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マーガレット・アン・バルクレーの涙  作者: 高城 蓉理
神は僕と彼女に祝福を与えた
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最終話 僕は彼女と一緒に下呂温泉街に里帰りした

■■■




 自分の稼ぎで【ひだ号】に大腕を振って乗車できるようになって、何年かの月日が流れていた。


 僕は麻愛と一緒に、久し振りに帰省の往路の真っ只中にいた。

 そして、肝心の麻愛はと言うと……

 僕の肩に盛大に寄りかかって、すやすやと寝息を立てている。


 ひだ号が運行している高山本線は、線路の上空に車両へ電気を供給する架線がなく、ディーゼルエンジンで走っている。麻愛曰く、その車体のリズムは独特で、それは揺りかごのような心地好さで眠りを誘う、最高の環境なのだと力説されたことがある。最近はいつもとんぼ返り状態ではあるけど、下呂へは定期的に帰省しているから、麻愛に取っても飛騨川を流れる渓谷の風景は珍しいものではなくなっているらしい。その華奢な身体は全身を使って呼吸をしていて、熟睡状態に陥っていた。


 東京で麻愛と暮らすようになってからは、数年が経過していた。

 だけど途中、僕が研修で一年くらい東京を離れたこともあったし、何より彼女の仕事はハードで泊まり込むようなことも珍しくないから、常に一緒に過ごしてきた訳ではない。東京での暮らしは親兄弟がいるわけではないから、少し疎外感もあるけれど、何かあれば祖父母に頼ることが出来るのは救いだった。


 僕らは現在、両親たちの母校の近くのマンションで一緒に暮らしている。と言っても、麻愛は頻繁に病院から呼び出されるのが日常で、すれ違いの連続で一週間とか顔を会わせないことも珍しくない。麻愛は年齢的には若手も若手なのだけど、イギリスで早く就職していた分の活躍で、現在は執刀医として手術をすることもあるらしく、毎日忙しそうに過ごしている。


 今回の里帰りは弾丸だった。

 麻愛は午前中勤務からの一泊二日で、体力的なことも考慮して、明日の昼過ぎには帰京することになっていた。麻愛は●連勤という、労働基準監督所もびっくりな無茶無理無謀が続いているから、今回は僕が一人で帰ると止めたのだけど、彼女が絶対に一緒に付いていくと聞かなかったのだ。僕も来週の勉強会の資料に目を通しながら電車に乗っているから、人のことは言えない。だけど麻愛は、暇さえあれば仮眠を取るような生活だ。社会人生活は学生の頃に想像していた以上に忙しく、僕らはいつまで経っても、余裕のある生活とは無縁の毎日を過ごしている。匡輔や椿は所帯を持って子育てをしながら、この荒波を越えているのだから、マジで尊敬の念しか沸いてこなかった。


 今回は、うちの姉貴に子どもが産まれたので、そのベビーの顔を見に里帰りをすることになっていた。と言っても、麻愛と僕は籍を入れていないので、毎回病院の休みを取るのには、かなりの苦労と負担を強いることになって、申し訳ない部分は否めない。

 ちなみに姉貴と先生は、紆余曲折の末、今は岐阜市内で生活している。世間体とか色んな問題はあったけど、時の流れが解決してくれた部分もあって、最近は二人で下呂に帰省できるようになったらしい。姉貴は大学(母校)の講師として働いていて、先生は岐阜市内の高校で教師を続けている。僕としては両親の近くに姉夫婦がいてくれるのは、少しだけ助かる部分も感じていた。



「コーセー? 」


「あっ、麻愛? 起きた? 」


「まだ眠い…… 今はどこらへん? 」


「あと十五分くらいで、下呂駅に着くよ 」


 彼女は目を覚ましたようだったけど、その頭を正そうとはしない。いや、むしろ起きたはずにも関わらず、もっとこちら側へと体重を預けてきて、僕は思わず閉口した。 


「だいぶ日が落ちてきたね 」


「ああ、夏至はとっくに過ぎてるけど、まだまだ日が長いからね 」


「花火に間に合うかな? 」


「そうだねえ、ちょうど五分前くらいに到着だから、フルダッシュで滑り込みセーフってところかな 」


「そっか。じゃあ、ギリギリまで体力を温存しとこ 」


「ちょっ、だからって、そんなに寄っ掛からなくても 」


「いいじゃん。たまの休日なんだから 」


 麻愛はグイグイと僕の肩に顔を埋めると、気持ち良さそうに息をつく。

 ちなみに今日はたまたま下呂温泉まつりの最終日なので、今晩は花火が上がることになっていた。それに間に合うかは非常に微妙なところなのだけど、僕はどちらかというと花火の爆音は新生児には少しシンドイかもしれないと、余計な叔父心が働いていた。





◆◆◆




「コーセー 早くっ! 」


「ちょっ、待って。そんな急がなくても花火は見えるだろ 」


「でも、せっかくなら特等席で見たいじゃない? 」


「マジか…… 」



 どこに、そんな余力があるんだろうか……

 麻愛は電車を降りるなり、元気にダッシュを決め込むと、一気に雄飛閣の前まで走り抜けていた。

 さすがに心臓外科医として、毎日ブイブイ言わせているだけはある。日本に最初に来た頃は布団の上げ下げだけで半ベソを掻いていたのに、今ではその体力は底なしにレベルアップしていて、僕でも付いていけないことがあるくらい麻愛はパワーで溢れていた。


 久し振りに吸う下呂温泉の空気は、肺が洗われるように澄んでいて、少しだけ硫黄の香りが入り交じっている。空はまだ夜の闇を受け入れたばかりで、遠くの方はまだうっすらと夕日の残像が見えるようだった。

 その微かに残る街灯の光に照らされて、麻愛は最近伸ばし始めた亜麻色の髪の毛をさらさらと揺らし、先へ先へと進んでいく。


 もう、麻愛は僕のことを待ったりしない。

 僕もその背中を追ったりしない。


 長い時間は掛かったけど……

 やっと僕は麻愛の隣を歩けるようになって、下呂温泉街に帰ってきたのだ。





 観光客で賑わう人混みをすり抜けて、僕が麻愛の手首を掴むと、彼女は「えへへ 」と屈託のない笑顔を浮かべていた。


「ねー、コーセー 」


「ん? 」


「私が下呂に来たとき、いでゆ大橋で約束したことを覚えてる? 」


「えっ……? 」


 麻愛はそう言うと、橋の欄干に僕の手を添えていた。

 金属が昼間に吸収した熱が残っているのか、彼女の体温のせいかはわからない。だけどその熱っぽい温もりに、僕は未だにドキドキが隠せなかった。


「桜の季節だったよね。離れ難い想い出は作らないって約束したのに、結局また日本に戻ってきちゃった 」


「ああ、あのとき? 」


「約束は守るためにあるのにね 」


「まあ、いいんじゃないの? 」


「……? 」


「貫くのも変化するのも美徳だし、それが生きるってことなんだと思う 」



 僕はこの場所が大好きだ。

 春には新芽と共に薄紅色の桜が咲き誇り、夏は飛騨川を挟んで無数の花火が咲き乱れる。秋は赤と黄色のパレットを広げたような鮮やかなキャンパスが眼下を覆い、冬には雪景色と湯煙が街一面を白く化粧する。


 僕らには、まだ確固たる繋がりがない。

 だから大切な言葉を伝えるのなら、僕らが絆を深めたこの場所が一番いいと思っていた。





「あのさあ、麻愛…… 」


「何? 」


「大事な話があるんだけど 」


「……? それは、私にとって嬉しい話? 」


「そうだね。僕はそうであったらいいなって思っているよ 」




 僕は、この先も君と一緒に生きていく。

 その隣の特等席は、僕がずっと独占したい。 

 君がどんなに天才で、世界中が君のことを欲しても、

 僕にとっては唯一無二の、たった一人の女の子で、その気持ちには昔も今も偽りはないのだ。


 飛騨川が流れる、いでゆ大橋の真ん中で……

 頭上では、夏の花火の光がキラキラと煌めき、水の音は無限にその流れを止めることはない。


 僕は一世一代の決意を胸の中で固めると、麻愛に求婚の言葉を伝えたのだった。













下呂温泉と飛騨高山に感謝を込めて

マーガレット・アン・バルクレーの涙


お付き合いいただき、ありがとうございました。

姉妹作品 ニュートンの忘れ物も合わせてご贔屓の程を宜しくお願いします。

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