわ。アールドは宝石のドレスって言って私に贈ってくれたんだもの。アールドはこの国の王太子様なのよ。王太子様が、安物のガラクタドレスなんて。そんなの贈るはずがないわ!」
「ガラクタだなんて言ってませんわ。色ガラスですわ」
「うるさいうるさいうるさいうるさい! なによ、公爵令嬢なのに、婚約者に振り向いても貰えもしない。ツマンナイ女の癖に!!」
ララは顔を真っ赤にして唾を飛ばし、ジュスティーヌを罵る。その様子は、先ほどまでの可憐な令嬢とはまるで別人だった。
「……。この偽造請求書は、王太子アールド殿下よりララ・コロー子爵令嬢へ贈られたドレスの物だと、ララ・コロー本人が認め、使われた予算が王太子婚約者費であることは、リガ・イーデンが認めた! 有罪だ」
その宣言は、先ほどアールドがジュスティーヌを呼びつけた際と同じ魔法にのせて為された。
特級魔法師レイナート・ナベコルズの本気の魔法にのって広がっていくその宣言。は、会場のみならず王都全域へと広がった。
「側妃様がいくら冤罪を叫ぼうにも、王太子の国家予算横領についてこれだけ多くの証人を作れば大丈夫でしょう」
「ありがとうございます、レイナード特級魔法師さま」
ようやく、会場内での騒動が王宮に伝わったようだ。
学園へ騎馬隊が押し寄せてくる馬群の音が響き聞こえてきた。
国家予算の横領は疑惑ではなく、実際に王太子アールド殿下の主導によりリガ・イーデンが実行、ララ・コローも横領であると知りながら受け取ったと認めたというレイナードの宣言を受けての出動だったのだろう。
努めて表情を変えることなく騎士団が鉄薔薇の牢ごとアールドたちを馬車に乗せ運んでいく。
未だ蔓薔薇に拘束されたままのアールドを、ジュスティーヌ達は見送った。
アールドの生みの親である側妃ゾルテはゴート侯爵家の出身だ。
王女ひとりしか授かることのできなかった王妃殿下を差し置いて、国母であることを前面に押し出し、この国で最も高貴な女性の身分を称して憚らない不遜な性格をしている。また生家のゴート侯爵家も陞爵を望む野心家だ。
それでも実際に唯一の王子となるアールドを産んだことに間違いはない、とされてきていた。
そこに、疑義が生まれるまで。
アールドの魔力が、乏しすぎるのだ。
ゾルテ自身は普通の高位貴族令嬢レベルの魔力はある。
しかし、その半分ほどの威力しかアールドの魔法にはないのだ。
それでも髪の色は国王譲りの燃えるような赤金色で、瞳の色も同じ緑。顔の作り自体はゾルテ似であることから噂レベルですら口に出す者はこれまで誰もいなかった。
今回の騒動でアールド関係の請求書や領収書の捜査が念入りに行われるまでは。
「まさか、ゾルテ様の名前でこれほど長きに渡り、金赤色の染粉が購入され続けていたとはな」
「より美しく髪が染まる染粉を探して、はるばる異国から取り寄せることまでしていたとは思いませんでした。これほど大胆に探させていたのに、なぜこれまで発覚しなかったのでしょう」
鉄薔薇の牢獄で捕らえられ、そのままの姿で貴人用牢獄に入れられて、ゾルテやゴート侯爵家との接触を阻まれた王太子アールドの髪色は砂色といってもいいほど薄い茶色をしていた。
これまで王族の誰も持ったことがない砂のような髪色。それとそっくりな髪色と緑色の瞳をした又従兄を持つゾルテ。
「公表されることはないだろう。今回の横領事件を前に出して王太子の身分を剥奪した後は幽閉か、よくて一代限りの爵位を貰って臣籍降下ということになるだろうね」
「そうね。身分の詐称は生まれてきたばかりの子供にできる訳がないですもの。その罪は大人たちが背負うべきものです」
勿論、横領の罪はアールドにある。
令嬢の尊厳を奪おうとしたことも。ジュスティーヌに冤罪を掛けようと計画したことも。レイナードの尽力によりどちらも未遂で終わろうが、罪は消えない。
アールドは、自身が犯した罪は償うべきだ。
だが人を殺してやりたいと計画を立てようとも実際に命を奪わなければ殺人罪ではなく殺人未遂という軽い罪で終わってしまうように、未遂で終わった物に関しては表に出さず裏で処理することもできた。
それを、王太子の座だけでなく王族としておくこと自体すら不適格であるとして表舞台から引き摺り下ろすために、彼の罪は大人たちの都合で前面に押し出された。
「最後まで、彼は大人たちの思惑というものに翻弄されてしまうのね。片棒を担いだわたくしからの同情を受けても、アールドは憤慨するでしょうけれど」
「すべてはアールドが選び取った結果だ。彼には、もっと別のものを掴む道だって選べた」
アールドは、自身に隠された秘密を打ち明け相談できるほど信頼できる相手が持てなかった。
婚約者であろうとも、ジュスティーヌは選ばれなかった。当然だ。
公爵家として王家の血筋を確かに汲んでいるジュスティーヌを、傍に置きたいとすら思えなかったアールドの気持ちは容易に想像できる。
自分より魔法の劣る者を傍に侍らせたかった気持ちも。
「これで、あなたの婚約は無くなりましたね」
「えぇ。これから新しく婚約者を探さねばなりません」
「……大変ですね」
「そうですね。でも、レイナード様ほどでは無いと思いますわ」
「私が? 何故です」
「……この国の次代は女王陛下が治めることになったからです。王配候補の筆頭に挙げられるのではありませんか」
王妃が産んだ王女は現在5歳。レイナードとは13歳違いということになるが、貴族の結婚としてはギリギリではあるが許容範囲内である。
「無理ですね。私には、幼い頃からずっと心を捧げる方がいる。侯爵家の三男として生まれただけの私は何も持っておらず、将来の約束を申し出る資格すら持っていなかったが」
「……」
「いつか特級魔法師になってその人の手を取りたいという願いを口に出せるようになるのだと修練を積んでいたのです。ただその人は、私が資格を得る前に、この国の未来の王妃となるべく選ばれて、婚約してしまったのですがね」
「レイナード様」
「神に、その人が治める国を守ると誓いを捧げました。だが未来が変わって、あなたが誰のものでもなくなり、この国を治めることもなくなったというのなら。私は、……私の誓いを違えても、神は許してくれるだろうか」
紫水晶のような瞳が、不安に揺れている。
緊張で強く引き結ばれた薄い唇が、ジュスティーヌの名前を、呼ぶ。
かすれた声が、どんな天上の音楽よりも美しく、ジュスティーヌの耳へ響いた。
「神が許さなくとも、わたくしは許します」
「もう誰にも、あなたを渡したくない。ジュスティーヌ、愛してる。結婚してくれ」