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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は彼女に新たな日常を与えた
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神は彼女に弓を授けた


 一射目が当たれば、気持ちは羽のように軽くなる。

 僕たちは、その後も時間を忘れたように練習をしていた。

 今日は朝練があったことや、始業式ということもあり、時間が経っても自主練に来る部員はいなかった。


 僕と匡輔は久々に的を独占して練習に励み、椿はあの手この手で彼女に弓道のいろはを説明していた。


「ねーねー、麻愛も一回やってみない? 」


「えっ? いいの? 」


「うん。本当は部員以外は弓は触れないんだけど。今は、私たち以外は誰もいないしね。それに少し肩まわりの捌きは悪いけど、制服のままでも出来なくはないし 」


 椿はそう言うと、初心者用の軽い弓を幾つか手に取り、その中から彼女の手の長さに合う弓を探し始める。そして彼女のブレザーを脱がせると、何処から持ってきた胸当てをベストの上から装着させた。


「女子はこれをしとかないと、弓を引いたときに弦が胸の間に入っちゃうんだよね 」


「へー そうなんだ 」


 彼女は俯きながら、自分の胸元を確認する。

 そのひとつひとつの彼女の反応が、僕にとっては逆に新鮮だった。


「私も麻愛の前で、一緒に弓を射る動作をするね。できる範囲でいいから、それを真似してみて。最初は矢を飛ばすだけでも難しいんだ。だから気軽に構えてくれればいいから 」


「わかった 」


 彼女ははっきりした口調で椿に返事をすると、その所作を真似し始めた。

 僕と匡輔は練習を止めて、二人の動きに注視する。


「なぁ、恒星。御坂さん、様になってるよね 」


「うん。僕も今ちょうど、それ言おうと思ってた 」


 弓道には正射必中という言葉があって、正しい射法で射られた矢は、必ず中ると言われている。彼女はまだその言葉を知るはずはないのだが、椿の動きを踏襲する姿は、とても煌めいて見えた。


 足を構える仕草、手を上げるところ。

 流石に弓を引く動作では少しぶれるところがあったが、それ以外は椿を模写したような動きだった。



 彼女の眼光は鋭く、一心に前を見つめている。

 僕は、彼女から目が離せなくなった。

 そして次の瞬間、彼女が放った矢は……

 数メートル空中に浮いたのだ。



◆◆◆



 結局僕たちは時間を忘れて、夕方近くまで練習をしてしまった。しかも昼飯を用意してなかったので、途中で四人で学食まで行ってしまった。母さんが自宅で用意してくれていたであろう昼食に手をつけずに迷惑を掛けたこと以外は、上々の初日になった気がする。

 帰りの電車を降りて下呂駅についたころには、だいぶ夕日が沈んでいた。


「すっかり遅くなっちゃったね。麻愛も恒星も大丈夫だった? 」


 椿は申し訳なさそうな顔をして、こちらを見ていた。


「うん。僕らは別に。そっちこそ家業(バイト)はいいの? 」


「へーきへーき。桜のシーズンだから、まあまあ忙しいけど、今日は平日だしね。うちらは夕食の配膳の時間に間に合えば楽勝だから 」


 椿はそう言うと、匡輔に目配せした。すると、その合図に気づいた匡輔も、

「そうそう、全然気にする必要はないから 」

とそれに続いた。


「じゃあ、私たちはこのまま旅館(バイト)に行くから。じゃあ、また明日ね…… 」


「バイバイ、ツバキに匡ちゃん! 今日は、ありがとう 」



 彼女は二人に手を振ると、笑顔でさよならの言葉を口にした。

 匡輔と椿と別れて、僕は彼女と一緒に自宅まで歩き始める。

 椿の両親は匡輔の旅館に勤めていて、二人の自宅は近い。そしてあの二人は昔から大概仲がいい。しょっちゅう言い合ったりもしているが、その後ろ姿の距離感は、見ているこっちが焦れったくなるくらい絶妙な塩梅なのだ。遅かれ早かれ、その時は近い将来必ず来るのだと僕は思っている。




 正直なところ、彼女と再会してから今日を迎えるまでの数日間……

 僕は一人で勝手にいろんなことを心配して、少し不安になっていた。


 彼女が日本の学校で、同級生と一緒にやっていくことが出来るのだろうかと、勝手に少し意気込んでいた。


 だけど、彼女は至って普通だった。

 それに今日は匡輔と椿にも、結果的にだいぶ助けられた。


「なあ、麻愛…… 」


「んっ? 」


「日本の学校…… 今日、学校に行ってみてどうだった? 」


「とっても楽しかったよ。ツバキも匡ちゃんも親切で嬉しかった。ちょっと安心した 」


「そう。それなら良かった 」


「それにコーセーも、ありがとう。ずっと気にかけてくれて 」


「別に、僕は何も……  」


 彼女は、表情に出にくい方だと思う。

 だけど何の前触れもなく、突然思ったことを口にする。彼女の言葉は、たまに心臓にとても悪い。


「それにコーセーが弓を持った姿、格好良かった 」


「えっ 」


「コーセーのやってたことを思い描いて弓を射ったの。そしたら飛んだ 」



 時が止まったような感覚だった。

 僕は思わず足を止めていた。

 彼女がたまに不意打ちに繰り出すその言葉は、僕の胸を確実に射止めてくる。


 もし彼女がこのまま弓道部に入ろうものなら、僕は毎日こんな思いをするのだろうか。


「麻愛 」


「ん? 」


「うちの学校は小さい学校だから種類はあんまりないけど、部活は他にもある。そりゃ僕も君が弓道部に入ってくれたら嬉しいけど。君には選ぶ権利はある 」


 僕が一年前に弓道を始めたとき、生まれてはじめての一射目はすぐに落下した。

 矢を飛ばせるようになるだけでも、この競技は難しい。なのに彼女はそれをあっさりやってのけた。だから向いているとは思う。


「私は弓道をやってみたい 」


「やりたいの? 」


「うん。ツバキが言ってたの。弓道は心身を鍛練する武道だって。私はここに自分を見つめ直しに来た。だからいまの私がチャレンジしない理由はないと思う 」


「そっか。なんか麻愛らしい 」


 彼女の真面目な志望理由に、僕は思わず苦笑した。

 彼女の向上心には恐れ入る。

 僕の入部理由は匡輔に誘われたことと、時間に融通が利きそうという安易な考えだった。


 もっと気楽に考えればいいよ。

 恐れ多くも、僕は同級生として彼女にそう言葉を掛けようとした。

 だけど、それは声にできなかった。

 彼女はこちらを振り向くと、こう言葉を発したからだ。



「それにね、コーセー 」


「……? 」


「矢が飛んだとき、私、弓道ってとっても面白いって思ったの 」


 まただ。

 僕は彼女の見せる屈託のない笑顔に、魅せられていた。


 僕は彼女を何だと思っていたんだろう……

 もしかしたら心のどこかで、サイボーグか何かだと勝手に決めつけていたのかもしれない。


 彼女はこんな風にして笑うのだ……

 そして僕は、彼女の笑顔にもっといっぱい触れてみたいと思った。




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