第二部2
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「はぁ、もう中等部かぁ」
頬杖をつき窓から外を眺めていた。
あの事件から随分と月日が経った。
阿流斗の背はすっかり伸びクラスでも真ん中より後ろの方になった。
殺人鬼の噂は阿琉斗の功績をもって払拭され、表彰はひっそりと影に隠れて行われた。
賞状を渡したのはやはり副館長だった。
マーレ舘長はどこにいるんですか、と副館長に聞いたが「知らない。聞かない方が良い」とヘンテコな回答を受けてしまった。
不思議なことに、授与式には父のヒヨも出席していた。
「来てたんだ」
「あぁ、こんなことは滅多にない、誇らしいことだからな」と喜んでいた。
ヒヨが縫ってくれた腹の傷はとっくに完治していた。
昔のように、いっぱいご飯を食べられるのが今は一番幸せに感じた。
「にしても、きれいな空…」
そして、不思議なことはもう一つ。
『鳥籠作戦』のあのとき。
シガリロが不自然に地に伏した、あの瞬間。
「あれ何だったんだろう」
阿々紀との演習でも試そうとしたが、あれ以来、発生することはなかった。
新しい学年に上がり、授業が始まる。驚いたことがあった。
「今日から、光を捉える技術を身に着けてもらう。これが出来ないと寮で苦労するぞ」
中等部から新たに学ぶ技術が、全く阿々紀先輩の必殺技と原理が同じだったのだ。
「そうだな。この必殺技は…」
「阿々紀先輩。なんでそんなに嬉しそうなんですか」
「格好いいから…必殺技…って…」
「…かっこいい」
阿々紀の必殺技『思季封躙』は空気中に蓄積されている、太陽の光の粒子を変容させて、放つ。
「足の裏で放つことが多いのは、そこが一番大地に触れているからだ。太陽の光を最も蓄積しているのはこの土でありそこに生息する動植物だ。それを日常的に踏みしめている『この足』が重要な武器となる」
「なるほど。思季封躙は捕まえて、蓄えて、離すんですね」
「そういうことだ」
今ミチサネが指導している技の原理も、太陽の粒が関係していた。
違った点として、こちらはあくまで移動用というところである。
宙に舞い上がったり高速移動を実現したりと、文字通り「足裏で光を捉える」訓練だった。
なるほど、つまりは。
「阿琉斗、お前上手いな」
この科目は履修済みだということだ。何しろ、ここ最近はずっとこの練習を阿々紀と行っていた。「先生、すごいでしょ」と、授業内では胸を張れるものの、
「阿琉斗、離すのが早すぎる」
阿々紀からは指摘が止まらない。
「はいッ」
まだまだ完全ではなかった。
「粒子は絶えず移動を行っている。そのイメージがまだ希薄なようだ」
淡々と阿々紀は説明していった。
「目に見えないものを掴むって難しいですね」
まるで泥の中でもがくように、深みにはまっていく。
「確かにそうだな。だがこの世には不可視な事象は数多ある。例えば阿琉斗は人の感情を捉えるのは得意なようだ。それと同じ」
「粒子にも気持ちがあればなぁ」
「感情はないが、彼らは我々の感情を汲み取ってくれる」
阿琉斗は話を聞きながら、小石を足の裏で転がす。
これぐらい粒子が大きければなぁ。
「『どこにいるの』『いないじゃないか』と思っていると、彼らは拗ねて隠れてしまう」
そうやってこちらに顔を向け、阿々紀は笑いかけた。
さぁもう一度、やってみよう。
その日の特訓を終わり、2人は寮に戻ってきた。
その時間、寮はガランとしている。特訓の終了時間が半端に設定されているためである。
玄関部や共用部に、まばらに人がいるだけだった。
だから余計に阿々紀が目立つ。
そもそも男子寮に女性がいることは、砂漠の真ん中で泳いでいる魚を見つけるようなものだ。
端的に言うと珍しい、ということ。
阿琉斗は夕食の確認のため食堂へ、阿々紀はそのまま自室へ向かった。
「では先輩、今日もありがとうございました」
「うん。おやすみ」
グーッと身体を伸ばしながら食堂に向かう。
寮の入り口付近に食堂はある。ざっと1000人は一度に収容でき、どの時間でも利用が可能だ。どの時間でも即座に食事が提供される。
演習から帰ってきた学生が一番欲するのはエネルギーである。多くの学生が通常授業や各色での活動が終わり次第押し寄せ、小さな戦場となっている。
『生徒用大食堂』と書かれた暖簾を手で押し、そこに居た友達に声をかける。
「相変わらずよく食べるね。帰りの階段で死ぬよ、俺だったら」
「今食べないと寝る前にお腹が鳴るんだ」
ゲンジはごはんを大口で食べていた。豪快な食べ方だが溢した様子はない。流石に会社の子息、幼少期から会食などに参加していたのだろうか。
「まだ食べてる?着替えてくる」
「ん…」
ゲンジはお茶でゴクッと流し入れて
「分かった」と再度返事した。
着替えは自室に用意されている。
すなわち食堂の反対側から続くこの、約?????(数えるだけ一生が終わる)段からなる螺旋状の階段に足を掛けなければならない、ということだ。
天を突くような巨大な塔が、公共の施設に見事に刺さっている。そんな外観だった。
食堂・会議室・共有部のある一階に比べ、居住部となる円柱の大きさは、あまりにもアンバランスだった。
『上の大き過ぎる筒が下の箱を壊さないのか』これはテンマン七不思議の1つである。
この円柱は中心から、吹き抜け・螺旋階段・各部屋となっており、階段に出れば上階から下階、向かいの部屋の扉を見渡すことができる。
扉には1~???までの通し番号が振られている。
これが各生徒の個室、住処というわけである。
中は広くもなく、狭くもなく。まさにお一人様用、といった部屋だ。
「資料の写真では、高級感があって憧れていたのに」
中等部に上がると必ず聞く言葉だそう。詐欺ではない、技術だ。
入寮は中等部から始まる。部屋は階下から割り振られる。
つまり学年が上がるごとに登る段が増えていくということである。
はっきり言って、地獄である。忘れ物をした日には学校自体を欠席することも視野に入る。
だが、それに対しての救済、『吹き抜け』である。
「自室に行くには階段を登る以外にも、吹き抜けを飛べばいい。もちろん、そのためにはこの練習が不可欠になるわけだ」
光の授業の際、ミチサネが念押しした理由が分かった。
光を捉えられないと部屋に帰ることが困難を極める。
習得までに至らず、階段の辛さで退学を選んだ学生もいると聞いた。
阿琉斗は吹き抜けの使用を許されていなかった。
阿々紀の指示である。
肩で息をしながら自室に向かう。あまりの距離に壁に手を付き歩みを止めている者や、階段に腰掛け仮眠を取っている者ともすれ違った。
部屋までは???段。阿琉斗の部屋番号は丁度200。
あともう少し。
これ、誰が清掃してるんだ。
ゲンジごめん。着替えて行くとは言ったけど、汗も流させて。
着いた。部屋の入口は汗でびちゃびちゃになっていた。
髪の生え際から、背中から、脚から、水の流出が止まらない。
死ぬ。死んじゃう。
疲労で一歩も動けず下を向いたとき、手紙が落ちていたことに気がついた。それは汗で濡れに濡れていた。
「やべ」
すぐに拾い上げ、パタパタと振って乾かす。
送り主は、「陰家からだ」
なんだ?と思いながら中身を確認する。
『阿琉斗へ。元気ですか。突然ですが…』
目を疑った。「嘘だろ」としっかりと口にしていた。
流れていた汗が、冷や汗に変わる。
面倒なことになる。
さっさとシャワーを浴びて部屋を出る。その前にちょっと水を飲む。
下に降りるときは吹き抜けから飛び降り、着地の衝撃を光踏んで帳消しにする。コレくらいは許されるはずだ。
「遅い」とゲンジに言われ慌てて横に座る。
「いや、ごめんごめん。8割位、階段のせい」
「どうして高等部との境に置かれているんだ」
「こっちが聞きたいよ。組が遅いわけでもないし」
なんか悪いな、とわざとらしくゲンジが笑いかける。
「良いよな、部屋番号が『10』の奴は」
「遊びに来てもいいぞ」
「どうしてそうなる」
少し階段を上がるだけで部屋につく人間にはこの辛さはわからんのだろう。
ゲンジのさらにすごいことは、光を捉えた移動が完璧に近いというところである。
つまり高階層でもへっちゃら、というわけだ。
「悔しくて仕方ないよ」
「俺も阿琉斗が入院中に、先輩と必死で練習したからな」
「まぁーそうか」
ゲンジの水を少し盗み飲む。
あ、お前と注意される前に話を続ける。
「掴めはするんだけどなぁ…」
「先輩が求めているのはさらにその先だもんな」
「練習あるのみだね」
トホホ…と泣く真似をしながら席を立つ。
取ってきた食事を机に並べる。皿の上にはご飯と具沢山のスープ、大きな焼き魚に特製のソースが添えられている。
「どんだけ食べたの」
「阿琉斗が戻ってくるまでに3回おかわりした」
「食べ過ぎだ」
広い大食堂にほとんど人はいない。誰にも、邪魔されない
魚を一口大に裂き、口に運ぶ
旨い。油が適度にのっており甘みを感じる
この甘みと、塩味が少し強く付けてあるスープが相性抜群である
魚を飲み込み、スープを啜る
あ、最高
極上の液体に箸を潜らせると、しなっとした野菜や香辛料が練られた肉団子のシルエットが段々と浮かび上がる
この瞬間もたまらない。まだ何も口にしていないのに、早く白米をかきこみたい
あーーーー
「ほんとうに美味しそうに食べるよな」
あ、おい
「邪魔するなよ、良いとこだったのに」
「そうか。悪い」
と小さく謝るがどことなく楽しそうにみえた。
「それだけ美味しそうに食べてもらえたら、食堂の人もだけど、阿琉斗のお母さんも嬉しかっただろうな」
あぁ、確かに
『阿琉斗は美味しそうに食べてくれるね』
母親がそう何度も言ってくれる光景を思い出した。
母の料理は格別に美味しかった。
味の表現としては不適切だろうが、誰にも真似できない『懐かしさ』があった。
「また食べたいな」
「次の休みに帰るか」
「だね。あ、でも先に特訓を完璧にしたいな」
「慌てなくて良いだろう。試験もまだ先だしな」
「試験の前に部屋に帰れないんだよ」
「それより、その汚いビシャビシャの布は何だ」
あ、そうだった。
「布じゃなくて手紙なんだけど、陰家から」
「なんて書いてあったんだ」
良い報せじゃないよ、と手紙を開ける。
「随分とふやけてるな」
「頑張ったからね」
「何を」
「帰宅」
手紙を開ける。
汗で滲んだ箇所もあったが、おおかたの文章は把握できる。
綺麗な字だが、ひどく速筆だった。
『阿琉斗へ。元気にしてますか。突然ですが次の年、僕も、いや俺もテンマンに入ります。入学したら俺と勝負してください。 ガイル』
「これは」
「読んだ通り。俺の『お付きさん』が学校に来るんだとよ」
「勝負って、お付きに命狙われているのか」
「テンマンに入ると決まっただけで気が大きくなっているんだ。このときは面倒くさい」
「可愛いらしいな」
椅子を後ろに倒しながら「附帯制度はガイルのためのものだー」と軽口を叩く。
「阿々紀先輩か」
「あの先輩でも流石にお手上げだと思うけど」
「冗談だろう」
「良い子だったら、ご飯ご馳走してくれよ」と椅子を引きながらゲンジが言うので
「じゃあ一生財布を出すことはなさそうだね」とその日は返した。