第3話 鹿留 彰人。
ーーーー2036年 6月18日 pm 3:30 東京都 千代田区 サイリスフィールホテル。
ホテルに戻った彼は、充電器に置きっぱなしだったスマホと、モバイルバッテリー、日本製のボイスレコーダー、メモ帳とペンをポシェットに入れ準備万端になった所で、支社が関与しない独自のアポをとる事にした。
念には念を入れて、海外製のVPNを通し、海外産のSNSを通じて東京に住む成人した人を探していると、休日ということもあってか、大学2年生の男性と連絡が取れた。
ーーーー突然すみません。BBC 経済部の綾賢一と申します。折いってお願いがあるのですが、実生活に関するインタビューをさせてもらいたいです。
ーーーーゲーム内でも良いですか?
ーーーーできれば、直接ご会いしたいです。もちろん顔と音声はフィルターを通します。
ーーーー今日今からになりますか?
ーーーーはい。是非、お願いしたいです。
ーーーー了解しました。今日19時。渋谷のTATSUYAのカードブース4-dで待ってます。
流石に、初対面でいきなり会うのは厳しいかと思ったが、案外すんなりと話が通った。
しかし、時計を確認すると17時を回った所で、若干時間があったため、一応、写真などで生存確認をしていたものの、時差の関係で中々時間が合わずに連絡が取れなかったサラに電話をかけた。
「・・もしもし、サラ?」
「賢一さん?日本は楽しんでる?」
チャットで送った写真は届いていたようで、東京タワーのふもとでタワーポーズ写真から、彼女の一抹の不安は払拭されていた。
「うーん、まぁまぁ最高かな。」
「ふふっ、そう。」
「パパーっ!」
「宇美っー!!」
ビデオ越しに画面いっぱいの娘の顔が表示され、数日ぶりの娘の声につい声が高くなってしまった。
「パパー元気ぃ?」
携帯が鷲掴みにされているため、宇美を見上げた様子が画面に映し出されていた。
「うん。元気だよー、昨日学校どうだった?」
「あんねー、昨日ね、ミサミサちゃんがねー、絵描いてくれたん!」
「そうかぁ、帰ったらパパに見せてね。」
「うんっ!・・ーー」
時間にして30分の通話だけで8時間熟睡した後くらい活力に漲った、賢一は約束の時間一時間前だが、待ち合わせの場所へとタクシーで向かった。
TATSUYAに入ると、フロントには今もなお週刊連載の表紙を飾っている、世界的な海賊漫画の主人公の等身大フィギュアが展示されており、羽田空港で見た時とはまた違った感動を覚えていた。
数秒写真を撮るか迷ったが、流石に堪え、待ち合わせの階へと向かった。
「....あ。こ、これはっ...」
一応、真っ直ぐ目的の場所へと進もうとはしていたのだが、カードショップも併設されているフロアだったためか、目の前には日本限定のスターターデッキパックがライトに燦々と照らされていた。
いや、仕事するためにここに来たのに、でも、日本限定....
「....あの、これ二つ下さい。」
アメリカに渡った際も、このカードゲーム経由で仲良くなった友人も多数いたため、かなり思い入れがあり、ここは情動に任せてしまった。
「....っと、ここかな。」
やってしまった感と、好きな物を手に入れたホクホク感に浮かれていると、防音個室でカードゲームが楽しめるらしい4-bの部屋の前に到着した。
「えっと、確か.....開いた。......流石にまだか。」
当日限りのワンタイムパスワードを打ち込み、ドアのロックが解除され早速部屋の中に入ってみると、そこにはキャラクターがプリントされたソファーとテーブルと簡素ながらも、ファンにとっては堪らない内装が広がっており、相手方はまだ来ていなかった。
約束の時間まではまだ20分あったが、ボイスレコーダーの点検やマイクのチェックをしていたら、約束の時間5分前に扉のロックが解除された。
「ーー・・どうも、あ...待ちましたか?」
現れたのは黒い前髪を下ろし、黒プチの眼鏡をつけた少し痩せ気味の成人男性だった。
「私もさっき来ましたから、大丈夫です。」
(....イギリスだったら、軍経験がある人か、ユダヤ系の人しか時間通りなんて来ないのに...凄いな。)
初デートのカップルのような様式になぞったやり取りだったが、賢一はそんなことよりも5分前に待ち合わせに来た事に感心していた。
「何か飲みますか?」
「いえ、大丈夫です。」
アイスブレイクも兼ねてタブレットを手に取るが、彼は少し食い気味にタブレットを取って、ほのかに微笑みながら答えた。
「そ、そう。じゃあ、早速だけど始めていいかい?」
「はい。・・ーーー」
彼の名前は、鹿留 彰人都内の大学に通う工学系の大学生であり、今夜に編入留学先のスイスにフライトするらしい。
また、両親は仕事中の事故で死別しており、その際に出た保険金で学費や生活費を賄っているらしく、生活には特別困っていないようだった。
「・・いやぁ...大変だね。」
一通り彼の生い立ちや、そもそも今夜フライトする中よく対応してくれたなと、若いながらすごい胆力だなと感心していた。
「...僕はまだ運がいい方なので、」
普通、彼の境遇だったら多少は悲観していても仕方がないのに、彼の中でそれは相対的に幸運であろうと言い切っていた。
「...というと?」
「......。」
その比較対象である例えを促そうとしたが、彼は無言で眉を寄せており、どこか品定めをするかのように視線を交差させていた。。
「.....あー、両親が失業している人は確かにしんどいだろうね。」
彼の経歴や経緯から算段して、厳しい話にはなるが両親が生きていても失業してしまえば、経済的に家計を支えることが出来ないのは事実だった。
「いえ、それだけではないです。」
「ん?」
彼は腕時計をチラッと確認してから、一転してこちらを真っ直ぐに向かい明瞭な声で話し始めた。
「...かつて、東京ではヤクザと呼ばれる暴力団組織が日本の裏社会を牛耳っていました。」
「え、なに?」
いきなり語り出した彼は、突拍子もなくそれでいて理路整然と話を続けた。
「しかし、改正・暴力団対策法が成立して彼らはここ20年で撲滅され、日本の裏には大きな空きが出来てしまった。」
「え、でも、それは...」
正直表社会で真っ当に生きれているこちらからすれば、一見いいことのように思えるが、彼はその先の言葉を紡いだ。
「良い事とは一概には言えない。」
「っ!」
ボイスレコーダーにはっきりと記録されるように、彼は声を張ってそういった。
「社会は表と裏。どちらも強すぎず、弱すぎずで、バランスが保たれて初めて社会が成立し、正常に機能する。」
「.....。」
著名な企業のCEOや、政治家にも似た場を支配する、彼の雰囲気に呑まれているのを自覚しながらも、彼の話に聞き入っていた。
「政府はそれを見誤った。結果、外国のより凶悪で言語的に話の通じないギャングたちが、実習生を装って大量に日本に流入した。」
「...まさか」
今更ながら、いや自分が今まで"良い"世界に居たから、そして厳密に言えば自分は外国人だから気づかなかった。気付ける認識範囲にいなかったから、その可能性を見逃していた。
「あぁ、東京は組織化された外国のカルテルに支配されている。」
「.....でも、そんなメキシコみたいな事なんて..」
ジャーナリストの知り合いからの情報でしかないが、かつてのメキシコのように、カルテルが政治家や、重役の役人、マスメディアを金と暴力で言いなりにしているというのは、ここ数日の出来事からでは想像もつかなかった。
「そう、だから厄介なんだよ。東京都とその近郊首都圏を支配する新疆カルテル、クルドカルテル、輪廻教会。の三つの組織は、輪廻教会が中立を維持する事で、その近郊を守り利権を分担している。」
こちらの見解を訂正するかと思えば、同調した上で、メキシコカルテルのように縄張り争いを東京都のみならず首都圏を牛耳っている彼らがどこか、談合しているかのような事が簡潔に説明された。
「....この話は、みんなは知ってるのか?」
もう陰謀論だとか言う余地は残っておらず、一般大衆にその事がどれくらい実生活に影響しているのか認知されているのかを聞いた。
「あぁ、特区の余裕のある奴らは何となく知っているだろうが、そのほかの奴らは知っていても知らなくとも、なんらかの形で関わっている。」
「.....間接的にカルテルの事業に加担している?」
「その通り。」
マフィアやカルテルは薬の製造、販売、人身売買だけに従事しているわけではない。メキシコを例に出すと他国に輸出されるアボカドは殆どカルテルが噛んでいたりする。
それは、ここ東京、ないしは首都圏も例外ではないようだった。
また、時代遅れなただ恐怖を煽るような形態ではなく、ただひっそりと人々の生活に関わるというのは、いかにも合理的な組織構造と言えた。
「例を出すなら、ここ東京のみならず東日本の観光業にカルテルは人と金を出資している。」
「っ!?」
北海道の著名な観光地のホテルや観光事業は、外国の投資会社に買収されたと小耳に挟んだ事はあるが、まさかそこまで進んでいるとは思ってもいなかった。
「皆、何かデモなどで抗議したりしないのか?」
「日本人は従順だからな、1945年。敗戦してから世代を重ねる度に中身が空虚になり、今では上からの命令に言いなりの奴隷に成り下がった。」
ヨーロッパではすぐにデモやストライキに繋がるが、日本は、日本人は例外的だった。
「っ....すぅ」
新しい情報が次々と流れ込み、思わず一息つくようにゆっくりと息を吐いた。それでも、彼は時計をチラッと確認した後、すぐに話を続けた。
「中には、東京の裏を海外に発信しようとした人もいたが、漫画村事件でまかり通ってしまった閲覧制限、トレンド規制、そして、改革の声はことごとく魅力的で甘美なコンテンツにかき消されてしまった。」
アニメやSNS、VRゲームと日本のコンテンツ産業は娯楽に事欠く隙間が無く、実態として弱い弱い人間は悪化しつつある社会問題を蔑ろにし、享楽的なサービスに陶酔した結果が今であった。
「....君は、なぜこの取材を受けたんだい?」
今直面している日本の問題に頭を抱えながら、そもそも、行くところまで行ってしまった今の日本を前にして、声や顔を載せなくとも、彼はそれでもリスクの上、取材を受けたのかが疑問だった。
「僕はもう日本に戻る事はないですが、ここで生きなければならない人達に少しでも助けになればと。」
本来であればその決断をした大人たちが憂慮すべき問題に対し、彼は申し訳なさそうにそう言って、おもむろに立ち上がった。
「?」
まだ疑問や聞けていない事を多く抱えている中、賢一は突然立ち上がった彼を無力に見上げていた。
「カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンっ!!!」
すると、鐘を容赦なく鳴らす警戒音が館内中に鳴り響いた。
「うぇっ?!火事か?」
「....すみません。僕はここまでしか教えれません。また、どこかで会えたら、また話しましょう。」
「ちょっ!待ってくれっ...」
TATSUYA館内の火災報知器が鳴り響き、パニックになっている客がエスカレーターや非常階段に駆け寄っている声が聞こえる中、彼は慌てる様子もなく、変わらず淡々とそう言い残して、人混みの中へと消えていってしまった。
「ーー・・ふぅ、よかった無事か...」
人混みをようやく抜け、近くの公園のベンチに座りポシェットを確認するとボイスレコーダーやカメラなど忘れずしまっており、一応は安堵した。
「...ぷはっ...しかし、とんでもないな...」
そして、異様に乾いた喉を潤すために自販機のお茶を飲み干すと、未だ整理がついていない鹿留 彰人との対話は海馬に鮮明に焼き付いていた。
「....フェイクにせよ、なんにせよ。下手すれば、あの動画が唯のイタズラじゃあ済まなくなる。」
ただのイタズラ動画が、この街の、いや、この国の闇を映す証左になりかけており、どう考えても自分一人で抱えるような事でないと思い、先の事を上司に連絡を取ろうとした。
その時、後ろの道路に黒のハイエースが止まる音がし、振り返ると同時に僕の意識はブラックアウトしてしまった。