第二部6
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考えても分からない。
シガリロの、あの殺人鬼の膝を折ったあの現象と同じなのか。
病み上がりの身体で喰らった攻撃が頭を揺らした。
一度、体制を立て直そう。
足を引きずり喘ぎながら、人気のない地区に向かう。
その地区にある大岩。特訓のときによく見かけた。
大岩の裏を確認したとき、思わず体が固まった。
「あ…」
岩の影に、見慣れない顔の少年。
肌がいやに白く、優しそうな印象とともに不健康そうにも見える。
ゴルゴファ、対戦校の生徒だった。
すぐ剣に手をかけたが、不要だとわかった。
その少年は既に負傷していた
「大丈夫?」
阿琉斗は少年の隣に腰を下ろし、手当をする。
「良いの?」
「何が?」
「敵なんか助けちゃって」
「なんか、なんて言ったら駄目だ。俺達は何も変わらない」
「不思議な人だ」
その少年はフエンと名乗った。
「僕はゴルゴファ3班の副班長。班長には申し訳ないことをしてしまった。一人で立つことすらも困難になるとは」と眉尻を下げ、顔も下に向けた。
「班長はすごい奴なのか」
「あぁすごいんだ。光の習得は学年トップだ」
「あーそれでか」
「それでか、って会ったの?」
「元気だった俺をここまで嫌な気持ちにさせてくれたよ」
それを聞いた途端、フエンはププッと吹き出した。
「ハハ!そうかそうか!流石だヨルッ!」
痛む傷も憚らず大きな声で笑う。
「キミがここにいるということは、勝ったんだね、班長に」
すごいね、と嬉しそうにこちらを見る。
「さ、僕にも剣を当てて。僕はもう駄目だ」
と語尾を伸ばしているが、声が震えている。
涙を流していた。静かに頬を伝う。
顔の傷で何度か跳ね、顎から垂れて落ちた。
「お母さん、ごめん…。強い戦士にはなれそうにないや…」
そう空に呟いていた。
その横顔はとても繊細な陶芸品のように思われた。
強く触れてしまえば壊れてしまう。
でも、その顔に触れずにはいられなかった。
「ある…と……?」
この美しい少年も誰かを背負っている。
自分と同じように誰かの思いを背負っている。
「帰ろう」
「…え?」
「帰ろう。フエンはこんなとこで折れちゃいけない」
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「え」
テンマン陣営は衝撃に包まれた。
「阿琉斗が裏切った?」
「信じられないけど、実際に目撃した人、攻撃された人もいるらしい」
「どうして」
「分からない」
「教官に言ったほうが良いのかな」
「言ったところで何もしてくれないと思う。それより先にとりあえず、全隊に通達して。捕縛を目指そう」
この報せはゲンジの耳にも届く。
「え、阿琉斗が?」
「そうなんだ。何か知っているか」
「いや、何も」
「最近、暗かったりとか後ろ向きだったりとか」
「いや、ないと思う」
「昨日休んでいたときに何かあったのか」
「分からない、本当に知らない」
「そうか…小さいことでも思い当たることがあったら教えて欲しい」
「分かった」
本当に何が何だか分からなかった。裏切る?どうして?
理由なんて、分かりっこない。アイツは絶対に、仲間を捨てない。
「ゲンジもスパイなんじゃないの」
「確かに。あ、ゲンジが殴ったからおかしくなったのかも」
心無い言葉も救護指示に混じって聞こえてくる。
「おい。口ばっかりが動いてるぞ」
「す、すみません!委員長」
どうして阿琉斗が。
考えるより先に体が動いていた。
「すみません、一回離れます!」
「あ、ゲンジ!」
「やっぱり裏切者だ!」
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「え?どういうこと」
目が大きく開かれるが、顔の印象は崩れない。
「帰るんだよ。そっちの基地に」
「え、討たないの。もしかしたら、いやもしかしなくても寝返った、思われるかも」
「流石に倒せねぇよ。もう怪我してるのに」
よいしょっと、とフエンを背中に担ぐ。
「ここからだと拠点はどの方向?」
「どうして」
「何が」
「どうして助けるの。どうしてそんな簡単に背中を見せられるの」
阿琉斗の脇腹に刃が当てられる。
「どうして助けたの」
声が震えている。悔しさからだ。
「退きな。この状況でも、勝つのは俺だ」
「馬鹿にするのも大概に…」
「言葉に恐ろしさがないな。フエンは優しい」
「何…。お前…」
「阿琉斗だって」
「さっき聞いた。誰が名前なんか」
「まぁ呼んでみなって」
「…。阿琉斗。」
「了解。拠点はそっちね」
「え?」
阿琉斗の周りが光り輝く。
波状に砂が動き、離れていく。
ざわついた風の音がやんだとき、周りの光が足に収束する。
『思季封躙・走』
周りの木々が倒れ道が開いていく。
阿琉斗が通ると土が抉れ、風が起こる。
どんどん加速していく。
「こ、これは」
「そっちの班長さんが得意な『光』。あれの応用だよ」
授業で学ぶ光の扱い方。
これは『光の粒子を掴み、押す』という動作になる。
「うん、阿琉斗は出来るようだな」
阿々紀との特訓。
「小さい頃からよくこれで遊んでたんで」
「それは良いことだ。だがもう一つやり方があるのは知っているか?」
「もう一つ?」
「それは『光に押してもらう』という方法。俺はこの習得に苦戦したよ。ゲンジも。あ、俺の友達もやろうと思ったけど結局出来なかった。学校でも習わないし」
「す、すごい…」
「ありがと。」
悪戯に笑う。
景色が目まぐるしく後ろに流れる。
若干、呼吸が苦しくなる。
ここまで自由に、瞬足に達したのは初めてだ。
この前ははガタガタだったのに、なぜか今日は楽に出来る。
『阿琉斗は光に押してもらえるようになるまで、寮の吹き抜け移動は禁止だ。』
阿々紀から与えられたその課題。もしかしたら、もしかすると。
広い演習場で出会った、一人の少年。
母親を思い続けている、一人の少年。
不思議と、自分と重なった。
「キミのこと聞かせてもらえないかな?」
唐突に阿琉斗は切り出す。いつものように。
「ぼ、僕のこと…?」
「あぁ。フエンの、これまでのこと」
フエンは、阿琉斗に語る。
母親はフエンを一人で育てた。父親は先の対戦で傭兵として戦火に倒れた。
フエンに寂しい思いをさせないように、立派な大人になってもらうために。
痛む腰や荒れる手を懸命に庇いながら、育て上げた。
そんな母親を幸せにするために。楽になってもらうために。
「笑顔でまた好きなお花摘みが出来るように。僕は強くなって、自分の国で政治家になる。この学校に入るために、お母さんも僕も必死に頑張ってきた。だから、僕は最強にならなければならないんだ」
「なるほど。母親思いでやっぱり優しいね」
「お母さんは、僕に色々な物を与えてくれた。だから今度は僕が返す番なんだ」
「だったら、無事に帰らないとだね」